46.花火大会
「はあぁぁぁぁ……」
巌人は、深いため息を吐いた。
場所は花火大会の開催される都市公園。その近くにあるコンビニの駐車場。
巌人はコンビニで買ったスポーツドリンク片手に、しゃがみ込んで何度目かも知らないため息を吐く。
「はあぁぁぁぁぁ……」
思い出すは、つい先程、屋上で言われた言葉。
『結婚を前提にお付き合いして頂けませんか?』
──結婚。
巌人はその言葉を頭の中で復唱し、空を見上げる。
そこにはもう既にオレンジ色は見て取れず、巌人はその夜空に少し寂寥感が込み上げてきた。
そして、それと同時に鳴り響く電話の音。
巌人が自らのステータスアプリへと視線を下ろすと、そこには紡の名前が書かれていた。
巌人は通話ボタンを押す。
そして、開口一番に言われた言葉こそ、
『ばか。めちゃくちゃ厄介なことになった』
心底疲れたような、そんな言葉だった。
その理由に関しては巌人は全て分かっていた。その理由は全て『あんな答え』をしたからだ、と。
「彩姫は……どうしてる?」
『私の部屋に、引きこもって、ないてる』
何故紡の部屋に。
そう聞こうとした巌人ではあったが、泣いているという言葉に胸がチクリと痛くなった。
「まぁ、アレだよな。告白されて返す答えとしては人類史上最悪だったと自負してるよ」
『あたりまえ。あんな答え返されたら心おれる』
ブチッ……ツーッ、ツーッ。
その通話はその声が聞こえたと同時に向こうから切られ、それと同時に巌人は立ち上がる。
カタンカタンッ。
どこからか下駄で走っているような音が聞こえてきて、それと同時に曲がり角から一人の少女が現れる。
「お、お待たせっす! 待たせちゃったっすか?」
「おう、三十分くらい」
「空気読むっすよ!!」
そこに居たのは、花火大会に一緒に行くと約束した少女──駒内カレン。
彼女は青い浴衣に身を包み、その髪には簪が飾られている。
いつもとはまた違った可愛らしい彼女を見て、巌人は心底こう思った。
(あぁ、嫌な予感しかしてこない)
花火大会。
二人っきり。
学園祭の後。
それらの要素が揃っている今。多種多様な少女漫画を読み込んだ男がそう思うのは、もはや自明の理であろう。
☆☆☆
その数分後。
都市公園へと到着した二人を待っていたのはごった返している人の群れ。
そして──多種多様な出店の数々。
「し、師匠っ! ここ凄いっすね! 食べ物ばっかりっすよ!」
「いや、お前なんで『金魚すくい』の方見ながらそんなこと言い出すの?」
巌人は何故か涎を垂らして金魚を見つめるカレンの頭を軽く叩くと、周囲の出店へと視線を向ける。
りんご飴。射的ゲーム。イカ焼き、焼きそば。トロピカルジュース。その他諸々。
一度としてこのような催しに訪れたことのない巌人でさえ知っている『らしい』商品。そしてその雰囲気に、思わず巌人のテンションも上がってしまう。
「よしカレン、とりあえずはどこ行きたい?」
「もちろんあの『金魚すく──』」
「それ以外で」
巌人はカレンの案を即断すると、カレンは「むぅぅっ」と頬を膨らませてぶぅたれる。
そして、その頬をつついて空気を抜いてみる巌人。
「って! 何やってるっすか!? 怒ってるんすから慰めるっすよ!」
「ハッハッハー、僕が誰かを慰めているシーンなんて見たことあるか? ……ツム以外で」
最後の最後でそう付け足した巌人は周囲を見渡すと、カレンへとその右手を差し出した。
その行為に一瞬カレンも首を傾げたが、すぐに巌人が要求していることに思い至って顔を真っ赤にする。
なんだか宜しくない兆候だが──
「まぁ、この人混みの中で迷われるのは嫌だしな。……ほら」
巌人は赤くなってぼうっとしているカレンの手を取ると、彼女の手を引いて歩き出す。
背後から嬉しそうな非難の声が上がったが、巌人はあえて、それを聞かなかったことにした。
☆☆☆
「んふおぉっ! はんははほおっ、ねんおういたいっふっ!」
「ちょっと何言ってるか分からない」
巌人はすぐ隣を歩いているカレンを眺めながら、頬を引き攣らせてそう言った。
巌人の手の中には大量の食糧が。
焼きそば、たこ焼きなど学園祭で食べたばかりの物から、綿あめなどのこういう露店でしか見ないようなものまで。それこそ多種多様な食糧だ。
そして、その巌人と手を繋ぎながら、もう片方の手でそれらを飲み込んでいるんじゃないかという速度で平らげてゆくカレン。
それには周囲の人たちは思わず目を剥き二度見して、その上で荷物係となっている巌人へと哀れみの視線を送った。
「師匠っ! なんだかここ、天国みたいっす!」
「あーはいはい、ここにあるものが全て無料で食べれるのならねぇ……」
巌人はそう言って乾いた笑みを浮かべると、未だに繋がれているその手へと視線を下ろす。
(この手、離せばもっと楽に食べれるのに……)
別に口に出して言った訳では無い。
けれどもカレンは一瞬で巌人の言いたいことを察すると、巌人のその手をぎゅぅぅっ、と握りしめてきた。
「むぅぅっ! なんすか! 離せとか思ってるんすか? 絶対嫌っすからね!」
「わかったっ、わかったから声抑えて!」
いきなり恥ずかしいことを叫びだしたカレンに思わず巌人も焦り、知らず知らずの間にそれらの声によって注目が尚一層集まり出していた。
それには黒髪ということで目立つことには慣れている巌人も思わず眉を寄せ、
「ねぇ君ーっ、可愛いね! 良かったら俺らと遊ばなぁーい?」
その言葉に、より一層眉に皺が寄った。
その声は背後からかけられており、その言葉が間違い無く自分たち──否、カレンにかけられている事は振り向かずとも簡単にわかる。
それはカレンの肩に置かれているその手を横目で見れば明らかだし、なによりも、自分へと向けられるその嘲笑の感情。それだけで十分だ。
「えっ? あ、えっと、その……」
それは俗に言う『ナンパ』だろう。
だからこそいつもは元気なカレンも思わず口ごもり、それを満更でもないのだと勘違いしたその男は笑みを浮かべた。
「ねぇねぇー、そんな地味な男よりは俺らの方が絶対楽しませてやれるぜー? だからほらっ、一緒に楽しもうぜ? なぁ?」
その男はカレンに肩を掴むと同時にさり気なく彼女の手を巌人のソレから振り払い、巌人とカレンの間に割り込んでくる。
そして、それを待っていたかのごとく周囲の人混みの中から現れる数人のチャラ男たち。
巌人はそれを見て確信した。
(あ、このチャラ男たち、死んだな)と。
見れば、手を解かれ、肩を掴まれ、その上師匠を貶されたカレンは肩をプルプルと震わせており、その拳は硬く握られていた。
このままでは周囲のチャラ男たちが張り倒され、と言うか完膚なきまでに叩き潰され(物理)、最終的に警察沙汰になることは火を見るよりも明らか。
それになにより、
──なら私に『二人っきりで花火大会に行かないか?』ってお願いしてくださいっす!
その言葉が頭を過ぎる。
考えようによってはもう既にその約束は果たされているようにも思えたが、けれどもカレンがそれを望んでいないことは間違いない。
それに──
(この展開は、僕がつまらない)
馬鹿にされることには慣れている。
殴られても痛くないことは、逆に相手の拳が砕けるであろうことは分っている。
なにより、カレンがこのような雑草に見合う女性でないことも、十分すぎるほどに分かっている。
なればこそ、自分がすべきことはただ一つ。
「悪いな、今はデート中なんだよ」
そう言って、巌人はその男達に話しかける。
すると待ってましたとばかりに笑みを浮かべたその男は、ニタニタと笑いながら巌人へと近寄ってくる。
「おやおやぁ? 彼氏面の荷物持ちクゥーン? もしかしてこの子取られて嫉妬してるのぉ?」
挑発する気満々でそう言ってきたチャラ男。
普通の相手ならばこれでイラッとさせられるだろう。
けれども──相手が悪かった。
「嫉妬? なんでお前みたいな蛆虫に⋯⋯」
そう言って巌人は嘲笑した。
それは誰がどう見ても『なんでお前みたいな格下に嫉妬する必要があるんだ』と言っているようにしか思えず──というか実際にその通りで、チャラ男は額に青筋を浮かべて引き攣った笑みを浮かべた。
「せ、精一杯の、強がり……」
「え、そう見える?」
瞬間、ブチィッと何かが切れる音がした。
気が付けばそのチャラ男は巌人の胸ぐらを掴みあげており、その瞳は真っ赤に充血していた。
「て、テメェ! 黙って聞いてりゃ図に乗りやがって! ぶん殴るぞオラァ!?」
その言葉に、尚一層巌人たちへと注目が集まる。
観客たちが見ているのは仲のいいカップルと、それに嫉妬して絡んでいるチャラ男たち。
その事実に気がついた他のチャラ男たちがその男へと制止を呼びかけようとするが──その判断は、一足遅かった。
「じゃあさ、彼女をかけて勝負してみない? そうだな……じゃあ、アレで」
巌人がそう言って指さした先には、射的ゲームと書かれた露店があった。
☆☆☆
その後、他の仲間達に止めるよう言われたそのチャラ男ではあったが、
『あ、逃げるならそれでもいいですよ〜』
と言われたため、顔を真っ赤にしてその決闘へと望むこととなってしまった。哀れなり。
「ルールは簡単。彼女が指定した景品を先に落とした方が勝ち。二発撃てば相手の撃つ番になる。まぁ、猿でもなければ理解出来る内容ですよね? 類人猿さん」
「チッ、馬鹿にしやがって……」
そう言ってチャラ男は唾を吐き捨てる。
もう既に周囲には野次馬が集まっており、カレンは巌人を心配そうに見つめていた。
「だ、大丈夫っすか? さっきの展開はすっごい良かったんすけど……射的ゲームって」
カレンはそう、俯きがちに呟いた。
なにせこれで巌人が負ければカレンはチャラ男たちに引き取られるのだ。その後どうなるかは想像に難くない。だからこそカレンは思わずそう問いかけて──
「安心しろカレン。僕を信じろ」
その言葉に、カレンは目を見開いた。
巌人がつい先程言った通り、彼が誰かを慰めたり、それに類似する行為をとるのは非常に珍しい。カレンとて、最初のアレ以外にはされたことも無い。
だからこそカレンはその言葉に驚き──そして顔を赤くした。
気が付けば巌人はカレンの頭を撫でており、それを見た野次馬たちが「ヒューヒュー」と口笛をあげる。
「僕の主武器は拳と銃だ。こと銃の扱いだけなら負けるわけがない。だから安心しろ」
そう言って巌人はカレンの頭から手を離し、踵を返す。
カレンはその言葉に思わず首を傾げたが、けれどもただ一つだけ。確信できることがあった。
「カレン、出来れば一番重そうなやつ頼むよ」
この師匠の人生に、敗北の二文字は無いのだと。
巌人の全盛期の主武器は拳、そして銃です。
まぁ、ここら辺は明かしても問題なさそうですから書いておきます。