90.絶望の始まり
3桁の大台まであと少し。
「が……ぐっ……く、クソッ――」
火傷した両手を『修復』で治すと、背後から呻くような声が聞こえてきた。
「……驚いた。まだ生きてるんだな」
眉の傷から滴る血が右眼の視界を潰す中、僕は思わずそう呟いてしまった。
振り返れば、そこには胴体に拳状の穴を開けた男――『酒呑童子』が倒れており、その穴はたしかに、奴の心臓を抉りとっていた。
心臓を抉られれば生命は死ぬ。
それはこの世の道理のはずだが――
「少し、興味が湧いた」
相手はただの駆逐対象――まぁ、控えめに言ってゴミである。
そんなゴミに興味が湧くなど……とうとう僕もここまで来てしまったかと、少し悲しくなってくる。
だが、興味というのは理性でどうこうできるものではない。気になったのならば、追求せずにはいられない。
「お前は、一体何のために戦う? 何故そこまで『生』にしがみついていられるんだ?」
ここまでの傷を負ったのだ。普通ならばその痛みで気を失うか、あるいは誰かに助けを求めるか。生きることを諦めるか。そのいずれかに一つだろう。
だが、この男は違う
致命傷を負い、死を眼前に控えても尚。
何故この男は、ここまで生きようとするのか。
僕は、興味が湧いたのだ。
「娘に……あ、会うため、だ……」
「……娘?」
たしか、聞いた覚えがあった。
この男は娘を探してここまで来たのだと。
「……はぁ、アンノウンに家族なんているわけがないだろう。だからそんなことはまず有り得ない。本当のことを言え。お前……死ぬぞ?」
アンノウンには、家族なんていやしない。
家族がいるのは人間や、辛うじて動物だけだ。
それに加えて、コイツはこの街めがけて一直線に攻め込んできたのだ。なれば居たと考えても、その『娘』とやらはまず間違いなくこの街の、防壁の中にいる。
つまり、ソイツは『ワープゲート』を使用して街の中へと攻め込み、未だ生き残っている『敵』ってことだ。
どっちにしろ、ろくなもんじゃない。
「再度問う。何故、お前はここに来た?」
見下ろすその男の瞳に宿る光は、徐々に小さくなってゆく。
もう、死は目前だ。
仮にも僕を殺そうとしてきた相手。助けるつもりもない。
恐らく、次がこの男の、最後に話す言葉になるだろう。
それはこの男も分かっていたのか。
ただ必死に、その『壁』の向こうへと手を伸ばして。
「娘……よ。最後にもう、一度、会いたかっ……た」
その言葉を最後に、その体から力が抜けた。
――死んだ。
あまたの死を生み出してきた僕だからこそ分かる。この男は今、命を散らした。
演技でも何でもなく、ただ――死んだのだ。
「……はぁ」
最後の最後まで、男は真実を話そうとしなかった。
あるいは、それが真実なのかもしれない。
そんな考えが頭を過ぎったが、すぐにそれはないなと思い直す。
「痛ッ」
痛みが走り、その額の傷へと手を伸ばした。
右の眉を縦に斬りつけるようにして入ったその傷跡は、ドクドクととめどなく血液を放出している。
――傷。
もしかしたら今後も、僕の体に傷をつけられる存在は現れるかもしれない。
けれど。
「後にも先にも、僕の弾丸を防げるのは、多分お前だけだろうな」
どれだけ強い相手でも。
どんなにふざけた能力の持ち主でも。
きっと、僕の弾丸は防げない。
絶対防御、不老不死、無敵、そんな明らかに強そうな能力を持っていたとしても、この弾丸はその能力さえ『消して』突き進む。
ありとあらゆる存在を無に帰すこの弾丸を、この男は防いだのだ。
――酒呑童子。
「その名前、覚えておくよ」
その眉の傷は、どうしても消そうとは思えなかった。
☆☆☆
一方その頃。
「……ふぅ、酒呑童子は死んだようですね」
黒色の玉座に座る、その黒コートの女性は、その円卓を囲う五人へとそう言った。
「最悪の場合、私たちも動かねばならないかとも思っていましたが、黒棺の王――南雲巌人がその場へと駆けつけ、酒呑童子を殺害したとのことです。その映像は……」
パチンッ!
指を鳴らすと同時に映し出されたその映像。
そこには倒れ伏す酒呑童子の死体と、誰かと通話している様子のその少年の姿が。
「……こんな餓鬼が、神獣級を殺っただと?」
それに明らかに不機嫌そうな声を出したのは、この『団』の中で最強と誰もが疑っていない一人の青年だった。
けれど、その黒コートの女はその男の発言に眉を顰めた。
「……見かけで人の強さを判断するのは、愚か者のする事だと思いますが?」
「……まぁ、確かにそうではあるが」
明らかに納得の言っていなさそうなその男ではあったが、とりあえず今はそれについて追求するつもりはなさそうだ。
「という訳で、酒呑童子についてはこれで終了です。ご心配をおかけしましたが――」
そう彼女が言った――次の瞬間。
大きな音を立てて入口の扉が開かれ、彼ら彼女ら、六人の視線がその入口から入ってきた部下へと注がれた。
「か、会議中申し訳ありません! 緊急事態が発生しました!」
その焦りようをみて、尋常なことではないと彼女らは一瞬にして察してしまった。
「……何があったのですか?」
女の問いに、その部下の男は覚悟を決めるように息を吸い込むと。
「と、捕らえていた酒呑童子の娘がっ、地下の牢を破り逃げ出しました!」
「「「――ッッ!?」」」
その言葉に、全員が思わず席を立ち上がった。
「不味いんじゃねぇのか? アレを特務にでも見つかれば――」
「不味いだろうね。あの政府の犬共が私の美しさに寄って集ってきてしまう……」
中二病、そんな言葉が良く似合う少年がそう呟き、肩幅の大きい金髪の外人がそう言って髪をかきあげる。
「……基地内は部下達に捜索させましょう、私は司令室から異能を使って搜索します。貴方達幹部は基地の外を探してきてください。もしも外に逃げたとしてもまだ遠くには言ってないでしょうから」
そうして彼女らは早足でその会議室から出てゆき――ガシャンと、そのドアが外側からロックされた。
そして――その暗闇の中、青い双眸が浮かび上がった。
「と、父さん……?」
先程は、その映像に愕然としてしまった。
隠れているのも忘れ、ただひたらすらに、その映像に映し出される父の死体を見つめていた。
気がつけば両の瞳からは涙がとめどなく溢れ、誰も居ない、そのスクリーンに映し出される映像だけが占める空間に噛み締めた嗚咽が響き渡る。
そして彼女は、そのスクリーンの向こうに佇むその男を、殺意を持って睨み付けた。
「コイツ……が」
私の父を、殺したのか。
アイツらは確か、『南雲』と言っていた。
その名前を忘れぬようにと心に刻みつけ、彼女は憎悪に歪んだその顔を涙で濡らしながら。
「絶対に――殺してやる」
こうして、絶望は最初の一頁を綴るのだった。
☆☆☆
ソファーに座り込んだ僕は、黙って頭に包帯を巻かれていた。
「いやー、まさか君がこんな怪我するなんてねぇ? ボクにも戦闘要請来てたけど受けなくてよかったよー」
相も変わらず、僕の個人ルームへと入り浸っている彼女――枝幸紗奈。彼女は鼻歌交じりに、見事な手際で包帯をまいてゆく。
「はいっと、これで完成っ!」
きゅっと最後に包帯を縛り終えた彼女は、そう言って僕の方をパンと叩いてきた。この人は物理最強を地で行く人だからかなり痛い。もう少し優しくして欲しいものだった。
肩をさすりながら彼女からスッと距離をとると、まるで彼女にソファーの半分を譲っているようにも見えることに気がついた。
咄嗟に元の場所へと戻ろうと考えたが――既に遅かった。
「ありがとう! 流石は男の子だね!」
「……はぁ」
ため息が出た。
見れば隣にはもう既に彼女が座っており、諦めて彼女とは反対側のソファーの端っこへと座ることにした。
だが、それを許そうとしない彼女。
「でー? どんな化物が出てきたんだい? 君が怪我するとかまず間違いなくボクと同格の化物じゃないか」
「自分のこと、化物って言ってるようなものですよ、それ」
コンパクトにそう指摘してやると、彼女はキョトンとした表情を浮かべて首を傾げた。
「……? ボクたち『絶対者』は間違っても『人間』って括りには置いておけないでしょ? ま、現状ボクと君の二人だけなんだけど」
「……まぁ、そうなんですけど」
逆にここまでの力――それこそ、複数の国家を敵に回しても平気で生き延びられるような力を得て尚人間と言い張るだなんて、そっちの方がどうかしている。
そう考えながらもソファーから立ち上がると、ぐぐっと背中を伸ばした。
「うっ……あぁ。そんじゃ、僕はもう帰りますよ」
「あー、そう? ボクは宿とかないからここに泊まるけど」
何故この部屋の主の許可もなく泊まることを決定しているんだこの人は……。
さり気なくジャイアニズムを展開してきた彼女にため息を吐くと、コートを羽織り、紺碧色のマフラーを首に巻いた。
「……それじゃ、お先に失礼します。僕の異能は血液を増やすこともできますが、前にやりすぎて体が内部から破壊されたこともあるので。今日は帰って肉でも食います」
「おうっふ……。き、君はボクの知らないところでとんでもないことをしてるんだね……」
ドン引きしたような声が聞こえてきたが、僕はすぐに踵を返して歩き出した。
……その時の僕は、まだ知らない。
その翌日、僕の異能が――使えなくなるということを。
次回『殺してやる』