17.買収
戻ってくるの早いよ!
その日の夕刻。
特務トウキョウ支部から大金を叩いて飛行機に乗ってやってきた彼女、澄川彩姫は、空港で大きな息を吸ってこう言った。
「はぁ……こ、これがッ! これがあの方の口にしていた空気……ッ!!」
変態である。
巌人のシャンプー狂いもなかなかのものだったが、この十四歳児の黒棺狂いも余程のものである。
彼女の何度も何度も笑顔で深呼吸している様を見た周囲の皆はドン引きしたような顔でその場を離れてゆき、数分後には彼女の周囲には誰一人として居なくなっていた。
「……おや? 何故ここは無人なのです?」
そして今頃になってそれに気がつく彩姫。
別に、彼女だっていつもからここまで変態をしている訳では無いのだ。
眉目秀麗、有智高才にその他もろもろ。
わずか十四歳にして大学までの全課程を修了し、異能を使わせればその強さはB級隊員とも同格である。
俗に言うところの、天才児。
唯一運動だけは苦手なものの、それ以外にさして苦手なことはなく、嫌いなものもさしてない。
強いていうならば──
「この街にいる無能の黒王……アイツだけは、アイツだけは許しませんとも。上司さんには『怒らせるな』なんて脅されましたが、所詮相手は一般人。可哀想なので殺すのはやめてあげますが、職場見学で特務に来たが最後、黒を名乗ったことを後悔させてあげますよ……」
そう言って彼女は、ふっふっ、ふっはっは、はーっはっはっは! と見事なまでの三弾笑いをして。
「あの……ちょーっと署まで宜しいでしょうか?」
「……えっ、あれ?」
空港内の、警察に捕まった。
☆☆☆
その晩、南雲家にて。
「兄さん、職場見学、どこ行くの?」
「ん? もちろんシャンプー会社だけど」
彩姫の作戦は粉々に砕け散っていた。
事情を知るものからすれば『もうちょっと新しいヒロイン候補を落とすの頑張った方が……』と言いたいだろうが、残念ながら巌人からすればそんなことは知ったことではない。
「もうアレだったね。選択肢の中にカタカナの『シ』を見つけた瞬間にそこを選んでたね。僕の身体中の全細胞がその選択肢を選べと教えてくれたよ」
「きも」
「はっはー、ツムは相変わらずツンデレだなー!」
まぁ、客観的に見れば紡のメロンソーダ狂いもなかなかのものなのだが、如何せん紡と巌人では会話に使う文字数が全く違う故、紡は全くと言っていいほど目立っていないわけだ。
巌人はソファーから立ち上がると、構ってほしそうに居間を彷徨いている紡の方へと視線を向けた。
「で、どうしたよツムちゃん、珍しく構ってほしそうにしてるけど」
「……ん、別に」
そう言うと紡はてくてくと歩いてきて、すぐ目の前のソファーに腰掛ける。それと同時にすぐ横をトントンと叩き、言外に巌人に横へと座れと告げてくる。
それに素直に従った巌人は紡と拳数個分の距離を開けて隣に腰を下ろしたが、それを見た紡は不満そうな顔をしながらその距離を詰め、巌人の右手にその両手を絡ませてきた。
「兄さん、なんか、モテ期襲来。そんな予感する」
「モテ期?」
巌人は意味不明な紡の言動に首を傾げると、そのぎゅっと腕に抱きついてくる紡の顔を覗き込んだ。
するとそれに気がついた紡はその真っ赤に染まった顔を腕に埋め、顔をグリグリと押し付けてくる。
傍から見れば、まるで巌人を自分のものだと主張しているようにも見えたが、その真意を巌人が聞こうと思った途端、彼女の口からは思いもせぬ名前が飛び出してきた。
「……カレン」
「……はい?」
駒内カレン。
まだ記憶に新しい、あの魔法少女の皮をかぶった大食いオーガである。ついでに超脳筋の直感屋。
そんなカレンの名前を何故紡が今出したのか、咄嗟に巌人は分からなかったが。
「カレン、兄さんの魂、見つけたらしい。で、親説得し終わった。だから、今度はこっちに、一人でお引越し、してくるって」
「はっ!?」
巌人は、初耳もいいところなその新事実に驚愕を顕にした。
確かに昔聞いた話だと巌人の魂はとてつもなく大きいらしく、街の外からでなければ視認できないレベルだという。
だからこそカレンへと紡が言ったあのヒントはかなりの助けになったであろうが、カレンが飛行機上から魂を見ようとするかどうかは五分と五分──いや、それ以下の勝率の低い賭けであったろう。
だからこそ巌人も内心では気になっていたのだが、残念なことに巌人はカレンの連絡先を知っていない。そのため『なるようになるさ』と考えていたのだが──
「なるほど……。つまりツムはまたカレンがサッポロに来たらちょくちょく遊びに来ると思って、その結果二人きりになれない時間が増えちゃうからこうして甘えてる、って訳だな」
「……知らない。ばか」
紡は内心をすべて見透かしたように言葉にする巌人に少し怒りを覚えながらも、それ以上の恥ずかしさで巌人の胸へと抱き着いた。
巌人と紡は、もうなんだかんだ言っても三年近い付き合いになる。それも両親のいないこの一軒家で、この三年間、ずっと一緒に暮らしてきたのだ。
だからこそ巌人は紡の事をよく知っているし、紡は巌人のことをよく知っている。
紡は子供のくせに大人っぽくて、けれどやっぱり大人に憧れていて、誰よりも強く、甘えん坊な小学生。
巌人は殆ど大人のくせに子供っぽくて、子供に甘く、義妹に甘い、シャンプーに狂った高校生。
巌人は自らの胸に頭を押し付けてきた紡をゆっくりと抱きしめると、頭を軽くなでてゆく。
そして──
「ただいまっすーーーっ!!」
「「…………あれ?」」
玄関の鍵が開いたような『ガチャッ』という声と共に、とてつもなく聞き覚えのある声が響き渡った。
その声の主はダダダッと廊下を駆けてきて、居間の扉を開け放つと、ソファーの上で抱き合っている巌人と紡を見て目を見開いた。
「なっ、な、なな、な、なに、なにしてるっすか!? 兄妹で馬鹿じゃないんすか!? もう死ねばいいと思うっす!」
意味分からないとばかりに巌人たちへと指をさし、そう騒ぎ出す脳筋魔法少女。
巌人と紡はお互い目を合わせると、彼女へと視線を向けてこう言った。
「「……え? 何で居るの?」」と。
そこに居たのは、噂をしていた駒内カレンその人であった。
☆☆☆
今現在、カレンは紡の前で正座していた。
そして巌人はそれを眺めながらも冷蔵庫を漁り、片っ端から様々な食材をかき集めているところであった。
「カレン、何か言うこと、ある」
紡は腕を組みながらそう告げると、うぐっと声を詰まらせたカレンは顔を背けながら、小さな声でこう告げた。
「ちょっと、驚かせたかったっすから、黙って来たっす。サプライズっす……」
「……これが? さぷらいず? 私と兄さんの時間を邪魔して、結果、さぷらいず? 馬鹿にしてる」
「ううう……ってそれよりもっすよ! 何でさっき二人で抱き合ってたっすか! 羨まし……くはないっすけどずるいっすよ!」
「カレン、黙る」
「うううっ、分かったっすよぉ……」
もはやカレンの轡を完全に握っている紡であった。
どうやら聞くところによると、転校手続きは済んでおり、着替え類や必要なものもすべて持ってきたが、要肝心な住むところに関しては何も考えておらず、夕方の便で空港に着いてからそれに気がついたカレンは、
『あ、また師匠の家にお世話になれば遊びに行く時間が必要なくなって万々歳っすね! さすが私、一石二鳥ってやつっす!』
と考え、結果南雲家に突入してきたとのことであった。
──だがしかし、それでも解せない問題が残っている。
「お前……どうやって鍵開けた?」
「ぎくっ!?」
自分の口で擬音語を発したカレン。
そう、紡は完全に忘れていたようだが、カレンは確かに鍵を開けてこの家に入ってきたのだ。巌人は帰ってきた時確かに鍵をかけたし、何よりもあの時はこんな音がした。ガチャッ、と。
すると彼女は居心地悪そうに姿勢を崩し、見事なまでのミスディレクションをかけながらも、そのコートのポケットに何かを放り入れた。そしてそれをもちろん見逃さなかった巌人と紡。
「ツム、ゴー!」
「いえっ、さー!」
巌人の掛け声によって体術Sランクの紡が飛び出してゆく。
それには咄嗟にカレンも立ち上がって反応しようとしたが、残念ながら長時間にわたる正座により足が痺れてそれどころではない。
紡はカレンの足を思いっきりゲシゲシと蹴りつけると、あまりにも残酷なその行為に脚を抱えて悲鳴をあげるカレン。そして紡は、彼女が未だに着ているその青いコートのポケットから、ペンギンのストラップが着いている合鍵を入手した。
「あー! そ、それはダメっすよ! 絶対に二人に渡しちゃダメだって言われてるっす!」
もはやその言葉だけで二人は誰がこの南雲家の合鍵をカレンへと送り付けたのか、大体の察しがついてしまった。
「「あの、父さん……」」
かなり『父さん』とは違う呼び方であった。
巌人の実の父親──南雲陽司はかなり特別な仕事に就いており、一言で伝えるならば『女が大好きな天才権力者』である。子供からすれば最悪だ。
そんな権力者である所の陽司がカレンについて知らない方がおかしい訳で、恐らくあのエロガッパは『ほれほれーとっとと女の子囲っちゃいなよー』とか思いながらこの合鍵を製造したに違いない。
それを思い浮かべた巌人と紡は額に青筋を浮かべ、しばしの沈黙の後に巌人は紡へとこう命じた。
「よしツム。その鍵焼滅させて、ついでにあのクソも燃やしてこい」
「いえっさ。今度こそ、息の根を止めてくる」
最早そこに一遍の迷いもなかった。
紡は左手に件の白い炎を召喚し、その鍵を近づけてゆく。
どこからか焦げたような匂いが漂ってきて、そのペンギンのストラップが徐々に日焼けしていく。
そして──
ダンッッ!!
突如として響いたその音に二人は思わず驚いてしまい、そちらへと視線を向けてカッと目を見開いた。
「「そ、それは……ッ!!」」
視線の先には、ぷるぷると足を震わせているカレンが机の上へと二つの物体を並べており、その顔には勝利を掴んだものの笑みが浮かんでいた。
──なにせ、カレンが並べたそれらは、その南雲陽司本人から送られてきたものであり。
片や、十三年前に現れたという聖獣級アンノウン、ペガウマの油から作られた、ペガ馬油シャンプー。
片や、悲劇の年より前に発売された、メロンソーダオタクならば一度でいいから飲んでみたいとされる、腐らないメロンソーダ。
それらを見た二人の反応は最早見るまでもなく。
「学校の教科書類、全部持ってきたか?」
「パジャマとか、着替えも、ね?」
「うす! 持ってきたっす!」
そうして南雲家に、駒内カレンが居候することとなった。
以上、『買収』でした。