152.前日譚-兵たち-
今回の章、最終話。
「南雲巌人が殺された……だと?」
深い、深い、暗闇の中。
男の、愕然とした声が響いた。
その場所は現代日本において最大深度、最大強度を誇る巨大牢獄。
サッポロという都市の地下に続く、深度1000mにも及ぶ地獄の園だ。
その中でも、最も凶悪な犯罪を犯した者たちが投獄される場所。
最深層――『死の間』。
男の声は、その奥深くから響いていた。
「……いや、しかし。異能を失った状態でならば……可能性はあるか?」
「そうですね。現に、貴方は一度、南雲巌人を瀕死の重体にまで追い込んでいる」
牢獄に、もう一つの声が響く。
女の声だ。
闇の中から現れたのは、緑髪の秘書の女性。
腕を組み、暗闇の中を見下ろすその女性は、間違ってもか弱くは見えない。
絶対者、という存在が特務以外の人間をも含むのならば、その序列は間違いなく変動する。
そう言わざるを得ないほどの力。
それが彼女には、確かにあった。
「【電脳王】……といったか。それでも敗北という結果には変わりはない。私は真正面から南雲巌人と殴り合い、敗北した。……まあ、余計な横槍が入ったことは事実だがな」
「それでも。異能を失った後、南雲巌人が極限まで追い詰められたのは……たったの三度です」
言い方を変えれば――本気を出したのは、三度だけ。
そう、電脳王は言い直す。
「その内の一度は、今回の敗北。そして残る二度は――どちらもアンノウンと戦った際のこと」
彼女は暗闇の奥へと目を凝らす。
無数の鎖に繋がれて。
異能すらも封印されて。
身じろぎ一つで銃口が向けられる。
己が命のすべてを握られている状況で。
それでも、その怪物は健在だった。
「貴方を殺さなかった――あの時の巌人君の判断は間違っていなかった」
彼女は、牢獄の鍵を開ける。
ヒトならざる者。
それでいて、絶対者に匹敵――否、それ以上の力を持つ者。
絶望的な状況において、諸刃の剣となり得る者。
「力を貸しなさい。そうすれば、貴方を釈放すると誓いましょう」
闇の中で、人型の獣は笑った。
☆☆☆
屍が、天高く積み上げられていた。
いずれもが神獣級に匹敵する獣たち。
竜も、天馬も、死霊の王も。
誰一人として例外なく、拳一撃で沈められている。
まさしく死屍累々。
血臭が蔓延する地獄の中で。
獣は、肉を喰らっていた。
『apple』
傍らの本から、音声が響く。
肉を噛みちぎり、咀嚼し。
人型の獣は遠方を見る。
強者の気配だ。
誰とも知らない、兵のニオイ。
北の方から、いくつもソレが感じられる。
その内の一つは見知った気配。
己が生の中で、唯一敗北した、強者の気配。
……それが、どういうわけかとても弱弱しく変化していた。
獣は困る。
やっと見つけられたのに。
これほど弱くなったのでは、ニオイで追うこともできやしない。
自分はあの当時よりも強くなった。
獣を喰らい、強者を嬲り、言葉を覚えた。
あるていどは。
今なら、あの当時の『彼』には勝てる。
彼と語れる。
今度は勝てる。
それだけの自信があった。
だというのに。
『pen』
本から音声が流れてくる。
幼児向けの、英語の本。
簡単な英単語しか流れないうえに、半分壊れたガラクタの玩具。
人型の獣は、本を大切そうに抱え込み、喰らった骨を放り投げる。
頭は冷えた。
かつて、頭を冷やして出直して来いと言われたから。
だから、時間をかけてゆっくりと。
言葉を覚え。
知恵を蓄え
力を増して。
ただ、一人の人物のため。
世界最強格の獣は、異次元な強さを身に着けた。
『我が主よ、貴方はどこに居るのだろうか?』
彼を思うと、雌が疼く。
絶対的な強者である自分を、唯一打ち負かした一般人。
今度は負けない。今度は勝つ。
そして、私を従僕として認めてもらう。
獣は再び歩き出す。
向かうは――とりあえずは強者の気配がする方向。
それが貴方の敵ならば、全身全霊で屠り去ろう。
それが貴方の味方ならば、貴方に繋がる橋になろう。
それが全く無関係な強者ならば……己が糧として喰らい尽くそう。
『貴方のためならば、どんな道でも――』
人型の獣は、薄曇りの下で嗤う。
次回、最終章【紡ぐ物語】編、開幕!
長かった物語もついにフィナーレです。