番外編3 エルとのスキンシップ(中篇)
「どうしてNRCはああなってしまったんだろうか……」
周囲に殆どいない食堂でネオが呟く。
それは今では日常となったエルとの夕食の時間。
ネオはエルと他愛のない話をすることで航空機開発などにかかる重圧を和らげていたが、彼女と話しているうちに、つい国家についてという、本来ならば、この年代の女性がまったく好まない話題になり、そのまま続けてNRCの話題を出してしまったのだった。
これはまだギークの製造が終わってしばらく経過した頃の話であり、ネオはリヒター大将と情報交換などをしはじめた頃である。
「意識の共有、思想の共有、愛国心、市民平等……民主主義が限界にきたら、民主主義の土台にあるものを利用してあのような国になってしまうのは必然ではないですか?」
「ずいぶん学があるじゃないか。どこで習った?」
ネオは頬杖をつき、彼女の方を見る。
すでにネオは食事を終了していた。
「さて?」
エルはパンを口に運び、モグモグとしながら誤魔化した。
まだ彼女は半分ぐらい残っている。
基本的に、ネオは職業病の影響で極めて食事時間が短いが、エルは丁寧に丁寧に食事を口に運ぶため、時間がかかる。
また、食事のマナーについても若干厳しく、稀に周囲のマナー違反者を注意することがあった。
ネオは食事こそ早いが最低限のマナーは守っており、彼女から怒られたことはない。
「何も共産主義化することなんてないだろ?」
「社会主義ですよ」
パシッと突っ込みが入ったことでネオは戸惑い、とりあえず側にある水を飲んで誤魔化した。
「お前はどこまで理解があるんだ。労働価値説とか知ってるのか?」
「私は自然権論支持者ですから、ジョン・ロックの労働財産権と労働混合論と、その思想の方を好んではいますけど、ネオさんが次に名前を出したいであろう、マルクスについては興味ありませんね。彼が唱えた共産主義は、今の時代にはそぐわない……共産主義は効率化だけを求めることで思考の停滞を生みます。結果的に国家の維持に必要な生産能力は、ある程度から絶対に右肩下がりを示して戻ることが無い」
ネオが見た彼女は今までにないような表情をしていた。
気品があるが、気高くまるでどこかの……王族のようである。
最初に出会った時から、妙に仕草が上品であることが気になっていた。
出会った次の日の食事でも、上流階級の者しか知らないようなマナーを平然と履行する姿から、ネオは当初没落貴族か何かかと思ったが、レシフェは専制君主制資本主義国家、いわゆる国家資本主義であり、やや近代的な思想を有していて貴族制度というものはない。
トーラス2世は象徴的君主ではなく、法よりもトーラス2世の方が立場上上回るものの、国の司法機関や国家内にある民間企業などに対しては、ある程度の独立性を認めた上で舵取りを行うことがあるといった程度におさめている。
このおかげで、レシフェ国民は王によって常に振り回されるという事無く、比較的自由に経済活動が保障されており、さらに不動産の所有など、所有権についても認められているのだ。
では、トーラス2世がレシフェ王国として企業を用いての行動を起こしたい場合はどうするのか。
レシフェ流国家資本主義として、トーラス2世などレシフェの王族が特定企業に対して特定の活動を行わせたい場合は、資本を投入するというズバリ資本主義的なやり方で行う。
簡単に言ってしまえば国費を投入して企業に投資し、企業はその投資された予算を用いて国が望む活動を行う。
民主主義でいう株の購入といったものは必要ないが、レシフェ王国における全ての企業は、国王などが大株主として常に背後に存在していると考えてもらえばわかりやすいであろう。
資本主義であるため、株式についてもレシフェはきちんと存在している。
これらは法的にある程度の制限が存在しており、強権を発動して経営者などを理由なく一方的に免職にするなどは出来ない一方、国費投入を行った上での国王の取り決めに企業や株主は拒否権を行使できず、絶対権限に近いものではある。
こういった形態は21世紀の中華人民共和国や、20世紀から続く大韓民国、そしてインドやフィリピンなど、アジア諸国で似たような国家資本主義的な活動が民主主義国家であるにも関わらず横行していたが、
それらはあくまで投票で選ばれた政治家など、広義の上では一般市民の者たちによる行動によって主体的に行われていたもので、国王という唯一無二の存在がそういったことを行うというのは、ベルギーなど、立憲君主制ではあるが王族が一定以上に権限を持つような欧州の国々に近い形態である。
南米……もとい現在の南リコン大陸では、全ての国が、この専制君主資本主義国家となっており、様々な技術がロストテクノロジー化した一方で、王政復古したといえどもアースフィア内での政治が決して古臭いものではないことがわかる。
ネオは自らに宿る記憶から、実際21世紀も20年を超えたあたりで、世界中で強いリーダーシップを持ち、極右で高圧的な政治家が民主主義の各国で見出されて選出された影響から、それがそのまま国王という形に安定化されて今に至るのではないかと考えていた。
一方で、そうなると理解出来ないのはNRCである。
「君は必然だとさっき言ってたけど……ユーロ大陸や南リコンの状況を見ても、NRCが今のような合衆制の連合王国になった理由は俺には理解できないぞ」
「あの国のメンタリティは昔から弱いんです。アジアのとある国と戦争をした時だって、国家が消滅することすら厭わず本土決戦すら考えて突撃してきたことに恐怖し、悪魔と契約して早期に戦争を畳み込んだと聞きますし。それに、そのもっと前の時代に最初にその国と邂逅した時だって、植民地にするだけのメンタルはなかった」
彼女は、具体的な国名や世界を崩壊させうる存在については知らなかったが、古代の歴史事情を概念的なものできちんと捉えていた。
ネオはここに来てから暇な時間は一切なかったが、目覚めた後にエスパーニャ国内などで図書館巡りなどをしたことがあった。
しかし、そこには彼女が知りうるような過去の情報は殆ど残っておらず、どうして彼女はそういったことに詳しいのか不明である。
彼女の物言いに、ネオは顔から汗がしたりしたりと零れ落ちる感覚に気づいた。
「メンタルが弱かったから、社会主義に傾倒したと?」
「そうですよ。世界中から刃を向けられ、国家崩壊の危機に、人民がーという文言は社会主義的なものへと変換されていったんですよ。人民が国家を成すなら、国家のために、また人民も奉仕すべきだって。あの国は愛国心に満ちた者たちが多いので、国民全体が思想の精神的崩壊を起こしたら、人民を保護するという名目で社会主義的なものが芽生えて民主主義が崩壊してしまうというケースはありうるんじゃないですか」
エルはあくまで結果論であるとはした上で、NRCがかつて存在した最終戦争による未曾有の国家的危機に陥ったことで、民主主義が社会主義へと変貌してしまったのだと主張した。
確かにその理論はよくわかるものの、ネオはそれを導き出すだけの思考能力と知識量について、どこから得たものなのか大変興味がわいた。
「しかしだな……あの国は、多民族国家だったから、民主主義的浄化作用があったはずなんだ……だって……欧州……ユーロ大陸の大昔の頃に今のNRCよりもっと酷い思想が横行して世界を巻き込んだ戦争にも発展した事を良く理解していた上で、そういった思想に染まらず世界を先導していた頃もあったんだから」
「……ネオさんは私の知識ばかり気にかけていますが、私はどちらかというとネオさんの知識の方がよっぽど気になるんですがねっ。各方面に詳しすぎます……戦闘機を作れるのにパイロットで、今度は政治家ですか?」
エルを不審がるネオに対し、エルはやや苛立っていた。
その上で、むしろネオの方がよほどおかしな人物であると思っていた。
彼は技術的知識だけでなく、パイロットとしてもある程度の技量を持ち、さらにE-M理論などのような戦術的な分野においても理解がある。
その上で政治や思想にまで理解が及ぶとなると、エルにとっては超人にも感じられてくる。
今まで、こんな一般市民はエルには出会ったことがない。
「古代においては俺のような人間は珍しくない。俺はただの古代マニアというか、古臭い人間なだけさ」
ネオはこの頃はまだエルを完全に信用しきってはいなかったため、自身の素性を明かさなかった。
この頃はお互いに探り合いをしていた時期であり、互いに情報を小出しにしながら読み合いを展開していたのである。
しかし、この日の夕食のとき、確かにエルは一瞬だがその姿を現したような気がする……ネオはそんなことを思い出していた。
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「あの、手が止まっているのですが」
彼女の言葉により、ネオは我に返る。
「ていうか、ネオさんってタオルではなく手で洗うタイプの人だったんですね。そんなに私の体に触れたかったんですか?」
エルはやや不満そうな声を漏らした。
ネオが顔の方に目をやると頬が少し膨れている。
「別に背中と腕しかやってないけど、前まで洗ってやるとは言ってないし……」
「女の子はですね、背中でもそれなりに敏感なんですよ。ネオさんのその手つきで、おかしな気分になるのはまだ嫌ですね」
「ルシアは案外自分に素直だったけどね。嫌なら自分で洗えっ」
ネオはエルにバシャーーとお湯をかけて泡を流した。
「ネオは丁寧だった……とかルシア皇女が言うもんだから期待したのに強引だなぁ……もうっ」
やや扱いが粗くなった事で、エルはますます頬が膨れてハムスターになった。
実はこの顔、すごく可愛い。
親しい間柄の人間にだけ見せる表情らしく、普段の航空工廠内などでは見たことが殆ど無い。
エルとは、知り合いといった関係より上であるということはネオも理解していたが、それ以上の関係にはなっていなかった。
ネオは、もう少し彼女のことを知りたいなと考えたので、エルのお腹をくすぐってスキンシップを図ったが、散々笑いこけた後でパシッとエルに軽く叩かれてしまった。
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「こっちの方がベッドが柔らかいのは反則ですよ!」
風呂から上がったエルは、下着姿のままネオのベッドにダイブしてネオが最初に部屋に入った頃のようにうつぶせの状態で膝を曲げてパタパタと足を揺らしている。
髪がまだ乾いていないのでネオはその髪を拭いてやっていた。
ネオは、どこで話を切り出そうか機会を伺っている。
明日には出撃しなくてはならないが、まだ就寝までには時間的余裕があった――




