49.退屈と火種
新章開幕!
──あぁ、退屈だ。
彼女はその死体の上に座ってそう呟いた。
彼女の下にはいくつかの死体が重なって小さな山を形成しており、それらはどれも聖獣級アンノウンの死体だった。
──あぁ、本当に退屈。
彼女はそう呟くと、その死体の山からヒョイっと飛び降りた。
彼女は──強すぎた。
本来ならば彼女の種族は、誰か格上の者に仕えて初めて喜びを覚える、どちらかと言えば仕える側の存在だ。
だが、彼女はあまりにも強すぎた。
その力を求めてありとあらゆる強者たちが彼女の元を訪れ──その誰もが、秒で死んでいった。
気が付けば彼女に挑む者はいなくなっており、仕える存在である彼女は──主という存在を見失った。
だからこそ彼女は家を追い出され、こうして日々強者たちを追い求める旅を続けていたのだが、
──もう、聖獣級じゃ相手にならない。神獣級か⋯⋯もしくはそれ以上がいい。未だに会ったことなんてないけれど。
彼女の強さは、かなり度を超えていた。
聖獣級も今や自らの拳の一撃で沈み、神獣級に近い──それこそ闘級九十越えの怪物を前にしても命の危険を感じなくなってきた。
彼女は感じていた。これは一大事だ、と。
このまま強くなればいつか神獣級にすら敵がいなくなる。いつか超える相手でもいい。いまの自分より強ければその人に仕えたい。一刻も早く。
次第に彼女の中にはそんな願望じみた感情が溜まってゆく。
そんな中、ふと、彼女の脳裏にとある名前が過ぎる。
──酒呑童子、だっけ?
そう、酒呑童子だ。
彼女は噂に聞いた彼を思い出す。
神獣級すらも指の一本で沈め、その拳は大陸も割り、殴り合いにおいて肩を並べる者はいないとまで言われたその男。
けれどもその男は──殴り合いの果てに命を散らした。
それはこちら側を大いに賑わせ、そして絶望を与えてくれたが、けれどもその討伐者がこちら側へと殴り込みに来ることはなく、今や伝説として語られ始めているその出来事。
そして彼女は、その相手の名前を思い出す。
──たしか、その人の名前は⋯⋯、
「黒棺の王、ですよね?」
突如として、彼女の背後からそんな声がかかった。
──何者っ!?
彼女はそう叫んでその場から飛び退く。
そして安全な間合いをとって振り返ったその先。そこにいた存在に、彼女は驚愕した。
──に、にに、人間っ!?
そう、そこに居たのは紛れもなく人間だった。
ここは壁の外。弱肉強食の、アンノウンが支配する世界。
そこに人間がいるなどとは到底考えられず、けれどもそこには確かに人間が佇んでいた。
ボサボサの紫髪を後ろで縛り、その身は白衣に包まれていた。
──研究者。
そんな言葉が良く似合うその男は、彼女を前に堂々と佇んでいた。
「貴女、強敵を求めているんですよね?」
彼はそう言った。
彼女は怪訝な表情を浮かべながらもそれに頷くと、それに胡散臭いほどの笑みを浮かべた男は、再びその名を口にする。
「黒棺の王、知ってますよね?」
その名はもちろん知っている。
三年前に壁の外で虐殺の限りを尽くし、終いにはあの酒呑童子をも殴り合いで制した真の化け物。
唯一彼女をして『主にしたい』と思わせる──抗うことすら許されない、文字通りの絶対者。
だからこそ、彼女はコクリと頷いた。
それを見たその男は、ふぅと安堵の息をついて胸に手を当てた。
「良かったです。私の力はあの方々には劣る。今のあなたを力技でどうこうできるわけでもありませんからね。ここで興味を示してもらえなければ死を覚悟してましたよ⋯⋯」
そう言って彼は額の汗を吹いて見せた。
どうやらその言葉だけは本当のことらしく、彼の身体からは目に見えて脂汗が吹き出していた。どうやら彼女は知らぬ間に殺気を向けてしまっていたようだ。
彼女はその殺気を解くと、それを見てこの男はこう口にした。
「提案なのですが、私は今、とある街を滅ぼす計画を立てています。そして、その街に黒棺の王が住んでいる」
そうして彼は、その本題を口にした。
「私が彼の元まであなたを連れていきましょう。だから、貴女には彼の相手をしてもらいたいのです」
彼はそう言って、ニヤリと笑った。
☆☆☆
「あぁ、退屈だ」
巌人はそう呟いた。
あれから一週間が経ち、夏休みを目前に控えた土曜日。
巌人は居間でそんなことを呟きながら地面に倒れていた。
「はぁ……朝っぱらから何やってるんですか」
そう言って巌人を見下ろすのは彩姫。
結局『巌人を落とす』という目標が変わらない彼女は、あの件以降もそれ以前と変わらずこうして南雲家に居候していた。
「ん〜、カレンはどうした?」
「まだ寝てますよ〜」
巌人の間延びした声に彩姫も同じような口調で返すと、彼女はキッチンへと歩いていき、蛇口をひねってコップに水を注ぎ出す。
時刻的にいえば朝食の十数分前。
彩姫はいつもなら朝食を作り始めている巌人がこうしてだらけている事を不思議に思いつつ、その水をゴクゴクと飲み干した。
巌人はそれを横目で眺めて──そのコップを見て、目を見開いた。
「ち、ちょっと待て彩姫……、そのコップ僕のやつだよね? そうだよな?」
「え? 何を今更……」
彩姫はそう言って頬を緩めると、その巌人のコップを台所の上にトンと置いた。
「そもそもアレですよ。自分に好意を寄せている相手と同棲している時点で、自身の所有物が色々されることくらい覚悟しておいてくださいよ。仮にも男女が一つ屋根の下で暮らしてるんですよ?」
「ねぇ? それ女から男に言うセリフじゃなくない?」
巌人はため息混じりに床から起き上がると、ううっと背伸びをして声を漏らす。
「にしても暑いよなぁ……。彩姫とか暑さとか大丈夫なの? それでも一応吸血鬼なんでしょ?」
「それでも一応って何ですか……」
彩姫はそう言ってため息をつくと、パジャマの胸元を使ってパタパタと風を起こし始める。
「これが吸血鬼と関係あるかは分かりませんが、私ってけっこう暑さに弱いんですよね……。今だってクーラーがあるからこそこうして暮らしていられるんですから」
巌人はそれを見てため息をつくと、天井を見上げてこう言った。
「彩姫ちゃん、ブラ見えてる」
その後、巌人が殴られたのは言うまでもない。
☆☆☆
その日。
巌人は昼からとてつもなく暇になり、結局一人で図書館へと向かうことにした。
自転車で向かってもよかったのだが、風が少し強かったため巌人は徒歩で行くことにしたのだが、
「……あ」
「「あっ」」
巌人は家を出て数分後、一組のカップルと遭遇した。
お互い頬を赤く染めながら手を繋ぎ、未だに合わない歩調をお互いに調整し合いながら歩く二人。
巌人はそれを見てニタリと笑うと、シュタッと手で挨拶をして踵をかえ──
「ちょ、ちょっと待て! 何笑ってんだテメェ!」
──すと同時に、そのカップルの男の方が回り込んできた。
まぁ、ここまで言えばだいたいわかるであろうが、そのカップルとはつい先日設立された衛太と委員長である。
「いやぁ、青春してるなー、って」
巌人はニタニタと笑いながらそう告げると、衛太は恥ずかしそうに頬を赤らめた。男からしたら何の得もない光景である。
そのため巌人は衛太から視線を外すと、後ろの方で置いてけぼりになっている委員長へと視線を向ける。
「で、委員長たちはデート中なの?」
「でっ!? で、でで、デートっ……。た、たぶんっ!」
たぶんってなんだ、たぶんって。
巌人は再び衛太へと視線を向けると、衛太は恥ずかしそうにコクリと頷いた。
それを見て巌人は確信する。
「つまりアレか。なんか一緒に遊びに行く展開にはなったものの、お互いがお互い恥ずかしあって『デート』という単語を用いることが出来なくて、結果としてデートなのかデートじゃないのかよくわからない展開になったと」
((さ、察しが良すぎる……))
衛太と委員長は一言一句違わないその言葉に戦慄した。
というのも、こういう展開は少女漫画のテンプレであり、よくヒロインが内心で、
『こ、ここ、これって! もしかしなくてもデートっ!?』
と言って両手を頬に当てるシーンがある。衛太と委員長の今の状況はまさにそれであった。
だからこそ巌人はうんうんと頷いて、
『Gugaaaaaaa!』
突如として響き渡った、その咆哮に目を剥いた。
「え、衛太! ここらで警報って鳴ったか!?」
「へ? い、いや! 少なくとも俺らは聞いてない!」
委員長も衛太の言葉を肯定するように首を縦に振り、それを見た巌人の脳裏にはとある言葉が浮かんでいた。
(無音の……ワープホールか!)
もしくは件の研究所の生き残りという線も考えられるが、巌人の直感は答えは前者だと告げていた。
「クソッ、面倒なことに……ッ」
巌人は目を閉じて神経を集中させる。
先ほどの一回では距離は分かれど方向までは分からなかった。
次第に巌人の集中は高まってゆき、彼の脳は周囲の映像をまるで上から見たかのごとく描いてゆく。
そして聞こえる──息遣いと足音。
「右か!」
巌人は衛太に視線を送る。
衛太一人だったならば連れて行って住民の避難でもさせるところだが、今回は委員長が居る。ならば衛太が今回すべきことは委員長を守ること。
そして巌人がすべきことは──
「一刻も早い、殲滅だ」
巌人はそう呟いて駆け出した。