29.コネの代償
翌日。
南雲家はちょっとギスギスしていた。
というのも、
「はい巌人さま、あーん、です」
「え、いやちょっ……ぬぐっ!?」
『あーん』を強行する彩姫と、それに何だかんだで流されている巌人。そして二人を、というか主に巌人をギロリと睨みつけている約二名。
「兄さん……、そうやって、誰にでも甘い言葉、言う」
「とんだ女ったらしっすね! 私に言ってくれたあのドラマチックな言葉は一体どこに行ったっすか!?」
そう、紡とカレンである。
一応彼女ら二人も巌人の甘い言葉にコロッと落とされて南雲家に来た二人であり、彼女らは昨晩の巌人の言葉を聞き、その直後に行われた公開告白に内心ヒヤリとしていた。
確かに巌人が一番大切にしているのは紡であり、その順位はきっとどんなことがあっても──それこそ巌人と紡の過去を知らねばどうにもならないだろう。
そして次点にはきっとカレンが来ている。その小動物のような雰囲気に、これだけ師匠師匠と甘えられては男としては意識せずにはいられまい。
だがしかし──ここに超新星が現れた。
出会って初日でこの家に滞在し始めたのは紡やカレンも同じことである。二人もその事は気にしてはいないが──問題は学校でサラリと行われたあの告白である。
言わば力技でその順位に入り込んだわけだ。
それだけでも奥手な二人をして驚愕させる出来事なのだが、彼女はなにかに付け「好き」という単語を連呼した。
男心の一つとして「好き」と告げてくる美少女を基本的に嫌いにはなれない、というものがある。その男心を理解した上での見事な策略。さすが天才である。
閑話休題。
という訳で彩姫が予想以上の速度で追い上げを始めており、紡はまだしもカレンの内心はヒヤッヒヤである。
その上目の前で行われているあの蛮行。うらやまけしからんことこの上ない。
それに対して彩姫は笑みを浮かべると、
「もう私の中では結婚できる歳になったと同時に巌人さまと結婚するのは決まってるんです! 残念ながらお二人の入り込む隙間はもうありませんよ! という訳で巌人さま、結婚を前提に付き合ってください」
「「んなぁっ!?」」
その言葉に驚き席から立ち上がる二人。
視線の先には、椅子を近づけて巌人の腕に抱きついている彩姫が居り、巌人は必死に隠しては居るが頬が少し赤くなっている。
「い、いや、待って下さい澄川さん。まだ出会って日がたってないし、まだそういうこと考えるのは早……」
「愛には時間なんて関係ありませんよ? それに実際に七年前くらいにあった記憶もあるんですよねぇ。ほら、トウキョウの街角で」
何故か敬語の巌人。
そして巌人の胸板に指を沿わしてそう言葉を紡ぐ彩姫。
「い、いや、きっと気のせ……」
「それに今『まだ』って言いましたよね? って言うことはいつかオーケーになる日は来るんですか?」
そこにはもはや躊躇の欠片もなかった。
というのも、今目の前で頬を赤くしているのは探しに探した黒棺の王(仮)本人なのだ。その上南雲巌人としても命を救われ、さらにあそこまで言われた。
なればこそ、喪女予備軍である彩姫が惚れるのは致し方ないことでもあり、必死に落とそうとしているその行動にも頷ける。
だが──それには障害が付き物である。
「だ、だめっ! 兄さんは、ずっと、私と居るのっ。だから、彩姫、だめっ!」
「そ、そうっすよ! なにいきなりしゃしゃり出てきて師匠の腕に抱きついてるっすか!? せめてもうちょっとおっぱ○膨らませてから来ることっすね!」
その言葉に、明らかに頬をヒクっと引き攣らせた彩姫。
彩姫は聞いていた──つい先日、巌人が紡の部屋の前で告げたあの言葉を。
彩姫は知っていた──ジャージ越しには微巨乳程度にしか見えないカレンだが、脱いだら凄いという事実を。
彩姫はゆらりゆらりと立ち上がり、赤い光をその身に宿す。
それと同時に紡とカレンも構えだし、南雲家の居間にピーンと張った緊張感が漂い出す。
そして──
「おい二人とも、そろそろ学校行かないと遅れるぞ〜」
いつの間にか玄関まで移動していた、巌人の声が響き渡った。
☆☆☆
その数時間後。
巌人は広い教室の中、中島先生とマンツーマンの補習を受けていた。
ちなみにカレンと彩姫は一時間ほど前に貸切バスに乗って宿泊研修へと出かけ、巌人はこの一年二組の教室──つまるところ補習会場へと来たわけだったが、
「あー、これこれはアレだ。分かるだろ? なら次のページ……はお前ならわかるよな、はい次……もいいとして──二百三十二ページを開け」
「補習する気あるんですか?」
巌人は、いきなり最後のページを指定した中島先生へとそう告げた。
巌人と中島先生の関係は複雑であり、今でこそ一教師と一生徒の関係だが、かつてはその関係は全くの逆だったのだ。
まぁ、その頃から巌人は中島へと敬語を使っていたし、最初こそ敬語だったものの中島先生は巌人へとタメ口を聞いていたのだが、何だかんだで巌人が彼女と一緒にいた時間は紡のソレよりも遥かに長い。
だからこそ、
「あ? ねぇに決まってんだろうが。なんでテメェみてぇな妹に教科書すり替えられた優等生に補習しなきゃなんねぇんだよ、ぶっ殺すぞ」
彼女は、巌人の能力を全て知り尽くしていた。
馬鹿げたその力、衰えを知らないその肉体、よく回るその頭脳、そこらの天才さえ上回るその能力。そして──その過去も。
だからこそこの補習に関しては全くやる気がなく、先程からずっと教壇に頬杖を付いている。
「やれるものなら別にいいですよ」
「……チッ」
巌人の挑発の混ざった言葉に一瞬の思考の後に舌打ちをすると、彼女は本格的にやる気を失ったのか教科書を閉じた。
「ついさっきお前の妹からメールが来てな。曰く『早く終わらせて、でないと特務やめる』だそうだ。てなわけでお前の母親にかけあって補習は私の授業だけって事になってる。つまり私が頷けばその瞬間に補習は終わるってわけだ」
「……それ。宿泊研修いけたんじゃないですか?」
「ん? そうだがそれがどうした?」
酷い教師もいたものである。
コネを使って校長を脅し、その上言外に巌人に対して『私の言葉は聞いた方がいい』と言っているようなものだ。その上なんだそれは、普通に宿泊研修行けるんじゃないか。
巌人は呆れたように眉間を揉むと、それを見た中島先生はわざとらしく困ったような表情浮かべてこう告げた。
「コネ使った代償でお前の母親に仕事を押し付けられてなぁ。それが、ちぃとばかし鈍ってる私には重い仕事でなぁ……。だれか、私より強いヤツが補習の間に手伝ってくれたらなぁ……」
巌人はその言葉を聞いて、ため息混じりに肩を落とした。
☆☆☆
「という訳で、早く帰ってきた」
「ぐっじょぶ、なかじま」
「先生な」
巌人は「ん、先生」と言って手を挙げる紡を見て、そのあまりの可愛らしさに少し頬を緩めた。
時刻は流れてあれから数十分後。
中島先生曰くその仕事の内容は今日のうちにメールで送り、仕事自体は明日の補習の時間に行われるのだとか。
だがしかし、
「中島先生、ここ三年くらいは教師になるために勉強してたから鈍ってるとはいえ、いまでも闘級五十はあるよな……?」
そう、いくら鈍っているのはいえ、あの人はかつて地球上で最も絶対者に近かった人物である。そんな人物が『重い仕事』などと、幻獣級上位でも相手にするのだろうか?
巌人がそんなことを考えながらソファーに腰掛けていると、ふと、紡が近寄ってくる気配を感じた。
そして──
「ん、しょ」
「……あれ?」
気がついた時には、巌人の太ももの上には紡が座っていた。
しかも巌人と向かい合うような形で、だ。
そう、紡はお邪魔虫がいないのをいいことに、普段はしないレベルの大胆な行動をとってみたのだった。
けれども、残念ながら恥ずかしさは隠しきれなかったのか、ぼふんと顔を真っ赤にして巌人の胴体に顔を埋めた。
「はぁ……、恥ずかしいなら降りたらどうだ?」
「や、このまま、おはなしするの」
そう、離れてしまったら真っ赤な顔と隠しきれない笑みが見られてしまう。それはダメだ。絶対に。
紡はそんなことを考えながらもより一層体を密着させ、巌人の背中にぎゅっと手を回す。
それにはさすがの巌人も苦笑してしまったが、すぐに彼女の背中に手を回してポンポンと撫でてやる。
「で、何の話しようか」
巌人がそう言うと、しばしの沈黙の後、紡はポツリポツリと話し出した。
「特務から、れんらくあった。サッポロに、人造のアンノウン作ってる研究所、あるって。もしかしたら、無音のワープホール、そもそも開いてなかった可能性、ある、って」
「無音……? あぁ、あのゲームセンターの蟻か」
巌人は紡の言葉でこの前太古の達人のバチで撲殺した数匹のアンノウンのことを思い出す。
「瞬殺だったからよく分からないけど、たぶんアイツら幻獣級最下位ってところだろ? わざわざそんな中途半端な雑魚を送り込んできて何になるんだ? 単純に自らの危険性をアピールするだけだろ」
「ん、目立ちたがりやの、おばかさんか。ふつうに、新種のワープホールか。どっちかだって」
紡はそう言うと、未だ少し朱に染まっているその顔を上げ、ぷいっとそっぽを向いて口を開く。
「私のとこ、れんらくきた。今日か明日に、そこ行って倒してこい、って。せっかく兄さんとの、二人っきり。じゃまするなら燃やす、っておくっといた」
「なるほど……その人きっとかなりブルっただろうな。そのメール見て」
「ん、間違いない」
そう言って紡は巌人を上目遣いで見上げると、ぎゅっと思い切り抱きついてこう告げた。
「これで痛くない兄さんが、ついてる。なかじまも、おしごとクリア、まちがいなし」
巌人は苦笑しながら、文字通り思いっきり抱きついている紡の頭を撫でるのだった。
きっと、その仕事がこの仕事なのだろうと考えながら。
可愛いなぁ(自画自賛)。
頑張って書いた甲斐があります。