77.鬼の刀
全国のフジワラさんへ。
申し訳ありません。
その数分後。
紡はバスの窓からその国道の向かい側を眺めていた。
「かなり、混乱してるみたい」
「そうですね……」
その視線の先には渋滞して全く車の動く様子のない対向車線があり、窓越しにも怒声が聞こえてくる。
対してこちらの車線を走る車はこのバスのみで、先程から『なぜそっちに行くんだ』という視線がこのバスへと突き刺さっている。
そんな中、紡はピクリと身体を震わせると、ガバッと視線を前方と向けた。
その先に見えるは、かなり遠くの方からこちらへとやってくるその巨大な魂。神獣級でこそないが、間違いなく聖獣級――それもかなり上位の存在だろう。
それをカレンも確認したのだろう。ゴクリと喉を鳴らし、それと同時にどこからか悲鳴が上がり始める。
――始まった。
おそらくその巨大な魂が暴れ始めたのだろう。そんなことは簡単に想像がつく。
紡はチラリとその家の方向へと視線を向ける。
南雲家には紡の戦闘服に、あの武器が存在する。あの二つがあれば、彼女は神獣級にさえ太刀打ちできる。
だからこそ惜しい。ここで諦めなければならない事が。
紡は歯をギリッと食いしばってその前方へと視線を向けると――
「何してるっすかツムさん! 早く家の方に行くっすよ!」
カレンが、紡へとそう叫んだ。
それには驚いたように紡は目を見開いたが、彩姫が呆れたように彼女の方へと手を置いた。
「なんでツムさんが南雲家に向かおうとしていたのかは分かりませんが、きっと重要ななにかがあるのでしょう? なら、ここは私たちに任せてツムさんは先に進んでください」
「で、でも……」
紡はそちらへと視線を向ける。
そこにいるのは間違いなく聖獣級。闘級で言えば間違いなく八十前後だろう。
そんな相手の元へと二人を送るのは――
紡はそう考えたが、けれどもその考えを読んだように笑みを浮かべた二人は。
「「早く行かないと、あの人にツムさんの想いをばらすっすよ(しますよ)」」
「そ、それは……」
それは、困る。
紡はそう言おうとしたが。
「ツムさんはいつまでも私たちのこと子供扱いしすぎっすよ」
「私たちだって成長してるんですから。ツムさんが心配することなんて何も無いんですよ」
その言葉に、紡は少し目を見開いた。
二人の瞳には覚悟の光が灯っており、紡すぐに困ったように笑みを浮かべる。
「曲げる気は、なさそう、だね」
紡はそう呟くとバスの窓を開けた。
彼女はその魂の方向へと視線を向けてから、次にその目的地――南雲家の方へと視線を向けた。
後ろからは二つの視線が紡の背中へと突き刺さり。
「カレン、彩姫。なら、そっちは任せた」
「「任されたっす(ました)」」
その言葉を聞きながら、紡は窓から外へと駆け出した。
☆☆☆
「はぁっ、はぁっ……」
紡はそのドアを開いて息を吐いた。
こういう時に限って実感する。引きこもりの体力の無さを。
バスからこの家までおよそ三キロ。
カレンでも簡単に走破できるであろうこの距離は、紡にとっては少しばかり遠すぎた。
紡は巌人の言いつけ通りに玄関で靴を脱いで家の中へと上がると、息を整えながら普段は使われていないその部屋へと歩を進めた。
奥の方へと入ってしばらくの所にあるその部屋。
ガララっとその引き戸を開けると、その奥に広がっていたのは畳の敷かれた和室だった。
家具や内装はいずれも超一流の職人が作り上げた一級品で、その部屋は素人目に見ても南雲家の部屋の中で最も豪華な部屋なのだと分かるだろう。
紡はスゥと息を吐き出すと、その部屋の中へと足を踏み入れた。
部屋の奥には大きめの仏壇と、その前に質素な木で出来た台があり、その台の上には一振りの刀とその他にマントとベルトが置かれていた。
「……父さん」
それは、かつて彼女の父が使っていた刀。
けれどもその父はもうこの世にはいない。だからこそこうして、使われることもなく放置されていたが。
「この刀……使わせてもらうね」
紡はその台の前まで進み出てそう呟くと、その刀をぎゅっと握りしめた。
手に感じるのはその刀の確かな重みと、長年使われてきたのだろうということがわかるその風格。
紡はキッと顔を引き締めると、その刀の下に置いてあった純白のマントを羽織り、その横の大人用の大きなベルトを肩から横腹へとかけ、最後に背中に背負うようにその刀を差し込んだ。
本来とは異なるその使い方ではあれどその姿は堂に入っており、見るものが見ればその言葉が頭を過ぎるだろう。
――絶対者、と。
「よし、いくか」
紡はそう呟くと、随分と回復したその体力を実感しながらも玄関の方へと駆け出した。
ささっと先程脱いだ靴を履くと、そのまま家の外へと飛びだして――
「――ッッ!?」
家の前に立っていたその存在に、思わず目を剥いた。
目の前に立っていたその巨体。
ぶくぶくに太ったその緑色の巨体に、その上から羽織っているそよチェック柄の長袖のシャツ。
背中には大きなリュックを背負っており、そのリュックからは何本かの丸められたポスターが飛び出している。
「ぐふっ、ぐふふふっ、こんな所にロリコンの夢と希望が詰まったような幼女様がぁ……。雰囲気、クーデレブラコン、そんな感じなんだなぁ……。僕ちんのこと、お兄ちゃんって呼んでくれてもいいんだよぉん?」
「……きも」
その言葉には紡も思わずそんなことを呟いてしまい、それを聞いたその緑色の異形――オタ王フジワラは。
「はぁぁぁぁぁんっ!?」
喜び、悶えていた。
「クーデレブラコン幼女様からの第一声が『……きも』だったのですよぉぉぉぉ! 素晴らしいっ、素晴らしすぎるよ! その冷たい視線、その嫌悪感に寄せられた眉根! 僕ちんゾワゾワっとしちゃうよー!」
それには思わず紡も肩を抱いて後ずさってしまい、戦慄きながらもなんとか声を振り絞る。
のだが――
「ほ、本当に、きもちわるい……、こ、来ないで……」
「のほぉぉぉぉっ! その声優さんボイスがまたぁっ! またいいのですよぉ幼女様!」
再び悶えるフジワラ。
全国のフジワラさんに申し訳ない限りだが、誰の目から見てもフジワラはとてつもなく気持ちが悪く、人によっては吐き気すら催しかねない程であった。
身体中の贅肉がぷるんぷるんと揺れ動き、身体中から滴っていた汗が水しぶきをあげて周囲に撒き散らされ、紡はその水滴を引き攣った顔で躱し始める。
それは単なる嫌悪感からした行動。
けれどもその汗の当たった地面を見て、紡は思わず目を見開いた。
ジュゥゥゥゥゥ……。
ボコボコと溶けてゆくその地面。
それらはフジワラの汗が当たったところでもあり、見方によってはフジワラのあまりの気持ち悪さに地面すらショック死した、とも考えられるだろう。
けれども、それはれっきとした彼の異能。
彼の異能の名は――『キモオタ王』。
世間の『オタク』への偏見を全て強化した状態で手にするというよく分からない能力。
けれどもオタクへの偏見はかなり強かったらしく。
曰く、その胃液は鉄すら溶かす。
曰く、手汗がすごい。
曰く、読書しながら『でゅふふ』と笑う。
曰く、オタグッズのためなら人を超越した力を出す。
曰く、太ってるやつはだいたいオタク。
曰く、二次元嫁を愛している。
ライトなオタクからすれば偏見もいいところだが、実際にはその通りなのだから仕方がない。
そして、それらを体現し、その上で悪い方に強化された存在こそが、このオタ王フジワラである。
「また、キャラの強そうな……」
「でゅふふふふっ! 僕ちんよりも強いキャラなんていないんだな!」
紡の言葉にフジワラはそう返すと、それと同時に脂肪のプルプルを停止した。
見れば南雲家そのものは傷一つついてはいないが、その庭はボコボコと溶かされジュゥゥと煙が上がっており、それらを眺めた紡はスッと目を細めた。
「よくも私たちの家を……」
紡はそう口を開くと、その背中の刀へと手を伸ばした。
カチンッ!
そんな音とともにその刀身が明らかになる。
それは、炎のような刃紋が浮かびあがっている白銀色の刀身。
その刀身が太陽の光が反射し、輝きを放つ。
それにはフジワラも小さく眉根を寄せたが――直後、よくその刀を見て目を見開いた。
「そ、その刀は……ッ!」
その見覚えのある刀にフジワラは目を見開き、体に刻み込まれたその恐怖が蘇る。
思い出すはかつて自らの力におぼれてあの男に戦いを挑んだ時のこと。
――戦いにすら、ならなかった。
一方的になぶられ、娘が反抗期だからと言って八つ当たりに切り刻まれた。
忘れもしないあの恐怖。
「この刀の名は――『鬼切炎獄』。ある有名な刀を父さんが勝手に改造した、文字通り絶対に壊れない最強の矛」
フジワラは紡の容姿をもう一度確認した。
その薄く青みがかった白髪に、あの男が腰に巻いていた布によく似たそのマント。
肩にかけているのは彼が腰に巻いていたベルトそのもので、彼は彼女のその青い瞳を見て、その真実へと至る。
「お、お前っ! まさか、酒呑童子の――」
愕然とするフジワラへ、紡は刀の切っ先を向ける。
その刀は雲の隙間から漏れだした光を反射し、まるで炎が燃え上がっているかの如く赤い光を灯し出す。
「私の大切なものを傷つける奴は、誰であろうと許さない」
酒呑童子には、血の繋がった娘が居た。
その名を――紡。
奇しくも、彼女と同じ名前であった。
☆☆☆
それから遡ること少し。
山奥の温泉にて、巌人はやっと露天風呂に入れていた。
「ふい~、疲れが取れるなぁ……」
別段疲れがたまっているわけでもないが、それでも気分だけは味わいたいものである。
と、そんなことを思っていると、巌人のステータスアプリに着信が入った。
なんだなんだとみてみると、そこには――
「な、なんだとッ!?」
巌人は、そのメールを見て目を見開いた。
それもそうだろう、あちらがあんなにシリアスをやっているのに巌人だけ温泉でゆっくりしていていいはずがない。
――と、そんな考えをあざ笑うかのように。
「さ、サッポロ駅で『生けるシャンプー』とも呼ばれている、あのシャンパー・リンスイン氏が講演をやることになっただと!?」
だれだそれは。
きっと誰もが思っただろう。
けれどもそんなの知ったことかと立ち上がった巌人は。
「しかも今日!? 時間は……午後一時から!? クソッ、こうしてはいられない!」
巌人はそう言って立ち上がると、そのまま走って風呂場から出て行った。
その後、壁が破壊されるよりも先に巌人が街中に到着していたことは、宿の女将さんと、件のシャンパー氏しか知らないのであった。
シャンパー・リンスイン氏とは。