19.鐘倉月影
聞き覚えのある名字だな、とか思った一作目既読の皆さん。
特務署、サッポロ支部。
その一室にて、澄川彩姫はかつてない緊張を味わっていた。
「あら、今回も茶柱立たなかったわねぇ。噂じゃお茶は茶柱立たないと美味しくないらしいし……。ごめんなさい、もう一回入れ直すわ」
「い、いえっ! 大丈夫です!」
「あらそう? じゃあこの茶柱立った方のお茶をあげるわ」
「あ、ありがとうございますっ!」
彩姫は、その人物からそのコップを受取りながらも、何故こんなことになっているのかを考えた。
昨日の夕刻、珍しく自分以外に客のいる飛行機に乗ってサッポロまで到着した彩姫は、警察官にステータスを見せて解放された後、それまたその少女と同じバスに乗ってこの地区までやってきて、その後すぐにこの特務のサッポロ支部までやってきた。
そこまでは良かったのだが──
『澄川C級隊員、君に呼び出しがかかっているよ』
今日の昼過ぎ、この支部に在中するA級隊員、入境学が彩姫の前に突如として現れ、緊張する時間さえ与えずにそんなことを言ってきたのだ。
『……へ? わ、私に呼び出し……ですか?』
『うん、トウキョウ支部から送られてきた君の情報を受け取った特務の頭がね、君に会って話がしたいんだって〜』
『ええっ!? そ、その頭って……』
カレンはその会話まで思い出したところで、目の絵にいる人物へと視線を移す。
特務は、彩姫の含まれるC級隊員、その上のB級隊員、そして人外揃いのA級隊員、そしてその上に立つ四名の最高幹部からなる国際機構だ。
そして、それらの上に立つものこそ、この日本国に在中する、俗に『防衛大臣』と呼ばれる、彼女。
(日本国防衛大臣にして特務の頂上、鐘倉月影さん)
正確には現・日本国内閣総理大臣と結婚しているため、その鐘倉という名字は変わっているのだが、防衛大臣としては旧姓を使用している彼女であった。
彩姫は知らず知らずの間にゴクリと喉を鳴らして、目の前の彼女へと視線を向ける。
赤い髪に赤い瞳。目尻が少し下がっており、全体的に優しげな雰囲気を醸し出している女性である。
──だがしかし、その実は全くの別物である。
暗殺術のプロフェッショナルであり、その異能は不明。正確に言えば見てもわからない。さらに怒らせれば彼女ほど怖いという人は居らず、特務の絶対に怒らせてはいけないランキング第二位に堂々と入っている。
そんな彼女に呼ばれたのだから彩姫の内心はかなり焦燥で満ち満ちており、何よりも怖いのが『呼び出された理由がわからない』ということである。
そんな中、鐘倉大臣はお茶を一度啜って口を開いた。
「単刀直入に言うわ。あなた、この街に住む世界で唯一の無能力者に何をするつもりなのかしら?」
瞬間、明らかに彼女から発せられる空気が一変した。
先程までのようなほんわかした空気はそこにはなく、姿も、姿勢も、その笑顔も何も変わってはいないというのに、それでもなお全身の細胞一つ一つが感じ取る、明確な殺意。
彩姫は、今までに感じたことのない程に絶大すぎるソレに、思わず「ひぃっ!?」と小さく叫び声をあげる。
すると鐘倉大臣もこのレベルの殺気はキツいと察したのか、その殺気を一瞬にして霧散させる。
「いやねぇ、貴女、特務に所属しているくせに何の罪もない一般人(笑)を暗殺しよう、って言ってたって聞くじゃない? だから、もちろん一般人を殺そうとする輩ならそれをやり返される覚悟は出来てるだろう、って思ったんだけど……。な〜んだ、その程度なら安心ね。もう帰っていいわよ」
今明らかに『一般人』の行で嘲笑が漏れていたような気もしたが、残念ながら彩姫は先ほどのアレでそれどころではなくなっていた。
それに加えて彼女の言った言葉が頭に木霊する。
『な〜んだ、その程度なら安心ね』
それは天才のプライドを酷く傷つけるものであり、それは聞きようによっては『お前じゃ彼は殺せない』と言っているようなものである。
だからこそ、そのプライドが彼女の戦意をギリギリの所で繋ぎとめた。
「まっ……て、下さい」
「……なにかしら?」
鐘倉大臣はそう聞き返す。
けれども彼女の口から新たな言葉が出てくることはなく、ただその部屋には沈黙が横たわっていた。
そんな空気の中十数秒が経ち、鐘倉大臣はため息をつくと、手元の資料をめくりながらこう口にした。
「黒棺の王。私、彼の居場所を知ってるし、今何をしているのかも知ってるわ。ついでに言えば今すぐにでも連絡がつく。向こうがその気になれば一日以内にこの場に呼び出すことも可能よ」
その言葉に、顔を上げて目を見開く彩姫。
今この瞬間に、特務の長たる防衛大臣その人が言った言葉だ。今この時こそが今まで求め続けてきた彼と再会する最大のチャンスだろう。
だからこそ彩姫は口を開こうとして、それを彼女に遮られた。
「だからこそ、私はこう彼に告げようと思うわ。今、かつてあなたが助けた女の子が来ているのだけれど、あなたと二つ名が似てるからって罪の無い一般人を殺そうとしてるの、って」
瞬間、彩姫は胸が苦しくなった。
分かっていた。彼女きっと、心のどこかで分かっていたのだろう。この感情が嫉妬でしかないということを。
自分は彼のように正体不明なわけではない。自身の髪の色は銀色、目の色は赤。そのどちらかが黒色だったならばまだ可能性はあったが、いくら服を黒色にしたとしてもそれだけで『黒』の二つ名がつくわけが無い。
それに比べて件の無能力者は、その髪の色から『無能の黒王』との二つ名を付けられた。
だからこそ彼女は、嫉妬した。
嫉妬して、それを知らぬ間に正当化していた。
「やめて、ください」
気がつけば、彩姫は涙を流しながら彼女へと謝っており、それを見た彼女はほんわかとした笑みを浮かべて彩姫の頭を優しく撫でた。
「分かればいいのですよ。あの子のファンなのはいい事ですが、彼は争いの無い平和な世の中を願っています。彼のファンだと言うのならば道だけは違わないよう気をつけなさい」
「はい……っ!」
そうして巌人の知らないところて彩姫からの評価が“粛清対象”から“少し気になる人”へと大幅にグレードアップした。
(無能力者……、どんな人なんでしょうか?)
そうして彼女は今度は『その人と会ってみたい』と思うようになり、結果として職場見学会にて会うのを楽しみに思うようになったわけだが、それはともかくとして。
バタンッ!!
突如、ノックも無しに部屋の扉が開け放たれ、驚いた二人がそちらへと視線を向けると、焦ったような秘書さんが息を荒らげて立っていた。
その様子にただならないものを感じた二人はソファーから立ち上がり、その言葉を聞いて思わず目を剥いた。
「緊急事態です! 特務のレーダーに反応しないワープホールが発生しました!!」
それはまさしく、その無能力者が解決した事件についてだった。
☆☆☆
鐘倉大臣と澄川彩姫は、防衛大臣秘書に連れられてサッポロ支部内にある総合研究所を目指していた。
というのも、特務のレーダーが反応しないとなると、それは文字通り国を揺るがす一大事であり、現場から隊員達によって運ばれてきたアンノウンの死体もまた、そこには保管されているとのことだったからだ。
だがしかし、その研究所はあまりにも遠すぎた。
──だからこそ、鐘倉大臣はその力を使用した。
「秘書ちゃん、彩姫ちゃん、ちょーっと今回は急ぐからじっとしててねぇー」
「「……え?」」
瞬間、三人の身体が影の中に沈んだ。
それは文字通りの意味であり、爪先から頭の先まで、まるで入水したかのごとく影の中へと沈み込み、その影の中を鐘倉大臣に手を引かれて高速移動していた。
「ってえええっ!? こ、これって何なんですか、鐘倉大臣!?」
最初にフリーズから開放されたのは、彩姫であった。
その直後に秘書さんも回復し、恐る恐る周囲の暗闇を見渡すが、三人の姿以外にその影の世界には何も無かった。
「いやぁ、ちょっと急いでたからこっちの裏技で行こうかな、って思ってねぇ〜っと」
瞬間、三人の身体が急激に浮上し、気がついた時には三人は件の研究所の前に立っていた。
彩姫は確信した、今のがこの人の異能なのだろう、と。
影の中に潜るだなんてとんでもなく有用な異能であるし、さらに他の人間までその中に連れていけるというのならば有用にも程がある。そしてこの徒歩よりも遙かに早い移動速度。
こんな能力暗殺チートにも程があるし、相手に攻撃さえ通るのであればもはや彼女には敵はいないだろう。
彩姫と秘書さんは内心でそんなことを思っていたが、当の鐘倉大臣本人はコンコンとノックをして研究所の中へと入っていった。
「こんにちわ〜、防衛大臣の鐘倉でーす」
「か、鐘倉さん!? 来るの速すぎじゃないですか!?」
「走ってきましたから〜」
そう言って力こぶを見せる鐘倉大臣。
それは真っ赤な嘘だったのだが、その研究所内にいた白い白衣を纏った男──大野通は「す、凄いですねぇ」と頬を引き攣らせて笑っていた。
彼はこの研究所の所長であり、サッポロにおいてワープホールの概念について一番詳しい男でもある。
大野は「とりあえず付いてきてください」と言って歩き出すと、しばらくして個人認証が必要な鉄のドアを開いた。
「まず最初に見せておきたいところがここ、ワープホールを感知する機材が置かれている部屋です。先程から色々と弄ってはみているものの故障していそうな機材は見当たらず、恐らくはこれだけ見て何も無ければ故障の可能性は低いでしょうね」
大野はそう、苦しげに顔を歪めて口を開いた。
その言葉に三人は視線を周囲へと向ける。
「ねぇ? なんでこのスイッチはOFFになっているのかしら? このせいで感知出来なかったってことは……」
「あ、すいません。それさっき私が弄ったところです」
「……危ないから戻しなさい」
「す、すいません」
そう言って謝りながらもそのスイッチを元に戻す彼を見ながら鐘倉大臣はため息をつくと、その部屋を見てもしょうがないと考えてその部屋から退室する。
それに追随して他の三人もその部屋から退出し、それを見て大野はその隣の部屋──四つの棺桶が設置されている、かなり肌寒い部屋へと三人を案内した。
「で、こちらが特務の隊員達が持ち帰ってきたアンノウン四体なのですが……実は色々とこっちもアレでして」
そう言って大野はそのうち一つの棺桶を開けると、その中から現れたのは蟻型のアンノウンの死体がそこには入っていた。
だがしかし、その死体を見て彩姫と鐘倉大臣は目を見開いた。
「あら、ちょっと見事すぎる手際ね?」
「っていうか何ですかこれ!? 幻獣級のアンノウンじゃないですか!?」
そう、目の前のアンノウンは、一都市を滅ぼしかねないとされる幻獣級のアンノウンであり、しかもその死因は子供でも一目見ればわかる。そう、撲殺である。
本来こういう系統の甲殻を持つアンノウン達は物理に強い性質を持つ。だからこそ本来ならは火や水、風や雷などといった異能を持つ者達が遠距離攻撃で仕留めるのだ。
──だがしかし、これらの死体はどうであろう?
彩姫は他の二つの棺桶を開けて中身を確認すると、そこにあった同じような撲殺死体を見て、信じられないように目を見開いた。
「こ、これ……、私には近接戦闘で、その上一撃で沈めたようにしか見えないのですが……」
「そうねぇ。ここまであっさりと近接戦闘で沈めるとなると、少なくとも闘級差が三十は必要になるわよねぇ」
その言葉に、彩姫は思わず息を呑む。
これらのアンノウンは少なくとも闘級が三十だろう。
それに加えて三十となると、出てきたのは闘級六十という化物のような数値。そんな相手、彩姫は昼に出会った入境学と目の前の鐘倉大臣くらいしか知らなかった。
そしてもう一人──
「ま、まさか……黒棺の王さ」
「あ、たまたま近くにいた黒髪の少年が瞬殺したとかいう、馬鹿馬鹿しいデマ情報が伝わってきてますよ?」
「……ってあれ?」
彩姫の推理は、大野の一言によって砕け散った。
そして「でしょうね……」と苦笑いを浮かべる鐘倉大臣。
彼女はこの死体を見た時は妹の方かとも思ったが、彼女は用事がない限りは家から出てこない生粋の引きこもりだ。たまたまそんな現場に居合わせるとは考え辛い。
彼女がそんなことを考えていると、ぷるぷると震え始めた彩姫が鐘倉大臣の方を向いて叫びだした!
「か、かか、鐘倉さん! 一体何者ですかその人! 黒髪って無能力者じゃないんですか!?」
「いやねぇ、あの子『能力がないなら肉体で補えばいい。物理こそ最強』とか素で言っちゃうお馬鹿さんでねぇ……」
そう、知らぬものが聞けば『馬鹿の戯言』としか思われないだろう。だがしかし、それをいとも簡単にやってのけるのが巌人クオリティ。思考以外は無能力者の理想像である。
しかも、その巌人の一番厄介なことこそが──
「実はねぇ、あの子の身体には『限界』と『衰え』と『疲れ』っていう概念がほぼ完全に皆無なのよ。精神的なものは別としてね。だからあの子は鍛えれば鍛えるほど強くなるし、どれだけ休もうとほとんど衰えない。まぁ、いわゆるチート野郎ってわけよ」
そう、巌人の強さの秘密は突き詰めるとそこに至る。
鍛えれば鍛えるほど強くなる。
いくらサボろうと筋力が衰えない。
いくら動こうとほとんど疲れない。
今でこそ普通の生活に合わせて睡眠をとっているが、かつて彼が言っていた『三日に一時間睡眠』というのはあながち間違いでもなかった。
まぁ、彼とて初めからそんな存在ではなかったし、そんな馬鹿げた能力を得たのにはれっきとした理由と、それに伴う過去がある。
けれども鐘倉大臣は他人にそれを伝えるつもりはなく、あえて『初めからそうであった』という風に彩姫へと伝えた。
果たしてそれがこの先どう作用していくのかは甚だ疑問ではあるが、それを聞いた彩姫はもう一段階、彼への評価を変えたのだった。
(無能力者、南雲巌人……。ふふふっ、私は貴方と戦ってみたくなりましたよ)
“少し気になる人”から“気になる相手”へ。
さても、巌人からすれば知るかと言った感じなのだろうが、彼の全く知らないところで、彼は彩姫の好感度を稼ぎまくっていた。
以上、鐘倉月影さんでした。
ちなみに彼女の異能は『熱無効』です。魔導神や魔法少女がいる以上、魔法という概念もあって然るべきですね。