告白の魔法
なんとなく投稿です。
執筆中小説の中に眠っていたものを大幅に書き換えました。
ディルムに初めて会ったのは、私が六歳のころだったでしょうか。
お兄様以外の同年代の男の子。初めて彼の顔を見たとき、酷く緊張したことを覚えています。
顔が真っ赤だったであろう私に、ディレムは爽やかに笑いかけてくれました。
初めて異性への胸の高鳴りを覚えました。
それからは、何をするにもディルムは私と共にいてくれました。それが彼に与えられた仕事だったので、仕方ないことなのでしょうが。
何度か彼を解放してあげようかとも考えました。だって、当時九歳だったディルムは、あまりに落ち着いていて、達観しているように見えたのです。大人っぽい、と言えば聞こえはいいですが、私には、子供らしくない、と表現した方がしっくりくる性格でした。
もっと子供らしく、自由奔放にいてほしい。もっと、笑っていてほしい。普段彼を見ていて、常に胸中うずまく思いでした。
私が彼に頼りっきりで、いつも引っ張り回しているから、彼の性格から子供らしさが抜け落ちてしまったのではないかと思いました。
本人に告げれば、お前が大事だからこそ俺がちゃんとしないといけないよ、なんて言われて。すごく嬉しかったのと同時、ディルムを縛り付けているのだと改めて痛感しました。
大好きな人だから、無理をしてほしくはありませんでした。でも、彼を解任しようとしても、あと一歩のところで切り出せない自分がいました。
彼と一緒にいられなくなるのが寂しくて、苦しくて、それが彼の自由を奪ってしまう選択だったのに、私はディルムを解放することができませんでした。
できることなら、これからもずっと、ディルムと一緒にいたいのです。
しかしいずれは、私もどこか礼節ある旦那様の元へ嫁ぐことになるでしょう。それまでに、ディルムへの気持ちを断ち切らねば、辛くなるのは自分です。
恋慕を抱いているのは己のみ。ディルムは私のことなどなんとも思っていないでしょうから。いえ、むしろ恨まれているのではと思います。
自分の自由を奪った憎き女、といったところでしょうか。私を大事だと言ってくれたのも、私が彼の主人であるが故。そこに個人的感情など、微塵も含まれているはずがなく・・・・。
「はぁ・・・・・・」
ため息をつきます。一緒にこの鬱屈とした気持ちも抜け出てくれればありがたいのですが、そううまくはいきません。
すぐ悪く考えてしまうのは私の悪い癖です。ついよくない方へ、よくない方へ考えを巡らせてしまいます。今の私の表情は、さぞ暗く沈んでいることでしょう。こんな顔、ディルムには見せたくありません。
しかし、会わずにはいられません。週に一度の休日以外、ディルムは私の後をついて回らなくていけないのですから。
本当に鬱屈です。いつか、この気持ちにも折り合いがつけられるといいのですが。
切に願い、私は呼び鈴を鳴らしました。
すぐに部屋の戸が叩かれました。「はぁい」と軽く返事をすれば、即座に開かれます。
立っていたのは、私の世話係というか、お目付け役。ディルム・レディリックです。すらっとしたそこそこ高い身長に、赤みがかった茶髪。顔立ちは、やや力強さに欠けますが、整っているので私は好きです。侍女の中でもひときわフレンドリーなフレデリカさんという方の息子にして、六歳のころから早八年。着替え以外のことはだいたい任せきりにしてしまっている、私の大好きな人です。
「お目覚めですか? お嬢様」
「おはよう。後、今は二人きりだよ、ディルム。敬語は無し」
「はいはい。よく寝られた? レミリー」
「うん。ディルムは?」
「気分上々。おはよう」
その言葉通り、ディルムは元気そうです。
彼が初めてこの屋敷に来て、住み込みになった頃から続く挨拶です。
慣れない暮らしの中で、少しでも早くディルムが楽にできるよう、気遣った言葉が始まりでした。
以来、毎朝交わす、体調確認も兼ねた挨拶です。
「それで、今日の予定はいかがいたしますか? オジョウサマ」
「わざと敬語にするのもやめてよもうっ。・・・・・・でもそうだな、勉強が終わったら庭園で読書しようかな」
「はいよ。勉強はここでする?」
「うん。紅茶でも淹れてやる」
フレデリカさんが、いい茶葉が手に入ったと言って、おすそ分けしてくださったものがあるのです。まだ飲んでいないので、自分で淹れて飲むのが楽しみでした。人に淹れてもらうより、自分で淹れた方が何倍も美味しいのです。
すると、ディルムは露骨に呆れた顔をしました。何故?
「いつも言ってるだろ?身の回りのことは、俺がやるって。そういう仕事だし。紅茶も俺が淹れるから・・・・・・」
「それは駄目っ!私が自分で淹れて飲みたいから」
つい声を荒げてしまいます。でも、譲れません。
楽しみを奪われるようなものです。自分で淹れた紅茶ほど、美味しい飲み物はありません。
「でもなぁ・・・・・・」
「いいから!茶葉には触らないでね?」
「・・・・・・はいはい」
渋々、といった具合で、ディルムは引き下がりました。こうなった私がそう簡単には譲らないことを、彼はこの八年で思い知っているのです。
「本当に、お前は変わってると思うよ」
不意に、ディルムが呟きました。首を傾げて尋ねます。
「変わってる? どこが?」
「だいたい全部。まず、自分で紅茶淹れる貴族令嬢なんてほとんどいないよ、普通は使用人にやらせるだろうし。あと、変に努力家なところ。奥様に似たのかね・・・・・・そんなに勉強頑張らなくたって、お前くらい容姿整ってたらいくらでも貰い手はあるだろう・・・・・・どこにもやらないけど」
小さく呟かれた言葉は、よく聞こえませんでした。が、それほど重要でもなさそうなので、聞き流します。
「それ、私が容姿以外褒められたところないみたいじゃないかな!・・・・・・まあ、見た目を褒めてもらえるのはすごい嬉しいけど。ありがとう、ディルム」
「なんだかなぁ・・・・・・別に褒めたわけじゃないんだけどなぁ・・・・・・」
ホント変わってるよ、なんて言って、頭を撫でられます。彼にされて一番落ち着く動作です。・・・・・・言うほど私は変なのでしょうか?別に、紅茶くらい淹れられるでしょう、誰でも。
家事だって一通りできますし、そんな私が変だというのなら、両親の教育方針が間違っているのです。そうにちがいありません。
しかし、ディルムに容姿を褒めてもらえるのは、お世辞だとしても素直に嬉しいことです。
父譲りの金髪に、顔立ちは母によく似ていると言われます。母は綺麗な人だと思いますが、自分もそうであるとは思いません。
「それはさておき。じゃあ、俺は庭園でお茶菓子とか準備しとくから。勉強に一区切りつく頃に呼びに行くよ。だいたい何時間後くらいがいい?」
「三日分進めるだけだし・・・・・・一時間くらいで十分かな」
いくらか科目別にやることがありますが、大した量でもありません。
私を見るディルムの目が、化物を見つけたかのように見開かれました。何故でしょう、よくわかりませんが心外です。
「・・・・・・ホント変わってるよ、レミリ-は」
「?」
本当に意味が分かりません。私が変わっているというのなら、そんな私を育てたこの家の教育方針が変わっているのでしょう。
三日分の勉強が終わりました。軽く体を伸ばして、時計を見上げます。四十分ほどしか経過していませんでした。思ったより早く終わったようです。
「まだ時間もあるし・・・・どうしよう」
もう一日分進めてしまうのもいいですが、決めたこと以上のことも以下のこともしちゃダメ、その日その日でモチベーションに変化が生まれてしまうから。というのが母の教えです。今日は三日分進めるだけのつもりでしたから、これ以上やる必要はないでしょう。
ならば、
「ディルムもいるし、結局茶葉も使わなかったし。庭園で一緒に飲めるように出しておこうかなぁ・・・・」
紅茶好きなフレデリカさんお墨付きの茶葉です。一人占めするのも多少気が退けますし、ディルムは茶葉に詳しいというわけではないでしょうが、きっとおいしいと言ってくれるでしょう。
彼が頬を綻ばせている光景を想像して、心が温かくなります。
私に縛られている中、少しでも彼に安らぎがもたらされるよう、心を込めて淹れましょう。それくらいしか、私にできることはないのです。
再び彼の喜ぶさまを明確に想像して、ふにゃりと頬が緩んでしまうのを感じていると、不意に部屋の扉が叩かれました。
「はひゃっ!?」
驚いて変な声が漏れました。ディルムが来たのでしょうか、時計をもう一度見上げます。一時間きっかりでした。すごい、流石ディルム。
いつの間にニ十分が経過したのか・・・・ディルムのことを考えると、つい時間を忘れてしまいます。
「今、変な声聞こえたけど、驚かせたか?ごめん」
「あ、ううん!考え事してただけ。もう勉強も終わってるから、庭園いこっ。茶葉持っていくから一緒に紅茶のもっ」
「はいはい。で、今寝巻のまま?」
「あ・・・・」
自分の体を見下ろします。そうでした、寝巻のままでした。
つい先ほどまで、寝巻のまま忘れて部屋を出ようとしていたなんて、誰かに見られたら恥ずかしくて死んでしまいます。ありがとう、ディルム。
私の沈黙を肯定と受け取ってくれたらしいディルムは、優しく諭すように言いました。
「寝巻のままかぁ。じゃあ、待ってるから着替えちゃいな」
「うん。気づいてくれてありがと・・・・・・」
「まあ、何年間もほぼ毎日顔合わせてるし。嫌でも行動の規則性とか覚えちゃうんだよ」
「ははは・・・・・・」
『嫌でも』。ディルムは私のことなど嫌いなのでしょうか。
ふと発言に垣間見えた彼の本音かもしれない言葉に、わずかにショックを受けます。
「どうした?あ、俺が近くにいると着替えづらい?なら扉から離れるけど」
「ち、違うよ!・・・・着替えづらいのは違わないけどっ。でも、離れなくていいから!ここにいて」
その言葉は、部屋から離れようとした彼を止めようとしたようにも、私を嫌っているかもしれない彼に、距離を置かれてしまうのを恐れているようにも思えました。
そんないくつか絡み合った意味を含んだ響きであるとはつゆ知らず、ディルムはなんてことないように返しました。
「そう? じゃあ、俺ここにいるから。着替え終わったら声かけてくれよ」
「うん、わかった」
ひとまず話がついて、寝巻に手をかけます。
本来なら、世話係が着替えさせてくれるはずなのでしょうが、私の世話係はディルム。つまりは異性、男性であるわけで・・・・。
最初、侍女がついてくれるはずだった私は、同性に大人数でついて回られるのが苦手だったので、お母様が妥協案として、フレデリカさんの息子で、歳の近いディルムを私につけてくれました。幸い、彼はフレデリカさんに家事など徹底的に叩き込まれていたようで、身の回りだけの世話係としては問題ありませんでした。ディルムも、表だっては嫌そうな顔をしていませんでした。
第一印象から彼に心惹かれていた私は、何もできない無能だと幻滅されたくなかったので、自分でできることは最低限、自分でやるようにしました。それでも彼に任せっきりなところは任せっきりですが。紅茶を淹れるのだって、その過程で見つけた楽しみなのです。
特に、着替えだけは自分でやると言って聞きませんでした。好きな人に着替えを任せるなど、正気の沙汰ではありません。・・・・・・というより、少しでもディルムに自分が異性であることを意識してほしかったのかもしれません。憎まれているから、意味なんてないでしょうけれど。
脱ぎ終える前に、クローゼットを開けてどれを着ようか、なんて思案します。
とはいっても、別にお洒落に特段気を使っているわけでもないので、数着ほどしかドレスは持っていないのですが。
数十秒悩んで、今日は快晴だから、と適当な理由をつけ、空色のドレスにしました。
てきぱきと着替え、戸の向こうで待っているであろうディルムに声をかけます。
「終わったよー」
声に反応して、戸が開きました。ディルムが顔を覗かせます。
「はいはい。じゃあ庭園行こうか。お茶菓子用意したから、紅茶も俺が淹れよう思ってたけど、レミリー淹れてくれるんだろ? 楽しみだな」
本当に楽しみであるかのように言ってくれるのは、ディルムが優しい証拠でしょう。
「うん。楽しみにしててね」
今この場では、その優しさに甘えさせてもらいます。
庭園の隅。私のお気に入りの場所で、気を利かせた両親が、そこに日差し除けの屋根。そして小さなテーブルを設置してくれました。
そこで向かい合って、少し話をしてから、紅茶を淹れる準備。
最初にディルムの分を淹れて、感想を聞きます。
「紅茶の良し悪しなんて俺にはさっぱりだけど、それでも結構美味しいと思う」
にこやかにほほ笑んで言ってくれるので、フレデリカさんさまさまです。
「本当?やった、フレデリカさんに感謝しなくちゃだね」
「え、これ母さんに貰ったやつなのか? 道理で美味しいわけだ、あの人こだわってるからな」
「フレデリカさんは住み込みじゃないし、やっぱり家でも紅茶飲んでるの?」
「週一で帰るか帰らないかだからなぁ、俺。俺が帰った時は、だいたい紅茶飲むのとと書き物で時間つぶしてるぞ、あの人」
「へぇ・・・・」
週一で帰るか帰らないか。その言葉に、罪悪感を抱きながら、表向きはただ感心したように振舞います。
そんな私を見て、ディルムは、
「突然なんだけどさ」
「? なぁに?」
「最近、何か無理してないか? レミリー」
「へ・・・・・・?」
その瞳は、私の内側を覗き込もうとしているかのように、透き通って見えました。
「なっ何のこと?」
とぼけきれてません。声で狼狽えているのが丸わかりです。
「とぼけないで聞いてくれよ。何か悩んでるんじゃないか? いろいろあるだろ、その・・・・年頃なわけだしさ。好きな人とか、そういうのかもだけど――――――」
「好きな人なんていないよっ!!・・・・・・あ。ごめん・・・・・・」
咄嗟に叫んでしまいました。ディルムに、好きな人がいるなんて思われたくありませんでした。数瞬後、己のはしたなさに気付き、謝罪を口にします。
けれど、あまり動じた様子のない彼に、少し拍子抜けしました。
「いや、いいよ。あんまり踏み込んでほしくない部分だよな、女の子にとっては。・・・・でも、何か悩んでるのは確かだな。いつものレミリーなら急に叫んだりしないだろ」
「う」
図星でした。もしや、鎌をかけられた? いえ、優しいディルムのことです、そこまで考えてはいないでしょう。
「俺に言えないこと?なるべく話してほしいとは思うんだけどさ・・・・・・」
「・・・・・・ごめんなさい。言えない」
「・・・・・・そっか。いや、いいさ。隠しておきたいことの一つや二つ、誰にだってある。いつか、気が向いたら話してくれよ?」
言い終えた瞬間、ディルムの顔が悲しげに歪んだのを私は見てしまいました。
だからこそ、その言葉の返答の仕方には、いくらか迷いました。
「・・・・・・うん。いつか、言うね」
いつか、胸を張って昔あなたのことが好きだったって、言えたらいいな。
少なくと、そう言えるのは随分先。その想いを、断ち切ることができてから。
夕食の時間のことでした。
「レミリー。少し話があるんだ」
食事の席で、お父様が口を開くのは、大変珍しいことでした。
きっと真剣な話に違いありません。自然、背筋を伸ばして、姿勢を正しました。
「何でしょうか、お父様」
私は身内には滅多に敬語を使いません。しかし、真面目な話であれば例外。きちんと聞く態度を正さなければなりません。
何故か少し躊躇いながら、お父様は言葉を紡ぎました。
「お前に、縁談が来ているんだ」
「へ・・・・・・?」
とうとう、覚悟を決める時が来てしまったのでしょうか。
『お前はまだ十四歳なんだ。すぐに決めることじゃないよ。いやならいやとはっきり言っていい』
最後にそう言われたのは覚えています。けれど、それから部屋までどう戻ってきたかは覚えていませんでした。
夕食の味も覚えていません。それだけ、動揺してしまったということなのでしょう。
縁談。つまり、結婚の話でした。お相手は、七歳年上だという、どこかの公爵様。どこの誰であったかも、はっきりと聞いていませんでした。
まさか、こんなにも早くにこの時が来てしまうだなんて。私には、まったく決心がついていませんでした。
「ヴィルム・・・・・・」
大好きな、恋慕を抱いている彼の名を呼びます。まだまだ忘れるなんて程遠い、日に日に募っていく恋心が、キュッと胸を締め付けました。
どうすればいいのでしょうか。ヴィルムへの想いを忘れるなんて、今すぐにはできっこありません。彼との日々は、常に彼への想いと共にありました。それを忘れるということは、思い出を色褪せさせるのと同義です。
こんな状態で嫁いでしまったら。ヴィルムへの恋を終わらせずに嫁いでしまったら。・・・・・・いいえ、そんなことはできません。せっかく縁談を持ち込んでくれた方がいたのです。そんな人には、誠実でありたい。・・・・・・あれ?恋を、終わらせずに・・・・・・?
何かがひっかかりました。
「・・・・・・あっ」
少し考えて、ぽろりと、ひっかかっていたものが抜け落ちました。
「そうだ・・・・・・」
そうです。恋を終わらせずにいたから、こうまで苦しいのです。それなら、終わらせてしまえばいい。
「告白、しよう」
普段なら、恥ずかしくて絶対に言えないようなこと。それでも、恋と決別するためという大義名分があれば、きっと踏み出せます。・・・・・・いえ、それだけではないのかも。
振られるとわかっているからこそ、開き直って言えるのです。
「さようなら、恋心」
きっと、他ならぬ彼自身に拒絶されれば、諦められるはず。
確かに、初めての縁談で。なおかつ私はまだ女性を名乗るには若干幼すぎる年であると思います。
けれど、恋を冷ますなら、なるべく早く済ませた方がいいと思いました。年月を積めば積むほど、辛く苦しくなるに決まっています。ただでさえ、八年もの間囚われているのですから。
いい機会だったのです。この縁談はお受けして、私は新たな旦那様の元へ、嫁ぐことに決めました。
翌朝。ああ、もう今日ですね。今日もよく晴れた天気です。私も気持ちを終わらせることができれば、こんな晴れ晴れとした気分になれるのでしょうか。なれたらいい、なれれば・・・・・・きっと楽になれる。
呼び鈴に手を触れました。少し震えてしまいます。グッと力を込めました。ガンバレ、私。
チリンチリン、と音が鳴りました。そうして、近づいてくる足音。そっと唾をのみ込みました。
部屋の扉手前で足音は止んで。それに続いてノック音がします。
「・・・・・・レミリー?」
聞き慣れた大好きな人の声です。たとえ聞き慣れても、彼に名を呼ばれる度、高揚感を隠せません。
それでも精一杯の精神力でそれを抑え込むと、私は扉へ向かいました。
「うん。起きたよ。入って」
そうして扉は開きます。そうして彼は入ってきます。そうして私は・・・・・・、
「っ・・・・・・!?レミ、リー・・・・・・?」
彼を、引き寄せました。
抱きしめると、石鹸の香りがしました。まだ一日が始まったばかりの、昨日の余韻を残した体。それに朝一番に触れることができるのは、私だけ。
「どっどうしたんだよ」
ヴィルムが狼狽えます。可愛い、なんて思ってしまう私は、なんて恋に盲目なんでしょう。
「あのね、ヴィルム」
「な、なんだよ」
「――――大好き」
「・・・・・・ぇ」
それは、一世一代の告白。それによって返される答えで、その後の心の在り方が急変してしまうのですから、もはや魔法と言っていいかもしれない言葉。
私の言った言葉が、咄嗟に理解できなかった様子のヴィルム。つい腹が立ってしまって、もう一度口にしました。羞恥心など、どこかに置き去りにしてしまったようです。
「大好き。ヴィルムのことが、誰よりも好き。ずっと好きだったの。ごめんね」
「・・・・・・なんで謝るんだよ」
「だって、ヴィルムは私のこと嫌いでしょ?それに、私は言いたいことだけ言って、ここを出ていくつもりだから」
「・・・・・・は?なんだよ、それ。それってどういう」
「私、結婚するの」
言った瞬間、ヴィルムは絶句しました。この八年、一番長く時を共に過ごした相手なのに、すぐに伝えなかったからショックを受けたのでしょうか。
「公爵家の旦那様に、嫁ぐの。昨日聞いた話で、急だったんだけど・・・・・・もう、折り合いはついた」
全然晴れ晴れとしてないけれど。むしろ苦しいけれど。でもきっとそれは余韻。少ししたら、全部きれいさっぱり忘れられる。
もうこの家には滅多に帰らないでしょう。つまり、ヴィルムは解雇され、私に縛られた八年とは別の形の人生を送ることになります。ごめんね、遅れちゃって。もっと早く、告白して、解放してあげればよかったね。
言いたいことはそれだけでした。後は彼を部屋から出せば、もうそれでこの話はおしまい。
「それだけだから、もう部屋から出て――――」
「・・・・・・行かせない」
「え?・・・・・・ぅぁっ」
瞬間、私の意識は遠のき始めました。
何が起こったのか、まるでわからなくて。けれども深く深く、闇に沈んだかのように昏い彼の表情を見て、私は何かまずいことをしてしまったのだと気付きました。
そして、意識は完全に落ち、
「ゔぃる、む・・・・・・」
「・・・・・・ぁ」
意識が浮上します。微睡むような数秒を過ぎて、視界と意識が鮮明なものになります。
「あ、れ・・・・・・ここ、どこ・・・・・・えっ!?」
そこで体が動かないことに気付きます。なんとか首を動かして、腕を見ると、鎖でつながれていました。
「な、なに・・・・・・?なんなの・・・・・・?」
場所がどこであるかもわかりません。埃っぽい匂いのする、真っ暗な空間でした。
そんなところに、ベッドが一つ。その上に、自分一人が四肢を鎖でつながれた状態で、存在していました。
恐怖心が、湧いてこないはずはありません。
「こ、怖い・・・・・・怖いよ・・・・・・ヴィルム、助けて・・・・・・」
「呼んだ?」
「ヴィル、ム・・・・・・?」
いつからそこにいたのか、真っ暗で誰もいないと思っていた空間に、ヴィルムもまた一人、佇んでいたのです。
私がこんな状態であるのに、何も反応を示さない異常さ。そんな簡単なものに、恐怖で頭が麻痺した私は気づかず、彼に縋るように話しかけました。
「助けてヴィルムっ。私、捕まってるのっ。この鎖、外すの手伝って・・・・・・!」
「やだ。そんなことしたら、レミリーはまたどこかへ行こうとするだろ?」
彼が何を言っているのかわかりませんでした。いえ、わかってはいけないというのが、正しい表現でしょうか。
今の発言を理解してしまったら。まるでそれは、彼がこの状況を作り出したかのようで、
「ヴィルム・・・・・・?どうしたの、その顔。怖いよ・・・・・・」
縋るようにヴィルムの顔を見ても、その瞳には、ひたすら虚無のように、真っ黒な空間が映し出されるばかり。彼の中が、まるで真っ黒になってしまっているかのように。
沈黙が、その空間を支配していました。
やがて、私は耐え切れなくなって、声を発します。
「これ、ヴィルムが、やったの・・・・・・?」
たどたどしく言い切ると、ヴィルムはコクリと頷きました。
「な、なんで・・・・・・?なんでこんなこと、したの・・・・・・?」
「だって、だってだってだってっ!!レミリーが俺の前からいなくなろうとするからじゃないかっ!!!!」
「へ・・・・・・?」
「レミリーはっ、俺のこと好きなんだろ!?大好きなんだろ!!?なのになんでいなくなろうとする!!?」
「それは・・・・・・」
私があなたに嫌われているから。
そう胸中呟くと、そのままそこが痛みました。
「俺だって、大好きだ!!愛してるっ!!ずっとずっとお前のことが好きだったんだよ!!!」
「ふぇっ・・・・・・?」
即座に彼の発言が頭に入ってきませんでした。
「一目惚れだった。お前に出会って、俺の人生は色を変えた。それから毎日顔を合わせてるのに、お前の顔を見慣れても、愛おしさはなくならない。むしろ、日に日に募っていくんだ。どうしてくれる?お前が、俺を縛ってるんだ。お前が可愛いから、可愛すぎるから。愛おしくて愛おしくて愛おしくて愛おしくて愛おしくて愛おしくてたまらない。優しくて、気遣いができて、町の同年代の女なんか話にならない。ああ、この世の誰より可愛いレミリー••••••。俺はお前から離れられないんだ。ずっとずっと、傍に居たくなっちゃうんだよ。閉じ込めて、俺だけのものにしたくなっちゃうんだよ。それなのに、お前はそうじゃない?俺を好きだと言ったくせに、別の男のところへ行こうとする。おかしいだろ?俺のことが好きなんだろ?お前の好きと、俺の好きは別の感情なのか?違うだろ?ちがうよな。俺はこんなにお前のことを愛おしく思っているんだから、お前だって俺のことを同じくらい愛おしく思ってくれてるはずだ。でないとおかしい。釣り合わない。俺の愛に、お前の愛が釣り合わないなんてこと、有り得ない。有り得てたまるか。だから、これからも、ずっとずっと俺がお前の隣にいてやる。今度は俺がお前を縛ってやる。絶対に離してやらない。他の男のことなんて、考えられないようにしてやる。俺以外のことなんて、考えられないくらい愛してやる。だから、お前も俺だけを見るようにしろ。俺から離れるな。どこにも行くな。どこかに行くのなら、行こうとするのなら・・・・・・殺す。お前を殺して、俺も死んでやる」
どこか狂っている、いいえ、かなり狂っている言動。捲し立てるどころではない、常人を名乗ることなどとっくにやめてしまっている、狂人の言動。囁かれているのは愛ではなく、もはや怨嗟の声であるかのようで。
でも。けれども。
「ヴィルムは、私のこと好きなの?」
「・・・・・・当たり前だろ。聞いてなかったなら、何度だって言ってやる」
「――――ヴィルムっ!」
私を、私のことを。大好きな人が、好きだと言ってくれた。
そんな事実が、嬉しくて嬉しくて、たまりませんでした。胸がキュンキュンして止まりません。好きです。やっぱり私はこの人が大好きです。
ヴィルムは狂っている?••••••そんなの知ったことじゃありません。
ヴィルムはヤンデレ?••••••病むほど私を想ってくれているだなんて、なんと嬉しいことか。
狂っていようと、病んでいようと。ヴィルムはヴィルムです。全部含めて、彼を形づくる要素なのですから。
怖い思いをしていたはずなのに、恐怖心はどこかへ消え去ってしまいました。もしかしたら、私もどこか狂っているのかもしれません。だって、どこかネジが外れていなければ、八年も盲目的に一人の異性を好きでい続けるなど、できるはずがありません。
だとしたらお揃いです。嬉しい。もう、諦めようとしなくていいんだよね? ヴィルムのこと、胸を張って好きだって、言ってもいいんだよね?
咄嗟に起き上って彼に駆け寄って、抱きつこうとして。私は体を鎖でつながれていたことを思い出しました。
「ヴィルムっ、これとってっ!」
「いやだ!とったらお前は俺から逃げるんだろ!そうして遠くに」
「逃げないよっヴィルムのこと大好きだもん!ヴィルムも私のこと好きなら、絶対逃げないよっ!どこにもいかないよっ!」
「ほんと・・・・・・?」
先ほどから、ヴィルムの言動は一貫して、私を逃がさないためのもの。それはまるで、駄々をこねる子供のようで。
ただただ愛おしく思いました。愛おしくて、駄々をこねるヴィルムが、可愛らしくて。早く鎖を解いてほしい、早く頭を撫でて安心させてあげたい、と私は一層じゃらじゃらと鎖を鳴らしました。
「早くっ!ヴィルムっ」
「でも・・・・・・でも・・・・・・」
「大好きっ!愛してる、ヴィルムっ!」
「・・・・・・っ! 嘘じゃ、ない?」
「うん!」
「もう、逃げようとしない?」
「絶対しないっ!」
その言葉が決め手になったのか、躊躇いがちに、彼は私に近づいて、つないでいた鎖を解きました。
もう愛おしくて愛おしくてたまらなくて、耐え切れなくなって。私はヴィルムの胸に飛び込みました。
「ヴィルムっヴィルムぅ」
ぎゅっと抱き返してくれます。いつもは優しいのに、この抱擁は力強くて、私を逃がさないようにしているかのようで。
もう、大好きです。絶対離れません。
「レミリー・・・・・・!」
ヴィルムが感極まったように、私の名前を呼びます。
きっと、今鏡を見たら、私の瞳には♡が宿っていることでしょう。
こんなにも好きだったのか、と自分で自分に驚いてしまいます。
こんなの、諦められるはずがなかったのです。この気持ちを、捨て去ることなど。
「どこにもいかないよっ・・・・・・!ずっと一緒だよっ・・・・・・!」
「うん・・・・・・絶対。絶対どこにも行かせない。どこかに行ったら殺してやる。俺も死んでやる。だからレミリーは、俺だけを見ていて」
「うんっ!ヴィルムしか見ないっ」
だいぶ歪んだ愛情表現の言葉。でも、それだけ彼が私を好きでいてくれているのだと分かります。すごく嬉しい。
だから、私も満面の笑みで言うのでした。
「私も、ヴィルムがいなくなろうとしたら殺すっ!」
その言葉が、今この場で最上級の愛の言葉でした。
「ヴィルムっヴィルムっ」
「何?レミリー」
「大好きだよっ」
「俺も大好き」
いろいろと、身分差や貴族の事情やらで阻まれましたが、なんとか乗り越え。
数年かけて、私たちは、無事に結婚しました。
もう両親も何も言ってきません。元々家督は兄が継ぐ予定だったので、私がいなくなっても問題ないでしょう。何故か悔しそうにしながらも、最後に家族は私たちの結婚を祝福してくれました。何度も反対されましたが。
今はヴィルムと家を買って、二人で遠く離れた土地で暮らしています。
もともと屋敷でやっていたのもあって、家事等はおおむね問題ありませんでした。ヴィルムも、そこそこ頭がいいので、お給金のいい仕事に就くことができました。
毎日が順風満帆。幸せで幸せで仕方ありませんでした。
「ねえ、ディルム?大事な話があるの」
「離婚するとか言ったら殺す」
話を聞かずに開口一番、そういうことをいうので、信用されていないことに少し腹が立ち、頬を膨らませながら言い返しました。
「もうっ違うよ!絶対離婚なんかしないよ。あのね、大事な話っていうのは・・・・・・」
「?」
「ここ」
私は、自分のお腹を指差しました。
それだけでは意味が通じなかったようで、首を傾げたままの無自覚なお父さんに教えてあげました。
「えへへ・・・・・・あかちゃん、できたよ・・・・・・!」
「え?・・・・・・えっ、ええ!?ホント!?ホントに!?やったぁっ!やったじゃんかぁっ!」
どうやら驚きすぎて頭が一瞬機能を停止させていたようです。少し呆けてから、すぐにその顔を歓喜の色に染め上げて、体を震わせ始めました。
「うん・・・・・・私たちの、愛の結晶・・・・・・」
「そっかぁっ・・・・・・!そっかぁっ・・・・・・!俺たちの子だぁ・・・・・・!」
しみじみと言うと、ヴィルムは嬉しそうに笑みを浮かべながら泣き出してしまいました。ええ?感極まるの早いよ・・・・・・。でも、喜んでくれて嬉しいな。まぁだからって産まれる前からこれじゃあ、パパ、先が思いやられちゃうね。ねえ、あかちゃん?
お腹をさすりながら心の中で囁くと、わずかにお腹の中が脈打ったような気がしました。
「早くみんなで暮らそうね」
「よし!俺、残業増やして今後のために金貯める!」
「えぇ・・・・・・倒れないでね、パパ」
私とこの子を置いて逝ったりしたら、絶対許さないからね?
なんだろう。連載作より、短編書いた方が自分的にまだ納得のいく作品になります。長編書けないゴミカスです。