138.魔術師
「うーん……追い出されたか」
巌人は、図書館の前で一人唸っていた。
入口を見ると、ブラックリストに早速登録されたのだろう、守衛の二人が明らかに不審者を見る目で巌人を見つめており、目立つためとはいえ少しやりすぎたかな、と苦笑する。
そして同時に、口を開いた。
「――で、貴方が魔術師ですか?」
虚空へと手を伸ばす。
すると【気配】はその手をひらりとかわし、やがて何も無い虚空の中からその姿を顕にする。
汚れ一つない白衣に、青い髪とメガネ。
まさしく研究者、といった雰囲気の一人の男。
「透明化の異能……いや、アレは衣服まで透明化は出来なかったはず。となると……それが、噂に聞く魔術ですか」
「……さすがは、噂に聞く『無能の黒王』と言うべきかな? 無能だからこそ頭を使う。……うん、そういう人物には好感が持てる」
ぱっと見た感じ、どこにでもいる爽やかな男性。
されど、巌人はこの人物に対する警戒レベルをひとつ上げていた。
(……これは、単なる技術か……? 仕草が全て自然過ぎる。これ、狙ってやってるんだとしたらかなりキツイな……)
心を読むスペシャリスト、紗奈ならば何とかなるかもしれない。
が、巌人に出来るのはせいぜい言葉の端々や雰囲気から嘘か誠かを見極めるくらい。こんな相手とは相性が悪かった。
「……と、いうか。こんな往来のど真ん中で魔術なんて……」
「使っても誰も見ないでしょう。ほら、誰が私たちを見ています?」
彼の言葉に周囲を見渡すと、そこには不自然の塊が転がっていた。
こうして往来のど真ん中に立つ巌人と魔術師。
そんな二人を往来を行き交う人々は一切見ることなく、しかし正確に体を避けて歩いていくのだ。
「『認知させない魔術』というのもありましてね。これはその一種。これで、思う存分話が出来る。……なにか、私に要件でもあったのでしょう?」
その言葉に、巌人は図書館へと振り返る。
まだ、内部では彩姫とグレイが魔術師の捜索を続けている。こうして見つかったなら一度連絡を……とも思ったが、すぐに思いなおして前を向く。
「そう、ですね。では、話しましょうか」
巌人の言葉に魔術師は笑う。
然してその笑みは、不自然なまでに自然であった。
まるで、人形と話しているかのように、巌人は感じた。
☆☆☆
「――『カーマ・クロウズ』」
その名前を聞き出した彩姫は、一人窓際に佇んでいた。
(青髪に、眼鏡の魔術師……ですか。探ってはみましたが、その特徴はどこにも見当たらない。となると――今、この場所には居ないと見るべきでしょうか)
巌人へと相談しようにも、気がついた時には彼の気配は消えていた。
彼もまた本命として潜入捜査を始めているのか、あるいはほかの何かに巻き込まれているのか。……いずれにしても彩姫が心配するようなことでは無い。
何せ、巌人が敗するなどありえないのだから。
だから、今すべきは心配ではなく考えること。
(まず考えるべきは、生きて戻ること。情報を得てもそれを無事帰り、伝えなければ意味が無い。そして、巌人さまは『命に替えて』なんて望んでいない)
ならば、そんなことは決してしない。
まず考えるべきは生き残ること。
そして次に考えるべきは、魔術師の所在と、情報の正誤について。
(魔術で記憶の操作も出来ない……と、最初から決めてかかるのはダメなのでしょうね。まだ見ぬ不定の力。なんでも出来ると考えて疑った方がいい。となると、この情報すら正しいかどうかもわからない)
仮に、名前だけ正しいと考えよう。
その上で、幻覚や幻惑で『全くの別人を本人とみせかける』ということも出来ると仮定する。となると、先ほど操作した人物は、その偽物を本物と心の底から思っている、とも考えられる。
つまり、容易にここまで明確な情報が得られた事実。それが彼女の頭に疑惑や猜疑を生み出していた。
(これは、もう数人、情報を漁ってみるべきですか)
彩姫はそう考え、歩き出す。
そして、歩き出して間もなく……コツリと、背後から足音が聞こえ、思わず驚き振り返った。
(な……っ、け、気配が……!)
全く感じられなかった。
限界まで目を見開いた彩姫。
彼女の目に映ったのは、どこにでも居そうな緑髪の女性職員の姿であった。
「……こんにちは」
「……こん、にちは」
何気ない挨拶に、なんとか返事を絞り出す。
しかし彩姫の背中はびっしょりと汗で濡れており、彼女は目の前の女性職員へと警戒心を強めた。
「申し訳ありません。すこし……驚いてしまったもので」
「昔から、言われます。影が薄いと」
それだけで済めばどれだけよかったか。
今の彩姫は、異能をフルで用いて周囲の人心を探っている最中だ。
そんな中、彼女に気付かれずに背後に移動するなど、何も考えていない阿呆か、あるいは『心を読まれることを遮断できる』魔術師以外に存在しない。
「貴方は……」
「あぁ、申し遅れました。最近、この図書館に司書見習い、として配属された下っ端、名を『アイ』と申します」
「アイさん……ですか。私は『ナグモ』です、よろしくお願いします」
咄嗟にでてきた偽名がソレ出会ったのは恋する乙女心ゆえか。
いずれにしても、今ここで『特務A級隊員、澄川彩姫』の名前を出すのは得策ではない。そう思っての発言だったが。
「……アイ。……そういえば、私の名前で思い出しましたが、アイアイという動物はあまり可愛くないそうです」
「…………」
唐突にそんなことを言い出した『アイ』に、彩姫は思わず目を丸くした。
思わず思考がフリーズする中、彼女はそこら辺にしゃがみこむと、たまたま床を歩いていた蜘蛛へと手を差し伸べる。
「蜘蛛……と雲。たしか、日本の言語では似た音でしたね」
「え、えっと……それがどうか?」
「どうもしません、ただ思っただけです」
そう言ったかと思うと、手を昇ってきた蜘蛛をポイっと捨て、彼女は本棚の方へと歩いてゆく。その本棚には『YESマッスル、イフリート!』なる意味不明な書籍が並んでおり、迷いなくその本を手にした彼女を見て、彩姫は思った。
(あれっ。この人もしかして……前者、なんじゃないでしょうか)
人の心を読ませない秘訣。
それは、何も考えないか、魔術でブロックするか、二つに一つ。
しかし、この人物の言動を見るに、もしかして……。
「筋肉にイフリートと名付けた男の冒険譚。……ふむ、全く面白くないですが、読みます?」
「いえ、結構です」
もしかしてこの女の人、ただの阿呆なんじゃなかろうか。
彩姫は、なんとなーく、そんなことを思った。思ってしまった。
彼女は小さくため息を漏らすと、これ以上は時間の無駄になる、と考え、さっさとその場を後にするべく歩き出す。
そして――。
「――吸血鬼、ですか。初めて見ました」
驚き振り返った先に、『アイ』を名乗る女性の姿はなかった。
☆☆☆
「さて……二人は上手くやっているだろうか」
グレイジィ・ブラックリスト。
通称グレイは、椅子に腰かけて呟いた。
周囲へと視線を巡らせる。既に巌人の姿はなく、彩姫もどこへ行ったか姿は見えない。となると、二人もまた何かしらの手段で捜査を始めている、と見るべきだろう。グレイはそう結論づけた。
「と、なると、だ。私はあの二人以上の結果を残さねばならない訳だ。でなければ、私を選出した電脳王の名に泥を塗りかねない。それに、なにより……」
――役立たずとして、処分する大義名分ができ上がる。
となると、件の狂人が黙ってない。確実に、嬉々として殺しにくる。満面の笑みで殺害しに来る。理不尽な理由から抹殺しに来る。容易くそんな想像ができた。
だからこそ、グレイは珍しく本気であった。
「其の名は形なき炎の影、顕界せよ『陽炎の精』」
瞼を閉ざし、人型の炎を呼び出す。
その名は『陽炎の精』。消して視認することの出来ない不可視の存在だ。加えて熱量も大気と同等まで変化することが可能で、こと潜伏能力でいえば巌人の目すら欺けるほど。
(そして……私は炎を介して全てを見れる)
彼の能力は、言ってみれば紡の下位互換だ。
しかしながら熟練度は彼女の比ではなく、純粋な火力こそ及ばないものの、多種多様な技を用いて敵を燻り出し、万全から程遠い状態の敵を倒す。その力はあらゆる特務隊員から疎まれていた。それは単に『強いから』だ。
(さて、イフリート。とりあえずは、不自然に空いている地下空間から探っていこうか)
先程から、グレイは図書館中を歩き回っていた。
その中で、歩く音がほんの少しだけ違う場所があることに気がついていた。今彼が座っている机はその空間の真上に存在しており、彼の命令に応じてイフリートは地面を通過。そのまま床下の巨大な空間へと躍り出た。
(さて、ただの書物保管庫、という訳ではあるまい?)
グレイはかくして、イフリートと視覚を繋げた。
そして、気がつけば目を見開いて絶句していた。
「こ、これ、は……ッ」
「ど、どうされました、お客様……?」
明らかに目立つグレイ。そんな彼を先程から訝しげに見つめていた職員が話しかけてくる。彼はその職員へと視線を向けると、すぐに取り繕うようにして笑顔を張りつけた。
「……いいや、なに。なんでもないさ。少し、大事な用事をすっぽかしていたことに気がついてね。……ハハッ、背筋が凍る思い、とはこの事なのだろう」
グレイは立ち上がると、どこかにいるであろう巌人、彩姫へと聞こえるように大きな笑い声を響かせた。
前々から決めていた、なにか掴んだ際の撤退合図。
これで、予定通り上手く撤退し、三人集まれれば重畳。
しかし、これは――。
(黒棺の王。今回の件……思っていたより、余程難しそうだぞ)
彼は鳥肌を立て、引き攣った笑みを浮かべる。
――彼が地下空間で見たもの。
それは、とても単純なものだ。
(捕縛された神獣級と……、そして、大量の魔術師たち)
ここは、魔術師の住処だと紗奈は言った。
しかしそれは半分正しくて、半分間違っていた。
(なにが、魔術師の住処だ。司書のうち、そのうち誰が魔術師かを探る? そんな話であれば、私はすぐにでもその魔術師を当てられる。百発百中で、だ)
なにせ、考えるまでもないのだから。
グレイは軽く振り返る。
そこには困惑をうかべ、苦笑する職員の姿があったが……全てを知った今、その表情をそのまま信じられない彼がいた。
だって、この図書館には――。
(【魔術師たちの巣窟】……ここの人間、全員が魔術師だ)
最初から、一般人など居なかったのだから。