48.後日談 ―新たな関係性―
翌日、日曜日。
南雲家の食卓は、重い空気に包まれていた。
カチャカチャと、箸と食器の音だけが木霊し、いつもは騒がしいカレンすらも俯いて黙り込んでいる。
それを見て、巌人は再三思うわけだ。
(はぁ、やっちまったなぁ……)と。
一度目は彩姫を振った後、二度目はカレンを振った後。そして三度目が今現在。
二度あることは三度ある。今ほどそのことわざを疎ましく思ったことは無い巌人であった。
「……ごちそうさまっす」
「……ごちそうさまです」
図った訳では無いだろうが、二人は同時に席を立ち上がると、食器を台所へと持っていき、そそくさと二階の自室へと退散して行った。
そしてその場に残ったのは、もぐもぐと朝ごはんを頬張っている紡と、色々とありすぎて菩薩のような顔をしている巌人。
「なぁ、ツムさんやい」
「……んぐっ、ん。なに?」
紡は口に入っていたものを飲み込むと、その菩薩へと口を開く。
菩薩はふむと頷くと、
「お願いします、何とかしてください」
そう言って、素直に土下座したのだった。
☆☆☆
何故巌人がこんなにも悩んでいるのか。
その答えは自分がその立場に置かれれば自ずと答えが出てくるであろう。
確かに彼女らは美人だ。巌人だって少なからず好意を抱いている──それが『恋愛感情』になっていないだけの話で。
だが、それらは度外視して巌人はこう思うのだ。今みたいな生活をずっと送っていけたのならば、と。
趣味や願いや、自分の過去を考えても尚、それでも今の生活はとてつもなく楽しい。だからこそ、出来ないとはわかっていても巌人はそう願わずにはいられない。
──だが、そこで色々と問題となってくる。
まず一つ、ずっと一緒になんて居られないという事実。
カレンも彩姫も、巌人が振ったのだから、時間はかかるにせよいつか新しい恋を見つけるだろう。
ならば、振った男にそれになにか意見を言う資格はなく、巌人はその恋を応援する側の人間となってしまう。
そしてその恋が実れば彼女らがこの家から去るのは自明の理であり、というか、巌人からすれば今日の朝食卓に二人がいた事自体が驚愕の事実であった。
「ん、まぁ、私なら、きっとどっか行く」
「だよな……。絶対二人共、夜中のうちにこの家出て実家帰ってると思ったもん……」
紡の言葉にそう言葉を返す巌人。
紡はその言葉に瞼を閉じて両手を組むと、二つ目の問題について考え始めた。
と言っても、これは巌人からすれば考えもしていない問題なのだが、紡からすれば大問題も大問題。一大事だ。
(兄さんが……恋愛、しないだなんて)
そう、その事実についてである。
巌人がそんな決意をしている。その事実を紡は、昨日カレンから聞いて初めて知ったのだ。だからこそ、虎視眈々と巌人のことを狙い続けてきた紡からすればそれは一大事であり、なんだか囮に使ったみたいで気が引けるが、良くぞ自分が告白する前にその情報を引き出してくれた、と言いたいところであった。
「どうするか……」
「どう、しよっか……」
そうして二人は頭を悩ませる。
それぞれ考えていることは全然違うのだが、何故か身に纏っているその空気だけは同じものだった。
沈黙が二人の間に横たわり、チクタクと時計の指針が動く音だけが周囲に木霊する。
そして──
『you got th『you got the mail』』
「うぉっ!?」
突如として、巌人のステータスアプリに二件のメールが送られてきた。
二件。考えられるとすれば衛太や中島先生くらいなものであり、巌人も珍しいこともあったものだとそのメールボックスを開いて──固まった。
《駒内カレン》
《澄川彩姫》
そこにはその二つの名前が記されており、それはつまり今のメールはその二人からのメールだという事にほかならない。
思わず巌人は紡へと視線を向ける。
すると彼女はツーッと視線をスライドさせ、呟くようにこう告げた。
「あ……あぁ、私、部屋の鍵、開けてきちゃった。もしかしたら、会話。盗聴されてた……かも」
瞬間、二階からドタドタドタッと音が聞こえ、直後に二つの扉が閉まる音が聞こえてきた。
巌人からすれば一階に盗聴器が仕掛けられていたことについて問いただしたいのだが──
(まぁ、今はこっちの方が優先……だよな)
巌人は内心でそう呟くと、ステータスアプリの上に展開されているそのスクリーン。そこに映し出されているメールの、彩姫の方をタッチした。
そして、直後に現れる文字の羅列。
『「悪い、僕はシャンプーと結婚するつもりなんだ」とかどういうつもりですか? 馬鹿なんですか? ちゃんと理由説明してください。カレンみたいに』
瞬間、巌人は机にうつ伏せになった。
そう、巌人は彩姫に対してそう言ったのだ。そんなことを言われたらなるほど彩姫が泣くわけだし、紡も色々と苦労するわけだ。
「シャンプーに負けた。って、凄かった」
そして耳に入るその呟き。
巌人の心はもう既にノックアウト寸前である。
だが、最後まで読まねばなるまい。そしてあわよくば返信までするべきだ。でないと何も進展しまい。
巌人はゲッソリした顔で上体を起こすと、続いてカレンから送られてきたメールをタップする。
『告白する前に振られるとか、死にたいっす』
「ぐはぁっ!?」
カンカンカーンッ!
どこかからノックアウトを告げる音が聞こえてきた。
ちなみに音の出どころは紡がどこからか持ってきて机の上に設置されている器具である。ちなみに朝食を食べていた時はその姿はなかった。
「うっ……もう、一体どうすれば……」
巌人はそう呻くように呟くと、それと同時に紡がこんなことを呟いた。
「兄さん。もしも万が一、自分のかこ許せたら、誰かと結婚、する?」
その言葉に、巌人は思わず眉を顰めた。
そもそも巌人は少年を『知り合い』としか表現していないため、そんなことを言われても困るだけなのだが。
けれども巌人はため息をつくと、思わせぶりなことを言った責任として、それに対する答えを告げた。
「僕はその少年じゃないから分からないけどな。もしもそれが自分だったとしたら許せるわけがないし、その被害者がどれだけ許すと言ったとしてもそれとこれじゃ話は別だろ。赦しは得ても罪は消えないし、罪悪感は付いて回る。だからこそ、僕が自主的な誰かを好きになることなんて──多分、一生ない」
そう言って巌人は紡への視線を向ける。
そこには悲しそうに目を伏せる紡の姿があり、なんだか二階の方からも負のオーラが溢れ出てきている。
(もしかしてこれも盗聴されてるんじゃないだろうな?)
思わずそんなことを思った巌人ではあったが、それでもやはりその答えは変わらないし、下手に希望を持たせて後で裏切るのも気が引ける。
ならばここでハッキリと言ってやるのもまた優しさだろうし、答えてもやれないのに女を侍らすような屑にならなくて済む分、マシだと思えるだろう──否、そう思いたいのだ。
巌人は胸のチクリとした痛みを無視してそう結論づける。
──そして、それと同時に階段を降りてくる足音が二つ。
その足音は乱雑で、我先にと急いで階段を駆け下りてくる。普段ならば『危ないから走るな』と言いたい所だが、巌人も今回ばかりは黙って居間の入口へと視線を向ける。
そこには息を荒げ、膝に手を当てるカレンと彩姫の姿があり、彼女達は顔を伏せていたため、巌人は彼女らがどんな表情を浮かべているのか、よく分からなかった。
「あ、ネトゲの同盟戦のじかん」
紡が、そんなことを呟いて居間から退出していく。
三人には分かっていた。それが紡なりの優しさだということに。
だが──
(ちょっとツムちゃん!? なんでこんな状況下でお兄ちゃんを一人に出来るの!?)
巌人は内心で、そう叫んだ。
もちろん表には何一つ表情として出していなかったが、紡はこれでも巌人の妹である。居間から出る時、彼女は巌人の内心を知った上で、あえて振り返ってサムズアップした。
(兄さん、ぐっとらっく)
その表情からは、そんな声が聞こえてくるようであった。
☆☆☆
気まずい。
巌人にとって、ここまで気まずい状況は初めてであった。
一度父親の浮気相手が母親にバレ、父とその浮気相手、そして母親と巌人の四人で話し合いになった時以来の気まずさだ。
(いや、でも待てよ? あの時もなかなかどうして気まずかった……というか、あの時はただただ母さんが怖かったなぁ……)
巌人はあまりの気まずさに思考をトリップさせた。
巌人は思い出す、あの時のことを。
『あなた? これどういう事かしら?』
そう開口一番に告げたのは母親。
その身体中からは殺気が漏れ出ており、一般人である浮気相手の女性はかなりヒビっていた。
だが、父親はかなりクレイジーな野郎で、
『うん、浮気しちゃった』
『はいっ、ぶっちゅん決定ね!』
そうして父親は『ぶっちゅん』された。
ちなみに母親の場合は『拷問』と書いて『ぶっちゅん』と読む。ちなみにその拷問は全てを吐いても尚続くから恐ろしい。終わりが見えない絶望ほど辛いものは無い。
巌人がそんなことを考えながら遠い目をしていると、唐突に、彩姫がこう呟いた。
「私……巌人さまが好きですよ?」
「へっ? あ、はい」
唐突すぎるあまり巌人も変な声が出てしまう。
けれどもすぐに巌人も真面目な顔付きになると、何度も言ってきたことを再び口にする。
「けど僕じゃ彩姫を幸せにできない。だから──」
瞬間、巌人は胸ぐらをカレンに掴みあげられた。
それには思わず巌人も目を剥き、そして、カレンの目尻に溜まっているその涙に、胸が苦しくなった。
「何を勝手に決めつけてるんすか! 幸せになるのは私たちっす! 私たちは好きな人と結婚して、それで一緒に居られたらそれだけで幸せなんすよ! 師匠にはそれすらもできないって言うんすか!?」
それは、初めてカレンから向けられた怒気であった。
それには思わず巌人も面を食らったが、すぐに素に戻るとそれに対する答えを淡々と告げた。
「ならカレン、お前は僕のそばに居るだけで幸せだって、絶対にそう言えるのか? 僕にはお前達に話せない過去がある。この街にいなければならない理由がある。だからこそ出来ないこともあるし、この街からも出られない。その分他の男にならどうだ? 何でもできるし新婚旅行にだって行ける。行けるようにしてやる。何なら旅行代でも出してやろうか?」
気が付けば巌人の口は要らないことまで喋っており、最後の最後で巌人は嘲笑した──きっと、自分に対して。
そばに居るだけで幸せだ。そんな言葉は綺麗事だろう。
そばに居れば一時の幸せはつかめる。けれどもそれはすぐに慣れ、新たなものを求め始める。そしてそれができない場合──きっとどこかで、歯車が噛み違えを起こす。
けれども、それを分かっていても、それでも巌人はそう言われて嬉しかった。それこそ小躍りしてしまうくらいには、ガッツポーズをしてしまうくらいには嬉しかったのだ。
けど、それを認めない自分が──自分の中に巣食う『棺』が疎ましくて憎らしい。
そして、全てをソレのせいにしなければ生きていけない自分が──この上なく、嫌いなのだ。
そして何度至ったことか、この結論に達する。
僕じゃ──こんな男じゃ、誰かを幸せになんて出来やしない。
自分は過去の失敗、その全てを過去の『彼』のせいにしなければ生きていけない、依存症の糞野郎だ。
だからこそ皆を不安にさせ、妹に心配をかけ、そして自分に好意を寄せてくれた二人を悲しませた。
どこでどんな行動をとっても全てが裏目に出る。そんな自分に残されたのは──この力で誰かを守ることだけ。
けど、
「居るだけじゃ幸せにはなれない。守るだけじゃ幸せには届かない。僕の力じゃ、誰かの幸せを作ってやれない。だから最後の忠告だ」
そう言って、彼は二人へと視線を向ける。
そして──
「僕を選ぶのだけは、やめておけ」
彼は悲しそうに、そう告げた。
☆☆☆
その言葉を受けて、カレンは巌人の胸ぐらを離す。
巌人もそれを見てホッと安堵し──
「ふんどらぁぁぁぁっ!」
「くほぁっ!?」
殴られた。
あまりの急展開に巌人はきりもみ回転をして吹き飛ばされてゆき、巌人を殴ったカレンは、予想以上の巌人の防御力に拳を痛めた。
「痛っった!? な、なんすかその防御力! いまほっぺた殴ったんすよね!? 通常時と硬さ全然違うっすよ!」
巌人は問いただしたかった。
──お前、いつ通常時の頬を触ったんだ? と。
そして決断する。今日から寝るときは、部屋の窓とドアは完全に閉めておこうと。
巌人は頬を擦りながら上体を起こすと、完全にへしゃげてしまっているメガネを外した。
「いきなり何するんだよ⋯⋯メガネ割れちゃったじゃないか」
そう巌人が呟くと、それを聞いたカレンは腰に手を当てて胸を張ると、自信満々にこう告げた。
「師匠はアレっすね! 陰険っすね!」
※陰険:表面は何気なく装いながら、心の内に悪意を隠しているさま。
巌人は明らかに言い間違えだろうな、とは思いながらもそれを口に出すことはしなかった。面倒臭いから。
それを唖然としているのだと勘違いしたカレンは、巌人へとビシッと指さして口を開く。
「そんなのやって見なきゃ始まんないっすよ! それをやる前からグダグダグダグダ……、師匠はいつからそんなに陰険になったっすか! 私は陰険な陰険野郎を師匠にした覚えはないっすよ! この陰……」
「カレン、それ以上陰険って言ってみろ。次は殴るぞ」
「う、うっす……」
一気に意気消沈するカレン。
それを後ろで見ていた彩姫はため息をつくと、カレンの前へと歩を進める。
そして座っている巌人へと視線を向けて、口を開いた。
「まぁ、簡単に言えば幸せかどうかは私たちが決めることです。巌人さまは黙って私たちとイチャイチャしてればいいんですよ。そんなに面倒くさいこと考えないでください」
その簡潔すぎる言葉に巌人は思わず苦笑いを浮かべる。
「引く気は?」
巌人はただ一言、そう問いかけた。
彼はもうとっくに、カレンに殴られた時には直感していた。その答えを。
「「ないっすね(ですね)」」
だからこそ、その即答には驚かなかったし、彼の口からは呆れたようなため息しか漏れ出てこなかった。
引く気はない。
別に今すぐ力技で帰らせることも可能なのだが、そこまでしてしまえば逆に彼女達を不幸にしてしまう可能性がある。
つまり、ここで巌人がどんな選択肢をとっても、待っているのは彼女らが不幸な未来だけなのだ。
こうなれば巌人がそう考えるのは当たり前であり、そしてどういう結論に至るかは火を見るよりも明らか。
「はぁ……、もう好きにしてくれ」
巌人は疲れたようにため息を吐くと、二人へ向けてそう告げた。
☆☆☆
それと同時刻。
巌人の部屋に、紡は一人立っていた。
「ん、まぁ、いいかんじの落としどころ」
盗聴器越しに聞こえてきたその音声を聞いて頷くと、それと同時に机の上に置いてあるその本へと視線を下ろす。
開かれているページは──酒呑童子。
それを見て紡は目を細めると、何を思ったか、そのページをビリビリと破いた。
「兄さんに、この過去はひつよう、ない」
彼女は破いたそのページを白い炎で燃やし尽くすと、それ以上何をするでもなく踵を返す。
その背後。
残されたその本の開かれたページ。
そこには狐の耳の生えた美女のイラストが、窓から入り込んだ風に揺れていた。
最後の最後でツムがフラグを置いてった!
次回、新章開幕!
今回の章はアンノウン出てこなかったので、多分バトルメインの章になるかと思います。