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第27話 肖像画


 再び伝説の紅い竜に連れられてアイリッシュ海を渡り、死にそうな目に遭いながら、ダブリンにたどり着いた。煉瓦調の建物が多く、石材や漆喰が目立ち、独特の雰囲気を持つ歴史ある街だ。


 ロッテやゲイルと合流し、街を散策しながら、ドンヌの家について話し、千ポンドの呪いについても話した。ピサールたちの立場に理解を示しつつも、ロッテは魔剣を渡すつもりはないようだった。


「どうしてって?」


 首をひねりながらロッテが言う。


「いまはその時じゃない。そう感じるの。あんたも骨董商ならわかるでしょう? 古いモノは、それぞれのあるべき場所があって、どこへ行きたいか、その持ち主に囁きかけるのよ」


「なんとなく、わからんではないかな。僕の場合は、そのモノの行きたいところではなく、より多くのカネを生むところへ御招待だが」


「そのうちモノに祟られるわよ」


「ふん、どうとでも言え。お、あんなところに骨董屋があるぞ」


 ダブリンの街中でも、裏通りに入ると暗く寂れたもの。崩れかけた煉瓦作りの家屋に並んで、小さな骨董屋があった。

 こういう店こそ、掘り出し物が見つかるものだ。店主が趣味でやっていて、価値のあるものをそれと知らずに二束三文で売っていたりするのだ。


 ガランガラン、とベルを鳴らしながらドアを開けてみると、こじんまりとした店内には、壺から絵画から家具や小物まで雑多なものが無造作に置かれていた。


 中で目を引いたのは、等身大の肖像画だ。美の極致のような少女が描かれている。


「これは見事な肖像画だ。よく描けている」


 思わず見惚れる僕に向かって、顔をしかめながらロッテがいう。


「この子、あんたそっくりなんだけど」


「本当だ。道理で美しいと思った」


「ピサールの熱で脳みそが焦げたんじゃないかしら。そもそも、なんであんたの肖像画があるの?」


「なんでって。僕ぐらいになると、誰かが敬意を込めて描いてくれるものだろう」


「そんなわけないでしょ」


「それより、この絵の作者は誰だ? モデル料を要求する。あ、それに、なんだ50セントって。額縁だけでも、もっとするだろ」


「ひっひっひ」


 店の奥から不気味な笑い声が聞こえ、しわくちゃの老人がこちらを見ていた。


「その絵は、正真正銘50セントだよ。お客さんの手元においてやっとくれ」


「びっくりした。変な笑い声をあげるんじゃない。あんたが店主か。なんで50セントなんだ。なにか裏があるんじゃないのか。吐け!」


「ひっひっひ。裏なんてないよ。次の買主を絵が決めるのさ。金額も、その人に見合った金額になる。そういうモノなのさ」


「なにぃ! 僕の財布に50セントしか入ってないとでもいうのか。失敬な」


 言いながら財布を確認してみると、


「……そういえば、昨日、バカラで負けまくったんだった。手持ちは50セントしかないな」


「さて、お客さん、どうするかね」


「ふむ、曰くありげな品物を扱うのは得意だが、この絵について、ほかにおかしなことはないか?」


「そうだねぇ。大きな絵で、場所をとって仕方なくてね。処分しても、燃やしても、倉庫へしまっても、次の日には元通り、いつの間にか店の中央に陣取っているのさ。気味が悪いったらないよ。50セントで引き取ってくれるなら御の字だ」


「たしかに気味の悪い話だな。だが、絵自体は素晴らしい出来だ。オスカーワイルドも言っている。


 男の顔は自伝であり、女の顔は創作である。


 A man's face is his autobiography.

 A woman's face is her work of fiction.


 この肖像画が僕の良心だったりするのだろうか。いやはや、ため息が出るほど美しいな」


「美的センスが腐り果てているようですな」


 心底軽蔑した目で見てくるゲイルに、やかましい! と返した上で、


「とにかく、この絵はもらっていくぞ」


と店主に伝えた。


「あ、お代は……」


「代金だと? 曰く付きの品をもらってやろうと言うんだ。ただでも高いくらいだ。むしろ金を払え!」


「そんな無茶な。はぁ、わかりました。ただでいいですから持って行きなさい」


 ため息をつく店主をおいて、僕は肖像画を持って外へ出た。ドアが閉まった後の店主のつぶやきは、僕には聞こえなかった。


「やれやれ、あの絵を額面以下で譲ったのは初めてじゃ。まあ、そのうち戻ってくるだろうて。あの小僧、どうなるのやら。ひっひっひ」


 こうしてただで美しい肖像画を手に入れたわけだが、それから数日が経って……。


「パン、なんかやつれてるけど大丈夫?」


「なんだか調子が悪いのだ。最近、眠りが浅いのか、同じ夢ばかり見てな。僕そっくりの美少女が出てくるのだが」


 おぇえ、とゲイルが口を抑えていた。


「ん、どうしたゲイル? 何を吐いている。お前も調子が悪いのか?」


「いえ、お気になさらず。どんな夢なのです」


「ふむ、アニマとでも言うべきか、僕そっくりの美少女に誘われて行くと、この世の美しいもの、美味なるもの、豪奢を尽くした桃源郷にたどり着くのだ。

 そこで美少女といちゃいちゃしているうちに夜があけて、帰ってくると目が覚める。その間は本当に楽しいのだが、目覚めるとげっそりしてしまってな」


「モノに祟られてますな」


「祟られるようなモノなどないぞ」


 それを聞いて、ロッテが呆れたようにいう。


「あの絵よ」


「あの美しい絵が?」


「そう思う時点で呪われてるようなものね。よろしい、このシャルロッテ・ハイネに任せなさい!」


 ということで、ゲイルとロッテが、ホテルで寝ずの番をしてくれることになった。大きなお世話だったのだが、好意からのことだし、受けることにした。


 僕が眠りについた後のことだ。


 ベッドで眠る僕自身は、あどけない寝姿を見せていたようだが、部屋の中央に据えた肖像画が、ぐにぐにと蠢き、中から僕そっくりの美少女が這い出してきたらしい。それを、ゲイルが躊躇なくどつき回した。


「ちょ、ちょっと待て」

 と、美少女が言う。「お仲間そっくりなんじゃぞ。少しはためらったらどうなんじゃ」


「お仲間そっくりだからですよ。自分の容姿を見て言いなさい」


「仕方ない。この小僧にかけた呪いについて教えてやろう」


「何も聞いていませんが?」


「……いいから聞け! 手順は大事にせんといかんぞ。とにかく、わしに手を出せば、この小僧は、永遠に目覚めん。ひっひっひ」


「その笑い方。先日の骨董屋の店主ですか」


「そのとおり。わしこそが肖像画の呪いそのものじゃ。仕掛ける場所は、パブだったり、カジノだったり、様々じゃ。

 この小僧は、もう目覚めないぞ。賭けてもいい。この世はドブのようなもの。腐った現実より、夢の桃源郷を誰しも選ぶものじゃ。わしは、この世に復讐してやるのだ。そう、わしは絵描きじゃったが……」


「はいはい、語らなくていいから」

 ロッテがぱんぱんと手を叩く。「どうせ、世に認められなくてとか、そんなんでしょ」


「そ、そうじゃが。せめて聞いてくれんかの」


「なら、パンが目覚めるまでの間、勝手に語ってなさい。聞き流してあげるから」


「やれやれ年長者への敬意がないのう。この小僧はもう絶対に目覚めんぞ。七日七晩の呪いの最終夜、肖像画に魂を塗り込められて終わりじゃ。

 桃源郷に留まるか、ドブのような現実に戻るか、その者の魂が選ぶ。魂に嘘はつけぬ。誰もが、安穏として幸福に満ちた世界に留まるじゃろう」


「こいつは馬鹿だけど、そこまでじゃないわ」


 ふてぶてしく応じたロッテが腕組みして店主と対峙していたころ、僕は、夢の中で骨抜きにされていた。


 妙なる調べに包まれて、馥郁とした香りに満ち、僕が望むままの美術品や本や美食に囲まれていた。なにより、美しく聡明で機知に富んだ魅力的な美少女が傍らにいるのだ。楽しい時間があっという間に過ぎ、いつものように一番鶏が鳴く。


「ああ、そろそろ帰らないと」


 立ち上がった僕を美少女が引き留めた。


「帰るって、どこへ? ずっと、ここにいたら良いじゃないの。なぜ、ドブのような世界へ帰るの?」


「そうだな。きみの言う通りだ。こんな素敵なところはない」


「じゃあ……」


「いや、帰る。まさにドブの中で死んだオスカーワイルドは、こう言っている」


 ちょうどその時、店主と対峙していたロッテも、同じ言葉をぶつけていた。


『みんなドブの中にいる。でも、そこから星を眺めている奴らだっているんだ。

 We are all in the gutter, but some of us are looking at the stars.』


 オスカーワイルドの魔術的な言葉によるものか、肖像画の美少女は悲鳴をあげて消え失せ、僕も夢から目覚めた。その後、骨董屋のあった場所を探して回ったけれど、遂に見つけることはできなかった。


 ちなみに、僕のあずかり知らぬところで、店主は、今度はパブを開いて新たな獲物を待っていたらしい。


「ひっひっひ、失敗したわい。次は誰が誘い込まれて来るかのぉ」


 と、そこへやってきたのは、三十歳前後の男性、だるそうな表情と喋りが特徴的で、カウンターに腰掛けて酒を飲み始めた。

 例の肖像画は、今度は少し小さめになって店に飾られていたという。それを見つめている男性に、店主が声をかける。


「ひっひっひ、どうかな。あの絵が気に入ったかな。欲しければ、お譲りしますよ」


「いや、いらないなぁ。なんだ、あのやつれて疲れて憑かれたような不気味な中年女は? 心労と後悔と無念と苦痛の塊みてぇだな。きもいぜ〜」


 と同時に、火の気もないのに肖像画が燃え上がり、消し炭と化した。悲痛な声が響き、その後、ダブリンに不思議な店が開くことはなくなったという。


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