146.至高の英雄
お・ま・た・せ
自分が壊れている。
そんなことは既に自覚していた。
……人によっては、壊れていることを自覚している時点で、本当に壊れてはいない……と、そういう人もいるかもしれない。
だけどね。
ボクはそうは思わない。
壊れてる。
そう自覚した上で、変わらずぶっ壊れてるボクこそが、本当の意味で壊れているんだと思う。
何気ない考え。
特に考え無しの言動。
それが後々思い返すと、随分とまぁ倫理から外れてる。
見事にイカレてる言動だなぁ、って他人事のように思う。
でも、当時のボクはそれが最善だと思って言動していた。
ただ、それでもね。
ふとした瞬間に思うんだ。
ボクの何気ない言葉。
悪気の無い考え、良かれと思った行動。
それに、君が怒りを見せたとき。
ボクは思うんだ。
ああ、なんでボクは、普通に生きられないのかな、って。
☆☆☆
それは戦闘と呼ぶにははばかられた。
澄川彩姫はそう思う。
どれだけ力を得たにせよ。
どれだけ努力を重ねても。
未だ届かぬ蹂躙が、そこには在った。
「あははははははははははっはははっはははははっははははっははははっはははははははははっはははははははははっははははははははははははははっははははははははははっははははハハハハハ!」
それはまさしく、蹂躙である。
迫りくる無数のアンノウン。
それが、たった一人の女性の手により、蹂躙されている。
剣を振れば鮮血が飛び散る。
腕を薙げば血肉が弾ける。
前蹴り放てば骨が砕ける。
まるで暴走した列車のごとく。
止まらない。
止まる気配が見当たらない。
彼女は死に絶えるまで止まらない。
――否、死したとしても止まらない。
『こ、この……イカレ外道が!!』
おそらくは神獣級のアンノウン。
巨大な鹿の下半身に、凶悪な虎の上半を持つ怪物。
まるでケンタウロスをそのまま凶悪という概念で武装したような。
まさしく悪と呼称したくなるような敵がいた。
その敵は、拳一発で炸裂した。
闘級は軽く100を超えるだろう。
今の彩姫でさえ苦戦は必至。
並みの国なら単体で亡ぼせる大怪獣。
それが、たったの一撃。
その理不尽さ。
澄川彩姫は――痛いほどに覚えがあった。
「……まるで、巌人さまじゃないですか」
その女性の全身から、血のような蒸気があふれ出す。
既にその体は過剰に稼働し、尋常ではない熱を帯びている。
人体の限界、オーバーヒート。
幾らでも言葉は当てはまる。
だが事実、それは半分死に近い。
人体をその域にまで達せしめる存在はないだろう。
ただ一人、彼女を除いて。
全身から熱が吹き上がり、返り血を尽く蒸発させる。
触れるだけで肉を灼く。
握り締めた剣の温度は上昇し、刀身に陽炎が纏う。
細胞が沸騰し、肌の表皮から炎が上がる。
それだけ高温に高められた肉体……常人ならば間違いなく死んでいる。
にもかかわらず。
それでも彼女は、笑っていた。
熱にうかされ。
頬から真っ赤な炎を噴き上げ。
狂気の限りに笑っていた。
「あははははっははははは!! 此処は地獄かな、あるいは正義の味方の天国か! ここには人を殺す悪しか居ない! 過去も何も関係なく、ボクの守るべきものを壊す悪! つまりはボクの殺戮対象さ!」
大地を駆ける。
彩姫の目をして、捉えるのも難しい超速度。
気が付けば多くのアンノウンは細切りにされていて、あふれ出した鮮血に、隊列の多くが後ずさる。
それを前に、気狂い勇者は突っ込んでゆく。
その光景にはさしもの彩姫も肝を冷やした。
「……っ!? え、枝幸さん! 一人で突っ込み過ぎです!!」
空を駆け、彩姫もまた敵の軍勢へと突っ込んだ。
あれだけの強さ。
あれだけの理不尽さ。
確かに巌人に近いものがある。
むしろ、それ以上だって充分ありえる。
だけど、それでも――。
強者と無敗はイコールではないと知っている
体中を念動の盾で包み込み、敵軍の中心地帯でありったけの力をぶちまける。
周囲の敵が吹き飛んでゆき、それを前に勇者はぽかんと目を丸くした。
「……あれっ?」
「……あれっ? じゃないですよ!!」
彼女はそう叫んで、勇者に距離を詰める。
その肩をがっしり掴み。
悲痛な光景を脳裏に蘇らせて。
必死になって声を上げた。
「この世界に、最強無敗なんて居ないんですよ! 他でもないあなたが、それは1番知っているでしょう!!」
最強無敗。
その言葉にふさわしい男が、かつて居た。
だけど、それも永遠ではなく。
彼は力を失い、弱体化し……そして、遂には倒れるにまで至った。
彼が倒れたのが、たった数ヶ月前のこと。
その時の光景を思い出し、彩姫は歯を食いしばる。
そして、勇者の肩から手を離し、魔物の群れへと振り返る。
その背中を……勇者は、なんとも言えない顔で見つめていた
「……正気かい。ボクは君よりずっと強い。キミとボクで戦うよりも、ボク一人で突っ込んだ方がずっと早い」
「確かに早いでしょう。ですが確実ではない。私が隣で戦います。貴女の背中を預かります」
今、何より優先すべきこと。
それは速さであり。
1人でも多くの人を救うこと。
そのふたつは両立している。
一刻も早く事態を解決させること。
1人でも多くの人を生き残すこと。
それらは確実につながっている。
しかしながら。
速さを追求すれば、確実に人が死に。
人を守ることを優先すれば、確実に遅延する。
それは勇者をしても抗えない。
それだけの余裕が今はない。
だからこそ。
彩姫は勇者の隣に立った。
彼女の前に躍り出た。
狂気の傍に寄り添った。
「貴方は強くとも至高ではない」
彩姫の言葉に、勇者は大きく目を見開いて。
……やがて、吹き出したように笑った。
そして、彩姫の隣に並んだ。
「……さっすが、巌人くんの彼女候補生。言うことがあの子とそっくりだ」
「彼女候補ではなく未来の妻です」
「ほら、そういう所の頑固っぷり。羞恥心は無いのかな……」
そう言って、彼女は剣を握る。
ふと、空を見上げる。
曇天だ。
空から雪が降り始める。
そういえば、あの日もこんな日だったなって。
ふと思い出して、笑ってしまった。
「……君たちは、どこまでも」
ふと、口に出た言葉。
されどその先を言おうとして。
やっぱりやめた。
「……? な、なにかありましたか?」
「いんや? また生意気なA級隊員も居たものだな、ってさ」
前を向く。
既に敵軍は目の前にまで迫っていて。
勇者は笑って、剣を振り被る。
☆☆☆
ボクは、壊れている。
その事実は変わらない。
だけど、なんなんだろうね。
『紗奈さん、もしかして太りました?』
『失礼だな君は』
数年前を思い出す。
白髪だった少年との記憶を思い出す。
あけすけのない……容赦のない。
いいや違うかな。
あれはきっと心を許してくれていたんだと。
今になって思うようになった。
『今日から君は絶対者だ。あまり女の子に荒事はお願いしたくないけれど……頼りにしてるわ、枝幸紗奈ちゃん』
十年前を思い出す。
ボクがその座に君臨した時のことを思い出す。
日本の防衛大臣たるその女性を思い出す。
彼女はボクに頼ってくれた。
ボクの実力を認めてくれた。
過去も何も聞くことはなく。
ただ、受け入れてくれた。
『おう! おまえだな、さいきん、ちょーしのってるってやつは!』
二十年前を思い出す。
まだまだ子供の頃。
異能が発現して間もない頃。
家族を殺した男を殺して。
誰からも避けられていたあの頃。
ボクに話しかけてくれた、幼なじみの少女を思い出す。
思い出す。思い出す。
瞼を閉ざせば思い出せる。
ボクが歩いてきた道のりを。
血に濡れたこの足跡を。
狂いに狂い果てた道程を。
だけどね。
ボクは、不思議とそれが嫌じゃないんだ。
なんで普通に生きられないのか。
そう思わない日はない。
だけど、普通でないことを誇らしくも思う。
ボクが普通だったなら。
きっと普通の女の子のように、買い物して、美味しいものを食べて、恋もして。
そんな日常もあったんだと思う。
だけど。
きっとその裏で、数え切れないほど多くの人が死んでゆくんだ。
そんなのは、ボクには耐えられない。
……ねぇ、彩姫ちゃん。
言ったよね、強くとも至高ではないと。
その喧嘩、この英傑の王が買い取った。
ボクの正義は何より正しい。
ボクの根底に間違いなどない。
そんなボクが至高でないなど、そんなことはあってはいけない事なんだ。
それが、枝幸紗奈の存在価値。
何より正しい正義の味方。
悪の掃除機、殲滅装置。
それが英傑の王。
……ボクがその名を名乗る以上。
誰にだって、そんなことは言わせない。
君が注意してくれたこと。
絶対に負けないなんてことは無い。
それは理解した。
学び、学習した。
その上で、ボクは前に進むとしよう。
剣を振り下ろす。
無数のアンノウンが肉片になる。
隣の彩姫ちゃんが、大きく目を見開いて。
そんな彼女に、ボクは獰猛に笑うんだ。
「それだけ吠えたんだ。勿論、ついてこれるよね」
ボクは止まらないよ。
なんてったって、特別だから。
ボクは誰かの役に立つ。
誰かを守る。
それがボクの夢だから。
……まぁ、使命と言ってもいいかもね。