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ワールド・レコード  作者: 藍澤 建
兄と妹
95/162

95.月夜の語らい

 ふと、背後から足音が聞こえた。

 涙はもう流れていない。

 慟哭もその形を潜めている。


「……」


 ゆっくりと、背後へと視線を向ける。

 ――一体、後ろにいるのは誰だろうか。

 たまたま近くにい合わせた特務の隊員だろうか。

 僕を逃がさないために追ってきた彼女だろうか。

 それとも――


「……え」


 その姿を見て、思わず声が漏れた。

 風になびく赤い髪。

 黒いコートに、腰には一振りの刀。

 彼女は僕の顔を見て、少しだけ眉を顰める。

 何故、彼女がここにいるのだろうか?

 何故、こんな時間に、こんな所に。

 疑問が止まらなく溢れ始めた僕へと、彼女は。


「巌人。ちょっと、付き合え」


 彼女――中島智美は。

 姉さんは、そんなことを言い出した。




 ☆☆☆




 彼女が僕を連れなって足を運んだのは――僕の家だった。

 僕が情けなくも、裸足で逃げ出したあの家。

 ドアを蹴破って、涙を抑えながら逃げ出した、あの家だ。


「……姉さん、ここは――」

「お前の家だな。なんでか知らんがドア壊れてるけど」


 言ってククッと肩を震わせる。

 家の中からは、彼女(・・)の気配が感じられた。

 それはつまり、姉さんもまた、その気配に気がついているということ。


「私は今日、お前の母さんに頼まれて、お前の調査にやってきた」


 その言葉に、思わず息が詰まった。

 胸が苦しくなって、頭が真っ白になる。


「ついさっき、お前が家にいるって聞いてここに来たんだがな。するとどうしたもんか、お前が泣きそうになりながら走ってくじゃねぇか。んで、そっちの方がやばそうだ、ってことで家の中の『何か』を放置してお前の方を追ってみれば……」


 ――僕が泣いていた、と。

 あの慟哭を見られていたことに少しだけ耳が熱くなったが、すぐに今が危機的状況なのだと思い出す。

 ――中島智美。

 幼少期の頃からずっと一緒にいた姉のような存在で、僕の部下であり、何より母さんの部下でもある。

 その実力はかなりのもので、場合によっては格上のアンノウンすら打倒できるポテンシャルを秘めている。現在、相性如何によるが、神獣級のアンノウンとさえ戦える特務隊員の数少ない一人だ。

 そんな彼女があの子と相対すればどうなるか――

 考えて、思わず身構えたけれど。


「安心しろ、別にどうこうするってわけじゃねぇ」


 まるで僕の内心を読んだかの如く、彼女はそう言って笑って見せた。


「気配が一つ。来た時には気がついてたが、気配が大きい割には隠す術を知らない見てぇな、まるで強大な力を持った子供みたいな気配だ。……んで、お前がこうして悩んで、泣いて、それでも匿ってるってことは――相手が、悪いやつじゃねぇってことだ」


 言って、彼女は僕の頭を軽く撫でた。


「全くこのガキは……。今度は一体どんな厄介を抱え込んだんだ? 凶悪犯罪者か? 大量殺戮者か? いずれにせよ厄介なことには違いねぇが、とりあえずお前の母親に連絡する気はハナからねぇよ。っていうか今日は別に会おうってつもりもねぇ。今日はお前と、少し腹割って話したかっただけだ」


 ふと、信じていいものかと考える。

 けれど、考えるよりも先に歩き出していたのは、彼女に相談して楽になりたかったからかもしれない。

 ……あるいは僕は。

 彼女が味方だと、信じたかっただけかもしれない。


 蹴破られたはずの扉。

 それは未だ壊れているものの、辛うじて元の場所へと戻っていた。姉さんがやったのかとも思ったが……ふと、脳裏に彼女の姿が過ぎった。

 その扉を開く。鍵はもう壊れていた。後で復元弾でも使って直しておかねばならないだろう。

 その先に続くは真っ暗闇。

 電気はつけられていない。気配も一階からは感じられない。

 気配は……やっぱり、二階のあの部屋からだ。


「……ふぅ」


 小さく息を吐いて、玄関で靴を脱いだ。


「おじゃましまーすっ、と」


 言って彼女もまた、靴を脱いで上がり込んだ。




 ☆☆☆




 数分後。

 僕は一人、庭に面する廊下までやってきた。

 窓を開け放ち、廊下へと座りこむ。

 姉さんはさっき『缶コーヒー買ってくる』と言って出て行ったばかりだ。比較的近くに自販機があることだし、すぐ帰ってくるだろう。

 もしもこれで報告なんてされていたら……。その時は、その時だ。彼女が信用出来ないのなら、特務に隠し通す事なんてできやしない。


「はぁ……」


 夜空を見上げれば、満天の星空と大きな満月。

 雪が今もさんさんと降っており、ため息を漏らすと共に雪を踏みしめる音が聞こえてきた。


「ほらよ、ホットのやつ買ってきた」


 言って缶コーヒーを二つ手に持った彼女は僕の隣に腰掛ける。


「……いいや、今は、そんな気分じゃないんで」


 渡された缶コーヒーを、そのまま返した。

 飲む気になんてなれない。

 食欲すらない。

 今、何か食べたらきっと吐いてしまう。

 そんな気持ちの悪さだけが体の内で蹲っているのだ。


「……そうか」


 小さく呟いた姉さんは、何故か少しだけ、微笑んでいた。

 思わずその笑みに怒りにも似た何かを覚えてしまう。何故、こんなにも苦しんでいるのにこの人は笑っているんだと。

 彼女は僕へと視線を向ける。表情に出ていたのか、彼女は口元の笑みをさらに濃くした。


「なに、ちょっと前の機械人間だったお前からは、ちっと考えられないセリフだなっ、ってさ」


 ……機械人間。

 言い返したかったけど……出来なかった。

 多分それは、本当のことだから。


「なぁ巌人。お前が匿ってんの、アンノウンか?」


 その言葉に、思わず目を見開いた。

 僕の顔を横目でずっと見ていた彼女からしたらその反応はわかり易すぎたのだろう、ククッと肩を震わせて笑っている。


「家ん中入って、人間の気配っぽくなかった時点で考えてたが……こりゃ、厄介も厄介。下手すりゃ特務全体を敵に回しかねない厄介の種だ」

「……それくらい、分かってますよ」


 彼女の方からカシュッと、缶コーヒーのプルタブを引き上げた音が聞こえてくる。

 缶を傾けて、喉を鳴らす。

 そうして数秒たって、やっと一息ついてから、彼女は口を開いた。


「アンノウンは人類の敵で、滅ぼすべき、駆逐すべき害虫だ、ってか?」


 それは、母さんの持論だ。

 母さんは、両親をアンノウンに殺されている。

 だからこそアンノウンに対して特別な憎悪を持っていて、その憎悪がその持論に現れているのだろう。

 今になって思えば、そう分かる。

 逆に、なぜ今までその持論が極端すぎるものなのだと分からなかったのか……。そう考えると、やっぱりその答えは。


「……少しでも、自分で考えてりゃ、分かることだったな。お前の母さんが、ちと極端すぎるってのは」


 そう、考えていなかったから。

 自分で考えず、周りに流されていたからだ。

 思わず顔を伏せる。また、泣いてしまいそうになる。

 きっと姉さんは僕を否定するのだろう。なにせ、僕は今まで、間違い続けていたのだから。

 姉さんは再度コーヒーに口を付けたのか、白く色付いた息を吐く。


「……まぁ、その考えは、間違っていたわけじゃねぇさ」

「……へっ?」


 予想外の言葉に、思わず顔を上げた。

 間違っていたわけじゃ……ない?

 思いもよらぬ言葉に、思わず困惑してしまう。


「アンノウンってのは、本来は意思なんて持った存在じゃあねぇんだ。辛うじて自我と知性と理性を持って動いてんのが聖獣級。んで、神獣級になってやっと私たち人間と同じか、それ以上か。その中でも特筆してるのが――お前の戦った、人型、ってイレギュラーらしい」


 ――人型。

 その言葉に、思わず呟く。


「酒呑……童子」

「あぁ。人類史上、初めて発見された人型のアンノウン。意思を持ち、自我を持ち、理性と知性を持つ、今までに発見されたことのない存在だ」


 言って彼女は大きく缶を傾けた。

 ゴクゴクと喉を鳴らし、ぷはぁと息を吐く。


「現状から考えるに、お前がこうなった切っ掛けは、酒呑童子っていう人間と大差ない存在をその手で殺したことだ。んで、二階にいるアンノウンの気配が全く動いていないことからも、こいつもまた知性を持った人型の可能性が高いわけで……」


 言って彼女は、その答えを間際に口を閉ざした。

 小さく、空き缶を弄る音が響く。

 けれどもすぐに彼女は息を吐き出すと――


「……娘と息子、どっちだ?」


 彼女は自他ともに認める天才だ。

 この歳で、大した異能がある訳でもないのに、実質人類のNo.3の座に座っているのだから、僕のような異能だけの凡人とは違うって言うのはまず間違いない。

 そんな天才にこれだけヒントを与えたら……まぁ、分かってしまうのだろう。


「多分、女の子」

「うはぁ……、そりゃ重いわけだ」


 言って、思わずといったふうに彼女は頭を抱えた。

 そんな彼女の姿を見て、僕は。


「……どうしたら、いいと思いますか」


 ずっと考えていたその疑問を、ぶつけて見ることにした。

 ずっと、ずっと考えていた。

 逃げたい、今にも逃げ出したいって。

 そんな感情を押し殺しながら、ずっと考えていた。

 僕は、どうしたらいいのだろうかと。


「どうしたら、いいか……ねぇ」


 そう復唱する彼女。

 彼女は姿勢を正して視線を僕へと向けると。


「考えてなかったわけじゃあないんだろ? 考えた結果、お前はどう思うんだ? 巌人」

「……僕は」


 僕は……分からない。

 ずっと考えていたけど、答えは出なかった。

 人に答えを求めるのは良くないと分かっている。

 けれど、僕は――


「分からない……けど。このままじゃ、ダメなんだと……思います」


 このままじゃ、ダメな気がする。

 誰かに答えを教えて貰ってでも。

 何か、成さなければならないような気がするのだ。

 僕のためじゃなく。


「……彼女の、ために」


 彼女のために。

 その言葉を聞いた姉さんは、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。


「なんだよ、分かってんじゃあねぇか!」


 言って彼女は、ぐいっと僕の肩を抱いた。

 一気に彼女の顔が近づき、吐息がかかる。

 けれど、恥ずかしさよりもずっと……、その暖かさが、心地よかった。


「いいか巌人。お前はその父親を殺した。その事実を受け止めろ。どんなにキツくっても、どんなに辛くっても、その事実を受け止めた上で――責任を取れ」


 ――責任。

 その言葉が、心に重くのしかかる。


「父親を殺しちまったんなら、せめてその父親がその子と一緒に生きたであろう時間を、一緒に生きてやれ。お前自身の手でその子を養って、親離れするまで成長させろ。死ねって言われたら先送りにしろ。その子が成長して、いつかお前の手を離れてでも生きていけるようになったんなら、その時になって改めて死ね。そん時は私が自信を持って泣いてやらァ」


 言って、彼女は満面の笑みを浮かべた。


「いいじゃあねぇか。今までずっと一人で戦ってきたんだろ? 私たちを守るために一人でみんなを守って戦ってきたんだ。お前に救われた命が幾つもある。お前に助けてもらった命が、ここにある」


 彼女はその胸へと拳を叩きつけた。

 その姿に、その言葉に、思わず視界が歪んだ。


「お前は人殺しだ。その罪は消えねぇが、それと同時に今まで私たち人類を守りきってきた最強の英雄だ! その最強が、今度は一人の女の子を守るってだけの話じゃねぇか。今までから比べたら随分と楽な仕事になっただけマシってもんだ」


 それに――。

 言って彼女は、嗚咽を噛み締める僕を抱きしめた。

 暖かくて、柔らかくて。

 冷たかった心が、少しだけ温まってゆくような感じがした。



「私はお前の母さんの部下だがな。それ以上に、お前の直属の部下で、姉さんだ。この世界の誰よりもお前の味方だ。だから、辛くなったらいつでも言え。そん時はこうやって、いつでも抱きしめてやるからよ」



 気がつけば、双眸からは涙が溢れだしていた。

 心で大声をあげて、涙した。


 けれどその涙は。


 さっきと違って、少しだけ暖かかった。

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