E-M理論の必要性。
翌日、グラント将軍によって人員が選出され、第一回「戦闘理論講義」が開始された。
これまでと同様、航空工廠内のガレージにパイロット候補達が集められる。
彼らには特別命令と秘密保持命令が下っており、レシフェの実情を知らされた上で、他者にそれを漏らさないことを厳命されていた。
集まった人数は、男女合わせて合計106名。
その中にはエルも含まれている。
それぞれ用意された椅子に着席して講義を聞く形となっていた。
「集まってもらったのは他でもない。君らの真後ろにある、君らからしたら異様な姿の2機の航空機のパイロットとして戦ってもらうためだ」
ネオは、ルークとルクレールの二機を指差す。
パイロット候補達はザワついた。
ネオは一旦落ち着くまで待った後、グラフや数字が記載された資料を提示した。
「戦闘機の空戦理論については、俺もちょっと王国空軍内にて調べたが、完全に失われている。ここにあるのはE-M理論。俗に言う、エネルギー保存理論と呼ばれ、空戦において最も重要な存在について書かれた基礎理論と、そのグラフである。さらに君たちの手元の資料は、このグラフと俺が知る限りの情報を全て記したものを、配布したものである」
そういってネオは配布した資料と同じものを掲げ、それについて説明した。
空戦において最も重要なのは、エネルギーの保存であり、エネルギーをいかに保存して戦うのかということについてである。
「いいか、垂直ループを行うというのは緊急時以外は禁止だ! ループさせるなら水平ループだ。それも、そこの計算表にある通りの角度と速度を頭に入れた上で、無駄にエネルギーを喪失させないようにしろ」
そういって手持ちの資料に記載されている計算表を見るように促した。
計算表にはルークとルクレールの、それぞれの速度とGに合わせて最適な旋廻速度とバンク角などが示されていた。
一方で、万が一の急旋回を行う上でも、どういう状況でどれだけの速度とエネルギーの喪失が発生するかも書かれており、空中機動を行う場合は、どういうリスクが発生するかも記していた。
無論、これらは気象条件等によって変わってくるものの、これらを頭に入れた上で訓練していけば体で最適な機動を覚えることが出来る。
また、ネオは昨日模擬戦を行ったことと、その模擬戦での自身の勝因を説明した。
「昨日、俺は運動性も機動性も劣るルクレールという重攻撃機で、ルークという小型機に簡単に勝利した。何が原因でそうなったのか……エル少尉。応えてみろ」
ネオはエルに対して回答するよう指示した。
エルは立ち上がって、すぐさまネオの指示に応える。
「はいっ。私が敵機との距離が同じなので、同じ速度だったと錯覚したことです」
「よろしい。座って」
エルはネオの言葉を聞いて着席した。
「実戦経験があったとしても、鈍重で機動性も皆無で低速な大型機とばかり戦っている君たちは、おそらくエル少尉と同じ過ちを犯すであろう! なぜなら、今、アースフィアにある大型機で昨日の俺と同じ動きをしても、大型機は抵抗力の関係で速度をすぐに失ってしまうので、相対距離も増減してしまうのだ。だが、真の戦闘機は違う」
ネオはバンッとあるグラフと軌道を示した間に図を指し示した。
「図の通り、ルクレールでさえ、500km台の速度を維持したままラダー調整などでゆっくりとスライド蛇行できる。このルクレールの機動に対して直線なら400km台で追いつくことができる。これによって、エル少尉が陥ったように誤認させることで、俺は最終的に模擬戦に勝利した」
航空工廠内がザワついた。
各パイロット達は無闇な旋廻こそ危険という情報があったが、一方で蛇行をしているのに速度が殆ど落ちないという事実が理解できなかったのである。
「静かに!」
ネオはパイロット達を静まり返らせた。
「ルクレールの最高速度は、もっと速いからこそ出来る芸当だ。蛇行を見て勝手に未来位置を予測し、バンクを90度近くとって左右に機体を振り回せば、当然のようにして、追う側は表の通り運動エネルギーを無駄に消耗していく。近づいたからイケると思ったら、性能で勝るにも関わらず、いきなり引き離されるハメになる。図の通り、高度と速度を維持できれば、エネルギーを失った存在の後ろを簡単にとることが出来るわけだ」
ネオは昨日の試合を分析した結果の、数値計算とグラフを交えた表と図で模擬戦の状況を解説した。
「ネオ殿……つまりは、高度が高いということは、それだけ高いエネルギーを保持しているということなのですか?」
男性のパイロット候補が質問をする。
そのものいいは、E-M理論の基礎を理解しかけており、ネオの表情が緩む。
「その通りだ。賭け事を例にするとだな……同一の戦闘機と仮定しての話だが、1000mを500kmで飛行する者がいる。そして10000mを同じ速度で飛行する者がいる。彼らは高度を下げることで速度と高度に応じたチップを獲得することが出来るとしよう。1000mの者が500mまで高度を下げると新たに貰えるのは5枚だった場合、10000mの者は、500mまでの降下だと、なんと300枚も貰えるのだ。この状態で、なんらかの賭け事を行ってどちらかのチップを0にしてくれと言われる……君たちは、これで前者の立場になって勝てると思うか?」
ドスのきいた怖いまでのニヤケ顔を晒すネオの前に、パイロット候補達は凍りついた。
だが、ネオが説明したいE-M理論とは実際にそういうものなのだ。
速度が同じでも、速度を増加できる高度がなければ、同じエネルギー保有量ではない。
高度が同じでも、速度が異なれば同じエネルギー保有量ではない。
エネルギー自体は推進力によって回復可能であるが、
空戦では、基本的にこうやってエネルギーを損耗していく消耗戦となるのだ。
「もちろん。敵をいち早く察知できただとかいって奇襲に成功したりして、実戦ではこれらの要素を覆す要因はいくらでもある。だが、分が悪い賭け事には変わりないよな?」
ネオの話を聞いていたパイロット候補の大半が、ネオの話に頷いた。
「列強のNRCは、レシフェとの戦闘で敗北するようなことがあれば、すぐさま要因を探るだろう。そして、同じように小型機で対抗しようとすれば、同じ土台に立つことになる。ならば、空戦に対するきちんとした知識をもたなければ――」
「――ネオ様。1つよろしいですか」
女性パイロット候補が手をあげ、ネオに質問を投げかけた。
容姿からすると、エルよりは年上だが確実に成人していないであろう若さである。
妙に気になってネオが周囲を見渡すと、パイロット候補達は男は30代以上、女性は10代そこらという信じられない年齢のバラつきを見せている。
先ほどまでは、説明に集中しすぎて気づかなかったことだった。
「どうかした?」
一瞬気をとられたことにハッとしつつも、ネオは女性パイロットに呟いた。
「どうやって、この理論に辿り着いたのですか?」
女性パイロット候補の意見に、小声で「ソウダソウダ」と野次が入った。
「理論がない頃の古代の戦争では、性能差があっても、なぜか高性能な機体に勝てることがあった。それと、超高性能と謳われた機体が、なぜか尋常ではないほどに実戦で損耗することがあった。それらについて、数値だけで証明できないかと考えた男が証明したんだ」
ネオの物言いは、まるで古代の事情を知る者そのものであり、パイロット候補達の中にはネオを不思議がるものもいた。
質問をした女性パイロットもその一人であった。
「初めて証明された時は、さぞ衝撃的だったことでしょうね……」
「そりゃね。証明した人間のいた国じゃ、高性能といわれた機体郡が軒並み最高速ばかり高く、旋廻時のエネルギー損失と加速力によるエネルギーの復元力が低かったことが判明して……大パニックさ。そこで始めて、技術力で劣る敵対国の航空機が、それを考慮して作られていたことがわかったんだ。だから、キルレシオで完全に有利に立てなかったんだ」
ネオの理論は戦術だけではなく戦略も見据えたものであった。
それも戦争の戦略だけではなく、兵器の仕様の部分である技術面に対する戦略も見据えたものであった。
この講義には興味ある者は参加可能と、ネオは事前に様々な人間に伝えていたが、講義を見ていたグラント将軍や海軍大将リヒターなどの将官にとって、目から鱗の内容であった。
航空工廠の者達もかなりの者が参加し、この講義を遠方より黙々と聞いていたが、ルークやルクレールはどういう思想でもって作られたのか技術者達もようやく理解した。
ルークは、まさに理想的な戦闘機であったが、一方でルクレールも決してE-M理論的には悪い性能ではなかった。
機動性や運動性が高いといっても、それらは無駄にエネルギーの損失するだけ。
ルクレールはルークと比較して運動性は高くなかったが、無駄にエネルギーを消耗しすぎないよう調節されて作られていたのだった。
昨日のルークに対する模擬戦の勝利とは、ルクレールがそういったエネルギーをともかく消耗しすぎないよう調整されたものであったと同時に、ルクレールの持つ能力とE-M理論を完全に生かしたネオの総合力での圧勝であったのだ。
もしフラップなどを調節してルクレールにルーク並みの運動性を保たせたら、機体の大きさの影響で大きくエネルギーを喪失し、すぐに行動不能になって落とされるだけの欠陥機となってしまう。
また、ルークにスペードを装着しない理由はギークとの速度差だけではなく、回転モーメントが空戦で莫大な保有エネルギーを殺すことをネオが理解していたためだった。
エルはネオの話に関心しきりであったが、内に妙な感情を抱いているのを感じ始めていた。
「もしかしたら、この者は私の国を救ってくれるかもしれない……」と。




