141.黒の狂気
「くっ……巌人さま!」
「えっ?」
突撃してきた、謎の神獣級。
あまりの速さに彩姫は咄嗟に声を上げて。
目を見開いた時には、既に巌人の拳が化け物の顔面へと突き刺さっていた。
『ぷげぇ!?』
「あっ、ごめん。なんか用事でもあったか?」
拳を振り抜くと、黒い神獣級は勢いよく吹き飛ばされてゆく。
その姿は一直線に店の外まで吹っ飛んでゆくと、勢いそのまま図書館の屋根へと突き刺さる。凄まじい衝撃と共に屋根の一部が弾け飛び、その光景に彩姫とグレイは固まった。
「……ちょ、ちょ……っと、待ちたまえ。えっ? 昔より強くなってないか?」
しばし経って、グレイが何とか言葉を絞り出す。
彼は眉根を揉むようにしており、巌人は首を傾げて返す。
「いや……前よりは弱くなったぞ?」
「ま、まぁ、そうだとは思うがね! ただ、なんというか理不尽さが増した気がするぞ! 前も『なんでもあり』だった気がするが!」
今も昔も、圧倒的な『力』で叩き潰すスタイルには変わりない。
変わりない……はずなのだが。
(神獣級を、素手で瞬殺……。なんという理不尽。なんという非常識。……相も変わらず、不条理の塊みたいな男だな)
グレイが心の中で戦慄する。
最近は巌人の『裏の顔』ばかり見てきた彩姫も、久方ぶりに見た『物理チート』の巌人には苦笑しか出てこない。
(明らかに……以前よりも強くなっている。一体どこで鍛えたのかは分かりませんが……【反射のアンノウン】と戦った時より、ずっと速い……!)
闘級にして、どれほどだろうか。
想像も出来ないが、この短時間で巌人はさらに強くなっていた。
ただでさえ手がつけられなかった強さ。それが、紡や過去と向き合うことで、完全に【タガ】が外れた。
巌人は拳をにぎりしめる。
図書館の屋上へと視線を向けると、瓦礫の中から黒いアンノウンが立ち上がる。
『ぎ、ききき、切った、切られた、痛いイタイ……』
「い、今のを受けて……!」
彩姫の悲鳴が漏れる。
一撃必殺の名に相応しい、巌人の拳。
それを受けてなお立ち上がり、闘気を漲らせている。
その光景にはグレイもまた頬を引き攣らせており、彼は大きく息を吐いて彩姫の背を押す。
「ヴァンプガール、ここは任せよう。……今も昔も、この男の隣に立って戦える人間など、居ないのだから」
「心外だな。紗奈さんが居るじゃないか」
「oh、あれは人間とは呼ばないよ」
巌人に言われた通り、グレイは周囲への確認、安全確保へ向かう。
黒いアンノウンは屋根の上から降り立った。
その姿に、ざわついていた民衆の声が悲鳴に変わる。
これだけの恐慌の中だ、逃げ遅れる者も多いだろう。だからこそ、グレイはそちらを守ることに専念する。
相手を倒すのは……巌人一人で十分だから。
『テキ? 敵? 切られた、痛いイタイ、敵?』
「ん? もしかして、友達になりたくて迫ってきたのか?」
ジスッ、ジスッと軋みをあげて歩く『黒いアンノウン』。
奴は巌人の眼前までやってくると、大きく首を傾げて巌人を見下ろす。その様子はまるで子供のようで、老人のようで……悪魔のようで。
『食べる友達、オイチイ!』
ガバリと、奴の胸から『口』が現れた。
鋭い牙が立ち並び、真っ赤な舌は血に染まっている。
黒いアンノウンは真っ直ぐに巌人へと噛み付こうとして……大きく開いた口の奥へと、巌人の拳が突き刺ささる。
『が、ぺぇ……!?』
「殺気丸出し」
再びアンノウンは吹き飛ばされてゆく。
しかし、直ぐに態勢を建て直して立ち上がり……。
そして、顔面へと巌人の拳が突き刺さった――!
『ぐへっ!? お、オドロキ、オドロキ! モウナイ!』
あまりの速度、圧倒的な威力。
黒いアンノウンはすぐさま巌人の『強さ』を測定……完了する。
ニタリと胸元の口をゆがめ、脳内の『データ』を元に動き出す。
筋肉一筋一筋に至るまで、多くの情報を元に算出した『南雲巌人という人間の行動測定』。それは【未来予知】にさえ達するほどの性格無比さを誇っていた。
だが!
『ぐぺぇええ!?』
アンノウンの顔面に、巌人の拳が突き刺さった。
『ナンデェ、ドウシテ!? お前死ぬ、死ぬ死ぬ死ななきゃおかしい。そう言われてるお前殺す、コロコロ二十六時ぶはぁっ!』
「…………何言おうとしてたんだコイツ」
言ってる途中で、また直撃。
よろめいたところで口を開いて、また拳。
拳、拳、拳、拳。
口を開きかけると、すぐに拳が飛んでくる。
もはや哀れ。
「……色々と忘れていたが、なんのしがらみもなく、なんの気負いもなく、なんのハンデもないあの男って、あんなに強かったんだな」
「ええ、私も……巌人さまが苦戦したり、入院したり、過去で大怪我を負ったと知ったこともあり、すこし感覚が狂っていましたが……」
改めて言おう、南雲巌人は怪物である。
能力が使えようが使えまいが、普通に強い。
いや、強すぎるのだ。
まるで弱点など無いかのように。
黒いアンノウンは再び吹き飛ばされてゆき、頭から地面へ突き刺さる。
その光景を無表情で見つめる巌人。
彼は痙攣しているアンノウンへとさらに一歩、距離を詰めて。
そして、その動きが完全に硬直した。
「…………巌人、さま?」
「……どうしたんだい、チートボーイ」
巌人の姿に、二人から困惑が漏れる。
先程まで優勢だった巌人は大きく目を見開き、固まっている。
視線は真っ直ぐにアンノウンへと向かっており、その瞳には、驚き……よりも、怒りが優っているように見えた。
「……喧嘩を、売ってんのか」
その言葉に、彩姫はかつて感じたことも無い怒りを感じた。
しかし、グレイはその『怒り』に覚えがあった。
他でもない、彼がまだ『棺』の名を冠していた頃。
グレイが、初めて巌人と出くわした時も、似たような寒気を覚えた。
噴火直前の活火山を前にするような、むせかえるような怒気と。
相反する、どこまでも静かな冷たい殺意。
「ボーイ! 一体何が――」
グレイは駆け出した。
そして間もなく、黒いアンノウンを視界に映して、彼もまた巌人と同じように目を見開いた。
「な……一体何が……ッ」
「ヴァンプガール! 君は来るんじゃない! ……これは、君のような『表』の人間か見ていいモノじゃないからね」
咄嗟に声を上げ、駆け寄ろうとする彩姫を制する。
彩姫は、グレイの言葉を受け、咄嗟に異能を使おうと考えた。だが、巌人から視線を感じて、それも止めた。他でもない、巌人もまた同じような目をしていたから。
「……彩姫、少し後ろを向いていろ」
かくして、巌人は歩き出す。
地面に頭から突き刺さり、痙攣する黒いアンノウン。
そして――腹の奥に埋まった人の顔。
その顔は、泣いていた。
子供だった。
小さな女の子だった。
「……もしも、僕の過去を知っての、襲撃なら」
巌人は、アンノウンの前にしゃがみ込む。
『人が、アンノウンを創った』
その仮定が真実だとするならば、アンノウンの【素】になったモノがあるはずだ。クローンだろうと人工生命体だろうと、何らかの【素】があって、その細胞を媒体に作られる。だから、アンノウンの元になった生命体が居ると、巌人は考えていた。
そしてそれが……人間であって欲しくない。
そう、心の底から思っていた。
「獣を模したヤツ、虫を模したヤツ、そして……人型のヤツ」
『た、タ、……す、助け……て』
巌人の拳に、青筋が浮かぶ。
眼前で、倒れていた黒いアンノウンが動き出す。
顔を地面の中から出し、腹の口を大きく開いて襲い来る。
その体を、巌人は真正面から組み伏した。
右腕を折り、左腕を砕き、両足を抑えて首に手をかける。
「……まさか、それが真実というのかい、巌人ボーイ」
「……だとしたら、僕はソイツを許さない」
アンノウンの腹の顔は、泣いている。
涙を流して、声を押し殺して。
腕も足も、全て失って。
ただ、涙を流して泣いている。
その姿が、何故か『一人の少女』と重なった。
「……そのアンノウンについて。一つ相談したいこと……いや、私が『図書館の下で見たもの』について語りたいところだが。それ以前に一つ問う。巌人ボーイ、殺せるかい?」
「…………ッ」
グレイの言葉に、巌人は咄嗟に言葉が出ない。
分かっていた。……最初から分かっていたことだ。
一つを取るということは、もう一つを捨てるということ。
紡と生きるため、能力を捨てた。
それはつまり、能力さえあれば救えたかもしれないその他の命を、全て捨てるのも同意なのだ。
「君が、全盛期の力さえあれば救えていたかもしれない。いや、救えていた。それほどまでに君の力は強過ぎた。でも、今の君にその子は救えない」
「……わかって、いる」
わかって、いるのだ。
ただ、納得できるかは別の話だ。
「強欲だネ。あの娘のためを思って、自分の存在意義に等しい能力を捨てた。にも変わらず、目の前にあるものは全て救いたい。……なるほど、こんな傲慢な子供に、私たちの居場所は壊されたわけか」
「……ッ」
グレイの歯に衣着せぬ言葉に、巌人は歯を食いしばる。
そんな巌人の姿を見て……グレイは、やがて大きなため息を漏らす。
「……はぁぁぁああ。おいチートボーイ。貸し一つで手を打とう。私は火力こそ君の妹君には及ばんが、技術がある。炎の檻で閉じ込め、アンノウンへ変異した細胞のみを焼き続ける。その状態で電脳王の元まで送り届けよう。……彼女ならば、何らかの対処法を見出すはずだ」
「……すまない。恩に着る」
「謝ることは無いさ! 胸を張りたまえ、馬鹿だとは思うが、清々しいとも思う。私たちは、より頭のおかしい大馬鹿者に壊された。そう知れただけで大満足というものだよ」
それに、これは無償じゃない、貸しだ。
決して大きな貸しではないが、これがあれば『英傑の王』から殺されそうになった際、南雲巌人という最強の人間を味方にできる。
それだけで、グレイジィ・ブラックリストからすれば儲けもの。
むしろ、お釣りが来るほど。彼から巌人へ感謝したいほどでもある。
「……そして、安心するといい。このアンノウン……少女と呼ぶべきか。明らかに不完全、人間を媒体に『人型のアンノウン』が生み出されるにしても、こんなにも不完全体、私は見た事がない。つまり、完全に変異しきっている訳では無いのだ。助ける手段は、必ずある」
「……お前も良い奴だな。ツムを狙ったのは許してないけど」
「おや、手厳しい!」
かくしてグレイはたからかに笑う。
彼は後方にいる彩姫を振り返る。
彼女は言われた通り、後ろを向いて目を瞑り、両耳も塞いでいる。
その姿を見て、二人は安堵する。
きっとこの真実は、彼女にはまだ早すぎるから。
巌人へアイコンタクトを向けたグレイは、スマホを取り出し電話をかける。
「やぁ、ボス。ちょっと仕事を頼めるかな?」
仕事内容は、謎のアンノウンの搬送。
そして、素体となった少女の救出であった。