33.約束
やれば出来るもんだ(死に体)。
「そ、それは……どういう事だ?」
本来ならば、ここは下手に声を出さないのが得策だろう。
中島先生はそう分かっていた。けれども彼女は教師である。気がついた頃には意志とは別に口が言葉を紡いでおり、そのおかげか、象のアンノウンからギロっとした視線を向けられる。
──生きた心地がしない。
これほどまでにその単語が似合う状況も珍しい。
『ぬ? 貴様は……研究対象では無いな。何故ここにいる。何故俺に話しかけた?』
「わ、私は、教師だ。もしかしたらお前の言ったその生徒はうちの生徒達かもしれねぇ。だから、私はお前に聞きたい。それはどこの生徒のことだ?」
頼む、外れてくれ。
中島先生は祈るようにそう告げて、
『フォースアカデミー。宿泊研修中の生徒達だ』
その言葉に、愕然とした。
なにせ、そのアンノウンが告げたのは自らが教員として通っている高校の名前であり、それはつまり、つい先日送り出したあの生徒達の事にほかならなかったからだ。
だからこそその言葉を聞いて驚きを隠しきれなかった彼女を見て、そのアンノウンはほくそ笑んだ。
『ほう? どうやら最悪の可能性が当たっていたようだな? あの場所へと行ったのはこの俺『鬼象』とまともに戦うことができる、この研究所のNO.3『極白クマ』だ。寄り道をしていなければもうすぐ奴も目的地へ着くだろう』
もしも、もしも万が一。
もしもこのアンノウンの言っていることが全て正しく、その『極白クマ』がカレンたちの居る場所を襲撃しているのだとすれば。
そうだとすれば、今あの場所に護衛としてついている特務隊員では手に負えない。もしかしたらあの入境学ですら危ういかもしれない程の脅威だ。
だからこそ、車で飛ばしても間に合わないだろうと考え至った中島先生は半ば絶望し、それを見た鬼象は、
「おい、今なんて言った」
瞬間、考えるよりも先に彼は逃げ出した。
『ひぃっ!? う、うおぁぁぁぁぁっ!?』
数十、数百。一キロは離れていないだろうが、その刹那に発せられたソレは、間違いなく国すら揺るがす怪物を恐怖させた。
(き、恐怖ッ!? こ、この俺が、恐怖だとッ!?)
逃げ出し、やっとその足が止まったところで自身の逃走、そして拭いきれないその恐怖に気がついた鬼象。
よくよく見れば彼は最終防衛ラインの手前まで戻っていて、その鬼象の様子を見た周囲のアンノウンたちは、皆首を傾げる。
けれども、彼らがその理由を知るまで、指して時間はかからなかった。
カツンッ──カツンッ──
その音に、その場にいた全員はその廊下の先へと視線を向け──そして、恐怖した。
そこから感じられるは、死すら生ぬるい、絶対的な破滅の気配。
あまりの殺気に大気が歪み、ドス黒いオーラがその音が鳴る事に一歩、また一歩と近づいてくる。
「二度は言わん。今すぐソイツを呼び戻せ」
そこに居たのは、先程殺したはずの研究対象。
彼はレンズの割れた眼鏡を外すと、その奥に隠されていた抜き身の剣のような、鋭く冷たい瞳で彼らを見据えた。
その言動に混じった殺意だけで格の低いアンノウンは死に絶え、気絶し、次々と地に伏してゆく。
それを見た鬼象は初めて気がつく。この男が自らよりもはるかに格上の存在だという事に。
『ま、まま、待ってくれ! お、俺にはどうしようもない! だからボスに直せ……』
「ならいいや」
その言葉は、何故か鬼象の懐から聞こえてきた。
先程までその男は、視線の先数十メートルを歩いていた。それが何故……?
その、鬼象の動体視力をしても瞬間移動にしか見えないその踏み込み。その後に放たれるのは決まって致死の一撃。
ドゴォォォン!
鬼象の身体は一直線に吹き飛ばされてゆき、最終防衛ライン──その防壁すらも粉々に打ち砕き、その奥の大きな部屋へと転がり込んでゆく。
既にその身体からは生命は失われており、一撃で沈んだ彼を見て、巌人は一言こう呟いた。
「僕の仲間に手を出しておいて、ただで済むと思うなよ?」
かつて、各地で名を馳せた黒棺の王。
彼は身内に手を出したものは決して許さず、一度でも敵対した相手には容赦なく死の鉄槌を下す。
その言動は過激で、過剰で、何よりも絶対的で。けれどもそれ以上に隠匿されており。
その隠匿されている内容を知っている者達は、今や見る影もなく丸くなった彼を見て、決まってこういうのだ。
『黒髪の彼だけは、絶対に怒らせるな』
──さもなければ、地球が消滅しかねない。
☆☆☆
アルベルトは、目の前にまで吹き飛んできたその見覚えのある身体を見て、喉元まで上がってきたその悲鳴をなんとか飲み込んだ。
「こ、これは……、まさか、鬼象かっ!?」
けれども声を抑えるまでには至らず、彼はその信じられない現状に思わずそう叫んでしまった。
しかし、そんなことをすれば彼に見つかるのは道理である。
「白衣……科学者っぽいな。あと人間っぽい。ならお前がボスか、オッサン」
その絶対零度の如く冷たい声に、そしてその隠しもせぬ殺気に、アルベルトはガバッとその死体の上を見上げた。
そこには一欠片の感情も浮かんでいない無表情を顔に貼り付ける少年の姿があり、その姿はまさに──強者のソレ。
──解剖したい。
アルベルトの中に、いくつもの感情が湧き上がる。
──研究したい。
──調べたい。
──探りたい。
──知りたい。
なにより──その力が、欲しい。
「今すぐに送り出したアンノウンを呼び戻せ。差もなくばお前を殺す」
──あぁ、怒っている。
怒っていなかった時は力の欠片も窺えなかった。
けれども怒っている今の彼は全くの別物──いや、別人と言っていいだろう。
前の彼を『社会に馴染むための顔』と表現するとすれば、今の彼は──そう。
「『人殺しの顔』って奴かぁ?」
その言葉に、ぴくりと反応を示す巌人。
その反応に何を感じたか、アルベルトはさらにその口を回転させ始める。
「ハハッ! 当たりか! ならお前は一体誰を殺した? 赤の他人か? 一般人か? それとも親か、友人か……、もしかしたら知り合いの肉親、なんてのもあるかもなぁ?」
巌人の浮かべる無表情には徐々に変化が現れ始めており、それと同時に、アルベルトの身体にも確かな変化が現れていた。
「さゾかし憎まれたダロウなァ? 一般人ダロうとなンだろウト、相手は家族を持つ人間ダァ……、言ワレなカッタか?「殺してやる」トカヨォ⋯⋯?』
その言葉と同時に、巌人の記憶が蘇る。
否──一時として忘れたこともないあの記憶が、フラッシュバックする。
『私は……、お前を、絶対に……許さない。絶対、絶対絶対、道連れにしてでも、殺してやる』
そう、憎しみに塗れた顔で、憎悪の炎が燻るその瞳で、自分へとそう告げてきた彼女。
あの時の彼女の事を巌人は決して忘れられないだろうし、忘れてはいけないのだろう。
けれども──
『クックック! コノ人殺シガ! 今更善人ブッテ人ヲ助ケルダァ!? 笑ワセルジャネェカ! 人ヲ殺シタンナラソノ罪ハ一生付キ纏ウ! テメェハ根ッカラノ人殺シダァ!』
気がつけばアルベルトの身体は肥大化していた。
彼は秘密裏に自らの身体へとアンノウンの力を強制的に宿す術も研究しており、それはつい先日に実を結んでいた。
人間からさらなる上位種への進化。
それを強制的に引き起こしたアルベルトは中身がどうであれ天才なのは間違いないのだろうし、その強さが彼の『鬼象』すらも上回っているのは見ればわかる。
それには遠くから様子を見ていた中島先生も目を剥き、そして──
「僕にはさ、生きて、って言ってくれた奴がいるんだよ」
「……アァ?」
巌人の、唐突すぎる言葉に、アンノウンと化したアルベルトは間抜けた声を出した。
けれども巌人はその声を無視し、さらに言葉を紡ぎ出す。
「まぁ、色々あったさ。過去にはな。沢山殺した、命を散らした。今さっきもたくさんの生き物を殺してここまで来た。だからお前の言葉も正しいんだろうさ」
──けど。
巌人はそう呟いて思い出す。
『兄さん、は……、兄さん、だけは……、私の前っ、から、居なく……ならないで……っ』
そう言って自らへと泣きついてきた、一人の少女の事を。
『私の今の夢は、師匠を超えて、逆に言うことを聞かせてやることっす』
そう言って堂々と胸を張って生きている、弟子の事を。
『……こ、ここまで惚れさせたんです。責任もって、結婚してくださいね……?』
そう言って告白してきた、亜人の少女の事を。
それらを思い出して巌人は薄く笑みを浮かべると、その目の前の怪物を見上げて口を開く。
「まだアイツらは弱っちくて頼りないからな。強くなるまでは、僕が責任もって育てなきゃ──守らなきゃならないんだよ」
──だから。
巌人は拳を握りしめる。
見上げた先のアルベルトは嘲笑を顔に貼り付けており、その握った巨大な拳を振り下ろしてくる。
『グハハッ! 研究対象! 貴様ハ死ンデモ尚使イ道ガアル!! 安心シテ逝ケィ!!』
巌人はその拳へと視線を向けて。
指一本で──それを受け止めた。
『ナァッ、ナンダトッ!?』
それにはアルベルトも思わず恐怖に顔を引き攣らせ、たたらを踏むように数歩後退る。
それを見た巌人は、拳を構え──
「世界で一番大切な奴と約束したんだ。僕はこんな所じゃ、死んでなんかいられない」
瞬間、怪物と化したアルベルトは、たった一撃で消滅した。
ちなみに今回は闘級などは一切出さずにやってみました。
まぁ、本人達からすれば、相手の闘級をその場で測ることは出来ませんからね。リアリティの追求って感じですか。