132.二つの案件
ふと思う。
タマモさん、アンタいつ合流するんだい。
「いやー、心配かけてすいません!」
頭を掻きながら、彩姫は笑った。
――場所は学校近くの大きな病院。
その一室、病室のベッドで上体を起こす彼女へ、カレンが呆れたようにジト目を送る。
「……なんすか。盛大に倒れといて原因は『貧血』って。舐めてんすか。けっこう真面目に心配したこっちの心労を返して欲しいっす」
「カレン、心労返されたら、意味無い」
カレンの地味な言い回しに紡がツッコみ、彩姫へと視線を向ける。
「……大丈夫?」
「はい、私ってこれでも亜人……半吸血鬼ですので、少し血の摂取にはシビアなところあるんですよ。ここ数年は気をつけてたので大丈夫だったのですが……どうやら前回、血の定期摂取量が足りなかったらしくて」
彩姫は吸血鬼の亜人である。
そのため、国から支給される血液パックを定期的に飲んでいる訳だが、ココ最近は死の帝王の襲来、逃避行からの大侵攻。その中に置いて巌人が大怪我を負い、退院したかと思えばヘビーな過去話。
なかなかどうして『通常通り』の日常は遅れていなかった。
それ故に摂取量をミスし、結果的にこうして貧血に繋がったわけである。
「巌人さまも申し訳ありません……、心配お掛けしました」
「……あぁ、いや。大丈夫なら、いいんだ」
壁に背中を押し付けながら、巌人は何とか笑顔を絞り出す。
視線の先には、少し顔色を青く染めながら、それでも穏やかな笑顔を浮かべる彩姫の姿。今回は単純な『貧血』で済んだようだが……。
――高位の異能を持つ者の、相次ぐ突然死。
中島智美より告げられた言葉が脳裏を過る。
言われてみれば、前兆は確かにあった。
およそ一週間前、突如として命を落としたノルウェーのA級特務隊員。
優れたルックスにSSSランクの異能を誇り、次期『絶対者』の筆頭と言われていた人物だけあって、その突然死に世界が揺れた。
そしてその二日後、今度はオーストラリアにおいて頂点に君臨するA級特務隊員が命を落とす。翌日にはメキシコで、同じくA級特務隊員が。今朝のニュースではアフリカへと出張していた日本人特務隊員が現地で突然死した――という出来事も放送されていた。
……おかしい、とは思っていた。
嫌な偶然もあるものだな、とも。
けれど、智美の言葉でそれが『偶然』でないことがハッキリした。
(倒れたのは……SSSランク『絶対零度』、SSランク『雷帝』、SSSランク『超重力』。名前だけじゃない、正真正銘のA級特務隊員たち)
下手な聖獣級なら個で討伐できる人外連中。
場合によっては神獣級にさえ痛手を与えられるような人達だ。そんな彼らが、なんの抵抗も残さず『突然死』……などと。
明らかに普通じゃない。
そして、なにより。
(SSSランク『六神力』。それに……EXランク、『酒呑童子』)
倒れた時の雰囲気から一点。
三人で仲良く騒ぎ始めた彼女らを見て……正確には、彩姫と紡を見て、巌人は内心で歯噛みする。
巌人は拳を握りしめると、笑顔を貼り付けて口を開く。
「それじゃ、彩姫も大丈夫そうだし……僕はクラスの皆に説明してくるよ。先生方も結構心配してたみたいだしさ」
「そう……ですか。申し訳ありません、巌人さま……」
貧血とはいえ、倒れた後だ。
好きな人にはそばにいてもらいたい。けれど言い返すことなど出来るはずもなく、悲しげに顔を伏せる彩姫。
そんな彼女の姿にカレンが呆れたようにため息を漏らし、紡が不思議そうに巌人を見つめる。
「はぁ……、師匠は鈍感っすねー」
「え? なんて言った?」
「なんでもないっすよ! 彩姫ちゃん、私が傍についてるから安心するっすよー」
「だから安心出来ないのですが……」
「どういうことっすかソレ!」
ぎゃーすかと騒ぎ始めるカレンと彩姫。
そんな二人を傍目にてくてくと巌人の前へと歩いてきた紡は、心底不思議そうに首をかしげた。
「……兄さん、大丈夫?」
「ん? あぁ、いつも通りだよ、大丈夫」
そう苦笑して、巌人は紡の頭を撫でる。
(ま、ツムは付き合い長いからな……)
巌人は別に鈍感でもなければ、難聴でもない。
普通に彩姫の心理まで理解が及ぶし、カレンが何言ったかも全て聞こえていた。その上ですっとぼけた。
だからこそ、紡は巌人に違和感を覚えた。
「なにか、あったの?」
「…………いや」
その様子から、紡には一切の情報は伝わってないのだろう。
彼女は天才だ。電脳王の見様見真似で技術をみにつけ、世界中の様々な情報をネットを媒体にして仕入れている。
が、本家本元、電脳王には遠く及ばない。
彼女に相応しくない情報は全てあの女の手によって『シャットアウト』されており……今、紡が何も言わないということは、つまり彼女を巻き込むべき話ではないということ。
――或いは、紡では手に余る案件だということ。
巌人は小さく息を吐くと、しゃがみこみ、紡に視線を合わせて口を開く。
「ツム、ちょっと兄ちゃん、久しぶりに母さんに呼ばれちゃってな。なんか、僕じゃないとヤバい案件らしくてさ。学校終わってから……ちょっと話聞きに行ってくるから今日は先にご飯食べててくれ」
「……兄、さん? ほんとに、どうしたの?」
紡は目を丸くして驚いた。
それはカレンや彩姫も別ではなく、先程までの騒ぎが嘘のように病室内が静まり返る。
「し、師匠……それって――」
「なに、別に復帰する訳じゃない。母親に頼まれたから、息子として手伝うだけ。そんなに気負うことも無いだろ」
あの時とは、全てが違う。
上司に命令され、部下として出動した時とは、違うのだ。
仲間がいる。友達がいる。家族がいる。妹がいる。
帰る場所が、待っている。
なら、もうきっと、自分が『狂う』ことは二度とない。
「それに――」
万が一、自分がもう一度『死神』に戻ったとしても。
あの殺戮者に戻ったとしても、今は心の底から安心出来る。
「それに……なんですか?」
「……あぁ、いや、なんでもない。とにかく、下手すれば今日の夜からしばらく帰れなくなるかもしれない。その間、ツムにはサッポロの防衛をお願いしたいんだ」
国外にまで出る、ってことも十分に有り得るわけだし。
そう考えて頭をかいた巌人を前に、カレンと彩姫が顔を見合わせる。
対する紡は不安そうに巌人を見上げていたが……されど、彼女は巌人の強さを知っている。彼が、誰にも負けないことを知っている。
だからこそ、心配を押し退け、笑顔を浮かべて彼を見上げる。
「ん、こっちは任せる。兄さんも、頑張って」
「おう、頑張る」
彼女の言葉に、巌人もまた笑顔で返す。
もしも、もしも自分があの頃の自分に戻ったとしても。
今ならもう、安心出来る。
だって、誰も敵わない最悪最強は既に居ない。
ここに居るのは、体を鍛えただけの一般人。
もう、最強でもなんでもない、ただの無能。
そんな男、殺す手段なんていくらでもある。
そう心の中で巌人は呟き、紡の頭を撫でるのだった。
☆☆☆
紡たちと別れて、一時間と少し。
場所は代わり、特務署の一室。
書類の束を前に睨めっこしている実の母――南雲月影。旧姓、鐘倉月影を前に、巌人はソファーに座ってため息を漏らす。
「……前も言った気がするけど、茜さん。書類は一日でも溜めるとああなるんですから。毎日しっかり終わらせるようお願いします」
「ははは……、それは母親本人に言っていただきたいですね」
月影の秘書――電脳王こと東堂茜は、苦笑混じりにそう答える。
彼女は月影の溜まりに溜まりまくった書類の山を一瞥、ため息を漏らすと、仕方ないと言ったふうに指を鳴らした。
途端、目の前の床が割れ、その下から巨大なテレビ画面が姿を現す。
「……あら、いつの間に執務室が魔改造されてたのかしら」
「防衛大臣、喋るより先に仕事してください」
ピシャリと言い放たれてしょぼくれる防衛大臣。
そんな彼女に苦笑しながら、巌人は目の前に現れたテレビ画面と視線を向ける。
「月影さんがああなので。私では力不足かと思いますが、出来うる限り巌人さんへと今回の件、説明させて頂きたいと思います」
皮肉だな、と巌人は思った。
その考えを肯定するように、画面へと映されたのは『今のモスクワ』の映像だった。
ドローンを飛ばしても間に合わない。
飛行機で行こうものなら飛龍や怪鳥に襲われる。
そのため、世界中どこのテレビ局も『未確認』とされている、滅びたモスクワの現状。その画像どころか『ライブ映像』、生放送が目の前に映し出されていた。
「……相変わらず、なんでもアリな人ですね」
「元・何でもアリの権化からそう言われるとは思ってもいませんでしたね」
巌人の言葉を簡単に受け流した茜。
彼女は画面へと視線を向けると、どこからか取り出した教鞭を画面の一部分へと指し示す。
「まず、確認してもらいたいのはここ……巌人さんは知っているかどうか分かりませんが、ここで倒れている人物は、モスクワ在中のA級特務隊員。闘級は脅威の『58』。凄いですねぇ、そんなに強い人がやられてしまっただなんて、敵はどんな化け物だったのでしょう〜」
「いや、貴方がそれを――」
言うのか、と。
言いかけた巌人は、されど直前になにか気がついた様子で目を剥いた。
その様子に月影は思わず顔を上げ、東堂茜は笑みを浮かべる。
「ちょ、ちょっと待ってください! まさか……」
「正直、私の全リソースを情報収集に費やしてもなんの手かがりもありません。……ただ、この死体と、相次ぐ突然死。偶然にしては出来すぎている」
東堂茜……いや、電脳王は、そう告げた。
その瞳には警戒の色が色濃く映し出されており、それは巌人も同じことだった。
なにせ、その死体には本来あるべきものが、何も無かったのだから。
「……茜さん、これって――」
警戒をうかべる巌人へ、彼女は端的にその推測を打ち明ける。
「――傷無しの死体。これが戦場のど真ん中に転がってるということは……まぁ、無関係ではないんでしょうね。今回の、二つの案件」
その言葉に、巌人は思う。
これは、想像以上に厄介な事件になりそうだ、と。