38.妖怪大図鑑
フ・ラ・グ、かな?
それから一週間と少しが経ち、夏も真っ盛り。
制服はもう完全に夏服へと移行してしまっており、巌人はワイシャツの上からネイビーのカーディガンを羽織り、自分の座席に黙して座っていた。
「何見てるっすか?」
今は昼休み。
巌人はカレンにそう話しかけられて顔を上げる。
そこにはもうブルマにジャージ、そして青コートという姿のカレンはおらず、そこに居たのは短めのスカートにスパッツ。そしてワイシャツの上から青いジャージを羽織ったカレンだった。
「ん? カレンも見るか?」
「はいっす! 師匠が見ているのなら私も見……」
瞬間、その言葉が停止した。
なにせ巌人が見ていたページには、巨乳で髪の長い美女の絵が載っていたのだから。
「し、しし、師匠!? 師匠はおっぱい大きくて髪長くて背の高い人が好みなんすか!? わわっ、私はおっぱい大きいっすよ! それじゃダメっすか!?」
その言葉にざわめき出すクラス中。そしてその本の題名を知っているからこそ笑いをこらえている衛太。
そして、カレンが告げた言葉に愕然とし、半ば絶望している彩姫。
それに対して巌人はため息を吐きながら、ジトっとした視線をカレンへと送る。
「女の子がそんな言葉を多用しちゃいけません。あと良く見ろ、別にこのイラストが好みでこの本を読んでたわけじゃない」
そう言って巌人は、その本の表紙をカレンへと見せる。
するとカレンは自らが口走った単語に今更になって頬を赤らめながら、その表紙にデカデカと書かれたその文字を読んだ。
「え、えーっと……ん?『妖怪大図鑑』っすか?」
「そう、妖怪大図鑑」
巌人はその言葉を大きめな声で復唱した。
それと同時にどこかホッとしたような空気が流れ始めるクラス中。酷い無自覚の口撃もあったものだ。
巌人は再びその読んでいたページを開くと、そのページに書かれたその妖怪について目で読んでゆく。
────────────────────
《玉藻御前》
三千年以上も生きている最上位の妖怪の一角。
その色香で男を堕落させることを至上の喜びとし、
独身男性の家に住み着いては男を甘やかし、
家事などの仕事を一手に引き受ける。
その行為は男が寿命で死ぬまで続くのだとか。
※追記:アンノウンとしては人型の神獣級だとされる。
────────────────────
「……って、これ特務の禁書じゃないですか!?」
彩姫の叫び声が響いた。
実はアンノウンの中には俗に『妖怪』と呼ばれる種類もおり、それらを記録したものこそが、今巌人が読んでいるこの『妖怪大図鑑』なのである。
けれども巌人と来たら、
「ふっ、ツムに頼んでとってきてもらった」
そう宣うのだ。
禁書をこうも簡単に取り寄せられる妹と、その妹が絶対服従しているその兄。兄が変な気でも起こした時には一体どうなってしまうことやら。
「って言うかツムさん……そんなこと出来るとか一体何者ですか……。まぁ、何となく察しているんですけど」
「まぁ、彩姫が予想したんだったらその通りなんじゃないか?」
そう言って巌人はその本へと視線を下ろす。
そして、はぁ、というため息と共に、二人からすれば少しばかり聞き捨てならない言葉を口にした。
「いいよなぁ、玉藻御前。僕の家にも来ないかな? 来てくれたらもう絶対惚れちゃうよね」
「「なぁっ!?」」
──もう絶対惚れちゃうよね。
その言葉は二人とその言葉を盗聴している一名が心から望んでいることであり、それを顔も知らないぽっと出のぽっと出野郎がかっさらっていくなど、どう考えても我慢できるわけがなかった。
「い、いきなり何を言い出すっすか!? そんな顔も知らない相手のこと好きになっちゃダメっすよ!」
「そ、そうですよ! 一体そんな顔も知らない相手のどこに惚れるというのですか!? ここにピチッピチの女の子がいるって言うのに!」
それと同時に連呼される『you got the mail』の着信音。
巌人はため息混じりに彼女らへと視線を向けると、たった一言こう告げた。
「お前ら……一度でも家事手伝ったことあるか?」
瞬間、全ての音が消え去った。
二人は目を見開いて固まっており、先程まで鳴り響いていたメールの着信音もピタリと止んでいた。
「確かに風呂掃除とかトイレ掃除とか。そういう面でなら手伝ってくれてるが……、僕が言っているのは、こと料理に関してだ」
「「うぐっ!?」」
カレンと彩姫はくずおれた。
そう、二人はあの壊滅お弁当を作ってからというもの、料理関係には一切関わらないように立ち回っており、毎日毎日少女の皮をかぶったオーガへ料理を作っている巌人はかなり面倒くさい日常を送っているのだ。
それを考えれば、家事に関しての一切を引き受けてくれる玉藻御前に憧れるというのは当然のことであり、
「悔しかったら料理手伝うか食べる量減らせよ。主にカレン。そんなんじゃ肥るぞ」
「ひ、酷いっす!」
デリカシーの欠片もない言葉に、カレンは思わず涙ぐんだ。
☆☆☆
その日。
帰宅後、カレンは巌人に稽古をつけてもらっていた。
もちろんカレンは最初っから全力、魔法少女の状態である。
「うりゃりゃりゃりゃりゃ!」
トンファーによる連打。
前よりもさらに回転数の上がっているその連打に思わず巌人も目を見開き、それらを両手で打ち払いながら交わしてゆく。
それにつれて徐々に巌人の動きも洗練されてゆき、天才でもない人間がこれをこなすにはどれだけの基礎と体幹が必要なのか。そう考えたカレンは思わず笑みを浮かべてしまった。
けれども──
「おいおい、僕が神獣級だったら今の一瞬で死んでるぞ」
気がついた時には目の前からは巌人の姿は消えており、背後からトントンっと肩を叩かれる。
もしも神獣級が相手だったとすれば間違いなくここまで戦えていないだろうし、そもそも巌人は間違いなく神獣級だろう。一体何を言っているんだこの師匠は。
そう思わなくもなかったが、彼女が振り向きざまに裏拳を放つことでその返事とした。
「うぉっと」
けれどもその渾身の裏拳はいとも簡単にキャッチされてしまい、抜け出そうにもそのあまりの握力に彼女の手首から先はビクとも動かない。
「もう終わりでいいんじゃないか?」
そう巌人は呟くが、彼も彼女もこのような場面で試合が終わったことがないのは知っている。
「ハァァッ!」
その言葉と同時に繰り出されるは、もう片方の拳での鉄拳突き。
多少無理な体勢から放たれたそれは、けれども寸分違わず巌人の顔面めがけて放たれており、巌人はそれを余裕を持って、逆の手で受け止める。
すると二人の両手は使えなくなるわけだが、だからといって終わらないのが二人の攻防。
「ふっ!」
珍しくも、巌人から足技が繰り出される。
それは右足による薙ぐような蹴りであり、それを見て一発で『触れたらまずい』と察したカレンは、他に方法がないことに気がついてジャンプする。
そうすれば空中にいるカレンは巌人からの攻撃に晒されることとなるが──
「そうはさせないっすよ!」
そうしてカレンがとった行動。
その奇抜さには、流石の巌人も目を剥いた。
「なっ!?」
カレンはその両足を巌人の背中へと回し、その身体に抱きつくように密着する。
まさか戦闘中に、しかも攻撃を受けるかもしれないという時に、あえて距離を詰めてその攻撃する隙間を無くすなど、それは勇気のある強者の行うソレに違いなかった。
巌人はそう考えて感心して……、
「うへへぇ〜、師匠に抱きついてるっすぅ〜」
頬を赤く染めてそうほざいた弟子を、ぶん投げた。
「うひゃぁぁぁぁぁぁっ!?」
そのかなり強めの投げに、そして何故か抱きついていたにも関わらず投げられている現状に困惑したカレンは、
「へぶっ!?」
そんな、女を捨てているとしか思えない声を出して、地面に受け身も取れずに墜落した。
それを見てため息をついた巌人は、呆れたようにこう呟く。
「いや、お前が僕のこと大好きなのは分かったが、せめて修行中くらいはオンオフ付けろよ」
「なっ、なな、何を言ってるっすか!? 自意識過剰にも程があるっすよ! 師匠のことなんて大嫌いっす!」
巌人の言葉に、焦ったようにそう叫ぶカレン。
巌人は彩姫と出会ってからというもの、延々と、それこそ数えるのが嫌になるほどに好意を向けられてきた。
だからこそ、今の巌人にとって先程のカレンの行動は確実的であり、もしかしてそうかもなぁ、と薄々思っていた巌人は今の様子で確信してしまった。
あれ、コイツ僕のこと好きなんじゃね? と。
けれども彼女は否定した。ならば少し遊んでみよう。
「あぁ、そう。なら彩姫とイチャイチャし……」
「それはダメっす!」
即答だった。
そのあまりにも理不尽な言葉にため息を吐くと、巌人は手を振ってその場を後にした。
「ちょっと汗かいたからシャワー浴びてくる。その間は地下にあるものは好きに使ってくれ」
そう言って、巌人はカレンが止めるのも聞かずにその部屋を後にする。
──その頬は、少しだけ朱に染まっていた。
☆☆☆
「ヤバいっす……、師匠に二回も『嫌い』とか言っちゃったっす……、ちょっとこれ結構マジで勘違いされたんじゃないっすか?」
カレンは落ち込んでいた。
実際には巌人の照れ隠しだったのだが、先ほどの無理矢理感は、
『はぁ? 僕のこと嫌いならもういいよ。お前なんてもう知るか。嫌いなら僕の弟子なんてやめちゃえよバーカ、死んじまえロリ巨乳』
という言動にも見えなくもないのだ。
まぁ、巌人に限ってそんなことを言うはずもないのだが、カレンは頭を抱えてそんなことを悩んでいた。
どうしよう、どうしよう。
そう考えて彼女は──視界の隅に、巌人の通学鞄が置いてあることに気がついた。
彼女は思い出す。学校から帰ってきたと同時に、自らが無理やりこの地下訓練場まで巌人を連れてきたのだということを。
「妖怪大図鑑……っすか」
ふと、その言葉が頭をよぎる。
何故巌人はあの本をわざわざ取り寄せたのか。
もしも玉藻御前について調べるだけだったならば、あの程度の情報などネットにならいくらでも乗っている。
ならば禁書となっている理由──アンノウンとしての妖怪について調べていたと仮定する。
けれども玉藻御前というアンノウンは未だ発見されておらず、ほとんどと言っていいほど情報がなかった。
ならば、残る可能性としては……、
(違う妖怪について、調べていた……っすか?)
気がつけばカレンは巌人の鞄からその本を取り出していた。
ペラペラと、一枚一枚めくっていく。
その本は余程大事にされてきたのか折り目などはほとんど付いておらず、付いているとすれば巌人が学校で開いていた玉藻御前のページと──
「あれっ、ここもそうっすね?」
その他に一ページだけ。
まるで玉藻御前のページで隠蔽するかのごとく、その前のページに、それとは比べ物にならないほどの折り目がついていた。
まるで、取り寄せたということが真っ赤な嘘で、この本のそのページのみを、何度も何度も見返してきたかの如く。
カレンは直感した。
そのページにはきっと巌人の過去に関係のある何かが書かれているのだろう、と。
それはきっと彼にとって最も印象深いアンノウンで、その存在なしには彼の人生は語れない。そう言っても差し支えないほどに重要で、そして強力なアンノウン。
カレンはゴクリと息を飲む。
覚悟は決まった。
怒られるかもしれないが、それでも自分は彼の過去を知りたいのだ。全てを知って、その上で彼を超えて、そしていつの日か──胸を張って告白したいのだ。
だからこそ、彼女は震える手でそのページを捲り……、
「し、酒呑童子……って、あれ?」
そのアンノウン、酒呑童子の説明を見て、目を見張った。
なにせ、そこに書かれていたことは、
────────────────────
《酒呑童子》
大昔に存在したとされる伝説上の鬼の頭目。
アンノウンとして『西暦二一三七』に発見された。
人類史上最初に発見された『人型』であり、
その近辺に居合わせた黒棺の王が討伐する。
その酒呑童子には⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫とされる。
また、その⚫は黒棺の王によって⚫⚫⚫⚫⚫⚫とされているが、その真偽は不明である。
※その際計測された酒呑童子のステータス。
種族:酒呑童子
闘級:二百十
異能:神炎[SSS]
体術:SSS
────────────────────
「に、にゃっ……」
そのあまりにも膨大な闘級。
しかも恐らくは、これで『変身前』だろう。
それを見て思わず目を見開いたカレンだったが、
「あれ? この異能って……」
彼女の脳裏に、とある白い炎が浮かび上がる。
それはある人物が使っていた神の炎。異能の名前こそ聞かなかったが、あの炎はあまりにもその名前に合致していた。
そしてなにより、その黒塗りの部分。
カレンはそれを見て……、
「おい、何やってる」
「ひぃっ!?」
背後からかけられた巌人の声に、思いっきり肩を跳ねさせた。
やばい! 逃げろカレン!