150.最悪の考え
――場所は変わり。
イギリス国内の、緊急時の避難場所。
それは数年前に……他でもない、黒棺の王が作り上げた【模倣防壁】の内部だった。
模倣といえど、作った本人が規格外。
あくまでも、試験的に作り上げたコンクリート壁。
だが、防壁の『反射』という性質を除き、ありとあらゆる面で同等――あるいはそれ以上の性能を誇る。
ある意味、世界一安全な避難場所と言えるだろう。
それらに囲まれた避難場所には多くの難民が肩を寄せ合い、震えている。
その中心地にて。
数名の特務隊員達が集い、電話越しに耳を傾けていた。
『――とりあえず、今出来る限りのことはしたよ。あとは信じて待つしかないさ』
話をするのは英傑の王――枝幸紗奈。
彼女は動かなくなった南雲巌人を抱え、地球の反対側――オーストラリアの近辺にあるという、とある病院へと駆けていった。
無論、その速度にはジェット機でもついて行けない。
どれだけ心が締め付けられようと。
悲しみに涙が溢れようと。
一緒にいることは出来なかった。
『――大丈夫かい、彩姫ちゃん』
呼びかけられた声に、少女――澄川彩姫はハッと目を見開き、咄嗟に声を返そうとする。
だが、それよりも先に近くにいた男性が口を開いた。
「……こちらは任せたまえ、英傑の王。私のような犯罪者を信用しろとは言えないけれど――一度携わった仕事だ。仲間の面倒くらいは最後まで見させてもらう」
元・六魔槍。
グレイジィ・ブラックリスト。
世界で最も炎の扱いに長けた異能力者。
彼の言葉に、正義の味方は電話越しに嫌そうな声を漏らしたが、しばしして、絞り出すように口を開く。
『…………信じるつもりは無い。だから脅す。彩姫ちゃんをしっかり守れ。じゃないと殺す』
「フハハ。今のヴァンプガールの力量なら、むしろ私の方が守られる側だと思うのだがね」
冗談交じりにそう返すと、不機嫌そうに通話が切れた。
その電話を見つめ、同じく部屋にいたもう一人の男が口を開く。
「しかし……何度聞いても信じられませんね。あの、南雲くんが敗北した――だなんて」
特務隊員――A級最強の男、入境学。
彼もまた、巌人と黒棺の王を同一人物だと知る数少ない人物のひとり。
「……その通りだとも」
対し、グレイジィは言う。
「南雲ボーイは確かに弱体化した。が、別種とはいえ相当高位な強さを得ていた。……言うなれば、かつての西京麟児……六魔槍のNo.2の完全なる上位互換さ」
確かに4年前は怪物だった。
だが、今の彼もまた十分に化け物だった。
彼自身は『過去には劣る』と断言するだろうが、傍から見れば……今の青年は、四年前の強さに限りなく近い場所までたどり着いていた。
それほどまでの、腕っ節の強さ。
それが、真正面から打ち破られた。
「……ありゃ、人間じゃねぇな」
ふと、声がする。
声の方向へと視線を向ければ、部屋の入口には1人の少年が立っている。
その顔から自信は失墜し、今や疲労感だけが浮かんでいる。
「死の帝王……弟子屈くん」
「おう、入境。久しぶりだな」
彼は部屋の中へと入ってくると、近くの椅子に座って天を仰いだ。
その身体中には多くの傷跡が刻まれていて……彼も彼とて、かなりの死地にあったのだと想像がつく。
「我ながら……自分の弱さに反吐が出るぜ。俺が強けりゃ、もうちっと違う未来もあったのかも――って。そう思わずにはいられねぇ」
話には聞いている。
巌人と別れた彼は、英傑の王へ救援を要請しようと街を走ったが、その道中で複数体の神獣級と遭遇。
いずれも格上の怪物ばかり。
彼はそれら十体余りを打ち倒し、枝幸紗奈の元へと向かった。
そして、彼女を伴って現場に戻ったその時には……もう、何もかもが遅かった。
「今回、俺を責めたって文句は言えねぇぜ? 俺が強けりゃ、何とかなってた話だからよ」
「……死の帝王」
彩姫は彼の言葉に、少しだけ反応を示す。
しかし、直ぐに大きく息を吐くと、椅子に座った彼を見る。
「……いいえ。貴方には責任はないでしょう。巌人さまならそう仰います。責任を問うべき相手を見誤るな……と」
「……ケッ。あの野郎が言いそうな正論だこと」
付き合いは短いが、弟子屈も巌人がどういう人間なのか、どういう性格をしているのか。多少なりともわかっている。
だからこその発言に、彩姫は少しだけ笑みを見せた。
そうだ。
彼が今を見ていたのなら、何を落ち込んでるんだと喝を入れるに違いない。
「多分大丈夫だろ」って。
そんなことを言いながら、心配するなと笑ってくれる。
その笑顔が容易に想像つくからこそ、彩姫は折れずに済んでいた。
「問題は山積みです。巌人さまを負かした白髪の老人もそうですが……私たちがこの国に来た当初の目的が果たせていません」
噂に聞く白髪の老人。
命からがら避難した人々の中にも、その姿を見たものは何人かいるようだ。
スーツ姿の、白髪の老人。
無数のアンノウンを引き連れていたという目撃証言と、更にはこのタイミングで巌人を襲ったという事実から……最低限、幾つかの客観的事実は突き止められる。
「第一に、状況的な証拠から、サッポロやロンドン……その他、防壁の消失に関わっているのはその老人ということで間違いないでしょう」
サッポロの襲撃事件。
その際に防壁の一部が破壊されたことは記憶に新しい。
そしてその際、南雲巌人が参加していたという、とあるイベント。
その記事が新聞の片隅に出ていたのを、巌人のストーカーと化しつつある彩姫は覚えていた。
「シャンパー・リンスイン。恐らくは偽名と思われますが――サッポロの襲撃事件の際、白髪の老人があの町にいた事実は確かめてあります」
「白髪の老人か……。たしかに珍しいネ」
異能が目覚める前。
古き時代には、老化によって髪の色素が抜けるということもあったらしい。
だが、異能により髪色が変質した今、老化における白髪、というのは滅多なことでは起こりえない。
100%無い……と言うことは無いが、それでも、世界を探しても片手の指で足りる程だろう。
ただの偶然……なんて言葉で、片付けていい問題じゃない。
「何者かが、防壁を消す術を持ち、更には南雲巌人を圧倒するだけの肉体強度を誇る。加えてアンノウンと共闘関係にあるというのかい?」
「……常に、最悪は考えておくべきでしょう」
それでも、彼女が言わなかったこともある。
あえて言及しなかったこともある。
あくまでも――共闘、と言い表した。
しかし、だが。
もしもそれが、一方的な支配であったなら。
そう考えた時、背筋が凍る。
いつから居たのか定かではない。
どうやって出来たのかも分からない。
そんなアンノウンが、一方的に支配される。
人類史を遡れど、アンノウンを支配できた異能は存在しない。
つまるところ――普通の人間には、どうあがいても不可能な無理難題ということ。
ならばと考える。
ならば、誰ならばアンノウンを支配、操ることができるのか。
……その答えは、最悪の予感と共に導き出せる。
人間が、宗教という縛りで神に支配されるように。
アンノウンを作り出した何者か。
そんなものが、仮に存在するのだとすれば。
「……アンノウンの上に、誰かがいる」
ふと呟いた言葉に、反応は無い。
ここにいる面々は馬鹿ではない。
全員が全員、薄々勘づいていた。
アンノウンは、造られた。
誰かの手によって創造された。
そして……もしも。
もしも万が一、造られたのがアンノウンだけでは無いのだとすれば。
「……アンノウンの出現と、異能の発現。時期的に出来過ぎてる……たぁ、最初から思っちゃいたけどよ。まさかだぜ、オイ」
自分たちの持っている力。
――異能。
それすらも、彼らの創造物なのだとしたら。
「……巌人さまは、ここまで察していたのでしょうか」
仮に異能が【創られた】ものだとして。
異能を創った者が、アンノウンの側だとしたら。
その【製作者】は、異能の【壊し方】だって知ってるはず。
そこまで妄想と想像で仮定さえすれば。
アンノウンの襲撃事件。
異能保有者の突然死。
そして、南雲巌人の敗北。
全てに明確な答えが出来る。
「……南雲巌人だから狙われたのか、事実に勘づいたから狙われたのか……定かじゃねぇが、全くの検討はずれ、って訳じゃねぇだろうな」
いずれにしても――南雲巌人は狙われるだけの立場にあった。
そして事実、狙われた。
ならば、今考えている最悪は、現実であると仮定すべきだ。
相手はアンノウンを自由自在に操っていて。
異能者を突然死させられる、何らかの術を持つのだと。
「しかし……今回の平然と行えるだけの戦力を持ち――最高武力は南雲巌人を優に超える。加えて、異能力者を即死させられる力もあるとは……」
「……絶望的、ですね」
打開策を見つけ出すことも、もはや難しい。
唯一無二、この絶望を打開できたであろう存在は、既に倒れて意識もない。
……いいや、だからなのかもしれない。
『異能を保有している』という即死の条件から外れているからこそ、彼は、ピンポイントで狙われた。
「はっ、考え始めたらキリがねぇな」
「根っこは仮定だとしても、その先の辻褄がここまでピッタリとハマってしまうとね」
探偵が犯人の思考回路を読み解くように。
僅かなヒント、痕跡、それら諸々から導き出した答えは、恐らく、限りなく正解に近いものだ。
ただ、それでも。
だからなんだと呼ぶべき最悪に、既に至ってる。
読み解けたからなんだ。
想像が出来たからなんだ。
戦力が分かったからなんだ。
状況把握が出来たからなんだ。
だからって、この状況から何が出来る?
そんな声が聞こえてきそうで。
彩姫は思わず、歯を食いしばった。
こういう時に、彼が居たら。
そう思わずにはいられない。
彼ならきっと、何とかしてくれる。
それだけの実績と、強さと、信頼。
思わず縋りつきたくなるような、大きな背中。
知らず知らずに心の中で大切なものを支えてくれていた――絶対的な強さの支柱。
それが、ぽっきりへし折れた。
もう、彼は居ない。
あまりの絶望に、目の前が暗くなる。
ふと、グレイジィが彩姫に声をかける。
「……ヴァンプガール? 気を確かに――」
「…………」
声は、届かない。
少なくとも、彼女の耳には入らない。
それだけの重圧、それだけの絶望。
それだけの不安が身を締めた。
彼女は俯き、暗い空気が辺りに漂う。
敗色しか、存在しない。
戦う前から負けている。
そんな嫌な空気感。
その中で。
「……もし」
ふと、聞き覚えのない声がした。
その声に、面々は入口の方へと視線を向ける。
――いつの間に。
それが彼らの共通認識。
気配に全然気づけなかった。
たとえどれだけ傷心していようと。
たとえどれだけ疲れていようと。
事実、A級以上の実力を持つこの面々が揃っていながら、全く気配に気付けなかった――だなんて。
不安から一転、警戒が空間を占める。
殺意すら漂うような空間の中で、その女は自らへと一瞥もくれない――否、自らに気づくこともできない状態の彩姫を見る。
「……少々、これは予想外の展開ですが」
そう、最初に呟いて。
女はその場で一礼をする。
「こんにちは、皆々様。私はアイ。時計塔の魔術師であり、全てを知るもの」
そして、と彼女は続ける。
――時計塔が保有する記録盤。その管理者でもあります、と。