26.定期考査
第三章開幕です!
それから一週間以上が経ち、カレンダーも一枚めくれ、今はもう六月だ。
ミーンミーンと絶滅したセミが鳴くこともなく、ただ静かな、それでいてムワッとした暑さが篭っている図書室。
たまに軽く開いた窓から風が入ってくるが、それも所詮は焼け石に水。
そんな図書室の中には、カリカリと鉛筆の走る音と、数人の息遣いだけが木霊していた。
「ふあぁぁ……」
「ぐぬぬぬ……」
「すぅ……すぅ……」
「…………」
上から順に、巌人、衛太、カレン、そして彩姫である。
巌人と彩姫は余裕たっぷりで勉強すらしておらず、カレンに至ってはお眠である。
そんな様子を見せられた衛太はこらえ切れないとばかりに叫びだした。
「バッッッッカじゃねぇのお前ら!? こんな時期だってのになんで俺以外勉強してねぇんだよッッ!?」
「ふぇぇっ!? もう飲めないっすよ!?」
そしていきなりの叫び声に夢の内容を口にするカレン。
──一体彼女は何を飲んでいたのだろうか? もしやシャンプーだろうか? さすがは僕の弟子。
そんなことを思った巌人だったが、それよりも周りの目がきになった為、彼は叫んだ張本人である衛太へと声をかけた。
「いや、何言ってるのかは分からないけど、ここ学校の図書室だからな? もう少し周りのこと考えろよ」
「うぐっ」
巌人の言葉に思わず息を飲み、自身のことをを睨みつけてくる生徒達へと頭を下げる衛太。
そんな衛太を見ながら、宙に浮いている文庫本をパタンと閉じた彩姫は、当たり前だと言わんばかりに口を開く。
「私はそもそも大学までの教養はすべて身につけてますし、巌人様に関しても勉強できるみたいですし。そもそも授業をきちんと聞いていれば勉強する必要性もないですよね?」
「「ぐふっ……」」
彩姫の言葉が衛太とカレンの心にクリーンヒットした。
そう、このフォースアカデミーにおいて要求されるのは、戦闘への慣れと純然な闘級の高さ、そして最低限社会で必要な教養である。
つまりこの学校では、ほかの学校で言うところの『将来これなんの役に立つの?』──というものを尽く除外した勉強を行っているわけだ。
それはイコールで『座学は大して難しくない』ということでもあり、巌人と彩姫の頭がいいことを除外しても二人の落ちこぼれぶりは少々度を超えていた。
「い、いや……私はどちらかって言うとアウトドア派って言うっすか……ねぇ?」
「あ、あぁ、俺らはやっぱアウトド……」
瞬間──それらをバサリと切り捨てる二人。
「勉強もできないレベルのアウトドア派なら壁の外でも行ってくれば?」
「そもそもアウトドア派とか言っておきながら私たちよりも闘級低いですよね?」
「「あぶはっ!?」」
もはや言い訳の余地もあるまい。
そう──アウトドアだのなんだの言っているが、単に二人は授業中に勉強していないだけなのである。
カレンは寝てるか何か食べているか巌人の方を見てノートをとっているか。
衛太はただ何をするでもぼうっとしているか、聞く気もないとばかりに眠りについているか。
そりゃあ授業をまともに受けている巌人や、授業を聞かずとも既にそれらを知っている天才の彩姫とは差がつくわけで──
「「ゴタゴタ言わず勉強しろ」」
カレンと衛太は、その言葉にぐうの字も出なかった。
☆☆☆
それが放課後の出来事。
まぁ、何故今更このような勉強をしているのか、と聞かれれば、その答えはたった四文字で言い表せるだろう。
「……定期考査」
ビクッ!?
初期から比べて人口が二倍となった南雲家にて。
夕食の最中、紡が何でもないというふうに呟いたその言葉に、カレンは過剰とも思えるような反応を見せた。
それを見た紡は、呆れたような視線をカレンへと向けた。
「カレン、ばか」
「ばっ、ば、馬鹿ってなんすか!? もうちょっと勉強しろだとかそういうのあるっすよね!?」
「ばか、それだけ。改善は、不可」
「なんでっすか!?」
カレンの言葉を華麗に無視した紡は、再び巌人お手製の青椒肉絲へと手を伸ばす──が、微妙に届かない。
それを見た彩姫は菜箸で紡の取り皿へとそれらを幾つかよそってやるが、その野菜の多い皿を見た紡は不機嫌感丸出しである。
「彩姫、野菜、や」
「ダメですよツムさん。野菜をいっぱい食べないと大きくなれませんからねー」
「なら、彩姫の方が、食べた方、いい」
「ち、ちょーっと、どういう意味か分か……」
「ちっぱい」
遠慮なくそうぶちまけた紡は、その野菜の乗った皿を隣に座っている彩姫へと押し付ける。
それには巌人も乾いた笑みを浮かべ、カレンが本気で可哀想なものを見るような視線を浴びせ、彩姫はぷるぷると震えて涙目になってしまう。
巌人は『は、はははは……、はぁ……』と内心で空笑いからのため息を吐くと、紡へと優しげに声をかける。
果たしてそれで──すべては解決した。
「なぁツム、忘れてるかもしれないけど、それ兄ちゃんが頑張って作ったや……」
「「「おかわり!」」」
なんと酷い手のひら返しであろうか。
巌人はなんとも言えない現状に頬を引き攣らせると、キッチンからあらかじめ作っておいたおかわりを持ってくる。
すると彼女らは我先にとそのおかわりへと殺到し、料理ではなく菜箸の争奪戦を始めた。
どうやら流石にそのまま直で食うなどという蛮行に走らないだけの理性は残っているようだったが、巌人の手作りと、そう聞いてしまった恋する乙女達は止まることを知らなかった。
「む。二人とも、邪魔」
「邪魔は誰っすか!? 二人ともいっつも全然食べないじゃないっすか!」
「くっ、このデカ乳めっ! これ以上食べてどうするつもりですか! その栄養分をもう少し身長と頭脳に回したらどうです!?」
そう言って喧嘩を始める三人。
言い争うにつれ次第に彼女らはヒートアップしてゆき、徐々に周囲が見えなくなっていく。
「彩姫ちゃんは言っちゃいけないことを言ったっす! もう許しておかないっすよ!」
「ふ、ふんっ! 本当のことを言ったまでです!」
「……むしゃむしゃ」
「「あぁっ!?」」
そして、隠れて青椒肉絲を食べている紡に気がついた二人は、咄嗟にそれを止めさせようとして──すこし、手を滑らせた。
「「「……あっ」」」
ガシャーン!!
皿が床にぶちまけられ、割れた音が響きわたる。
皿の上に盛り付けられていたそれは見るも無残に床へと零れており、それを見て、現状を把握した三人はこの場にいるもう一人の存在に顔を真っ青に染めた。
──これは巌人が丹精込めて作った料理。それをあろう事か私情で奪い合い、その結果これである。
きっと彼は怒っているだろう。そう思って彼女らは恐る恐る巌人の方へと視線を向けて──
「あ〜、やっちまった。おいみんな、怪我したりしてないか?」
本当に心配そうに椅子から立ちあがる彼の姿を見て──ズキリと心が痛くなった。
「あぁもう勿体ないなぁ、まだ食える⋯⋯よな? ちょっと待ってろ、お前達の分今作ってや⋯⋯」
「「「すいませんでしたっ!!」」」
罪悪感ほど心を苛まれる罰はない。
心から自らを心配してくれている巌人に、彼女らは黙って頭を下げたのだった。
☆☆☆
そんなこんなで日々は過ぎ去り、数日後に定期考査を控えたある日のこと。
「あれ……かなりやばくないっすか?」
カレンは、今頃になってそんなことを呟いた。
それをすぐ隣の席で聞いていた巌人は、深い、とても深いため息を吐いてカレンへと視線を向ける。
「いや、学校で寝てて家帰ってツムとゲームしてて、あとの時間はもの食ってるかストーキングしてるか修行してるかしかしてない奴が何言ってんだよ」
「そ、そうっすね! どこにも勉強する暇がなかったっすからしょうがないっすよね!」
「よし、ならばより簡単に言ってやろう。暇しかなかったんだからサボってたお前がわ……」
「もういいっすよ! そんなの自分が一番よく分かってるっすよぉ!」
巌人の情け容赦ない言葉に机へと突っ伏すカレン。
そう、結局あれからカレンが積極的に勉強をすることはなく、勉強という単語が出れば紡の元へと避難し、少しでも時間があれば修行をし、とまるで勉強から逃げ続けるかのごとく振舞っていたカレン。
実際のところそれは概ね正しい見解であり、あれだけ言われても尚やる気にならなかったカレンが悪いというのが今回の件の結論であろう。
だがしかし──なんだかんだ言っても困っている女子供を黙って見ていられないのが巌人である。
「はぁ……、カレン、頑張って勉強するなら僕が今日から付きっきりで手伝って上げるけど」
「つ、つつ、付きっきり!?」
巌人の言葉にガバッと顔を上げるカレンと、焦ったように視線を巌人へと向ける彩姫。そして捨てられそうな犬のごとく目をうるうるとさせる衛太。
巌人はあとの二つを華麗に無視すると、カレンへと「どうする?」と再び問いかける。
「つ、付きっ……や、やるっす! 師匠にそこまで言ってもらった以上、頑張ってみるっすよ!」
「そっか、なら良かった」
巌人はそう言って笑うと──
「この学校、一番最初の定期考査で補習になったら、丁度補習期間と被ってる宿泊研修に行けないもんな」
そんな、洒落にならなさそうなことを暴露した。
それには先程までざわめいていたクラス中もシーンと静まり返り、数人の頬を冷や汗が伝い、誰かの喉がゴクリと鳴った。
──巌人の小粋なジョークであってくれ。
誰しもがそう思わずにはいられないその言葉ではあったが、たまたま教室にいた中島先生は、その空気を読んでこう告げた。
「ん? え、お前ら知らなかったの?」
空気の読み方が少しズレている中島先生であった。
☆☆☆
その日から、カレンたちは必死に勉学に励んだ。
今まで勉強するつもりも無かった男子生徒たちは必死にテスト範囲を暗記し始め、カレンに至っては巌人の助けすら必要ないほどに勉強していた。
そのせいかクラス中の雰囲気も変わってしまい、それはもう教師達から『お前ら、変なものでも食ったのか?』と本気で言われるほどである。
けれども、その代わりに巌人たちのクラスの面々は必死に勉学に励み、そして迎えたテスト当日。
──巌人は、そのテスト用紙を前にして真っ白に燃え尽きていた。
(な、な……は、…………え?)
彼の頭の中を占めていたのは、数え切れないほどの疑問の数々。
巌人は授業をまともに受けていた。
テスト範囲もメモしたし、何よりも事前にその範囲を勉強し尽くしていた。
にも関わらず──何故それらの問題が分からない?
巌人の中で必死に勉強した過去が、記憶が、ガラガラと崩れ去ってゆき、そして彼は数週間前に見たとある映像を思い出す。
それは数週間前、珍しく紡が巌人の通学バックをガサゴソとやっていた時の映像。
確か巌人は、その時疑問に思ってこう聞いたのだ。
『ん? どうしたツム、別にやましいものは何も入ってない……と思うぞ? たぶん』
『……ん、怪しいけど、今はいい』
そう言って彼女はガサゴソとし終えると、ふぅと額の汗拭いて巌人へとこう告げた。
『兄さん、きっといつか、この言葉を思い出す』
『なにそれ、最終回への伏線的なやつか?』
『んん、たぶん、数週間後』
そう言って彼女が言った言葉こそ──
『先に言っとく、ごめんね、兄さん』
(教科書大事なところすり替えられてたぁぁぁぁぁ!?!?)
その定期考査で補習対象となったのは、一年生の中では一人だけだったとかいう話である。
ツム「ざいあくかんは、なかった」