85.棺の再臨
さて。
――存在力。
この世界に存在する万物には、そう呼ばれるものがある。
例えば、路上の石ころ。
例えば、鉱山で発掘されたダイヤモンド。
例えば、人間の体。
例えば、アンノウンの体。
生き物かそれ以外か、無機物か無生物か、形があるか形がないか、そんなことは関係なく、それら全ての概念に存在力は存在する。
ある日、その存在力を操る異能力者が誕生した。
彼はその存在力を百分割し、それぞれの存在をその数で表現することとした。
例えば、石ころが三と少し。
例えば、ダイヤモンドが十と少し。
例えば、人間の体が八と少し。
例えば、アンノウンの体が十五と少し。
それぞれに、それぞれの目安を当て嵌めた。
その後、彼は試しに、石ころの存在力を『百』まで上げてみた。するとその石ころは、ダイヤモンドをまるで水のように押しつぶしたのだ。
次に、自分の体の存在力を『五十』にまで上げてみた。
すると、触れたもの全てが粘土であるかのようにねじ曲がり、壁に触れればそのまま抉れ、ドアノブを捻ればそのまま壊れ、敵を殴れば――血潮に変わった。
次に、アンノウンの体の存在力を『〇』にまで下げてみた。
すると、そのアンノウンの体は青い光となって消え失せてしまい、その場から存在そのものを消失させた。
次に、彼は何も無い場所に、何かを作り出そうとした。
例えば、目の前の空間へと向かって『家・存在力五十』とその力を使えば、そこには存在力五十の家が出来上がった。
例えば、重傷を負った人間に『身体回復・存在力十』の異能を付与させた弾丸を撃ち込んだ。するとその人間は撃ち込まれる前よりもさらに元気になり、傷は一瞬で完治した。
次に、彼はアンノウンを人へと変えようと試みた。
人型のアンノウンに備わった『アンノウン』の存在力と『人間』の存在力。それらの比率を調整すると、そのアンノウンは人へと成った。
そして最後に――彼は、自らの異能の存在力を『〇』にした。
すると、純白色のその髪は一瞬にして黒く染まり、彼の体からは異能というものが消え失せた。
残ったのは、傍らの人と成ったアンノウンと、自らの体へと施された異能の残滓だけ。
人とは比べようもなく存在力の高まった自らの体。その体からは『疲労』『毒死』『窒息死』『病死』『衰弱』といった存在力がほぼ消え失せており、鍛えれば鍛えるほどに強くなり、毒や空気など人が弱点とするものを克服し、どれだけ動こうと疲れることを知らない体となっていた。
かつて敵から『殺人鬼』として恐れられ、味方からは禁忌を犯した『大罪人』として恐れられ、たった一人の少女のためにその異能を――人生さえも捧げたその男。
その男の名を――南雲巌人。
巌人は、その漆黒色のマントを風に揺らしながら、その若返った体を見下ろした。
黒色のスーツに身を包み、腰のベルトには二丁の銃が装着されている。
視界の端には揺れる自らの白髪が映り――その左の額から頬にかけて、青色の異能の紋章が浮かび上がっている。
その男の異能は――『存在力操作』。
かつて人々は、彼を敬意と畏怖を込めてこう呼んだ――
「黒棺の王」
☆☆☆
その姿を見た一同は、その身を恐怖に震わせた。
それは敵味方関係なく、彼が纏うその空気に、彼が背負うその数多くの『死』の気配に――本能の部分が恐怖した。
「に、兄、さん……?」
辛うじて紡がそう声を紡ぎだした。
彼女が知るのは三年前の彼――つまりは、今目の前に立っているこの『黒棺の王』よりも後の彼である。
もしかしたら、自分のことは覚えていないのかもしれない。もしかしたら、自分のことを敵だと思って襲ってくるかもしれない。
そんな一抹の不安を覚えた彼女。
しかし――
「はぁ……、ほんと最悪。何この体?」
そんな不安を嘲笑うかのように、巌人はそう言ってのけた。
――今の巌人だ。
かつての彼を知っている彼女ら――紡、智美、月影の三人は、その言葉にそう確信した。
かつての巌人はここまで『柔らかく』なかった。身を削り、精神を削り、限界まで限りなく細く削った鋭い棘のような、言うなればそんな性格をしていた。
だからこそ、そのあっけらかんとした雰囲気に、内心でほっと笑みを浮かべた。
だがしかし、他のものからしたらそれもまた違って思える。
「……ぶ、黒棺の王、さま……?」
彩姫は、その見覚えのある背中にそう声を漏らした。
その言葉に固まっていたカレン、弟子屈、学も動き始め、愕然と驚愕の入り交じったような顔を浮かべた。
「……あんまり、その名前は好きじゃないんだけどな」
巌人はそう言って、彼女らへと振り返った。
眩いほどに純粋な白色の髪に、左の頬から額にかけて刻まれるは――
「い、異能の紋……!? や、やっぱり師匠――」
カレンがそう叫んで――その次の瞬間、機械王から瓦礫王へとクラスチェンジしたゴレームが、大きな咆哮を轟かせた。
『グォォォォォォォォォッ! そ、そんなの見せかけの騙しでやんすよ! 過去に戻って強くなる人間のガキなんて存在するわけがないでやんす!』
その言葉に、巌人はつまらなそうに視線を向けた。
「現実逃避、したいのは僕なんだけどね」
そう言って彼は流れるような動作でその腰から銃を手に取り――構えた。
今でこそ『物理最強!』を体現する彼ではあるが、彼の本当の戦い方はそうではない。
遠距離から放つ圧倒的命中率を誇る致死の攻撃と、万が一接近された際のために訓練を積んだだけの近接戦闘。
つまるところ、彼にとって肉弾戦というのはあくまでも弱点を補うためだけの『オマケ』に過ぎないわけで――
「連射『消失』」
ドドドドッ!
通常の数倍の速度で放たれたそれらの弾丸は違うことなくゴレームの右肩、左肩、右膝、左膝へと命中。
――その直後、それらの点を中心として、ゴレームの身体へと四つの穴が穿たれた。
「何ぃっ!?」
それにはディアブルも愕然とし、その当人たるゴレームは何が起こったのかも理解出来ず、そのまま地面へと崩れ落ちてゆく。
対して巌人はその様子にふむと頷くと、弾切れを起こしたその銃を見て新たな弾倉を手に取った。
「技術的には……四年前くらいか? 時系列としては――紡に会う数ヶ月前、って感じだな」
ガシャン。
弾倉が交換された音を聞いたディアブルは、やっと現実を理解し始めていた。
それは他の面々も同じことで――
(この男――ッ、過去へと巻き戻ることで強くなった。……それも、圧倒的に!)
何が起こったのかは分からない。
けれども、その事実だけは簡単にわかった。
そんな巌人は再度振り返ると、カレン、彩姫へと視線を向けた。
「この際だ、カレン、彩姫。いつか強くなるんだったら、誰にも負けないくらいに強くなりたいんだったら――」
――その『頂』ってのを、目に焼き付けとけ。
そうして巌人は歩き出す。
視線の先には、巌人の身体から放たれる気配を見て集結し出したアンノウンたちがおり、巌人は彼らへと向けて。
「とりあえず、お前ら全員一分以内に死ぬからな。覚悟しとけ」
気負うことなく、そう言ってのけた。
☆☆☆
「な、何を馬鹿なことを言ってるのかし――」
バァンッ!
瞬間、巌人の握る『創滅銃』の銃口から煙が噴き、心壊王マカオの頭が一撃で撃ち抜かれた。
「まず一人」
パンッとマカオの身体が青い光となって『消失』し、それを見たディアブルは改めて再確認した――この男の危険性を。
「くっ……! リロード、あの男の時間を元の状態に戻せるか!?」
「む、無理ですぜ! この能力は時間経過でしか戻――」
バァンッ!
リロードの腹部から鮮血が舞い、それと同時にその体もまた青い光となって消えてゆく。
「二人目。あと二人だな獄王さん」
そう言いながらも巌人は歩き出すと、その目の前に巨大な存在が再び姿を現した。
『よくもさっきはやってくれたでやんすな! その銃が強いのならばそれも使えない近距離戦で戦えばいいでやんす!』
そう言って拳を振りかぶったのは、幾分か体の小さくなったゴレームだった。
四肢が削がれた状態で体を作り直したのだ、小さくなるのは自然なことではあったが――
「はい、三人目」
パンッ!
巌人がその振り下ろされた拳に触れた途端、ゴレームの身体は青い光となって消失した。それこそ、核すら残さずに。
「そして四人目――チェックメイトだ」
気がつけばその言葉はディアブルの背後から聞こえており、ガチャッと、後頭部に何か硬いものを押し付けられる感覚を彼は覚えた。
「ディアブル、いいことを教えてやろうか? どんな異能にも弱点はある。お前の反射だって、異能を切り裂く刀――『無銘』の前じゃ効かないだろうし、こうして、異能ごと存在を消してしまえば意味もない」
その言葉に、ディアブルは初めて自分が死ぬのだろうと、そう実感した。
数年前、巌人と戦った時はそこまで考え至るよりも前に敗北し、気がつけばおめおめと逃げ帰っていた。
だからこそ、後で恐怖する他なかったが――
(まるで、死神の鎌が首元に添えられている気分だな)
ディアブルは、ククッと笑いながらそんなことを思った。
今自分の背後に立っているこの男は、風の噂では『黒棺の王』やら『無能の黒王』やら、そんな二つ名で呼ばれているらしいが、実際にそれを前にしてみれば、アンノウンの中で噂されるその二つ名こそが相応しい。
「その様、正しく『死神』よ。……全く、俺達は最初から、神に挑んでいたのだな」
ならば、最初から勝ち目などなかったのだ。
自身が死ぬ運命は――決して変わらなかったのだと。
ディアブルはどこか、その圧倒的な、絶対的な力に敗北したことへと清々しい気分を覚えて――
「残念だけど、僕はただの高校生だ」
バァンッ!
その街に、終止符となる銃声が轟いた。
強っ! そして早っ!
次回、後日談です。