第21話 蛍
今度はスコットランドに来ている。
そろそろ、そんなにあちこち旅して回る余裕があるのか疑問の声があがりそうなので、ちょっと説明しておこう。まず僕の仕事だが、なに? 詐欺師だと? バカをいえ。詐欺師まがいの骨董商だ。骨董商を装う詐欺師じゃないからな。間違えるなよ。たいして変わらないともいえるが、まあいい。
仕事上、あちこちで骨董を仕入れて売るのに、旅は悪くないのだ。加えてネットがあれば売買も自由。世界のどこにいたって商売ができる。
ロッテについては、名門ハイネ家のお嬢様だからと一言で片付けてもいいが、実際には、執事のゲイルが資産運用で金を稼いでいるらしい。人には思わぬ才能があるものだ。
そんなことを思いながら、エディンバラに近い小さな街を歩いていると、聞いたことのある音楽が流れてきた。オールド・ラング・サインだ。
「懐かしい曲だな。極東の島国でも歌われているらしいぞ。題名も歌詞も、まったく違うがな」
「ふぅん、どう違うの?」
「島国では蛍の光という題名で、愛国歌になっているが、本当は……」
と、ロッテに説明していた時、不意に歌が止み、パブから若い男が叩き出されてきた。ひどく酔っているらしく、ふらつきながら悪態をついている。
あまり関わり合いにならない方が良さそうだったが、なぜかこうした手合いに絡まれるロッテである。目をそらしたり避けたりしないからかもしれん。そいつは、ろれつの回らない調子で声をかけてきた。
「お嬢ちゃん、ちょっと助けてくれないかね」
「助ける? なにをかしら?」
「哀れな酔っ払いをさ。まあ見てくれ、この俺を。
久々に故郷へ戻って親友を訪ねてきたというのに、ついつい飲みすぎてまともに歩けないわけだ。住所はわかるし、親友の家もほど近い。夜になるまでに辿り着きたいが、どうもこの両足は言うことを聞いてくれない。右へ行こうとすれば左へ、前へ行こうとすれば後ろ、立ち上がったと思ったらひっくり返る。明日の朝になっても辿り着くまい。なにより、親友に持ってきた大事なものを壊してしまいそうだ」
「ふぅん。それは大変ね。なら、道を教えてくれれば連れて行ってあげるわよ」
安請け合いのロッテのせいで、ゲイルが男に肩を貸し、僕は男の荷物を運ばされることになった。高価な楽器が入っているというが、非常に重い。
やがて辿り着いた先は大きな屋敷で、往年の名士の家のようだった。住んでいたのは男と同年代の兄妹だ。ひとしきり再会を喜びあった後、兄の方が僕らに向かって頭を下げた。
「親友を案内してくれてありがとう。観光なのかな? もう泊まるところは決まってる? ここいらでは今から泊まるところを探すのは難しいよ。うちの屋敷は部屋数だけは多いから、よければ泊まって行きなさい。ホテル並のサービスとはいかないがね」
気さくというか、お人好しというか、その兄妹の屋敷に世話になることになった。その夜、ささやかながら温かい夕食まで馳走になり、食後、ウイスキー片手に、少しためらいながら男が荷物からハープを取りだし、兄の方へと差し出した。
「これは曰く付きの骨董品でね。丘の上で、ひとりでに歌うとか。いわば伝説のハープさ」
「へえ、貴重な物なんだね」
「そうさ。まともに売りに出したら十万ポンドは堅いよ。つい先日、ひょんなことから手に入れてね。ちょうど帰郷しようとしてた頃で、きみのことを思い出したんだ。古い楽器が好きだったなって。もし、気に入ったなら、一万ポンドで譲るよ」
「それじゃ悪いよ。五万ポンドは出そう」
「……いや、じゃあ三万ポンドでいいよ。代わりに現金で頼めないかな。事業の方でいろいろあって、すぐに現金がいるんだ」
「ああ、わかった。二、三日は泊まっていけるんだろう?」
「それが仕事が立て込んでてね。明日には立たないとダメなんだ」
「そうか。なら、明日の朝までに準備しておくよ」
なにやら胡散臭い話を片耳で聞いていると、ねえ、とロッテが小声で聞いてきた。あれって本物?
僕は首を振るしかない。ひとりでに歌うハープなぞ、ありはしない。それを差し引いても、さほどの年代物でも名品でもない。
あまり口を挟みたくはないが、目の前で人が騙されるのを見ていたくもない。自分のことを棚に上げて、そのハープは、と声をかけようとしたところ、二人のやりとりを黙って見ていた妹の方に身振りで止められた。何か考えがあるのかと思い、その場は黙っておいたのだが……。
翌朝、男はハープをおいて早々に出発していった。三万ポンドを手に、また来るよと。僕は気が気じゃなくて、妹の方に確かめた。
「おい、本当にいいのか? あのハープは、三万ポンドどころか、百ポンドの価値もない粗悪品だ。騙されているんだぞ」
「ええ」
と、こくりと頷いてみせる。兄もわかっていますからと言うじゃないか。だが、一宿一飯の義理、見ちゃおれん。だっと走って、男に追いついた。
「おい、待て貴様。あの兄妹、偽物だとわかった上で金を出したんだぞ。屋敷はでかいが、そこまで裕福とは思えないのに。おまえ、それでも……」
そこまで言いかけて、振り返った男が泣いていることに気付いた。
「わかってるさ。わかった上で貸してくれたことは、俺もわかってるさ。だから、俺たちは親友なんだ。何があろうと、絶対、この金は返す!」
そう応じて去っていく男の背中を眺めていると、どこからかハープの調べが聞こえてきた。オールド・ラング・サインだ。
「あのハープが? まさかな」
「行っちゃったね」とロッテ。
「あいつら、本当に馬鹿な兄妹だ。だから、友など必要ない。ビジネスパートナーだけで十分だな」
「強がっちゃって。オールド・ラング・サインって、もとは懐かしい友との語らいを歌っているんでしょ? 美しく儚い思い出を」
「なんだ、知ってたのか。だが、人の心なんて移ろうもの。そんなものは放っておけ」
「でも、最後に信じられるのは人の心でしょ?」
「いいや、信じられるのは金と物さ」
「本当にそう思うの?」
「そういうものさ」
「そうかしら」
「そうさ」
「そう」




