25.後日談 ―編入生―
「こ、怖かったぁ……」
彩姫はその後、自らの部屋の中に入って初めて言葉を吐き出した。
というのも、ガチで怒った巌人の威圧感は伊達ではなく、聖獣級すら一撃で沈めるその本気を垣間見た彩姫は恐怖に震えていた。それこそ言葉を発する余裕もないくらいに。
『黒髪の彼を、絶対に怒らせるな』
かつてトウキョウの上司に言われた言葉である。
普段は温厚な人ほど怒らせれば怖いものである。正直生まれてから今まであれほど怖いものは見たこともなく、怒った巌人が一人で国を滅ぼしたと言われてもすぐに信じてしまうレベルだ。
彩姫はそんなことを思ってその目尻に溜まった涙を拭くと──
「あらあら? どうしたの彩姫ちゃん」
「……え?」
部屋の中にいた、鐘倉大臣に声をかけられた。
「か、鐘倉大臣ですか…………って、えええええ!? な、なな、何でここにいるんですか!?」
正論である。
なにせここは自室である。そしてこの部屋にはきちんとオートロックがかかっていたし、何よりも特務寮のセキュリティは万全だ。それなのにも関わらず何故かここにいる鐘倉大臣。
もはやホラーだ。
「何でって……何でかしら?」
知るかよそんなこと。
彩姫は咄嗟に言おうとしたその言葉をなんとか飲み込むと、その天然上司の言動にため息をつくと、その場から引き返そうとして──
「彩姫ちゃん、あなた巌人のこと怒らせたでしょー」
ピクッ!
鐘倉大臣の正解過ぎるほどの模範解答に思わず彩姫はビクッとなって体を硬直させた。
──なぜそのことを知っているのですか?
彩姫は咄嗟にそう聞こうとしたが、その前に鐘倉大臣がその理由を話し始めた。
「いやねぇ、巌人ったら『ちょっと怒りすぎた、謝っといて』ってさっき珍しくメールしてきてね〜! お母さんもう久々のメールに嬉しくなっちゃって、その元凶たる彩姫ちゃんにお礼言いに来たのよー!」
何だか不穏な言葉が聞こえた気もしないでもないが、彩姫はその巌人から鐘倉大臣に伝えられたというメッセージを聞いて目を見開いていた。
「え、い、巌人さま……じゃなかった、巌人さんがそんなことを言って……?」
「そうよぉ〜、あなたどうせ巌人の事を黒棺の王だとか決めつけてその名前連呼したんでしょう? そりゃあ巌人は黒棺の王大っ嫌いだから怒るわよぉ」
「そ、そうなのですか!?」
少し考えれば分かることだろうが、今の今までずっと『温和なことで有名な南雲巌人を怒らせた』と『怖い』しか思えなかった彩姫は、言われて初めてその事実に考え至った。
それはきっと、自分で言うところの、目の前で黒棺の王の悪口を連呼されているようなものだろう。そう考えるとあそこまで感情を表に出さなかった巌人の精神力の強さ、そして言葉だけで済ませたことに対する器の大きさを痛感させられる。
その上、その直後こうしてちゃんとした謝罪まで行っている。普通ならば気まずくてそれどころではないであろうに。
彩姫はそこまで考えると何だかすべて自分が悪いというふうに思えて来て、少し肩を落とした。
「私が……悪いですよね。巌人さんの目の前であの方の名前を何回言ったか覚えてないですし、初っ端に巌人さんのこと、黒棺の王さまって言っちゃいましたし」
「あらー、それでも怒らなかったの? 成長したわねぇ、巌人ったら」
──三年前なら、そう呼ばれただけでも半殺しにしてたでしょうに。
鐘倉大臣はその言葉をなんとか飲み込むと、彩姫へと向かって口を開く。
「まぁあ? 彩姫ちゃんは巌人のこと知らなかったんだから責められはしないでしょうし、いきなり怒った巌人も少しは悪いと思うわ。けどやっぱり原因が彩姫ちゃんにあるのは事実よねぇ〜」
「うぐっ……そ、そうですね」
彩姫はその鐘倉大臣の言葉に思わず呻いてしまったが、その次に続いた言葉を聞いて彼女は目を見開いた。
「それに彩姫ちゃん、あなた巌人に助けられたんでしょう? 黒印団の人たちから。そして──責任から」
その言葉は、心の片隅にあったその後ろめたさを表層まで引っ張り出した。
彩姫は黒印団に対して一人で向かっていった。そして人々から危険を遠ざけるために都市公園で待ち構えることに決め、結果として巌人に守られたのだ。
その『守られた』という言葉には二つの意味合いがあり、一つは文字通り、彩姫が黒印団の戦力を見誤っていたことに対する『守られた』である。あのまま戦っていては負けていたであろう。
そしてもう一つは、単独で向かい、更には都市公園への放火を防げなかったという責任から『守られた』という意味だ。
もしもあの場に巌人が居なければまず間違いなく彼らは公園へと放火していたであろうし、間違いなくその責任は彩姫個人へと降りかかっていたであろう。
そして彩姫はその事実を知っておきながら謝り、礼をするよりも前に自分の欲望を優先してしまった。その結果謝りもできていないし、お礼もできていない。
その現状を、彩姫は内心でこう思ってしまった。
(まるで……まるでこの現状は……)
そう思って、その先を鐘倉大臣に引き取られた。
「この現状は、あの時と全く同じ状態よねぇ」
──あの時。
黒棺の王と初めて会って、助けられた時。
お礼を言うことも出来ずに固まってしまい、結果として未だに彼を探し続けている。
彩姫は考えた──私はまた同じ失敗を繰り返すのですか、と。
いや違う。もう同じ失敗な二度と繰り返さない。
彩姫は瞼を閉じる。
今までそこに浮かんでいた黒棺の王の姿は既にになく、今そこに映っていたのは、棺のマントを風にはためかせる、無能の黒王の後ろ姿。
「私、ちょっと南雲家までもう一度行ってきます」
「あら? 黒棺の王の捜索はもういいのかしら? 今なら気分がいいから手伝ってあげちゃうかもよ?」
彩姫は鐘倉大臣のその言葉を聞いてふっと笑を零した。
その表情にもう迷いはなく、彼女は鐘倉大臣へと堂々とこう告げた。
「礼節に欠ける小娘に黒棺の王さまに会う資格はありませんよ。それに彼もあの人も、私にしてくれたことは同じですし……」
──何よりも、巌人さまが黒棺の王さまだってことは、ぜんぜん疑ってませんからっ。
彩姫はそう言って笑うと、踵を返す。
その後ろ姿を見た鐘倉大臣はうふふと頬を緩めて笑うと、その後ろ姿へと声をかける。
「彩姫ちゃん、もう一回高校に行ってみる気はないかしら?」と。
☆☆☆
土日明けの月曜日。
巌人は近所のコンビニで毎週月曜日発売されている『少年ステップ』という漫画雑誌を買い、教室でそれを読んでいた。
カレンは朝から餌係たちから大量のおにぎりを買って頬張っており、衛太に至っては宿題を家に忘れて走って戻っている。まず間違いなく間に合わないだろう。
キーンコーン──
チャイムが鳴り、その直後に中島先生がクラスへと入ってくる。
──間違いなく見計らってたなあの人。あと衛太、やっぱり間に合わなかったか。
巌人が内心でそんなことを思っていると、何だかどこかで見覚えのある違和感を漂わせている中島先生は、これまた聞き覚えのある少し柔らかめな声で話し始めた。
「あー、挨拶の前に、アレだ。交換生徒に転校生と来てるが、なんと今回は編入生がこのクラスにやってきた。野郎ども喜べ、飛び級してる美少女だぞ」
「「「「う、うぉぉぉぉ!」」」」
要肝心な衛太がいない事で多少勢い付かない男子達。衛太がいかに美少女を求めているかが如実に現れていた。
閑話休題。
その『飛び級している美少女』と『転校生ではなく編入生』という言葉に嫌な予感を覚えた巌人は、咄嗟に近くにあった大きめの教科書で頭を隠すように机に伏した。
「あれ、師匠? 何やって……」
「しっ! カレン、命令だ。僕がいいって言うまで話しかけるな」
「えっ、わ、分かったっす……」
カレンも何やら必死な巌人の様子にそう返事をすると、その直後に中島先生に呼ばれて入ってきたその人物を見て、巌人が何をしているのか理解した。
「えーっと、名前が⋯⋯」
「あ、自分で自己紹介するので大丈夫ですよ」
そう言った十四歳の少女は人差し指をピンと上げると、突如として赤い光を纏ったチョークと巌人の持っていた教科書が動き出す。
「あぁっ!」
「「「「なぁっ!?」」」」
巌人の叫びとクラスメイトたちの驚愕の声が響き渡り、その少女はチョークがひとりでに黒板へと書いたその名前をチラリと見て、巌人の方をじっくりと眺めながらこう言った。
「初めまして、異能力特殊警務部隊所属の澄川彩姫です! 一応大学は出てるのですが、巌人さまがいるということでこのクラスにコネで編入しました。どうぞ、よろしくお願いします!」
その言葉を聞いた生徒達は、頭を抱える男子諸君と、巌人の方を見つめる女子諸君とに分かれてしまった。
☆☆☆
昼休み。
それもコネか、窓側の一番後ろの席──つまり巌人の隣になった彩姫は、巌人の前に来ていきなり頭を下げだした。
「巌人さま! あの時は助けてくれてありがとうございました! それと色々言ってすいませんでした!」
その言葉の大きさにクラス中の全員が巌人へと訝しげな視線を向け、衛太が顔に青筋を浮かべて笑っている。あれはきっと『どういうことか説明しやがれ』という親友ポジのセリフを言おうとしているのだろう。
巌人はそんなことを考えながらも、よく分からない謝礼と謝罪を受け取った。
「えっと、よく分からないけどうん。分かった」
「あ、ありがとうございます、巌人さま!」
その『さま』付けに思わず頬をひくっと引き攣らせる巌人。
それを敏感に察した彩姫は手をぶんぶんと振ると、重要な部分を隠して話し出す。
「い、いえ、別にそういう訳では無いのです! 巌人さまはそういうのが嫌らしいのでこれは私が呼びたくて呼んでるだけです! それとは全くではありませんが関係ありません!」
「⋯⋯ちょっとは関係してるんじゃないか」
「はい! ちょっとは関係してます!」
巌人は隠そうともしないそのセリフに苦笑いを浮かべると、内心で『ここまであけっぴろげにされたら怒るに怒れないよなぁ』と考えてため息をついた。
「まぁいいや、僕と彼は別人。それだけ分かってればいいさ」
「了解です、そういうことにしておきます」
妙に意味深げなその言葉ではあったが、巌人が何かをいう前に横からカレンが間に割って入ってきた。
「ちょ、ちょっと待ったっす! 何で関係ない人が弟子である私よりも先に休み時間の師匠に話しかけてるっすか!? その罪万死に値するっす!」
いや、何その罪。初めて聞いたんだけど。
巌人を含めたクラスメイトたちは思わずそう思ってしまったが、それを言われた彩姫はニヤリと笑うとこう告げた。
「そう言えばですが、巌人さまのお母上に南雲家に滞在する許可をもらったんでした。これでもう関係なくないですよね? カレン」
「なぁっ!? 何で私より先にお義母さんに会ってるっすか!? と言うか呼び捨てにしないでほしいっすね!」
「だから敬語使ってるじゃないですか。カレンは本当にわがままですね」
「たぶんその感じだと誰にでもそうっすよね!?」
カレンはそう叫ぶが彩姫はどこ吹く風。
けれども巌人もそのことについては初耳であり、流石にいきなり言われてそれはないだろうと口を挟んだ。
「いや、ちょっと待って。僕もツムもまだお前の滞在許してないんだけど」
「ちょっと師匠!? なんでそこに私が入……」
「カレン、ちょっと黙って」
「はいっす!」
巌人の言葉には絶対従順なカレンであった。
カレンのその従順さに何故か『負けた』とばかりに悔しげな表情を浮かべる彩姫を見て、巌人は呆れたように再び口を開く。
「まず、僕もツムも何も聞いてないんだけど。そもそもツムが許さない限り僕も許すつもりは……」
「あ、オーバーダイSRB試してみましたよ」
「ちょっと今日、僕の家寄ってかないか?」
二度目の買収である。
しかも彩姫はそれだけに留まらず──
「そう言えばですが、私最近メロンソーダにも嵌ってまし……」
『you got the mail』
瞬間、巌人のステータスアプリが鳴り響いた。
そしてその画面に出てきたのは紡からのメールであり、そこにはたった二文字『許す』と書いてあった。買収が早すぎて簡単すぎる強者二人であった。
そんな様子を見てほっと一息ついた彩姫は、にこっと心からの笑みを浮かべて頭を下げた。
「それではっ、今日から宜しくお願いしますっ!」
そうして南雲家に、もう一人居候が加わった。
以上、第二章でした。
次回、第三章開幕!
たぶん章名は『不屈の心』です。