136.図書館
首元のボタンをあけ、コートを羽織る。
灰色のズボンスーツに、その上から青いコートを羽織った巌人は、どこから見ても『日本から旅行に来た一般人』と言ったところだろう。
「青いコート……なんかカレンを思い出すな。元気にしてるだろうか」
「まぁ、カレンのことですし、むしろ元気が有り余ってるのではありませんか? ツムさんに迷惑かけてなければいいのですが……」
そう言葉を返すのは、いつもの黒スーツから大きく姿を変えた彩姫だった。
茶色いダッフルコートに、赤色のマフラー。
髪は纏めた上、ニット帽によって隠されており、大きな伊達メガネが彼女の印象をガラリと変えている。
「……流石は特務、変装はお手の物だな?」
「ありがとうございます。これでも、訓練学校では全教科満点、堂々の首席で卒業しておりますので」
これでも、というか、むしろ『だろうな』って巌人は思った。
思わず苦笑で返すと、なんの変装もしていないグレイが話しかけてくる。
「して、南雲青年。作戦などはあるのかね」
「まぁ、な。今回は紗奈さんの作戦をこっちでも流用しよう。作戦内容は単純に、目立つ奴と目立たない奴を作って、その両方が各々に調査を進める。それに限ると思う」
どの場面でも囮というのは有用だ。
魔術、とやらがどの程度のものかは知らないが、それでもそれを用いているのは人間である。意識がある以上、魔術師にさえダミーというのは通用するはず。
「まず、僕。黒髪の無能力者。まずはその事実を『目立つ』要因として組み込む。次にグレイ。お前は嫌でも目立つ。お前も僕と同じ囮側だ」
「ふっ、私の輝きは嫌でも衆目を集めてしまうというわ」
「となると……私が要、というわけでしょうか」
グレイの話を途中ですっぽかし、彩姫が問う。
その言葉に巌人は頷くと、改めて彼女の変装を見つめ直す。
「……うん。正直、今の彩姫には目立つ要素はないと思う。せいぜい美人だから目立つくらいだろうけど、銀髪は完全に隠れてるし、今の彩姫をA級隊員澄川彩姫と同一視する輩はそう多くないと思う。むしろ居ないと思う」
「び、びじっ……あ、ありがとう、ございます……」
顔を赤く染める彩姫だが、もういい加減そういう反応にも慣れてきた巌人。彼は彩姫の反応に苦笑いすると、本題について続きを語り出す。
「基本的に、僕とグレイが囮、彩姫が本命として調査を進める。ただし、深追いはしないこと。とりあえず今は生きて情報を持ち帰ることを優先して任務にあたること」
「……おいおい南雲青年、それはさすがに慎重が過ぎるのでは――」
「ないと思うよ。慎重に行くに越したことはない。なにせ、かつての【滅亡】を真っ先に防ぎきった魔術師の巣窟だ。どんなことが起きるか全く想像がつかない」
かつて、世界を襲ったアンノウンの発生。
それに対して真っ先に対応し、瞬く間に安全地帯を確保して見せた魔術師たち。そんな奴らの末裔が弱いだなんてありえない。
巌人は改めて二人へと向き直ると、改めて事実を突きつける。
「こっから先は、命がけだ。しっかり気張れ、そして頑張ろう」
その言葉に、グレイと彩姫は喉を鳴らす。
巌人の瞳は、既に『仕事人』としてのソレになっていた。
☆☆☆
「へぇ……これが、世界最古の建造物か」
その建物に足を踏み入れ、巌人は感嘆の息を漏らした。
目の前に広がるのは、はるか昔、アンノウンが存在しない頃に建てられた大図書館。それは飛行機の中で見た『アンノウン発生前の写真』と何ら変わらない景観を作り出しており、本来であれば有り得ない現状に小さく呻く。
(……アンノウンの襲撃が有り、その上で百年以上経ってもなんら光景が変わらない。……単に『凄い』と片付けていいものか。あるいは、何かしらの遠因があると探った方がいいのか)
個人的には後者。
恐らく保存に特化した異能保持者の能力。あるいは件の『魔術』とかいう力によるもの。……カレンの魔法や、月影の影を操る力とは全く別種の力。
(一体、どんな力なんだろうか……)
一人顎に手を当てて考えていると……はたと、近づいてくる気配に気が付く。
時間を開けて入った彩姫、グレイとは別の気配。
巌人は『感心している』といった雰囲気で周囲を見渡し……はたと、偶然気がついたように気配の方へと視線を向ける。
そこには巌人の方へと歩いてくるひとりの女性の姿があり、図書館の職員らしき女性は巌人が気がついたのを察して頭を下げた。
『May I help you?』
「……おおぅ、英語だったなそういえば」
巌人は『そういえば言語圏違うんだったか』と思い出すと、頭をとんとんと指で叩き、特務時代に勉強したはずの英語知識を思い出す。
確か……今のは『いらっしゃいませ』と言った感じだったか? 巌人は顔を上げると、改めてその女性は話し始める。
『本日はどのような本をお探しでしょうか?』
聞こえたのは英語だが……多分そんな感じの内容だろう。
巌人はそう納得すると、自分もまた英語で語り出す。
『ええと、実は日本から旅行でやってきてまして……。世界でいちばん古い建物を見てみたかったんです』
『あぁ、なるほど。このご時世、なかなか飛行機を使う方は少ないですが、確かにそういったお客様はいらっしゃいますね。……まぁ、黒髪のお客様は初めてですが。もしかして日本の『無能力者』、というアレですか?』
なんとなく、女性の言葉にトゲを感じた巌人。
もしかしてイギリスでは『無能力者』っていうのは差別されてるのだろうか。と言っても巌人以外に無能力者がいる訳でもなし、この人物個人の感想かもしれないけれど。
巌人はふむと頷くと、迷うことなく【否定】した。
『あぁ、この髪ですか? これはですね、あの世界に名高きスーパーシャンプー、【オーバーダイSPB】のおかげですよ』
『お、オーバーダイSPB……?』
この会話を遠くで聞いていた彩姫は思った。
あぁ、本来の巌人が戻ってきてしまった、と。
そう、過去編やらなにやらとシリアスになろうが今は今。無能力者にして天下不滅のシャンプー野郎。告白したら『シャンプーと結婚する』とか意味不明なことすら吐き捨てる男。それこそが世界最強たる黒棺の王の成れの果て。ただのイカレ野郎である。
『あら、まさか……あのオーバーダイSPBをお知りでない? あら、これはこれは……日本では売上ナンバーワン。アメリカでも大々的に取り上げられ、アフリカへと持ち込めば瞬く間に大人気に。オーストラリアではもはやあって当然のものへと成り上がり、このイギリスへと上陸するのも時間の問題……。そんなオーバーダイSPB……!』
『そ、それは――』
シュバッと、どこからか見覚えのあるシャンプーボトルを取り出す巌人。
その表面にはでかでかと【南】という文字が記されており、誰もがよく知る彼の作ったスーパーシャンプー【オーバーダイSPB】をみてその女性は思わず喉を鳴らす。
『世の中にはたくさんのシャンプーがございます。植物性アンノウンシャンプー、アルペンゴムシャンプー、世界樹の雫シャンプーなどが新時代を切り開き、最近ではペットボンドシャンプー、瞬間接着艶出しシャンプー、三陸の水シャンプー等など……ちょっと反応に困るようなブツも出回ってきています』
『わ、私……三陸の水シャンプーっていうのを最近使っているのですが、実は、あまり髪にあっていないようで……』
『分かります! 分かりますとも! なんとなーく【三陸の水】という言葉に騙されたが最後、入ってるのはただの水ですよアレは! シャンプーとか抜かしておいて普通の水を入れるその性根! 同じシャンパーの風上にも置けない!』
『し、しゃんぱ……? そ、それでその、おーばーだいSPBとやらは……?』
『ええ、このシャンプーは【万人に適合するスーパーシャンプー】というものをキャッチコピーにあげておりまして! これを使って他へ移る人はまず皆無! 今抱えている問題をシャンプーと共に洗い流せるような出来となっております!』
『ま、まぁ!』
職員の女性は喜色を浮かべた。
ここぞとばかりに巌人はセールストークをぶちかます。
『それでですね、このシャンプーには『黒髪バージョン』というものがございまして! 性能は通常のモノから比べてほんの少し、微妙に、もしかしたら、多少上のような気もしなくもない程度! 加えて髪を黒髪に染められるという特殊仕様を持っ』
『あ、それは興味ないです。で、普通のやつ、お値段どれくらいするのでしょうか……?』
『……はい! 通常バージョンはなんと【15ポンド】のお値段で……なんと、黒髪バージョンに至っては在庫処分の特価セール! 今だけ半額の【7ポ』
『なんてこと! 通常バージョンが欲しいわ! 切実に!』
だが、完膚なきまでに拒否られる黒髪バージョン。
何気に今まで『テロリスト』以外に一切売れてないこのシャンプー。その事実に思わず涙を漏らしかけた巌人であったが……ふと、遠くを歩いている彩姫と視線が合って、すぐに逸らした。
(……分かってるよ、僕の目的は意識を逸らすこと。逆に言えば、派手にやればやるほど良い、って話だ)
ただ、あからさまなのはアウトだ。
やるならば、何も考えていないマヌケを演じて、ただ他人の迷惑も考えない馬鹿なガキを演習する。
巌人は大きく息を吸い込むと、ローマ図書館のど真ん中でセールストークをぶちかます。
『さぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 世界で有名なスーパーシャンプー、オーバーダイSPBの移動販売ですよォぉぉぉ!!』
巌人がつまみ出されたのは、その三十分後のことだった。
過去編が強すぎて、シャンプー野郎だって忘れてた。