157.真弓示現
大変長らくお待たせしました。
「ツムさん、今日も……っすね」
駒内カレンは、病室の外で呟いた。
それに応じたのは、海外より戻ってきた澄川彩姫。
彼女は壁に背を預け、腕を組みながら病室を見つめる。
「巌人さまが日本に送られてから……数日。いえ、こちらに戻るより前もあのような状態だったので?」
「そうっすよ……。なんだか、こう。師匠が倒れたってことよりも、それに対する怒りよりも……それを見て、聞いて。ツムさんの反応があまりにも小さくて……それが今は心配っす」
控えめに言って、二人の内心はごちゃごちゃだった。
絶対的な強さの敵と。
絶対的な強者の敗北。
その場に居合わせることができなかった無力感。
彼を倒した相手への憎悪。
これから来る戦争への不安。
全てが織り交ぜになった、暗黒色の負の感情。
――おそらくは、それを優に超えるであろう、少女の激情。
「師匠が殺されたって聞いて……ツムさん、『……そう』としか言わなかったっす。私が驚いてどうしようかって時に、逆にツムさんに落ち着けって言われたっす。……本来なら、その逆じゃないといけないはずなのに」
「……別に悔やむことではないでしょう。それだけあなたが巌人さまに好意を抱いているということ。べつに恥ずかしがることではないはずです」
どこか事務的な雰囲気すら感じさせる返答。
それには、カレンも思わず問いかけた。
「……彩姫ちゃんも、大丈夫っすか?」
「……大丈夫なはずがないでしょう」
大丈夫なはずがない。
身内を殺され、正常でいられるはずがない。
それが普通だ。正常だ。
だからこそ断言できる。
あの少女は普通ではないのだと。
「確かな怒り。……それこそ、私たちが病室に入るのをためらってしまうほどの怒気。……だけど、巌人さまの手を取る彼女の姿が……その光景が、私に『割り込むな』と叫んでる」
それは、一種の神聖だった。
病床に伏した青年の手を取る小さな少女。
その横顔はどこまでも慈愛に満ちていて。
その関係性の根底には、底なしの信頼があるのだと垣間見える。
言葉を返す余裕がないくらい、激怒していても。
腸が煮えくり返るような思いで居ても。
死に体の青年が再び立ち上がることを、これっぽっちも疑わない。
その激情に、悲しみだけは欠片もない。
だって、彼は再び立ち上がるから。確実に。
そういわんばかりの姿に。
二人は、病室に入ることさえできなかった。
「……べつに、はいってもいいのに」
ふと、声がした。
顔を上げると病室の扉は開かれていて、一人の少女が姿を現す。
「つ、ツムさん……!」
「とりあえず、えねるぎーの注入は終わったから。そろそろお出かけしようかとおもって」
彼女は病室の中を振り返る。
青年に動く気配は無かった。
世界最高峰の技術で傷のすべてが癒えただけの肉塊。
生物学的に、二度と動くはずのない死体。
どこまでも冷たく冷やされた病室の中で、青年は眠っていた。
「兄さんは大丈夫だから。私もそろそろ、うごかないとだし」
彼女の連絡器には、驚くほどの着信履歴が残っていた。
それだけ現状は切羽詰まっていて。
彼女はその履歴を一瞥し、病室にお別れした。
「またね兄さん。例のヤツ、殺したらまたくるから」
とてもさわやかな笑顔で。
それでも零れ落ちた憎悪は、どこまでも黒ずんでいる。
☆☆☆
「……まゆみじげん?」
「真弓示現です」
紡の不思議そうな声に、澄川彩姫は復唱した。
「……信用できるかどうかは別としても、時計塔の魔術師アイが示したのは、敵勢力の中核を担う最高戦力、真弓示現を味方に引き入れること。それだけでした」
逆に言うと、彼女はそれ以上を示さなかった。
曰く『すべては上手くいっています。真弓示現という存在以外は』とのことだ。
それだけその男を警戒しているのか。
或いは、その男以外を楽観視しすぎているのか。
(……いや、本当に記録盤とやらが説明の通りなら)
あらゆる記録を保持する彼女が、楽観などするはずもない。
といっても、それらの根底には『アイが嘘をついていない』という前提条件が必要だが。
彩姫はその考えをしまい込むと、自らのタブレットへと視線を落とす。
……いずれにせよ、信じるしかないのだ。
現状、これ以上悪い状況には陥らない。
それだけの危機的状況に、人類は陥っている。
なら、頼りない藁でも縋るしかない。
「しっかし、本当にこんなところで目撃情報あったっすか?」
ふと、二人の後ろから声がする。
彩姫は辟易とした顔を隠そうともせず振り返る。
「……なんでついてきたんですか」
「え?」
そこにはもう一人の同居人、駒内カレンの姿があった。
「貴方は特務ではないんですよ? 危険な任務に連れていくだなんて……」
「何言ってるっすか! 師匠が倒れて、最大最強のピンチに一人だけお留守番とか地獄っすよ!」
……まあ、猫の手も借りたいというのは正直なところ。
だけど、猫の手一つで覆る現状でもないのが本当のところ。
それに、特務以外の一般人を巻き込むのは、さすがの彩姫も憚られた。
「気持ちは凄く分かりますし、うれしく思うんですが……」
「彩姫。たぶん、言っても無駄」
困った様子の彩姫を前に、紡は呟く。
理念が正しくとも、実力が伴わなければ意味がない。
――とは、様々な場面で聞く言葉。
だが、その言葉がどんな場面、どんな相手にも『効く』とは限らない。
「……ほら、あれ。なんていうの? 魔法もなんか役立つかもしれないし。……それに、ほら。なんか……そう。私がまちがって燃やしたやつ、カレンの水なら消せるかもしれないし。それに、カレンの頑固さは我が家最強。だれも勝てない」
「またテキトーなこと言わないでくださいよ……」
紡までカレンの参加を望み始め、彩姫はいよいよため息を漏らす。
その様子を見てそわそわしだしたカレン。
彼女の様子を見ていた紡は、それに、と続ける。
「それに、カレンはつよい。すくなくとも、異能を使わなかったら。ここにいる誰よりつよい」
「……まあ、それは否定できませんね」
果たしてそういう場面が来るかは分からない。
だが、南雲巌人をして「天才」と言わしめた殴りの達人。
危険だと心配こそすれど……彼女の戦力は、本音のところでは喜ばしい。
「……まあ、紡さんがそういうのであれば、私から言うことはありません。……ただしカレン。守りませんよ? そういう余裕はありませんから」
「分かってるっすよ! 私が彩姫ちゃんを守るっすから!」
「なるほど……分かってないですよね」
気を引き締めるつもりの言葉も効かず。
気合を入れるようにガッツポーズをしたカレンに、二人は思わず苦笑い。
そんな二人の気持ちをよそに、カレンは彩姫の持っていたタブレットへと視線を向けた。
「で、その地図を見るからに、ここで目撃情報があったってことっすよね? その真弓示現とかいうご年配の人」
「……ええ、見た目は三十代のようですけれどね」
ここで話は本筋へと戻る。
二人と一人がこの場へとやってきた理由。
場所はサッポロの防壁内の一角。
あまり人の往来の無い、閑散とした工業団地。
その場所に、その建物は立っていた。
ボロボロの外装。
かつては光り輝いていたであろうカラフルな装飾。
看板は半分崩れ落ち、外観だけで文化遺産に登録されそうな勢いの廃屋。
『防壁が出来上がるより前からあった』と、誰かが言った。
その通りだと、三人はその建物を前に確信した。
それだけの年季があった。
ただし、それだけの『風格』は一切なかった。
でかでかと書かれた表札。
『パチンコ』と。
しかも害悪なことに、『パ』と『チ』の間に『・』がある。
なんたる醜悪。というかただの下ネタ。
彩姫は思いっきり顔をしかめた。
「パ・チン……」
「そこで区切らないでもらえますか?」
紡の呟きを最後まで言わせない。
この表札を呼んでしまえばそれが最期だ。
年若き少女として大事なモノを失ってしまう。
そんな彼女の心配だったが、しかし、隣にいた元気の塊は特に気にしていなかった。
「なるほど! パ・チ〇コっすか! 変な名前っすね!」
無言の拳骨が、カレンに堕ちた。
「――うごっ!? な、なにするっすか彩姫ちゃん!?」
「ああ、巌人さま……なんでここに居ないんですか……」
本来なら絶対的な影響力を持つ巌人の不在。
まるでツッコミ不在の漫才のような危機感を彩姫は感じた。
常識人の皮をかぶった非常識ブラコン、紡。
特に何も考えてない脳筋ブルマ、カレン。
南雲巌人が居るだけで色ボケる吸血鬼、彩姫。
なんたる混沌。
一時期はその一角を担っていたのかと思うと、彩姫は自分で自分が恥ずかしかった。
「そうだなぁ。南雲巌人が生きてたら、まだちょっとは楽しめたのかも知れねぇな」
「なにいってる。兄さんはべつに死んでないし……」
「「「!?」」」
何気なくかけられた言葉。
何気なく返した言葉。
それが、三人の警戒度を一気に引き上げた。
咄嗟に距離を取り、背後を振り返る。
その時には三人が三人とも臨戦態勢で。
目の前には、よく見知ったる次元の異常が渦巻いていた。
「わ、ワープホール!?」
「ご名答」
紡の肩に、背後から手が伸びる。
寸前で気配を感じた彼女は炎を噴き上げるが、その時にはすでに気配は遠ざかっていた。
たった数秒の攻防。
……いや、攻防というより、ただの悪戯。
それだけで紡の息は荒く上がり始めていた。
「へぇ。さすがは鬼の血統。これっぽっちで力の差を理解できるとは見上げたもんだ。白河の野郎は絶滅しただとかほざいてやがったが、ちゃんと生き延びてんじゃねぇか」
「しらかわ……白河言外か?」
声の主は遠くに座っていた。
崩れそうな看板の上。そこには白髪の男の姿があった。
ぼんやりとした目で空を見上げ、やる気の欠片も見当たらない。
それでも、異常なまでの恐怖があった。
ある一定の強さを超えると、直感で相手の力量が分かるという。
三人は既にその一定を超えていた。
その三人が、相手の強さに検討を付けられなかった。
その異常性。
南雲紡は断言できる。
相対し、相手の力量が分からない……などと。
未だかつて、南雲巌人を除いてそんな人物はあり得なかった。
絶対化……だとか。
能力における有利だとか。
そういったものを一切度外視した上で。
三人は初めて見た。
本当の意味で、『南雲巌人の同類』、を。
「なるほど……これは、敵に回しては勝てませんね」
相手側に南雲巌人が一人いるようなものだ。
加えて相手は異能を使う。
そんなもの、今の戦力でどうすればいいというのか。
なるほど『勝利の絶対条件』とはよく言ったものだ。
「おまえが……真弓示現?」
「ご名答。……はてさて、どっから情報が漏れたんだろうなぁ……?」
「おまえがこんなパチンコ屋にどうどうと出入りしてるから」
紡の即答に、真弓示現は額を手で叩く。
そりゃそうか、とでも言いたげな表情を前に、紡の額に青筋が浮かぶ。
「……お前には、聞きたいことがある」
「お願いしたいことがある。の間違いじゃねぇの? 仮にも人類、白河言外を止めるってなると、俺らのうち誰かを味方に引き入れないといけねぇじゃねぇか」
すでにこちらの思惑などお見通しなのだろう。
いうだけ無駄という彼の言葉に、紡はされど、否定を示した。
「いや、おまえに助けは求めない。人類が滅びようと関係ない。私にとっての世界は、どこをさがしたってひとつだけ。……白河言外は、その世界を傷つけた」
「ちょ、つ、紡さん!?」
彩姫の焦ったような声。
されど彼女は止まることはない。
彼女は憎悪を隠さない。
世界の存亡など興味もない。
ただ、彼さえ居てくれればそれでいいから。
だから、と。
南雲紡は暴走する。
「お前に聞くのはひとつだけ。――白河言外はどこに居る」
その怒気に。
真弓示現は、どこか眩しそうに目を細めた。
次回、南雲紡VS真弓示現