148.最強の異能
生々しい感覚だった。
生まれて初めての痛みだった。
体内を、強烈な異物が貫いた。
内臓を押し退けて。
壊しちゃいけないモノをぶっ壊して。
絶対に崩れぬよう、必死に鍛えた肉体を。
あろう事か、豆腐のように貫いた。
「…………がほっ」
視線を下ろす。
……なんだ、これは。
人間の腕か?
しわくちゃな老人の手。
しかしその手に傷はなく。生まれてこの方戦ったこともないような……綺麗な手だ。
そんな手が、僕の胸から生えていた。
「……ッ」
硬直したのは、ほんの一瞬。
すぐに背後へと裏拳を叩き込む。
もちろんそれは、全力全霊。
この街をぶっ壊すつもりで放った――放ってしまった、とっさの一撃だったはず。
だと、いうのに――。
「……怖い青年だ。こんな老人に手を上げるかね」
その拳を、奴は片手で受け止めた。
「――ッ!?」
衝撃が周囲に響く。
余波だけで建物が吹き飛び、一撃の威力を大いに物語っていた。
だと言うのに、この男は――。
「……っ、む、無傷……だと」
「見て分かることを言うのだね。南雲巌人」
僕の一撃を、片手で軽々と受け止めて。
その上で、全くの無傷。
強がっているわけじゃない。
本当に、何ひとつとしてダメージが入ってない。
経験と直感から、そう察した。
この男は、何かおかしい。
恐怖よりも、絶望よりも。
胸に飛来したのは痛みと困惑。
そして、圧倒的な【死】の予感。
すぐさま老人へと蹴りを入れると、無理やりに胸から老人の手を引き抜き、距離を取る。
「な、南雲……!」
弟子屈君の悲鳴が聞こえた。
胸から血が止まらない。
口から、目から、流血が始まった。
重症……って言葉で済めばいいけれど。
間違いなく、生まれて最大の瀕死状態。
「来るな……ッ。き、君が……どうにかできるような相手じゃない……!」
腹から出た声に、彼の歩みは停止した。
彼を睨むと、その体が目に見えて震える。
強くなっても、成長しても。
やっぱり君は、まだまだ子供だ。
僕からしたら、紡と何も変わらない。
僕が命を賭して、守るべき対象。
「紗奈さん……でも、さすがに無理か」
彼女なら、いけるかもと一瞬思った。
だけど同時に考えた。
彼女がこの域に来るまでに……一体どれだけ死ねば済むのだろうか、と。
仮に僕と同列に並ぶまで来れたとしても……この老人はそれを遥かに上回る。
仮に、素の力で今の戦闘能力なら。
そう考えて、僕は苦笑した。
「……四桁……ってこたァねぇよな。闘級」
僕の言葉に、老人の目が細まる。
「……何故、そう思うのかね」
「さぁな。長年の勘って奴かな」
見たところ、さすがに四桁は言い過ぎに思える。その程度……と言っては語弊がありすぎるが、それでも今の言葉は誇張表現だ。
ただ、それでも。
人型のアンノウンと戦った時に感じた――まだ先があるという嫌な予感。
それと同種のものを、この男から感じた。
「……思えば、この前に会った時から、妙に強そうな爺さんだと思ってたよ」
「……ほう」
僕の言葉に、老人に喜色が浮かぶ。
……サッポロが襲撃されたあの日。
街中で僕は、とあるイベントに参加していた。
その時に一度、この爺さんには出会っていた。
「シャンパー・リンスイン氏。……今にして思えば、あまりにもふざけた名前だよな」
あの当時は頭がイカれてたのかな。
明らかに偽名だろ。
なんで騙されてたのかな。
南雲巌人の最大の弱点。
それはきっと、シャンプーが絡むと途端にポンコツになることだと自分で思う。
……ただ、それでも言い訳をさせてもらえるならば。
実際に出会って、話して、握手して。
只者じゃないと、肌で感じていた。
それは腕っ節の強さではなく、大人としての強かさなのだと勝手に勘違いしていたんだけれど。
「人間じゃないな。……何者だ、アンタ」
一切の回り道なく。
シンプルに、直線的に問いかけた言葉に、白髪の老人は笑みを浮かべる。
「惜しいよ青年。我らを除いて唯一『真白』へと至った人物。史上最強の異能を手にした怪人怪物、物の怪の類。君を賞賛する言葉はいくらあっても足りはしない」
物の怪……か。
褒められた気はしないが、否定もしない。
無言を貫く僕へ、男は続ける。
「そして、畏敬の念を共に抱くよ。実を言うとね。生まれて初めての恐怖だったのさ。私の異能が劣るかもしれないと。そんなことを思ったのはね」
「……質問の答えになってないが」
お前は何者なのか。
ただそれだけの問いに、なにを長々と言っているのか。
僕の出血死までの時間稼ぎかな?
だとしたら、アンタの言葉遊びに付き合うことは出来そうにない。
僕は何とか立ち上がる。
その姿を見て、男はやはり笑うのだ。
「答えは単純、私は神だよ」
荒唐無稽なその言葉。
笑おうとした――その刹那。
極限まで集中していた視界の一部が、僅かに男の初動を捕らえた。
「そして神たる私は思うのだ。惜しい男を亡くすことになると」
「……ッ!?」
信じられない速度。
純粋な身体能力は――僕と五分五分。
つまるところ、やべぇってこと。
爺の体は、一直線に僕へと向かう。
握りしめられた拳からは、なんの脅威も感じない。さしたる殺意も感じない。
それこそが、何より不気味だった。
咄嗟に僕がとった行動は、全力防御。
両腕を固め、完膚なきまでにガードを固める。
絶対に崩されないよう。
何者にも負けぬよう。
両の腕に力を込めて、痛みを覚悟する。
――その防御を、容易く拳が貫いた。
「――――!?」
骨折、なんてものじゃない。
一瞬、体が水になったように感じた。
こちらが水で、向こうが鉄球。
耐えることなどできるはずもなく、爺さんの拳は防御を貫通、腹に深々と突き刺さった。
呆れ果てるほどの――『硬度の差』。
いいや、違うなこれは。
この現象を、僕は知っている。
ドアノブが豆腐のように崩れることを。
壁がゼリーのように抉れることを。
ひとつの異能で、あらゆる硬度が逆転するということを――嫌ってくらいに知っている。
「クソッタレ……がァっ!」
両腕が砕けながらも、なんとか声を絞り出す。
殴られた腹の痛みを堪え、目の前の腕へと膝蹴りをぶちかます。
炸裂するような音で空気が弾け、蹴り上げた膝が音速を超える。
神獣級だろうがなんだろうが、一撃で屠れるだけの一撃に……されど、爺は動かない。
ただ、優しげな笑顔を浮かべるだけ。
「無駄だよ。私は絶対なのだから」
膝蹴りが炸裂する。
腕をへし折るつもりで放った一撃。
されどそれは――真逆の結果に落ち着いた。
「――ッ!?」
膝が、砕けた。
対して相手の腕は、全くの無傷。
……やっぱりだ。
内臓に両腕、片脚。
それらを賭けて、この男の【異能】におおよその理解が及んだ。
そして理解が及ぶと同時に、絶望が押し寄せてきた。
今、僕の顔には何が映っているのだろう。
僕の目には何が見えているのだろう。
僕を見て、笑う男は。
今、何を思うのだろう。
「くは」
笑い声が聞こえた。
楽しくって楽しくってしょうがない。
まるで子供みたいな、無邪気な声。
殺意なく人を殺し。
玩具のように、人を壊す。
強さよりも、その異能よりも。
僕はその人間性に恐怖した。
……まぁ。
だからといって逃げるほど、僕は楽な人生歩いてきちゃ居ないけどさ。
僕は大きく息を吐く。
そして、後ろの弟子屈君へと視線を向けた。
「弟子屈くん、言伝を頼めるか?」
「こ、言伝って……お、おいお前! そんなことよりさっさと傷を――」
この場で僕の心配か。
恐怖よりも先にそれが来るなら、君はやっぱり良い子なんだろう。
だからこそ、さ。
君には死なれちゃ困るんだ。
だから、生きて。
この言葉、そのまま彼女に伝えて欲しい。
僕は笑う。
愛しい義妹の姿を想って。
僕は、やっぱり心配せずには居られない。
「自分のために生きろ。そう、紡に伝えてくれ」
残る足で、大地を踏みしめる。
アスファルトが砕け、近隣の建物が崩れてくる。
僕と弟子屈くんの間に巨大なビルが崩れ落ち、彼と僕らの分断が済む。
「……良かったのかね? 君では私に敵わない。それは、他でもない……君が最もよく知っているんじゃないのかな」
僕が誰より知っている、か。
……確かに、言われてみればその通りだ。
お前の能力……その詳細まで分かったわけじゃない。
ただ、その力。
本質だけなら、理解した。
「【存在力】……だろ?」
男は笑う。
最高のおもちゃを見つけたように。
僕の言葉に、決して笑顔を崩さない。
「だったらどうする?」
「どうもしないさ。僕がすべきは生きること。生きてこの命、義妹の元まで繋ぐこと」
この街を救いたい。
その気持ちには一部の陰りもない。
ただ、それでも。
この男をここで逃がせば、この街だけの話じゃない……世界中の人達が死滅する。
それは何がなんでも、僕が止める。
……いいや、違うな。
僕じゃないと、止められない。
「悪いが、その力のことなら知り尽くしてる」
砕け散った拳を握る。
血が滴り、視界が揺れる。
体の芯もブレブレで、足元もあやふやで。
だからこそ、だろうか。
瀕死の僕を前に――男は、初めて笑みを消し去った。
「空元気。そう言い切れれば楽だったのだがね。君の場合は『そこからが強い』のだろう? 嫌になってくるね」
「是非、油断してくれよ。そしたら勝てるかもしれないからさ」
街が崩れてゆく。
崩壊は止まらない。
化け物たちの咆哮が響き渡る。
血潮に染った視界の中で。
もう、終焉は始まっていた。
「じゃあ、終わらせようか。君の生」
男は、拳を握る。
僕は決死に前を見る。
両腕片脚、内臓に。
ひとしきりの体のダメージ背負い込んで。
僕は両の拳を構えた。
「その言葉、そのまま返すよ」
☆☆☆
そして、街は壊れゆく。
無数の被害と、奇跡的な数の生存者。
街がひとつ崩れ去り、複数体の神獣級が攻め込んできて……それでもなお、多くの人が生き残った。
その破壊と奇跡の真っ只中に。
一人の老人が立っていた。
「おい、爺さん。大丈夫かよ」
ワープゲートが開く。
その中から現れたのは、同じく白髪の男。
彼は爺さんと呼んだ男の姿を見て、信じられないと言わんばかりに目を見開く。
「……って、マジで大丈夫かよ。いや、最初の大丈夫か、ってのは半分嫌味だったんだけどよ」
「……大丈夫。に見えるのだとすれば、眼科にでも行くべきかもね」
老人は、片腕を押さえて汗を滲ませる。
老人は知っていた。仲間の男は知っていた。
絶対に老人の体は傷つかない――と。
何故ならそういう異能を持っているから。
――だと、いうのに。
「――片腕、持っていかれたよ」
その腕は完全に潰れており、少なくない出血が続いている。
目の前に倒れる、青年を見る。
彼は既に事切れている。
それだけの傷、それだけの出血量。
これで生きているのなら、それはもう一生命体として成立しない。
それだけの破壊を行った。
「……らしくねぇな。爺さん。アンタが必要以上に人間を壊すなんてよ」
「……そうだね。もしやすると、怖かったのかもしれない」
異能とは絶対だ。
物理法則を歪め、この世の法にすら抗う。
それが異能。
――それをこの少年は、腕力一つで覆した。
あり得ない。
ただの腕力で存在力を打ち負かすなど。
あってはならない――そんな奇想天外が、現実として襲ってきた。
老人は、大きく息を吐く。
「仮に、彼が本来の異能を持っていたら――」
数年前とは桁外れの身体能力を持ち。
加えて、数年前より習熟した異能を用いていたのなら。
そんな可能性を、ふと考えた。
だけどすぐにやめた。とんだ悪夢だったからだ。
「まあいい。死した存在に恐怖しても意味はないからね」
老人がそう言うと、再びワープゲートは開く。
最後に振り返った先では、物言わぬ骸が転がっていて。
老人は目を細めて――最後には視線を切った。
遠くから、気配が近づいてくる。
おそらくは絶対者たちだろう。
まあ、勝てる。
勝てるだけの戦力はある。
だがしかし。
「……救われたな、人の子たち」
片腕の痛みに顔をしかめて、老人はゲートの中へと姿を消した。
今はまだ、焦るときではない。
最大戦力――南雲巌人は、ここで死した。
ならば、最後の仕上げは傷が癒えてからでも遅くはない。