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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

she smokes a cigarette. 〜思い出の彼女〜

作者: RILLY

彼女が昼を過ぎたその頃に、斜めに差してくる陽に当たりながら、まるで昔からの決まりごとのように

ベランダで吸う煙草。

影ができて、際立つほっそりとした顎のライン。

口から吐き出され、くゆる煙が第2のカーテンのように日光を微かに遮る。

そんな何気ない光景が、たったそれだけの事が、僕が彼女と過ごした日々の一番の思い出。

春風に急かされたように、忙しく咲いた桜の花、それと同時に始まった彼女との日々。

これは、忘れもしない、いや、彼女と過ごした忘れたくない日々の記録。



冬がもうすぐ終わりを告げると、そう思わせるほど暖かな陽射しの日の事


その日、大学2年生の僕は前々から体に感じていたある “異変”の正体を確かめたくて、病院に行った。

その”異変”が起き始めたのは正確には覚えていないけど、数ヶ月ほど前の事、高校3年の時、結局何がしたいかわからないけど、とりあえず大学には入っておいた方が良いだろうくらいで入った私立大学の高い学費に悩まされた僕が、居酒屋でバイトをしていた時の事、僕は注文のきた飲み物を、作ろうとして止まった。

今まで何万回、いや、それは少し大袈裟だけど、少なくとも何百回と作ってきてちょっとやそっとのことで飲み物の作り方を忘れるはずなんてない。けど、忘れてしまったのだ。仕方なく店長に聞くと店長も


「お前が作り方聞いてくるなんて珍しいな」


なんて笑いながら言ってくるし、その他にもお客さんから聞いたメニューを厨房に伝えようとして忘れてしまったり、そんな事がしょっちゅう起きるようになってた。それだけなら疲れが溜まってるんだろうなと

済ます事ができるけど、ついに無視出来ない事が起きた。バイト中、突然息が苦しくなって目の前が真っ白になった。

目が覚めて周りを見てみると 、心配そうに見つめてくるお客さん達、バイト仲間のみんな、

そんな視線に耐えられない僕は

「いや、ちょっと気分悪くなっちゃって〜」

なんて笑いながら無理矢理その場を誤魔化した。

だけど、勘のいい店長にはバレていたらしくスタッフルームで

「体調悪いんなら、言ってくれよ。従業員に何かあればそれは俺の責任でもあるからな。悪い時にはしっかり休んで、元気な姿、見せてくれや」

なんて、めちゃくちゃカッコいい事も言われた。

そんな事もあって、大学を休んで病院に行ったその日、やっと僕の感じている”異変”の正体を知れるという

どこか半ばスッキリするような気持ちと共に、訳の分からない不安も僕の心に広がる。

「どうぞ〜」

間延びしたような病院の先生の声につられるように診断室へと、歩みを進める。

「それでは、え〜、診断結果なのですが…」

この病院の先生独特の、余裕のあるような、それでいて不安を煽るような声

「特に異常は見られないとは思います。まあ、少し息が苦しくなったという点が気がかりではありますが、

精神的な疲労によって、過呼吸が起こされる事もありますし、また、物忘れが激しいというのも慢性的でなく、一時的にそのような症状が出る場合もあります。大きな病気の可能性も低いと思います。」

という事を言われた。

正直、ほっとしたというのが8割、だけどどこかスッキリしないのも2割あった。

何かが引っかかるような感覚を無理やり心の隅に追いやったまま、精算で呼ばれるのを待っている時だった。

何となく周りを見渡す。

すると右側をちらりと見たその一瞬で、世界の時間が一斉にストップした。いや、ストップしたかのように感じた。


一目惚れ。


激しく高鳴る胸の鼓動。脈打つ心臓の音が今にも聞こえてきそう。


それが僕の、彼女との初めての出会い。

病院の長いすに座る彼女。そのどこを見ても目を奪われる。まるで身体中溶けていく様な感覚。


艶やかで肩まで伸びた黒い髪、シャープな輪郭、その顔の中に凛と佇む切れ長の美しい瞳、

少し大きめのライトブラウンのコートを着て、その長い足を持て余すごとく、組まれた足。


ありきたりではあるけれど、まるで女神のようだった。

そんな感動に包まれていると、その切れ長の美しい瞳が、シャープな輪郭と共にこちらを向いた。


そして立ち上がりツカツカとこちらに向かって歩いてくる

(ヤバイ…見過ぎたのだろうか)

そんな事を思っていると、

「あれ?君ってこの前居酒屋で急に倒れた従業員の子だよね?大丈夫だった?」なんて、気軽に声をかけてきた。

「あ、そうなんですよ。実はその事で今日病院に来たんです」

内心、ドキドキしながらそう答える。まさか今さっきまで女神のようだと思っていた子に知られているなんて思いもしなかったのだから。

「あの時、見られてたんですね、どこの席に座ってたんですか?」

なんて話してるうちに、精算をする為に窓口に呼ばれる。

精算を済ませ、帰ろうとすると後ろから

「お〜い、家まで乗っけて行こうか〜?」

と言われた。最初、女神のようだと感じていた彼女はとても気さくで、話しやすい子だった。

彼女の運転する車の助手席に乗り込み、彼女と話をする。


「わざわざ家まで送ってもらうなんて、なんかすいません。」


「ん?あ、全然 全然!!どうせ1人で運転してても暇だし、ちょうど帰り道だしさ、それより大丈夫だった?気分悪くなった原因分かった?」


「少し疲れが溜まってたみたいで、休んだら良くなるだろうって、先生に言われました。」


「あー、そうなんだ、やっぱり体調には気をつけないとね〜、学生さんなんでしょ?だったらなおさらだよね、勉強もしないといけないしさ。」


こんな感じで会話は続き、家の近くまで来て、降ろしてもらった。


「本当にありがとうございました。すごい助かったです。」

そう言って頭を下げる。

「うん、こっちこそありがとうね、おしゃべり楽しかったよ」

そんな事を微笑みながら言う彼女。

「じゃあ、失礼します。」


「はーい、またね〜」


そう言って彼女と車は去って行く。僕はそれを後ろ髪を引かれるような思いで見送る。


それから数日が過ぎ、あのぶっ倒れた後、初めての出勤。

「おう!どうだった、病院行ってきたか?」

と、店長

「はい、行ってきたんですけど、特になんもなくて、疲労のせいじゃないかって」

と、僕

「おいおい、それじゃあまるでうちがブラック企業ならぬブラック居酒屋みたいじゃねえかよ」

と、笑いながらそう言い放つ店長

「いや、違いますって!そんなつもりで言ったわけじゃ…」


「分かってるって、ちょっとからかってみただけだよ。まあでも、ほんと身体には気をつけろよ。」


「ありがとうございます。店長」


そんなこんなで喋るうちに、段々とお客さんも増えてきて忙しくなってきた。

正直、心の中で、あの女の人来てくれないかな、なんて最初の方は思ってもいたのだが忙しくなるにつれて忘れていった。

一番お客さんが入ってくる時間帯を過ぎた居酒屋は、閑古鳥もお手上げのレベルで暇になる。

そんな中、ぼちぼちとみんなが帰ったり、休憩に入ったりする中で僕も一人で、お店の中を少しづつ片付けていると、お客さんが扉をくぐるとなる、コール音が聞こえた。少し駆け足で入り口まで向かうと、

そこには、あの彼女がいた。ふと蘇る数日前の記憶。

その凛とした立ち振る舞いからは、想像もつかない、明るい性格。

彼女は一人で来ていた。そして席に着くなりこう言ってきた。


「今度の休日、一緒にどこか行かない?」

と…

えええええええええ!もう僕の心は、爆発寸前。そして普段は信じてすらない神様に心で感謝する。


「え、ええ、それは良いですけど…」


「じゃあ決まりね!そうだ、メルアド教えて?ほら、なにかと連絡手段って必要じゃん?」

なんて、ふっくらとした唇に弧を描かせて、豊かな表情でそう言う。

そのあと彼女は、普段は存在感の薄い、有線から流れるBGMが大きく聞こえるほどに静かな店内で、

僕と一通り話したのち、帰っていった。

そして迎えた休日、集合場所は駅前のロータリー、その場所で待つ僕を、もうそれはそれは “超”が付くほどの緊張が飲み込もうとしていた。

だけど、今までのことを振り返り思った。この週末を迎えるまでにやれる限りのことはしてきたと。

近くのコンビニでメンズファッション雑誌を買い漁り、読み漁り、

美容室に行って、少し前に切ったばかりの髪の毛を切って、整え、

わざわざ、大学の女友達に言って、服を一緒に選んでもらったり、

挙げ句の果てには、今日の恋愛運を調べて、恋愛運上昇のラッキーアイテムを買ったりもした。

と、そんな事を考えていると


「あっ!いたいた!」


そんな声が横から聞こえる。

助手席側の窓を開けて、覗き込むように見てくる彼女。


「今日はよろしくお願いします。」

ろくに舌が回らない、頑張れ、俺の舌。


「うん、よろしくね、じゃあ乗って乗って」


そう言われ、夢遊病にかかったようなまま、とりあえず助手席に乗り込む。


「運転、代わりましょうか?」


僕がそういうと、彼女は、

「いいの?じゃあ代わってもらおっかな。お言葉に甘えて」


お言葉に甘えられた僕は、少し心拍数が上がるのを感じながらも、


「じゃあ、代わりますね。」


そう言って、冷静に、努めて冷静に運転席に向かう。


「よし決めた。」


え、まさか、この会って少ししか経ってないこのタイミング、このタイミングで!?

言われてしまうのか、あの言葉を!


「今日行くところは運転手さんのお任せでお願いね」


こちらを向いた彼女が言う。

あ、そうね、そうだよね、まあ確かにこのタイミングでは無いよな。

そんな事を思いながらも、一方で僕は自分が重大なミスを犯していたことに気がつく。

そう、どこに行くかなんてちっとも考えてなかった。

少しでも彼女に良いところを見せようと、「運転、代わりましょうか?」なんて言った少し前の浅はかな自分を呪った。


そんな感じだから、ここで、考えてなかったなんて言えるはずもなく


「はい、分かりました」


と言ってしまった。しかし、どこに行こうか。


今の時間はお昼を少し過ぎたくらい。なので一番外れの無いご飯に誘う事にした。


「あの、お昼って食べましたか?」


「ううん、食べてない。だから運転手さんのオススメの場所に連れて行って!」

微笑みながら、僕をからかうようにそう言う彼女。


「それじゃあ、オシャレでは無いけど、味は美味しい食堂があるんです。そこでも良いですか?」


「じゃあ美味しくなかったらどうする?」

なんて困らせるような事を言う彼女。


僕が真剣に思い悩んでいると、


「そんな困った顔しないでよ、冗談よ、冗談!」

そう言う彼女の表情はとてもニコニコしていた。


そんなやり取りをしながら、車を運転していく。

食堂に着くまでの少しの間、気まずく無い、むしろ心地良くすら感じるような沈黙。

まるで昔からの友達といるような感じもする。

運転に向ける集中を切らさないようにしながら、車内に気を向ける。

微かに花のような良い香りが隣からする。香水だろうか。

そんな事を思っていると、


「ねえねえ、煙草吸っても良い?」

そう聞いてくる彼女。


「良いですよ。それに僕の車じゃ無いんですから、別に聞かなくてもいいじゃないですか」


そうは言いつつも、少し内心では驚いていた。別に僕も居酒屋でバイトしているから、女の人が煙草を吸うのは普通だと思うけど、それでも何故か少し驚いた。多分だけど、身近にそういう人がいないのもあると思う。

「君が嫌なら吸わない方がいいかなと思って、」


なんとなく僕を気遣ってくれていたんだなと思う


少しして彼女が助手席の窓を開けて、煙草を吸い始める。それと共に、窓から入る風につられたように、少しだけ香ってくる彼女の煙草の匂い。少し甘い感じ、おそらくバニラだろう。その時初めて、僕は彼女が隣にいるこの瞬間はまぎれもない、事実だと認識した。今まで何となくどこか夢心地で、慣れ始めていたけれど、今、隣にいる人は僕が一目惚れした彼女なのだと思った。

そんな事を思いながら運転しているうちに、僕のオススメの食堂、その名も「ごっちゃん食堂」に着いた。

そういえば、なんで「ごっつぁん」じゃなく「ごっちゃん」なのかなと思い、ここのおっちゃんに聞いた事がある。

帰ってきた返答は至ってシンプル。

「なんでって、そりゃ、知らなかったんだよ。ずっと “ごっちゃん”やと思って生きてきたからなぁ」

だそうだ。

それはそうと、とりあえず入る。そして鳴る、いつもの、扉に付いてるベルの音。


「いらっしゃ〜い、おう、また来たんかい、しかも今日はえらいべっぴんさん連れて来てからのぉ

もしかしてコレか?」

とか、堂々と空いている手の方の小指を立てて、おっちゃんがそう聞いてくる。


「はぁ〜、またそんなことばっか言って、ええ加減にしなさいや」

おばちゃんが言う。

この掛け合いも見慣れたもの。一種の名物のようでもある。そんなやり取りを楽しみながらいつもの席へ。

入って左側、奥から2番目の4人席。そこに向かい合うように僕たちは座る。


「なんか、古く良き店って感じだね。で、何が美味しい?」


「ん〜、いつも食べてるのは、ホルモン焼き定食とか、ラーメンとかですけど、他も美味しいので、

自分の好きなものを選んでみるのがいいかもしれないですね。」


僕と彼女が何を食べようか話していると、おっちゃんが


「おい、ナポリタンなんかどうだ〜、うちは鉄板の上に乗せて出すから冷えなくて美味いぞ」

って言ってきた。

はて、この店、ナポリタンなんかあったっけ?この店に来始めてから大分経つけど、聞いたことないぞ。

まあでも確かに美味しそうなので、僕が「それ一つ下さい」って言おうとすると、横から大きな声で、


「じゃあ、それ2つで!」

って彼女が言った。

どうやら彼女、性格は少し、アメリカの女神の名前が当てはまりそうだなと、勝手に心の中で思った。


しばらくして、わざわざおっちゃん自らの手で持って来てくれた。

確かに、熱々の鉄板の上に載せられ、細切りのピーマン、少し厚めのカリッと焼かれたベーコン、

そして上手く絡められたソースの香りがとても食欲をそそる。


「へい、お待ちどうさま」

気のせいだろうか、ちょっとおっちゃんが満足気にしているように見える。まるでやってやったぜと言わんばかりだ。


「「頂きます!」」


2人が頂きますをハモった事に少し目を合わせて、笑って、お互い食べ始めた。


「ん〜!!凄い美味しい!」


「ん!ほんとですね」


ほんと、めちゃくちゃ美味しい。美味しいって言う言葉じゃ全然足りないくらい。

ふと、目の前を見ると、凄く美味しそうに食べる彼女、変に気張らなくて良かった。


「はぁ〜、美味しかった。もうお腹いっぱい」

そう言って満足そうにしている。心の中でおっちゃんに少し感謝。

食べ終わった食器を下げ棚に持っていく。するとスタスタとおっちゃんが寄ってくる。


「どうだったよ、俺の自信作。」

小声で聞いてくる。


それにつられて、僕もついつい小声で

「めちゃくちゃ美味しかったです。ありがとうございます。」

と言った。そしてついでにと、僕は疑問に思っていた事を聞いてみた。


「ナポリタンってメニューにありました?」

そう、先程券売機を見ても、やはりナポリタンは無かったのだ。


すると、おっちゃんは

「いいや、メニューにはねえけど、兄ちゃんはいつも美味そうに飯食ってくれるし、今日はあの女の子もいたからな。そういうことよ、まあ、また来てくれや」

おぉ、おっちゃん、ちょっと見直したぜ。是非また来ようと思った。


そして店を出て、車に乗り込む。


「いや〜、運転手さんのお任せで良かった。実を言うと私、全然考えてなかったんだ、今日どこいくとか。」

衝撃の告白!とまでは言わないが、まあそう言うこともあるんだろうと思った。


だいぶ日が暮れている。もうすぐ夜だ。


「あの、僕が行きたいところに行っていいですか?」


「うん、いいよ。」


「じゃあ行きますね。」


エンジンをかけられた車は走り出す。その軽やかな弾むような走り出しは魔法の絨毯さながら。

僕と彼女を乗せて、僕の思うままに魔法の絨毯は動く。

フロントガラスから射し込む、昼と夜の交代を告げる夕日の光。太陽が唯一、月に負ける時間。

主役交代の時。


「着きましたよ。ここが僕が行きたかったところです。」


「ん〜。ん、ふぁ〜、ごめんね、寝ちゃってた。ここどこ?」


「ちょっと上を見てみてください。」

僕がそう言うと、上を向く彼女、そして聞こえる息を呑む音。


「すごい…すごい綺麗だね。」

そう言って空に見入る彼女。


「ここは僕がよく、親にわがまま言って連れて来てもらってたところなんです。この時間、ここから見えるこの景色を見ると、凄く落ち着く気がして、色々と詰まった時とかここに来るんです。今日は僕を誘ってくれたお礼に、それと単純にこの景色を見てほしいと思う気持ちから、ここに来ました。」


「ありがとう…」

そう言う彼女。その目は少しだけ潤んでいるようにも見える。その横顔を見て、僕は決心した。


「あの、」


「ん?」


「まだ一回目で早いかもしれませんけど、初めて病院で声をかけられた時から、ずっと心の中に貴方がいました。これから少しずつお互いの事をわかっていければと思います。なので僕と付き合ってもらえませんか?」

少し間が空くほんの数秒、それがとても長く感じる。まだか、まだか、そう心が言う。


「実は私も、前から少し君の事が気になってて、今回誘ったの。だからこれからも2人で沢山思い出作っていこうね。」


こうして薄っすらと見える星空に見守られながら、僕達は付き合う事になった。

それからは、バイトと学校の合間に、彼女と会う日々。

そんな日々はとてもとても忙しくて、今まで生きて来た中で一番楽しかった。そう思うほど。

でも、そんな日々を少しずつ忍び寄る影が覆う日が近い事をその時の僕は、まだ知らなかった。

久しぶり異変が起きたと言うのもおかしな話で、僕が気づいてなかっただけかもしれないけど、

それは、皮肉にも僕にとって一番楽しかった彼女といるときに起こったことから始まる。


それは彼女の大好きなドライブをしていた時のこと

いつも通りのドライブ、交差点を曲がろうとした時のこと、ウィンカーを出そうとしたら、右手の指が動かない。

「あれ?」


「どうしたの?」


「いや、なんでもない、大丈夫。」


そんな事が何回もあった。

他にも、少し喋りにくい日があったり、手の痙攣、呼吸がしにくい、あと、前もあったようなもの忘れ、

それが日に日に激しくなっていく。



この前、彼女にひどい事をしてしまったらしい。約束を忘れてた。デートの。

彼女からメールが来て、知った。デートの約束してた事。他にも、大学のサークルの行事なんかも忘れてた。


だから彼女に言う事にした。とりあえず彼女に電話する。少しの着信音の後、彼女が電話に出る。


「突然電話かけてごめん、君に言っておきたい事があるんだ。僕の最近の体の異常について。」


「え、またまたぁ、そうやって脅かそうとしても無駄よ、この前のデートの事は許してあげるから、素直に謝りなさい。」


「いや、本当なんだ。君が覚えているかわからないけど、居酒屋で倒れた日、あれも呼吸が苦しくて倒れた。その他にも運転しにくかったりする。その他にもモノ忘れも激しくなってきてる。明日病院に行くから、君もついて来てくれない?」


「え、本当に?冗談じゃなくて?」


「うん」


「わかった。ついてく。」


そう言って病院に行く事が決まった。


そして次の日、数ヶ月前にも寄ったこの病院。

そして彼女との出会いの場所。


「132番の方〜、診察室へどうぞ」


立ち上がり、診察室の前へ行き、扉をノックする。


「どうぞ〜」


「失礼します」


「あれ?この前も来られましたね。」


「そうなんですけど、この前、少し呼吸が苦しくなったって言ったじゃないですか、あれが最近頻繁に起こるようになって来て、他にも、もの忘れとか、痙攣、 あと、足の小指が完全に動かないです。」


僕がそう言うと、診察してくれている先生は少し唸るようにして、考え込む。


「とりあえず、思い当たる病気がないので、検査してみましょう。」


そう言って検査を受ける事になった。

そして数時間後、検査結果が出たと言われた。


「結果としましては、脳にも体にも異常は見られません。なので、 また何か異常がありましたら、来てください。」


結局何も分からずじまいで終わった。


でもそれから少しして、状況は急激に変わっていった。

二度目の、真っ白な世界へのダイブ。そう、また意識がなくなって、今回は病院に救急搬送された。

検査結果は同じ、異常なし。でも確実に体に異常あり。

先生のススメで、検査入院した。これから経過を見ていくみたいだ。

はあ、何も無いといいな。そんな事を呑気に考えていると、凄い勢いで彼女が入ってきた。


「大丈夫だった!?、倒れたって聞いたから、びっくりして、」

え、どうやって知ったんだ?彼女の剣幕よりも、そちらが気になった。

後から聞いてみると、彼女の同僚がたまたま、通りかかっていたらしく、よく似た人が運ばれてたって言ってきたから連絡をかけてみると僕が出ない。片っ端から病院に電話してみるとここの病院にいるって言われたらしい。僕はこうなった経緯を自分の記憶の続くところまで言った。


「え、でもこの前病院行って先生に大丈夫って言われてたじゃん。」


「だから、先生も悩んでるみたいなんだよ」


「じゃあ要するに原因不明ってことは?」


「うん、まあ今の所は」


「どのくらいなの?期間は」


「とりあえず3日だって」


そのあと色々話して結局彼女には帰ってもらった。

そして3日後退院の日。

でも退院することはできなかった。退院の日の朝、やっと退院だと思いながらベッドから起き上がろうとする。足を動かせない、動かない。僕は半ば自分の足が動かないという事に気が狂いそうになりながら、ナースコールをした。少しして、医師達がやってきた。やっぱり原因は分からないらしい。

とにかくその日から本格的な入院となった。

朝起きれば、真っ白な天井、少しピンク色をした仕切りのカーテン、傍らには小さなテレビ、

そして運ばれてくる朝食。

お昼になっても、夜になっても、そしてそれがあと、何回も繰り返されても、

もう僕の足が動くことは無い。もう二度と動くことはない。

それからは少しずつ、少しずつ、これまでの生活に別れを告げながら、

これからの生活によろしくと言う日々。

とにかく、車椅子での移動は凄く大変で、最初は腕が筋肉痛になったり、

降りてから、何かに移動するとき、いろんな事で人の助けが必要になった。

大学に行っても哀れむような目で見られてる気がした。

友達もどこか、遠慮のようなものを感じる。バイトは勿論辞めた。辞めざるを得なかった。


僕のせいじゃ、僕のせいじゃないのに、どんどん今までの普通が無くなっていく。


それだけじゃ無い、どんどんいろんな事を忘れていく。


思い出ばかりが思い出される事なく流れていく。それだけは分かる気がした。


今がいつで、足が動かなくなってどれくらい経ったのか分からない。


コンコンと、扉をノックする音が聞こえた。入ってきたのは彼女。

今日は大きめの白いダウンジャケットにジーパンにスニーカーという姿、


「よし!今日は気分転換にピクニックでも行こっか!」


今、1つだけ変わらないものを見つけた気がする。


「うん」


僕が手を上手く動かせなくなってからは、電動車椅子に変えた。

それがいつからなのかはわからない。


そうして、彼女が連れて行ってくれたのは見覚えのない場所、お世辞にもお洒落とは言えない食堂。

久々なのだからもう少しマシな所に連れて行ってくれても良いのに。

病院は駅の近くにある。そこからこの時間かかると言うことは町の中心部から結構遠いのだろう。

中に入ると、券売機がある。だけど、そこを通り越して彼女がおじさんに話しかけに行っていた。

何かを注文している。彼女と話しながらおじさんがこちらをチラチラ見てくる。何故だろうか?


少しして、熱々の鉄板に盛られたナポリタンを僕たちが座った入って左側、奥から4番目の席に

おじさんが持ってきてくれる。ここは彼女の定位置なんだそうだ。

カリカリに焼かれたベーコン、上手いこと絡まったソースが美味しい事を僕に告げてくる。


「美味しい!これ、凄く美味しいね!」


僕がそう言うと、心なしか彼女の表情が一瞬、悲しげに見えた。


「そうでしょうそうでしょう!美味しいでしょ〜!」


今さっきのは気のせいだったんだろうか。

ナポリタンを美味しくいただいて、店から出ようとしたとき、おじさんが


「頑張れよ」


と言ってくれる。いくら常連が連れてきた客だからって車椅子生活の僕に言葉を掛けてくれたこのおじさんはいい人だと思った。そして、この場所にまた来ようと思い、改めて食堂の中を見る。

出る間際、ふと、券売機を見ると、そこにナポリタンはなかった。


お店を出ると、一旦彼女の家に寄る。彼女曰く


「食後の休憩は、人生で2番目に大事な時間なの」


とのこと。僕も彼女のベッドの上で座り、休憩をする。ふと彼女が


「ねえ、煙草吸ってもいい?」


って聞くから


「別にいいよ、むしろ君の家なんだから、僕に聞く必要なんてないよ」


って言った。

時間はお昼を少し過ぎた頃。

ベランダに少し身体を出して彼女が煙草を吸い始める。

彼女の横顔に、暖かみを感じさせる、陽の光が当たる。

それにつられて、暖かくなり少し朱みを帯びたように見える、彼女の頬、煙草を吸うとき、影ができている

美しいと思った。神々しいとさえも思った。見惚れてしまう。


これもまた一目惚れ。


ある意味夢のような時間が過ぎて、再びドライブ、そろそろ病院に戻らないといけない。


「あと、もう一ヶ所だけ寄ろ?」


「わかったけど、ちゃんと病院の時間に間に合うようにしてね」


「もう〜、わかってるわよ、じゃあ行くね」


着いたのはある山の頂上。


「空を見てみて」


彼女がそう言うので、僕は黙って上を向く。


「どう?」


凄く綺麗だと思った。凄く、凄く。

空はとても欲張りな奴だと思った。

こんなに高くて、昼間は蒼く美しいのに、夜に成れば、主役を演じる月と星を独り占め出来るのだから。

ただ美しい、それだけでいい。僕も色んな “普通”を望み過ぎたのかもしれないと思った。

自然と涙が零れおちてくる。

そんな僕を横目で見ていたのか、彼女は満足そうに頷くと、


「よし!帰ろっか!」


明るくそう言った。心なしか彼女も泣いている様に見える。

病院の専用駐車場に着く。

ここから病院まで1つ横断歩道を渡らないといけないという少し面倒くさい駐車場。


「押して行こうか?」


「いや、いいよ君も運転疲れてるだろうし、今日はありがとう。凄くいい思い出が出来た。また次の休みにどこか一緒に行こう」


「そうね、リハビリとか治療とか頑張れ!負けないで退院したら一緒に暮らそうね」


「うん、頑張るよ。じゃあね」


そう言って僕は電動車椅子で信号の手前で止まる。

筈だった。電動車椅子は僕の意思とは関係なく、前に進み続けていく、右を見ればそこにはトラックが見える。

「止まれ!止まれ!」


聞く耳の無い車椅子は進む。トラックはもう近い、今までの事を走馬灯のように思い出す。

一瞬だけ、昔の記憶が蘇った気がして、とても満足した。でもこれで良かったと思う。

病気で苦しみながら、記憶も思い出も全てを失って生きていくよりは何十倍も良い。

神さまは最後の最後で僕に良い事をしてくれた。


ありがとう、神さま


当たる瞬間だけ目を瞑っておこう。

ガンッ!

吹っ飛ばされても意外と痛くない。死ぬってこんな感じかと思った。楽じゃん、みんなが嫌がる割には。

目を開けてみた、目の前には電動車椅子。

周りを見渡す。

後ろの方にトラックの灯りに照らされ、眩しく見える大きめの白いダウンジャケット、所々に赤い斑点が見える。

そして、ジーパン、転がったスニーカー。

彼女が僕を突き飛ばし、代わりに跳ね飛ばされたと理解するまでそう時間はかからなかった。

僕は手で這いながら、一生懸命彼女の元へ向かった。

血塗れの彼女を抱き抱える。


「生きていてくれ、なあ、また一緒にピクニックに行って、綺麗な夜空を見ようよ、もう一度、僕に頑張れって言ってくれよ、君の幸せそうな笑顔で僕を…僕を笑わせてよ」


血と涙で顔はぐちゃぐちゃになる。涙が溢れる。

目の前にいる彼女が見えなくなるのが嫌で涙を拭おうとしても、拭えない。

すると、彼女が微かに唇を動かして、何かを話す。トラックのエンジンに掻き消されそうになるその声を僕は必死で聞き取る。


「初めてのハグがこんな形でごめんね。ほんとはもっともっとずっと一緒に居たかった。もっとたくさん笑いたかった。もっと色んな思い出作りたかった。でも私にはもう無理だから、私の分まで笑って、楽しんでね。最後の最後まであなたのそばにいる事が出来て幸せでした。大好きだよ」


そう言った彼女の身体が途端に重くなり、ぐったりとする。


救急車の赤い光が近づく。救急隊員が僕から彼女を奪おうとしている。僕は彼女を必死で抱き締めた。

そこからプッツリと糸が切れる様に僕は記憶が無い。


目が覚めた。

周りを見る。真っ白な天井、ピンク色の仕切りのカーテン、傍らには小さなテレビ。

彼女のことが蘇る。この僕の忌々しい脚さえなければ、この病気さえなければ、せめていっそのこと、

全て忘れさせてくれれば良いのに、

突然なにかが身体の中を荒れ狂う。気が触れたのだと思った。慌てて、看護師達が抑えにくる。

もうどうなっても良かった。そしてそれが今ある僕の中での最後の記憶。





1ヶ月後



今、僕は記憶が亡くなる前に、この記録を書き留める。いずれ全てを忘れ失っても、彼女と過ごした日々だけさえ、存在すれば良いから。今いる部屋は、真っ白な壁、真っ白な天井、真っ白なベッド、真っ白な机のある部屋。この記録の最後に、僕が彼女の仕草で1番好きだったものを念のためもう一度記す。



彼女が昼を過ぎたその頃に、斜めに差してくる陽に当たりながら、まるで昔からの決まりごとのように

ベランダで吸う煙草。

影ができて、際立つほっそりとした顎のライン。

口から吐き出され、くゆる煙が第2のカーテンのように日光を微かに遮る。

そんな何気ない光景が、たったそれだけの事が、僕が彼女と過ごした日々の一番の思い出。




FIN






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