21.力の差
いよいよやってきた対決の時!
職場見学会は平穏無事に終了し、その翌日の土曜日。
巌人は紡とカレンに簡単な朝食を作った後しばらくして、二人に連れられて地下の訓練室までやって来ていた。
「ツムさん、この部屋って丈夫っすよね?」
「ん、私でも、すり傷つけるのが精一杯」
「なら、安心っすね……」
カレンはそう言うと、十数メートル離れた場所に立たせている巌人へと視線を向けた。
「師匠、今回呼んだのは他でもない、前にした約束を果たしてもらうためっす」
──約束。
その言葉に何の事だと聞こうとした巌人ではあったが、その直前になって頭の中にとある言葉が浮かんできた。
『師匠! ステータス見せてくださいっす! あと手合わせお願いますっす!』
それはかつて、カレンが巌人のトレーニングを見て弟子入りを願ったその日に、居間にて告げた言葉。
思い出したところで承認は一度としてしてないし、もしも巌人の考えていることが正しいとしても、普段着──つまりは戦闘服姿のカレンと違って巌人はTシャツ短パンにエプロン姿だ。酷いったらありゃしない。
「まさかこの状態で手合わせしろとか言わ」
「その通りっす」
「……言っちゃったよこの娘」
巌人は嫌な予感が的中したことに思わずため息を漏らした。
スルリと視線を入口付近にたっている紡へとスライドさせるが、彼女は『兄さんの戦い、たのしみ』とでも言いたそうな顔である。もはや味方はどこにもいなかった。
「聞いたっす、師匠の強さが神レベルだって」
──誰から?
巌人は思わずそう問い返したくなってしまったが、正直自分の肉体レベルが人間のそれをとっくに超えている事には普通に気づいていた。そのため否定はしなかったし、口を挟むこともしなかった。
「私の今の夢は、師匠を超えて、逆に言うことを聞かせてやることっす」
「……変な夢だな」
「ふふん! その時は気分的に絶対隷属っすから十分な夢っすよ!」
巌人は自信満々に意味不明なことを言ってのけるカレンへと呆れたような視線を向け──そして彼女の纏う空気が一変したことに、いち早く察知した。
「だから、どれだけの差か確認させてもらうっす」
彼女は半身になって重心を少し下ろし、構えをとった。
その構えからは長年使い込まれてきたであろう熟練感が感じ取れ、それを見た紡は一つ頷いてこう呟いた。
「試合、かいし」
そうして巌人とカレンの、初めての師弟対決が始まった。
☆☆☆
試合開始の合図と共にカレンは駆け出し、それと同時にかつて南雲家の居間で披露したあの呪文を唱え始める。
「マジカル☆マジカル! いでよ私の魔法武器っ!」
それと同時に彼女は上空へと飛び上がり、その淡い光の粒が巨大なハンマーを作り上げる。
一目見ればわかるその重量と、黒塗りされたそのハンマーが放つ威圧感。
巌人は後ろにサッと後退すると、それと同時に先程まで巌人のいた場所へとその巨大な鉄槌が振り落とされる。
ドゴォォォォォンッ!!
その凶悪な威力を知らせるように部屋の中へと大きな音が響き渡り、巌人は思わずこう口にしてしまった。
「おい魔法少女。魔法の要素どこいった?」
「ふふん! そんなに見せて欲しくば見せて差し上げるっす!」
そのハンマーの影から姿を現したカレンは、両手を前に突き出して新たな呪文を唱えた。
「『ウォーターランス』っ!」
すると彼女の目の前に大きな水の槍が完成し、それには巌人と紡も思わず目を剥いた。
少なからず『創水』の影響はあるだろうが、それでもその現象にはGランクの異能では片付けられないものがあり、言葉にするならば『魔法』というそれが相応しかったからだ。
その槍は螺旋回転を始め、まるでライフルの弾丸のように回転をしながら巌人へと向かって発射される。
巌人はそれをひらりとと横に躱すと、その間にこちらまでの距離を詰めてきたカレンの、その両手に纏わり付くその光へと視線を向けた。
「変換、トンファーっ!」
現れたのは、打撃を与える先端部が血に濡れた漆黒色のトンファー。それが両手に一つずつである。
もはやそこに魔法少女の“魔”の字もなく、けれどもあえて言うならば“悪魔”と言った感じだろうか。
兎にも角にも、巌人の言いたいことはただ一つ。
「お前もう、魔法少女なんて辞めちまえよ」
「うるさいっすね! 喋ってるとやられちゃうっすよ!」
そうして始まったのは、目を見張るような連打連打。
トンファーを器用に使ったフックにストレート、そして足技まで含めた攻撃の数々。その上その青いコートが予想以上に巌人の視界を遮っており、その影から飛び出してくる攻撃には巌人も多少驚かされた。
けれども実力差は圧倒的。巌人はその動きを観察しながら躱し、受け流し、フェイントを交えながら凌いでゆく。
そして──
「ほいっ」
たった一言。カレンがストレートを放った次の瞬間。
その拳を戻すことすらも叶わぬ刹那。その間に巌人はカレンの懐へと入り込み、その伸びきった腕を掴んで背負投げを放った。
「きゃぁぁっ!?」
カレンは珍しく可愛げな悲鳴をあげて吹き飛んでいったが、すぐに体勢を立て直して着地する。
カレンが視線を前へと向けると、そこには眉間にしわを寄せながら肩をぐるぐると回している巌人が居り、彼女はその余裕そうな、それでいて、あれだけの事をして何一つ満足していないというその表情に悔しげに呻いて立ち上がる。
「絶対一発食らわせてやるっす!!」
そう言って彼女は再び地を蹴り走り出す。
それは彼女の全力疾走であり、そのお陰もあってすぐに彼女は巌人の元へとたどり着く。
そして放つは──
「はぁッ!!」
飛び蹴りである。
カレンは巌人の顔面めがけて、まるでその眼鏡をかち割ってやるとでも言わんばかりの跳び蹴りを繰り出した。
巌人はその蹴りを身体をそらして避けると、すぐさま着地し、自らへと向かって放たれた回し蹴りを右腕で受け止める。
するとそれを見たカレンはニヤリと笑みを浮かべ、その右腕に足首を引っ掛け、そのまま脚をたたむことによって巌人との距離を一瞬で詰める。
「やっと捕まえたっす……よっ!!」
そして再び始まる連打の嵐。
やっと体も温まってきたのか、先ほどのそれよりも遥かに回転数の上がっているカレン。それを見た巌人は、それに応じてさらに手数を増やし、躱すよりは受け流すことを優先して動き始める。
これだけ隙のない攻防をしている以上、まず間違いなくどちらかの姿勢が崩れた時点で攻撃が決まる。なればこそ受け流し、相手の隙を作る方が大切である。
──それが、同格同士の戦いであったならば。
「……うん、慣れた」
カレンは、いきなり巌人が口にしたその言葉に目を剥き、その直後、自らの目の前まで迫ってきたその拳に驚愕した。
彼女は咄嗟にその場から飛び退いたが、気がつけば背中にはビッショリと冷や汗をかいており、頬を嫌な汗が伝っていた。
(あんな……あんなにもタイミングバッチリのカウンター、初めて見たっす。もしもあの拳が振り抜かれていれば……)
そう考えて、カレンは巌人の方への視線を向ける。
そこには拳を途中でピタリと止めている巌人の姿があり、その姿からは勝負をしている緊張感よりも、どちらかと言えば何かを試している、実験しているような、そんな好奇心が見て取れた。
──まったく相手にされてない。
どれだけ嫌でも、どれだけ分かりたくなくても、それでも無理矢理に思い知らされる、圧倒的なまでの力の差。
その事実に思い至らされたカレンは思わず奥歯を噛み締め、ギリッと音を鳴らす。
彼女は確かに巌人の弟子だ。彼の言うことはどんなことでも聞くつもりだし、何よりも巌人を心の底から尊敬し、敬愛している。
けれどもそれとこれとは別の話だ。
異能を得てからの十年間、必死に努力し、高め続けてきた自らの力を愚弄されては黙っているわけにはいかず、彼女は内に芽生えた怒りに流され、彼へと突撃して行った。
次の瞬間、呆れたような巌人の視線が身体に突き刺さり、それと同時に巌人の姿が掻き消える。
「煽られてる事くらい気づけよな」
いきなり背後からそんな声が聞こえ、トンッ、という衝撃とともに彼女の視界は暗転していった。
☆☆☆
「さすが、兄さん。煽りじょうず」
「それ褒めてないよね?」
巌人はそう言いながらも、いつの間にかすぐ近くにまで来ていた紡へと視線を向ける。
紡はカレンが気絶するところまで分かっていたのか、その両手にはたぷたぷと水が揺れるバケツが握られており、彼女はそれらをカレンのすぐ隣の地面へと置く。そして、それを見計らった巌人は紡へと話しかけた。
「ツム。お前から見てカレンはど」
「七点。もち百点まんてん」
「……あれ、思ったより酷い点数だな」
巌人は思わずそう呟くと、紡は腕を組み、うんうんと頷きながら話し出した。
「ふつーに弱い、マイナス六十点。戦闘中に喋りすぎ、マイナス十三点。魔法少女に変身しなかった、マイナス二十点。怒りに流されて、煽られてる事気づけなかった、マイナス四十点。その他もろもろマイナス十点」
「おいツムよ、それ思いっきりマイナスになってるよな?」
「ん、マイナス四十三点」
巌人はその酷すぎる減点方式に引き攣った笑みを浮かべるが、その直後、紡が見せたその笑みに思わず目を見開いた。
「でも、頑張った。ぷらす五十点」
紡はそう言ってカレンの前へとしゃがみこむと、そのほっぺたをツンツンと突っついて遊び出した。
その横顔には確かに楽しげな笑みが浮かんでおり、初めて出会った頃、紡の笑顔を引き出すまでかなりかかった巌人は少し微妙な感情を抱いた。
そしてそれ以上に、嬉しかったのだ。
巌人は頬を緩めて紡のすぐ横にしゃがみこむと、その頭をぐしゃぐしゃと撫で始める。
あまりにも雑なその撫で方に紡は上目遣いで抗議の視線を向けるが、巌人はさらに笑みを浮かべて口を開く。
「ははっ、ツムとカレン、まるで姉妹みたいだな」
「ん、紡、お姉ちゃん」
「年齢的には違うんだけどなぁ……」
「わ、私が……お姉ちゃんっすよぉ〜」
その声に驚いて視線をカレンへと向ける二人。
そこにはこの短時間で気がついたのか、それとも紡の言葉に反応したのか、目を覚ましてそう抗議してくるカレンの姿があった。
巌人は思わず「回復早くない?」と口を開こうとしたが、その前に噂の姉妹が喧嘩を始めてしまった。
「カレン、馬鹿。私、賢い。お姉ちゃん、私」
「ば、馬鹿ってなんすか!? 年齢で考えるっす!」
「九歳児、十六歳より強い」
「だから強さじゃないんすよ!!」
巌人はそのくだらない口喧嘩に思わず眉間を揉むと、ヒートアップしてバケツの水をかけ合うという未来が読めてしまい、気付かれないようにその二つのバケツを持って出入口へと歩き出す。
「いらっ。もういい、バケツで決着つけ……あれ?」
「あれっ? そういや師匠どこいったっすか?」
後ろの方から、そんな話し声が聞こえてきた。
カレンでは巌人の実力は引き出せないですねぇ。(誰でもそのような気もしますが)