34.襲撃
巌人のいる研究所がサッポロの中の北端だとすると、カレンたちのいる場所は南端です。
最悪の位置関係ですね。
時刻は遡ること数時間。
サッポロの郊外の旅館にて、カレンと彩姫、そして衛太は朝食を取っていた。
もちろん話題といえば、
「昨日の平岸くんかっこよかったっすね! なんかすんごいスカッとしたっす!」
「そうですね、さすがは衛太です」
「呼び捨て……まぁいいや」
衛太は彩姫から地味に呼び捨てにされたことに少し心が痛くなったが、けれどもこうして女子二人と朝食をとっている事実を噛み締めてそれを上書きした。
「まぁ、アレだ。俺に関しちゃ巌人の強さを間近で見ちまってるからな。それを知ってるからこそあの男の言い分は看過できなかった、ってだけだ」
衛太は何でもないというふうにそう口にする。
そう、彼は巌人が鎖ドラゴンを殴り倒した現場に居合わせた唯一の人間なのだ。
それは現時点の巌人がここ最近で一番力を使った場面であり、それを見た衛太は、クラスの中で一番巌人の力を知っていると言っても過言ではないだろう。
だからこそう言って、
「あの……ちょっと、いいかな?」
その聞き覚えのある声に、三人は隠すつもりもないのか嫌な顔を浮かべた。
そちらへと視線を向けると、やつれたような、疲れたような顔を浮かべている芦別隼人の姿があった。
「一体なんの用っすか、一般人C」
「い、いっぱ……」
芦別はカレンのあまりにも残酷な呼び方に愕然としたが、数度コホンコホンと席をした後──黙って頭を下げた。
「昨日は悪かった! 俺も自分にコンプレックスがあってね……。君たちの夢を素直に応援できなかった」
その言葉には、しっかりとした真摯さが篭っていた。
カレンや彩姫からすれば『許してたまるか』というのが本音なのだが、こんな公の場で、それもここまで真摯に謝られれば、もしも『許さない』などと言えば逆に巌人の評判を下げることに繋がりかねない。
だからこそ二人は渋々と言った様子で頷き、それを横目で見た衛太が芦別へと話しかけた。
「まぁ、アレだ。俺らは知り合いを馬鹿にされたから怒っちまったわけで、別に謝ってくれるならそれでいい。俺も……その、感情で胸ぐら掴んじまって悪なったな」
衛太は立ち上がると、彼と同じように腰を折って頭を下げる。
それにはカレンと彩姫も驚いてしまったが、中でも一番驚いていたのは他でもない──芦別隼人、本人であった。
「なっ!? いやいや、とんでもない! あれは俺が全面的に悪かったんだ! 君に頭を下げられるとこっちとしても立つ瀬がないんだが……」
「……そうか? なら」
その言葉を聞いた衛太は頭をあげ、今度は彼に対して手を差し出す。
その行為には一瞬芦別も戸惑ったが、彼が何を求めているのか察すると、安心したように笑みを浮かべ、その手を握った。
「いつまでもこんな事で言い争ってちゃそれこそアイツに馬鹿にされちまう。これでこの件は終わりってことでいいな?」
「うん、そうだね。……にしても、君たちがそこまで言う目標か……。俺もなんだか会ってみたくなったよ」
そう言って言葉を交わしながらも二人はしっかりと握手を交わした。
こうして女子二人にわだかまりは残ったものの、とりあえずこの件については一応の決着を見せた。
彼ら彼女らはまだ知らない。
──今現在も、着々と自分たちに破滅の足音が近づいてきていることに。
☆☆☆
「うぉらぁぁぁぁっ!」
自らの異能である『殺戮罰怒』を繰り出す衛太。
相対するは巌人の一番弟子である所のカレン。
カレンは両手に持ったそのトンファーでそのバットを受け流してゆくが、その度にその両腕へと少しずつダメージが入る。
──殺戮罰怒。
その力は相手へのありとあらゆるダメージが増すバットを作り出すという能力であり、今でいえば受け流す際の振動と衝撃。それが受け流す度に二倍、三倍と腕にかかっているのだ。
初見でなければ速攻で決めれば何とかなりそうだが、初見で、それも後手に回ればいくら闘級に差があろうと、次第にその優位性は薄れてゆく。
それにはカレンもまずいと思ったのか、一度打ち合いを解いて後方へと後退る。
「むむむ……、面倒くさい能力っすね……」
「めんどくさいとか言うなよ!? これでもSランクの結構強い異能だかんな!?」
「だから面倒なんじゃないっすかっ!」
カレンは思わずそう声を返して、
『みっ、皆さん! 訓練を中止してください!』
焦ったような、教員の拡張された声が響き渡った。
その言葉にはカレンや衛太も尋常ではないものを感じ、同じ何かを感じ取ったか、彩姫も近くへと寄ってくる。
その教員は、脂汗の吹き出る額を拭うと、緊張したような顔つきでその事実を告げる。
『焦らないで聞いてください。今現在、あるA級の特務隊員から学校と特務へと連絡がありました。曰く、この場所にかなり強力なアンノウンが迫っているとのことです』
その言葉にざわめき出す生徒達。
けれどもそれらのざわめきは教員がその続きを話し始めると主に治まっていった。それはそれだけ今は情報が必要なのだと分かっている故の現象だろう。
だがしかし──
『間違った情報を教えれば逆に混乱を招きかねないので正直に打ち明けますと、恐らく相手の闘級は七十超えの聖獣級。今現在進行形でサッポロの特務署に招集がかかり、防衛大臣の鐘倉月影さん、A級の入境学さん、その他のB級隊員がこちらに駆けつける予定ですが……』
教員は、それ以降は言わなかった。
だからこそ生徒達も半ばわかってしまった。その聖獣級と特務隊員達。どちらが先にこちらへと着くのか、ということが。
そのため生徒達の間には絶望にも似た暗い空気が漂い始め、泣き始める生徒も現れる。
流石にフォースアカデミーの生徒と言うべきか、まだ危険性がハッキリしていないからか、いずれの理由にしろこの状況下で感情に流されて喚き散らす愚か者は居らず、ただただ辺りを占めるのは静寂のみ。
そんな中、カレン、彩姫、衛太の腕時計型ステータスアプリがそれぞれメールの着信を知らせる音を鳴らす。
静寂の中、それらの音はあまりにも目立ちすぎる。
三人は『こんな時に一体誰だ!?』という思いも込めてそのメールを開き──その送り主に、一縷の希望を見出した。
────────
《巌人》
Re:今向かってる
今さっきアンノウンの親玉は倒した。
今そっち向かってるから……そうだな、十数分。それだけ持たせておいてくれ。
────────
「「「お、おぉぉ⋯⋯」」」
色々とツッコミどころはあるだろう。
アンノウンの親玉とはなんだ? とか。
十数分で着くって今どこにいるの? とか。
持たせる? どう考えても不可能だろうが、とか。
けれども三人はあの巌人が負けるなどとは到底考えられず、そのメールを横目で見ていた生徒達からも安堵の息が上がり始めた。
「本当に!? 南雲くん今から来るの!?」
「は!? 助かったも同然じゃん!」
「十数分だってよ! それまで俺らで何とかすれば南雲が来るみたいだぜ!」
徐々に周囲へと『南雲』『来る』『十数分』という単語が広まってゆき、入学初日の事件の事もあって、徐々にやる気と安堵が広まってゆく。
それには芦別も思わず困惑し、なぜ彼らがここまで希望に満ちているのか疑問に思ったが、それもあの三人の言っていた『目標』という単語が頭を過ぎり、確信とまでは行かないまでも、とりあえずはその話にかけてみようという気になった。
けれども、彼らはまだ知らない。
中島先生ですら勝てない聖獣級上位相手に、十数分持たせるという行為の──果てしない難しさに。
ドゴォォォォンッッ!
突如として訓練場の外壁から破壊音が響き渡り、頑丈なことで有名なその壁が、明らかに姿を変形させる。
ドゴォォォォ、ドゴォォォォ、ドゴォォォォッ!
徐々にその壁の変化は巨大になってゆき、今更になってリアリティを帯びてきたその存在に、恐怖に、死の予感に。その場にいる全員は息を飲み、身を震わせた。
そして──
ドゴォォォォォォォンッッッ!!
ついに、その壁が──決壊した。
生徒達の中から押し殺したような、声にならない叫び声が上がる。
そして、その奥から現れた白く恐ろしい腕に、その赤い瞳に。生徒達は逃げることも、十数分持たせるということも忘れて、震え上がった。
『ぬふふ……初めまして、殺戮対象たち。自分の名前は極白クマ、って言うんだなぁ~』
その穴から現れたのは、巨大なシロクマ。
二足歩行で歩き、服や鎧を身にまとった──シルエットだけで見れば可愛らしいその姿。
けれども、きっとここに来るまでに幾つかの命を奪ってきたのだろう。その口周りと両腕、そして身体の所々に付着する返り血に、否応なしに恐怖をそそられた。
そうなれば、こんな大人数がいる中で起きることはただ一つ。
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁっっ!?」
その叫び声が契機となったかのように、生徒達は皆脇目も振らずに逃げ出した。
☆☆☆
そうして生徒達が逃げ出している最中。
ここに、その極白クマの前に立ちはだかる四人の影があった。
「これは……俺でも数分持つか分からないな」
「なら逃げてもいいんすよ? 一般人さん」
「いや、彼もB級隊員です。もしも逃げたら鐘倉大臣に言いつけてやりますよ」
「あー、これは本格的に死んだかもな、俺」
上から順に、芦別、カレン、彩姫、そして衛太。
それぞれの闘級を平均にしてもせいぜいが三十前後。
それに対して相手の闘級は七十オーバー。
まず勝ち目など皆無と言っていいだろう。もちろんここにいる四人もそれは分かっている。
けれど、
「十数分。それだけ持たせれば君たちのいう『目標』が来てくれるんだね?」
その言葉には、迷うことなく頷く三人。
そう、この勝負は十数分もたせるか持たせないか。逃げ切るか、捕まって食い殺されるか。殺すか殺されるかではなく、生きるか死ぬか──DEAD OR ALIVEなのだ。
なればこそ、防御や回避にのみ専念すれば、重傷こそ負うかもしれないが十数分くらいなら稼げる可能性も出てくるというもので。
「なら、一人頭大体三分、ってところだな」
衛太の声に、三人が頷きを返す。
一人頭三分。多く見積もっても四分。
それだけ持てば──あとは彼がなんとかやってくれる。
彼らはそう考えて、
『うるさいなぁ、もう』
瞬間、芦別の姿が掻き消えた。
否──彼だけでなく、先程までまだ遠くの方にいた極白クマの姿も消えており、数秒遅れて、少し離れた所にある外壁から破壊音が聞こえてきた。
「「「なっ!?」」」
一斉にそちらへと視線を移す。
するとそこには、壁に半ば埋まった状態で力なく頭を下げる芦別の姿と、その付近で退屈そうに彼を見つめる極白クマの姿が。
──圧倒的だ。全く見えなかった。
もしかしたら『超視力』の異能を持つ芦別ならば目で追えたのかもしれないが、きっとそれでも身体がついて行かなかったのだろう。その結果がアレだ。
この中で一番の実力者である芦別でさえ、目にも止まらぬ速度でやられてしまった。死んでこそいないだろうが、まず間違いなく骨は数本折れ、数週間は立ち上がれもしないだろう。
そんな、そんな事をたやすくやってのける相手に、自分たち三人で十数分も持つのだろうか?
その答えは簡単に出る。
『じゃぁ、殺戮を始めようか』
答えは単純明快──否である。
※この物語には意味不明で唐突な力の覚醒は含まれません。