131.終わりの始まり
かく語りき。
男は、黒い椅子へと座し、瞼を閉ざす。
左右の肘掛へと量の腕を乗せて、背もたれへと体重を預け、天を仰ぐようにして息を吐く。
「あの失敗から、125年が経た」
瞼の裏に、焼き付いている。
百年以上の時を経てもなお、未だに鮮明に思い出せる。
若かりし頃の失敗を。
世界終焉の光景を。
「足掻いた。あぁ、足掻いたとも。かつての失敗を払拭しようと。かつて行った愚行を消そうと、百年かけて基礎を積み上げ、今に至った」
されど、何事も上手くは行かない。
愚行を帳消しにするべく動き始めた十年前。
男の行動を嘲笑うようにして、奴が現れた。
完全にイレギュラー。
全ての始まりに立ったその男でさえ想定もつかないような異能を誇り、神獣級すら片手間に潰す、化物の中の化物。怪物という言葉すら生ぬるい、最悪の異端児。
――名を、黒棺の王。
本名、南雲巌人。
異能名は、存在力操作。
あらゆる『存在する』という概念を操作する最強の力。
思っただけで実現する。あると思えばそこに在り、ないと思えばそこには無い。まるで不条理という言葉を体現したような、絶対的な理不尽。
その力を知り、男は確信した。
あれは勝てない。
勝てるはずがない、そう理解出来た。
どれだけ強い個をあてがった所で、傷すら付けられる未来が浮かばない。仮に傷を付けられたとて、万全のあの少年を殺しきるなど、神を殺すことよりなお難しい。
ならば強い個を軍にしてあてがえばどうかと考えたが、あの少年に傷をつけられるような存在が多く居る訳もない。
だからこそ、男は困り果てた。
その少年は、自身と同じく寿命を超越し得る。
寿命という概念を消してしまえば、それだけであの化け物が未来永劫存在してしまうことになる。
まぁ、もちろんそうなったとて対策はできる。
少年を殺す術は既に手中に存在していた。
時間さえあれば、あの怪物とて殺しきれた。
そう、確信していた。
――矢先の出来事。
その少年から、異能が消えた。
原因こそ、解明は出来なかった。
突然変異か、何者かの異能によるものか。
瀕死の怪我を負ったとも聞いた。その後遺症によるものなのかもしれない。いずれにしてもその理由こそ不明だが――それは好機に他ならなかった。
異能が消えた、その情報を得るまでに一年。
その情報に確信を得るために、一年。
その少年の今を観察すること、一年。
その少年に接触したのが、数ヶ月前。
そして確信を得た。
――今の南雲巌人にならば、普通に勝てる。
確かに強い、自分以外で誰が勝てるかと聞かれれば悩むほどに。それほどまでに、彼は高みに登り詰めていた。
が、過去と比べればあまりに弱い。
今のあの少年になら勝てる確信があった。
「紆余曲折。そして、時は満ちた」
男は、椅子に座したまま夜空を見上げる。
上空には黒い雲が広がっていたが、ふと、風が吹いて、雲の隙間から白銀色の月明かりが台地を照らし出す。
――かくして、姿を現したのは無数の化け物。
聖獣級より始まり、その過半が神獣級――闘級百オーバー、一騎当千の魑魅魍魎。
周囲に広がるのは地獄絵図。
鮮血が海のように広がり、人の手足が散乱し、そこらじゅうから咀嚼する音、悲鳴、絶叫、咆哮が鳴り響く。
人が逃げ惑い、化け物が追いつめ、喰らう。
もはや作業と化した殺戮現場。
その中心において、男は大きく息を吐く。
――場所は、ロシアの首都、モスクワ。
半刻前に、防壁が崩壊。
一斉に雪崩込んできたアンノウンと、ワープゲートによって送り込まれた複数体の神獣級の怪物達。
それらによって瞬く間に街は飲み込まれ、破壊され、押し潰され――やがて、地獄がその場に舞い降りた。
赤子の悲鳴。
女の絶叫。
男の怒声。
そして、ソレらを掻き消す化物の鳴声。
その地獄を前にして、男は狂気に口を歪める。
「さて。そろそろ再開しようか」
闇夜に男の声が響く。
125年前――2016年。
それは、世界にアンノウンが溢れた年。
人類史最大の、転換期。
世界終焉の幕開けにして――後の序章。
男はくつくつと笑みを漏らす。
やがて月明かりは雲に隠れ、街を暗闇が覆い尽くす。
――翌日。
その街には、生物の姿は見当たらなかった。
☆☆☆
「…………」
そのメールを見て、巌人は眉根を大きく顰める。
――冬休み明け。
死の帝王による校舎破壊事件から数ヶ月前。異能をフル活用して新しく作られた新校舎にて、始業式を終えた巌人たち。
彼らは皆、真新しい教室へと戻ってゆき……その最中、ステータスアプリへと送られてきたのは一通のメールだった。
『ロシアの首都、陥落』
周囲を見れば、まだ騒ぎは見て取れない。
メールへと視線を落とすと、送り主は『東堂茜』。
なるほど、彼女ならこの情報の速さも頷ける……だが、それと同時に彼女が間違った情報に踊らされるワケもない。
「事実……か」
「ん? どうしたっすか、師匠」
カレンの気配が近づき、咄嗟にメールを消去する。
「……いや、なんでもない。ただの迷惑メールだったよ」
そういうと、彼女は『ほへー』とテキトーな声を漏らして巌人の前の席へと腰を下ろす。その光景に、トイレから戻ってきた席の主が『あっ……』と声を漏らすが、もちろんカレンには聞こえていない。
「で、師匠! 一月と言えば、なんだかんだで先送りになってたスキー学習の月っすよ! 師匠はスキーとか得意っすか!?」
「ん、いや。やったことないかな。お金かかるし」
スキー板だけで数万円。
靴にスノーウェアまで含めればそれ以上。巌人は自他ともに認める大金持ちだが、だからといって彼が自分のために金を使うことは滅多にない。
自分の全ては、彼女のために。
普段のカレンならば『それくらい』と笑い飛ばすところ。されど、下手に彼の過去を知ってしまったがゆえ、カレンは言葉を詰まらせる。
「そ、その……べ、別にいいんじゃないっすか? どーせスキー学習で使うことになるんすし」
「そうだな……。ツムがやりたいって言うなら考えるよ。別にツムがやりたくないって言うならお金かけてまでやりたいとは思わないし」
「……最近、師匠以上のシスコンは存在しないんじゃないかと思ってるっす」
愛が重すぎる……と一人呟くカレン。
あわよくばスキー学習で今以上に距離を詰めて……なんて、そんなことを考えていたカレンだったが、彼女は今更ながら自分の浅はかさに思い至った。そう、この男は世界屈指の守銭奴野郎。そこまで到達すること自体がまず難しい。
「むむむ……」と両の人差し指をこめかみにあて、呻くカレン。
そんな彼女に全て知った上で苦笑を漏らした巌人は……ふと、教室の外に見知った赤髪が見えて立ち上がる。
「悪いカレン。ちょっとトイレ」
「お、大っすか? 踏ん張ってくるっすよ〜」
乙女らしさの欠けらも無いカレンの声に背を押され、巌人はその人物を追って教室を出る。
廊下には既にその人物の姿は見えなかったが、ちらりと、階段へと繋がる曲がり角から赤い髪が見て取れた。
巌人はその後を追って角を曲がると――案の定、そこには壁に背を預けた担任教諭の姿があった。
「おう、どうだその後は」
「何事もなく。カレンも彩姫も、特に触れないでくれて安心してます」
巌人の答えに、彼女――中島智美は苦笑する。
「ま、いつも通りってのはいい事だ。優しいお仲間持ったじゃねぇか。もう全員嫁に貰っちまえよ」
「生まれ変わったら考えます」
この人生は、既に捧げる先は決めてある。
だから、と即答した巌人へ「救われねぇなぁ」と呟いた智美は、小さく咳払いをして目を細める。
途端に空気がガラリと変わり、巌人の背筋も自然と伸びる。
「――昨晩、モスクワが全滅した」
やはり、と巌人は口元をきつく結ぶ。
「……原因は?」
「不明……と言いたいところだが、あの電脳王曰く、『壁が壊れた』だそうだぜ? どっかで聞いたことある現象だな、オイ」
壁が壊れる。
それは、本来有り得るはずのない出来事。
なにせ、世界中の防壁には『絶対化』の異能がかけられている。それはどんなことがあろうとも朽ちることなく、壊れることなく、永遠の時をそこに在り続ける一種の呪いだ。
それが、壊れた。壊された。
――かつての、サッポロと同様に。
「獄王ディアブル率いるアンノウン軍団――通称『六王会』。アイツらはあろう事か、壁をぶっ壊して侵入してきやがった。幹部連中はほとんど全滅。残った野郎も詳しいことは何も知らねぇ。だから、『壁の一部に不備があった』――なんて、そんな楽観視を抱いてた野郎もいた訳だが」
「……今回は、完全に壊された、と」
偶然、にしては出来過ぎている。
この街に引き続き、ロシアの首都が襲撃された。
確かに日本は世界有数の異能国家だが、だからといって他国がそれより劣っているわけが無い。人口の多いロシアの、最も戦力が充実していた首都モスクワ。そこがたった一晩で『落とされる』など、正直いって尋常じゃない。
「神獣級……それも複数体が動いたと考えるべきですね」
「それも、前回サッポロを襲ったレベルを超えた、大進行だろうな。……まぁ、ディアブル並の化け物は居なかっただろうけど」
その言葉に、巌人は思わず苦笑を漏らす。
獄王ディアブルは、今の巌人へと重傷を負わせた唯一の存在だ。闘級だけで見れば間違いなく過去の酒呑童子を超えている。あんな化け物がそんなにポンポン出てこられては流石の巌人も死を覚悟する。
「今得られてる情報は、あの女が電脳世界から拾ってきた映像。曰く、壁が壊れてアンノウンが溢れた、と。それ以外は何もねぇ。誰が、どんな目的で、どうやってそんなことを成したのか。それも何一つ分からない」
それに、と。
そう続けた智美だったが――次の瞬間、巌人のクラスから女子生徒の悲鳴が聞こえて目を見開いた。
「……ッ!?」
「アンノウン……ってわけでもないんだろうな」
二人は一気に走り出す。
数秒と経たずにそのクラスへと飛び込んだ二人が見たのは、地に倒れ伏す銀髪の少女――澄川彩姫の姿だった。
「あ、彩姫……ッ、か、カレン、何が――」
「わ、分かんないっすよ! い、いきなりカレンちゃん、顔が真っ青になって、そのまま倒れちゃって――」
「い、今、救急車は呼んだぜ! とにかく動かさないように――」
カレンや衛太が声を上げる。
その中で、倒れた彩姫を呆然と立ち尽くして見つめる巌人へ、智美は顔を顰めて先程の続きを口にする。
「――高位の異能を持つ者の、相次ぐ突然死。悪いな巌人、今回はお前にも動いてもらう」