信念をもったテストパイロット
エルが航空工廠の者たちから操縦方法などの説明を受けている間、ネオはグラント将軍を問いただした。
「将軍。俺は将軍の判断はなるべく尊重するようにはしたい。だが、説明ぐらいはしてもらわないと納得できないことは……ありますよ」
ネオは怒っていたわけではないが、あまりにも想像していた者とかけ離れた人員をあてがわれたことへの不満を口にした。
自分は決して、遊びでこのような事をやっているわけではないためだった。
「落ち着きたまえ。……あの子は…天才だ」
「天才?」
将軍の風貌やこれまでの言動からおよそ出てくることがなさそうな単語が出てきたことで、ネオは困惑する。
「うむ。操縦センスと操縦技術に関しては天性のものを持つ。それだけではない。モーター式の風車で飛ぶ航空機の試験パイロットは、あの子だったのだ。風車で飛ぶ航空機の特性は他の誰よりも心得ている」
グラントは、自分が決してネオを侮辱する目的で彼女を選出したわけではないことを説明した。
「なるほど。出力が低いモーターなら、なるべく搭乗員も軽くしたかったわけだ。操縦技術についても将軍のお墨付きという理解でいいんですね」
ネオの言葉に、将軍は眼を閉じて大きく首を縦に振る。
その様子に彼女の能力自体に問題が無いことは理解したものの、一方で明らかに年齢が低いと思われる彼女を、飛ぶかもわからない危険な代物に乗せるのは気が引けた。
エンジンが爆発する事はないだろうが、試験中に墜落するリスクは十分にある。
作ったばかりのプロペラ式航空機は、飛ぶかどうかの評価試験機であり、ネオにとってはおおよそ納得のいかない出来の悪さであった。
「ネーオさんっ」
そうこうしていると説明が終わり、エルがネオに話しかけてくる。
「この機体、名前はなんて言うんですか?」
彼女は評価試験機について名前がなんら付いていない事をネオに問いかけたが、
ネオにとっては名前をつけるに値しない航空機だった。
無論、それは当初のプランの超軽量動力機であっても同様である。
「なんだっていい。責任を放棄しているわけじゃないが、名前を付けるほどのモンにならなかった」
ぶっきらぼうにありのままを語るネオを前に、エルは若干首を傾げるものの、
「じゃあ、私が名づけちゃっていいですねっ」
ネオの発言の意図を理解できたのか、理解できなかったのか、そう呟いたのだった。
「何故? 名前が必要かい?」
ネオは彼女が名前を拘る理由を理解できない。
「パイロットはですね、命を乗せて空を飛びます。飛んでいる間は、運命共同体。銘すらないなんて、命を懸けるに値するものですか?」
エルの言葉には、彼女がそれだけの責任とプライドを背負って常に飛び続けているという意味が込められていた。
航空機は常に死と隣り合わせ。
ましてや、テストパイロットが搭乗するものは、信じられないような危険な条件で飛ばなくてはならない事が多い。
空中で一度エンジンが完全停止して不時着した機体を、不時着点から再離陸させて空輸するとか、
尻餅事故を起こして後部が破損し、空中分解しかねない状態のものを、修理のために空輸するとか、
空中衝突して尾翼と主翼を大きく破損した機体を応急修理だけして飛ばすだとか、
まともではない航空機をまともに飛ばすことを強いられるのだ。
そんな中で、製作者が名前も付けられないようなモノを航空機と呼ばせたくない。
乗れと命じられればどんなものでも全力で乗るために、名がないなら自分でつける。
それこそが、エルのパイロットとしての信念であった。
ネオは責任感が強い男であったし、実は周囲に伝えていないだけで、彼も生粋のパイロットであるのだが、一方で技術者然とした思考をする部分があった。
きちんと作りこまれていないものには、名前など付けたくないというものだ。
今までは自身が作った航空機は己が飛ばしていたのだから気にも止めなかったが、
その行為が国や人種によっては、大変失礼な行為であることに気づいた。
見た目から小馬鹿にしていたエルの真っ直ぐな思いに、自分を深く反省した。
技術者として責任を持つなら、出来が悪かったとしても、きちんと名を与え、パイロットに安心してもらえるよう努めるべきなのは当然のことなのだが、その事をエルによって教えられたのだ。
ネオは左手を差し出す。
エルがパイロットとして正しい精神を持つ者であることに、改めて敬意を表したいと思ったからである。
「すまなかった。名づけるとするなら……ギークだな。まーいい名前じゃないが、それぐらいしか思いつかない。安全装置もまともに無いヤツに、本当は人を乗せたくなかったんだが、乗るというならギークであるという覚悟をもって乗ってくれ」
申し訳ないという表情をするネオに対し、エルは差し出された左手を力強く握り返す。
「ギーク。酷い名前だけど、いいじゃないですかっ。気に入りましたよ」
やや気品のある明るい笑顔。
空元気でもなんでもない素直な笑顔にネオは後悔した。
もっと完成度が高く、もっと安全で安全装置なども完備しているモノにすべきであったと。
ギークの次に考案する機体は制空戦闘機。
ソイツは、飛ぶだけなら彼女のような子でも安心して乗せられるものにしなければならない。
エルの表情を見ながら、ネオは唇をかみ締めたが、一方で、エルはそのネオの表情を見て少し嬉しそうだった。
ネオにはその思いが理解できなかったが、エルにとってネオは、全幅の信頼を寄せるに値する人間として認識されたのだった。
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一同は短距離離陸試験に赴こうとしたが、ここで問題が起きた。
エルがとりあえずと搭乗した時である。
当初、ギークは一般人の男性が乗ると勝手に予測したため、座席や操縦系統はそれらに合わせたサイズに調整されたが、
エルは小柄の少女のため、そのままだと胴体内に顔が隠れてしまい、外が覗けない。
おまけに、ラダーペダルなどにも足が届かなかった。
モーター式の航空機の時は、当初よりエルの体格に合わせて設計されていたが、
ギークはあくまで評価試験機であったために、そういった諸所の部分は無視して急造したことが仇となった。
とりあえず、短距離離陸試験においては滑走路内で浮いた後にすぐ着陸させるだけなので、ラダー操縦は不要であると判断したが、
問題は外が見えないと浮いた後に着陸させるのが容易ではなかったことである。
これについてネオは、エルに対してではなく、航空工廠の技術者に愚痴をこぼした。
実は、概略図面の時には操縦席はもっと小さく、操縦者は背を大きくもたれる形で操縦させる予定だった。
なるべく胴体を小さくして軽量化したかったのである。
この時点での設計のままならば、エルの背丈からして座席を前に横スライドさせて再設置するだけで事足りたが、
航空工廠の技術者陣営は「テストパイロットは成人男性」だとして、
もっと胴体を大きくすべきと、女性かもしれないというネオの考えを跳ね除け、製作時に強引に構造変更したのだった。
この構造変更で胴体の他の部分の空力を再計算しなければならなくなり、胴体の大幅な設計変更が生じたネオは、その時こそ小さすぎて乗れないよりはマシだとも思ったが、
予めグラント将軍に、どういうテストパイロットであるかを聞いておくべきだったなと己のミスを嘆きつつも、
「今後、こういう事が何度も何度も続くようなら、お前らの意見は採用しないから」――と航空工廠の技術者達に警告した。
とりあえず、今回は操縦席の高さを大きくせり上げて対処することとし、ラダーペダルについては補助器具のようなもので足が届くように調整した。
そして胴体部分の根本的な解決策については、明日までに当初の設計に戻さなければどうにもならないという結論に達した。
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2時間後、全ての準備が整い短距離離陸試験が開始された。
操縦桿しか操作できない状態であったことにエルは不安を感じることもなく、ネオに手を振りながらギークに搭乗し、ギークは見事短距離離陸に成功。
ネオの設計した翼は十分飛ぶに値するものであり、ギークに搭載された水平対向6気筒9000ccエンジンは、ギークを余裕で飛ばすだけの出力があることを、グラント将軍含めた王国空軍幹部たちと、流体技術研究班やタービン研究班を含めた全ての技術者陣営に見せ付けたのだった。
短距離離陸試験終了後、即座にギークは解体され、胴体を当初設計の状態へと戻した。
強引に構造変更された部分と、それに合わせて修正された部分だけを元に戻したので、そこまで時間はかからず、夜に至るまでに全ての工程を終了することが出来た。
操縦席はエルの体格に合わせて完全に調整され、外も覗けるようになるほど操縦席部分が小型化した。
トーラス2世が視察するのは翌々日。
明日は、いよいよ完全に離陸させた上でギークの総合的な飛行性能を確認し、発生する問題を洗い出さなければならない。
ネオは明日を迎える前にギークにどう手を入れようか悩んでいた。
エルを死なせたくなかった。
どうやったら、より確実で、安全に出来るかとあれこれ考えるも、どれもこれも今からでも時間が足りない。
ギークには元より大型化した状態ですら、射出座席を積むような余裕はなかった。
それは、胴体の大きさだけではなく重量的な問題もある。
しかし、ギークは低速で飛ぶし、何よりも曲芸飛行をするわけではないので、パラシュートさえ積んでいれば最低限の安全性は確保できた。
だが、ネオはそれだけでは不安だったのだ。
一応、脱出時に風防が吹き飛ぶような構造を新たに設けることとしたが、空中分解など起こしたら脱出すら出来ずにエルが死ぬ可能性がある。
なんとしてでも、それを防ぎたかった。
夕食の後に数時間ほど航空工廠の設計室で悩んだ末、ネオは突然閃いたとばかりに騒ぎ出し、航空工廠の技術者に簡単なイメージ図を提示した。
それは、ギークの胴体の操縦席部分の後方にパラシュート射出機構を搭載。
緊急時はギーク自体をパラシュート降下させるという、ギークの重量の軽さを利用した逆転の発想である。
単発エンジンの軽量プロペラ機で、そういうシステムが存在するという知識がネオの中にあったが、レシフェ王国空軍航空工廠の技術力だけでそれを再現し、その上でギークに搭載することが可能だということを見出したのだった。
ギークの真上にパラシュートが開いている図を見た航空工廠の者たちは――
「あんた、いい意味で頭がおかしいよ」
――と皆一様にネオの発想について笑ったものの、確かにそれが一番の解決方法であることは事実なので、落下中にも安全に大型のパラシュートが開く機構について詳細を確認し、ギークの調整がてらそれを搭載することとしたのだった。
その様子を見ていたグラント将軍は、テスト中にストールなどを起こしても、最小限のダメージで留めることが出来れば、翌々日のテストを延期させないでも済むなと、ただただ関心するのだった。
右手の握手と左手の握手は人種や国家によって意味が大きく異なります。
英国女王などが左手で握手するのは、相手に敬意と慈愛などを示すため。
(剣を持つ右手に対して、剣自体は左の腰に提げています。よって盾を持つ左手を差し出すと剣が抜けないため、欧州では一切の敵意がないということを表します)
エルによる左手握手はそういった意味合いです。