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ワールド・レコード  作者: 藍澤 建
兄と妹
92/162

92.封印された異能

 朝、壁に背中を預けた状態で目が覚めた。

 あれからずっと、僕は部屋に戻ることなく、彼女の前に在り続けた。逃げ出したい気持ちを、必死に抑えて。


「……」


 顔をあげれば、そこには真向かいの壁に背中を預け、黙ってこちらを睨みつけている彼女の姿があった。

 その長く伸ばされたままになっている髪の向こう側には、依然として燃え止まない憎悪の炎が燻っていた。


「そのまま、死んでればよかったのに」


 言って初めて目を逸らした彼女。

 名前は知らない、聞いても多分、教えてくれそうにないから。

 腕のステータスアプリへと視線を向ければ、そこには『7:12』と微妙な時間が記されていた。

 昨日からずっと、何も口にしていないけれど不思議と腹は減ってはいなかった。

 ズキンと、頬が痛む。

 あの後、何度も殴られた。

 何度も何度も、馬乗りになって殴られた。

 僕は抵抗などしなかった。したいとも思わなかった。


 ――このまま死んでしまえばと、何度そう思ったか知れない。


「……僕も、同感だ」


 膝に手を当てて立ち上がると、口の中に溜まっていた血を吐き出した。

 飯は……僕はいらないけれど、彼女の分は必要だろう。

 普段なら姉さんにでも頼むのだけれど……彼女はアンノウンだ。特務の人とは、絶対に会わせちゃいけない。


「出前……とるの初めてなんだよな」


 腕のステータスアプリには、今まで特務の最高幹部として働いて、知らぬ間に溜まっていた電子マネーが大量に入っているはずだ。前に母さんが言っていた。

 汚れに汚れたその床を見て、深い息を一つ吐く。


「……逃げやしない。だから体でも洗ってこい。飯も頼んどく。だから――」

「さしず、するな」


 帰ってきたのは、明確な拒絶。


「お前には、頼らない。ご飯もいらない。施しもいらない。何も要らない。私が欲しいのは、お前の命だけ」


 取り付く島もなく付け足されたその言葉に、心が折れるような、嫌な音が響き渡った。


「……あぁ、そうかい」


 小さく呟く。

 死にたくは……ない。

 果たして敵を屠り続ける日常になにか魅力的なものがあるのかと、そう聞かれれば数秒と開けずに『否』と答えるだろうけれど、だからといって死にたいというわけでは決してない。

 ……いや、『決して』という訳では無いか。


「僕も、お前に殺されるなら、別にいい」


 だからこそ無抵抗に殴られ続けた。

 気絶するまで殴られて。

 ――でも、命を刈るまでは届かなかった。

 正直、無抵抗な僕を殺すだけでもかなりの実力を必要とする。今の幼く、衰弱した彼女じゃ、どれだけやろうと届かない。

 彼女に背を向けて玄関へと歩き出すと、そちらへと視線を向けずに口を開いた。


「……家の中のものは『渡さない』」


 だから、好きに使ってくれていい。

 冷蔵庫になら、なにか食べれるものは言ってるだろ。

 ドアを押し開くと、小さく彼女へと振り返る。



「夜になったら、帰ってくる」



 言って、その視線から逃れるように。

 僕は戦場へ向かうべく、家を発った。




 ☆☆☆




 その日も、戦場へと足を運んだ。

 昨晩、酒呑童子がこの街へと攻め込んできた。

 酒呑が特務のメンバーを何人も倒してゆく様を見て勢いづいたのか、先日大打撃を与えたはずなのにも関わらず、今回もまたかなりの数を揃えて攻め込んできたとのことだった。

 今は姉さんや姉さんの部下――まぁ、序列的には僕の部下とも言えるのだが、かなり有望されている新人が向かっているとのことで、母さんからその救援に行くようにとの要請があった。


「……」


 姉さん達を探すべく戦場を駆け抜ける。

 眼下を見渡せる丘の上で立ち止まる。

 視線を下げれば、そこには巨大なアンノウンの群れと、そしてそれに対してなんとか持ちこたえている特務のメンバー達の姿があった。

 そのメンバーの戦闘には紗奈さんが立っており、その剣を一振りするだけで幾つもの命が散らばってゆく。


『アンノウンだって生きてるんだ。そりゃたしかに、襲いかかってくる相手にも『なにか理由があるんじゃないか?』なーんて聞く余裕は人間にはない。ボクもいきなり襲いかかられたら倒しちゃうかもしれない。……けれど、せめて相手が善か悪か、相手に話が通じるか通じないか。それくらいは、考えるべきだ』


 ふと、その言葉が脳裏を過ぎる。


「考える……か」


 アンノウンを殺す前にこうして思考するのは、もしかしたら初めてのことなのかもしれない。

 相手が善か悪か。話が通じるか否か。

 話が通じる相手――つまりは聖獣級以上の相手。

 そして、悪ではないアンノウン。

 ……そんな相手、いるのだろうかと。咄嗟に考えてしまう僕がいたけれど。


「……昨日までは、居たらしいしな」


 昨日、僕が殺すまでは存在していた。

 ――殺す前は。

 その言葉に、少しだけ体が震えた。

 右腕へと視線を向ければ、確にカタカタと小さく震えている自分がいた。まっまく、自分で言っておきながら情けない限りだが……、いくら力を入れようと、その震えが収まる気配は一向に感じられない。


「……クソッ」


 誤魔化すべく拳をぎゅっと握りしめると、眼下の大軍へと再度視線を向けた。

 いくら悩もうとも、僕が殺しの道から外れることが出来ないのは分かりきったことである。

 これだけ殺した。

 何度も返り血に塗れ、その血は何度も何度も渇きに乾いて、黒色に染まり果てた。

 今まではそれは当然のことで、人類を守っている自分に誇りすら覚えていた――けれど、今は違う。


 南雲巌人という自身を。

 自らの【黒棺の王(ブラックパンドラー)】の名を。

 心の底から、嫌悪している。


 何度も何度も『殺し』をしてきたこの両の手。

 当たり前だったそれは、明確な罪だった。

 知らず知らずに罪を重ね、気がついた時にはもう取り返しがつかなくなっていて。



「――残ったのは、ただの虚無感、それだけ」



 言って、空を仰いだ。

 この天下に、僕以上の大罪人は居ないだろう。

 僕以上に、『殺し』をした者も居ないだろう。

 ……別に、贖罪したい訳じゃないけれど、僕は多分、ずっと戦場(ここ)に住み続ける。

 戦場を庭とし、戦場を駆け巡り、多くの死をまき散らし。

 最終的に――恨まれて死んでゆく。


「……」


 言葉が喉に詰まって出てこない。

 死にたくない。死にたくない。

 けれど、今すぐに死んでしまいたい。

 矛盾した二つの本音に心が壊されるような感覚を覚えながらも、僕は背後を振り返る。

 そこには最下級と考えても過言ではないアンノウンの群れが僕のことを包囲しており、それを見て僕は異能を使う準備を開始した。


「一つ、問う。お前達に自我はあり、人類との共存、あるいは平和を志す『善』の心はあるか?」


 帰ってきたのは、馬鹿にしたような鳴き声だった。

 多分、言葉は通じていない。

 異能に目覚めてからは、下級のアンノウンから侮られ続ける毎日を送っていた。比較的強い聖獣級のアンノウンは『見えない』と驚き、逆に恐怖していたが――まぁ、今はそんなことはどうでもいいのだ。


「……なさ、そうだな」


 その様子からはそんな気配は微塵も感じられず、僕はその群れへと向けて一歩を踏み出した。


 ――殺す。


 膨大な殺気が迸り、先程まで意気揚々と敵意を漲らせていたアンノウンたちは一瞬にしてその体を硬直させた。

 その隙に――駆け出した。

 その腕に纏うは異能の力。

 触れたもの全てを無に帰す最強の力。

 今更、生き方を変えろなんて言われても難しい。

 僕には殺すしか能がないのだから、いろんなことを考えて、心が壊れそうになっても、それでも殺し続けるしか道はないのだ。

 それが――血に濡れた手を持つ、僕の道だ。

 アンノウンの群れの数メートル手前でその腕を振りかぶった僕は――





「…………はっ?」



 異能が発動されていないことに、気がついた。




 ☆☆☆




「ストレスによる、無意識下の制限でもかかっているのではないか、と思われます」


 そう医師に言われたのは、数分前。

 僕は今現在、特務のサッポロ支部、その近辺にある病院の待合ホールにてソファーに体を深々と沈めていた。


「……」

「……巌人、何かあったの?」


 隣に座る母さんが心配そうに疑問を投げかけてきた。

 あの後、僕は初めて肉体だけでアンノウンを殺害した。

 殴って。

 蹴って。

 噛み付いて。

 首をへし折って。

 ありとあらゆる手段で、殺害した。


「……別に。何も無いよ」


 言って小さく俯いた。

 母さんとは、顔を合わせたくはなかった。


 ――何故、アンノウンが『人間と同じように生きてる』って、教えてくれなかったんだ?


 そう、聞いてしまいたくなるから。

 聞いてしまったら、多分終わりだ。

 不信感を覚えた母さんは僕の周りを調べ尽くし、それでも見つからなかった彼女はきっと――自宅を、捜索する。

 そうしたらあの子は多分……死ぬだろう。

 僕に父親を殺されたあの子は、僕のせいで死ぬことになるだろう。

 ……それだけは、それだけはだめだ。

 一体何が正しくて、何が間違っているのか分からない。

 けれど、それだけは間違っているのだと確信できていた。


 ――母さんには、絶対に相談しちゃいけない。


 そうしてしまえば最悪の結果になる。

 僕はそう、確信していた。

 だからこそ、母さんに繋がる人には相談できない。

 姉さんもそうだし、経由して伝わる可能性は小さいが、紗奈さんにも相談はできない。

 父さんなら……まぁ、何も無いとは思うけれど、あの人は何を考えているかわからない。相談する方が不安になる。


 だからこそ。

 この感情は、この罪は、僕の中だけに収めておこう。

 決して他人には明かさず。

 彼女の存在も公にはせず。

 一生、罪を背負っていこう。


「……なにも、ないんだ」


 言って、顔を上げた。

 僕を覗き込むように見つめていた母さんは、僕の瞳を見て驚いたように目を見張った。

 もしかしたら、僕の顔は普段と違ったのかもしれない。

 普段――異能があって、罪に気がついていなくて、アンノウンを匿っていない状態か。

 対して今は、異能を失い、罪を自覚し、被害者を匿っている。

 ……本当に、たった一日で随分と人っていうのは変わるものだ。

 ただ、それでも。


「これからも、僕のことは異能を持っているって、そういう前提で使ってもらって大丈夫だから。今は使えないけど、異能が使える頃、この体の存在力はある程度高めておいたから。……だから。ある程度は戦えるし、害あるアンノウンを、殺すことができる」


 僕は、戦場にだけは留まるつもりだ。

 あれだけ殺しておいて、いざ異能が使えなくなり、罪を自覚したとなった途端に殺したくないだなんて、そんなのは傲慢で、我儘だ。

 殺す道を歩み出したのならば、この道を歩き続けるしかない。

 そしていつか、あの娘に殺される。

 それが、僕の殺してきた者達に対する。


 ――せめてもの、償いだ。

巌人は異能を使わないんじゃなく、使えないが正しい答えでした。

「え、あの巻き戻された時使ってなかった?」

という疑問については、読んでいけばわかると思います。

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