93.天を仰ぐ
重いわ!
その日は、早い時間に帰された。
曰く「本調子じゃないみたいだから、休みなさい」との事だった。何だかあの様子だと、僕を戦場から一時的に遠ざけたいような感じだったが……僕は、戦場に行きたいのだ。もし止めるようならなんとか説得しようと思う。
「……はぁ」
小さく、ため息を吐いた。
上着のポケットから取り出した鍵をドアノブの鍵穴へと差し込むと、ぐるりと回して解錠する。
気配は、ない。
覚悟を決めて扉を開くと、やっぱりそこに彼女の姿はなく、二階の使っていない一室の中から、彼女の気配がすることに気がついた。
「……そろそろ、なんか食わないと」
その気配から逃げるように居間へと向かった。
中に足を踏み入れると、様々な食べ物が散乱した、泥棒でも入ったのかと思えるほど散らかった一室が広がっていた。
どうやら、とりあえず飯は食べてくれたらしい。
コートを脱いでソファーへとかけると、そのままソファーに腰を下ろした。
「ああぁ……」
沈み込むような感覚に思わず声を上げる。
チラリと時計を見れば、指針は十二時を回り、昼食時の時間を示していた。
料理は……したことが無い。焼くくらいならば出来るだろうが、にる、蒸す、などの調理は多分無理。
出前を頼もうにも、流石に昨日から何も食べてないだけあってそれまで持ちそうにない。
「……料理、するか」
悲鳴をあげる体にムチを打って立ち上がる。
たまたま足元に落ちていたレタスに、もやしの袋を拾う。
冷蔵庫の中を漁ってみれば、流石に生肉には手をつけていなかったみたいで、冷凍したものが残っていた。
「野菜炒め……。肉って、焼けば凍ってるやつ解けるよな? ……まぁ、やって見ればわかるか」
言って冷凍した肉を取り出すと、辛うじて覚えていた収納棚からフライパンを取り出した。
フライパンを……なんて名前だったか、スイッチ一つで火がつく台に起く。火は――どうやって付けるのだったか。
ステータスアプリを起動し、姉さんが言っていた『調べ物ができる場所』とやらを開く。
「……これ、かな」
とりあえず『台所、火、付け方』と調べる。
するとよく分からない長文の青文字が幾つか出てきて、その中にいくつか『ガスコンロ』という名前があることに気がついた。
ガスコンロ……。
心の中で呟いて、目の前の台を見つめる。
そう言われればそんな名前だったような気もする。
今度は『ガスコンロ、使い方』と調べる。
けれどそれらしいものは出てこず、結果それを調べるだけで三十分近くを要してしまった。
殺ししかしてこなかった弊害がこんなところで出るとは……。今度、もう少し家事とかの勉強もしてみよう。
無事火がついた上にフライパンを乗せると、その中に野菜と生の凍った肉を投入してゆく。
混ぜるもの……手じゃないな。箸か。
ジュウウ、と焼ける音が響く中。たまたま近くに存在していた長めの箸を手に取り、野菜を混ぜ始めた。
「って……なんだこれ。固まって――」
しかし、凍った肉はなかなか解けず、その間にも野菜は焼け、フライパンにくっついてゆく。
それを取っていれば、冷凍肉の一部分だけが焼けあがってしまい、動かそうと思えばその部分もまたくっついている。
――悪戦苦闘。
並のアンノウン相手ではここまで苦労することは無い。
……今まで軽く見ていたが、まさか家事がここまで難しいものだったとは思いもしなかった。
考えながらも必死に箸を動かしてゆく。
そんな中、ふと、味は付いているのだろうかと考えた。
なれない手つきで一度火を止め、棚の中から比較的小さめな皿を手に取り、野菜炒めを少々よそってみる。
「…………」
ところどころ焦げがつき、変なニオイを漂わせる野菜。
赤いところが残った生焼けの肉。
我がら酷い出来だが、大丈夫だろうと思い切ってそれらをまとめて口に運んだ――!
しかし次の瞬間、思わず口の中に入れたそれらを台所にあったゴミ箱の中へと吐き捨ててしまう。
一言――物凄くまずい。
食えたもんじゃない。野菜は焼きすぎ、肉は未だ半ナマで、味は全くと言っていいほどにしない。
「これは……どうするか」
とりあえず、野菜は我慢するとして肉を焼こう。さらに野菜が焦げ付くだろうが、肉が生な状態よりはよっぽどマシだ。
そして味は――と、ふと、視界の隅に『醤油』と書かれたビンが置いてあることに気がついた。
そうだ、醤油だ!
たしか醤油ってかなり味が強かった気がする。なら、野菜炒めにも合うに違いない。
迷うことなく醤油のビンを手にすると、ドバドバと迷うことなく野菜炒めの中へと投入してゆく。
そうして数分後。
肉が生焼けになっている事はなく、醤油を入れたことで野菜も予想以上は焦げ付いていない野菜炒めが出来上がった。
味としては……まぁ、相変わらずまずい。
さっきよりはマシだが、それでも醤油のみの味付けというのは野菜炒めには……あまり合わないのだと実感した。
もしかしたら腕のいい料理人の作ったものならそれでも美味しいのかもしれないが、……僕はダメだ。もう少しなにか考えないと。
一応完成した野菜炒めを皿の上によそう。
その際、ふと、彼女のことが脳裏をよぎった。
……まぁ、これは食えたもんじゃない。せいぜい無理してなんとか、というレベルだ。
しかし、そこら辺の生野菜なんかを食べているよりは味気があるはずだし……。
そう考えると、僕は皿をもう一枚出した。
フライパンに残った野菜炒めを半分ほどよそうと、引き出しの中にあった割り箸を手に持った。
「……はぁ」
……さて、行くか。
重い気分を気のせいだと誤魔化すと、料理を手に一歩踏み出した。
☆☆☆
そこは、二階に上がってすぐの部屋だった。
ドアの前に立って、深く息を吐いた。
気配はこの扉の向こうから感じられる。
じっと動かず、多分、扉のすぐ向こうに居る。
「……ふぅ」
覚悟を決めて、コンコンとノックする。
返事はない。
代わりに溢れんばかりの殺気が、扉の向こうから送られてきた。
「……あの、さ。一応、昼飯作ってみたんだけど」
言って、手に持った皿へと視線を向けた。
匂いだけは一丁前、けれど味はさほどと言った料理だが……多分、彼女も昼飯はまだ食べてないだろう。
「まだ、昼飯食べてないだろ? だから――」
「――うるさい」
淡々とした言葉に、思わず口を噤んだ。
善意からの事だった。
お腹がすいているだろうから、だから料理を作った。
不味いかもしれないけど、彼女には――生きてほしいから。
あの男みたいに、死んで欲しくないから。
――なのに。
「……私は、お前が嫌い」
扉一枚挟んだ向こうから、ぐぐもった声が聞こえてきた。
「お前は父さんを殺した。人間に、てきたいなんてしたことなかった父さんを、殺した。……ねぇ、父さんが、お前になにかしたの? 父さんに、なにかされたの?」
「そ、それは……」
――違う。
なにも、されてなんかいない。
それだけの事実が、口からは出てこなかった。
扉の向こうから、鼻をすする音が漏れた。
「やっぱり、お前はただの……人殺しだ。なんの罪もない父さんを殺した。私のかけがえのない人を、殺した。……私の、たいせつな人を――殺した……っ」
何一つ、間違っていると言えなかった。
だってそれは、全部事実だから。
「お前の施しは、うけない。お前みたいな人殺しのこと、信じられない。毒でも入れて、私も殺そうとしてるかもしれない。自分にとってじゃまな、私のことも」
「ち、違――」
「ちがわない」
否定の言葉に被せるように、彼女の言葉が響いた。
毒なんて入れてない。
ただ、善意で。
頑張って、作った……。
……だけなんだ。
「なにも、ちがわない。お前は人殺し。きっといつか、私のことも、じゃまになる。殺したくなる。殺して、らくになりたくなる。だからお前の施しは、受けない。父さんみたいに、殺されたくないから」
……あぁ。
そういえば、そうだったな。
料理を作るのが思ったよりも楽しくて。
少しは心を開いてくれるかなって、期待して。
その事実から、目を逸らしてた。
――僕は、彼女の父親をこの手で殺したのだ。
物語の中みたいに、簡単に和解なんて出来るはずがない。
甘い言葉を吐けば、気を許してくれるわけでもない。
ただこの場には残酷に、その事実と拒絶だけがあるばかり。
「……ごめん」
「――ッッ! あやまるっ、くらいなら! 私の父さんを返してっ! 返せもしないのに! 責任も取らないのに! わるいって気持ちもないのに、あやまるなっ!!」
返せない。
殺した者は――生き返らないから。
僕の異能でも、多分それはできっこない。
無から有を生み出すことは出来たとしても。
過去から命を戻すことは出来ないのだ。
「それでも――」
思わず天を仰いだ。
けれどそこには天井があるだけで、青空なんてどこにも見えない。
けれど、神様って奴がいたら、聞いて欲しいんだ。
肺の中に溜まった重い空気を吐き出す。
心臓が痛い。今にも握りつぶされそうなくらい。
体が軋む。
心が軋む。
悲鳴を上げている。
後悔ならしてる。悪いとも思ってる。
けど、なんにもできない僕は――
「それでも……ごめん」
謝る以外に、一体何をすれば良いですか?
次回、絶望。
的な名前にします。