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ワールド・レコード  作者: 藍澤 建
兄と妹
129/162

129.兄と妹

やっと過去から現代へ。

「今じゃ、あの時のことはもう、誰も触れない」


 そう締めくくった紡を前に、カレンと彩姫は顔を俯かせている。

 あくまでも二人は、紡が、その身で体感したこと。

 幼き日の『鬼っ娘』が、その身で覚えた絶望を。

 それしか語られはしなかった。それしか教えられはしなかった。

 それでも……否、そちらの方があちらの物語よりも遥かに辛い。


「……なにが、悪かったんすかね」


 カレンが、ポツリと呟いた。

 何が悪かったか。

 そう聞かれると、『運命』としか紡は答えられない。

 それでも強いて。強いてその答えをでっち上げるなら。


「お母さん……月影さんの、親御さんを殺した、アンノウン……じゃないですか。聞きたいこと、まだ聞けてないのもありますけど……語らなかったってことは、まだ見つけられてないんですよね。そのアンノウン」


 過去の一件。

 あの根底にあったのは旧『黒棺の王』の歪み。

 そして、そういう風に教育をした南雲月影の狂気だ。

 されどそれは、幼き日の月影が『目の前で両親を生きたまま貪り喰われた』という過去を持つからであり、無理矢理に原因を押し付けるとすれば、彼女の両親を喰らったそのアンノウンを除いて有り得ない。

 けれど、そんなことを紡も、巌人も口にはしない。


「……もう、これは。解決ついた、過去の話」


 そう言った紡は、小さくため息を漏らして廊下の方へと視線を向ける。


「みんな、忘れようとした。忘れようとしてた。お父さんも、お母さんも、中島も。……紗奈はわからないけど、私も。悪いこととは知っていて。それでも、あの人の隣を選んだ。それが、依存だってしってるのに」


 父を亡くして、悲嘆に暮れて。

 現実逃避と憎悪と、それを上回る寂しさに明け暮れて。

 そして、最悪の男を自らの父に重ねてしまった。

 それはいけないことだ。

 寂しいからと、敵に依存するだなんて。

 ……けれど、幼き日の彼女は、耐えられなかった。

 孤独という寂しさに。絶望に。


「……でも、あの人は。そんなことは思ってない」


 彼女が知る最悪の男は。

 ここに至る今まで。一分一秒たりともあの日のことを忘れた瞬間なんてありはしない。隣で彼をよく見てきたから、彼女はそれを知っていた。

 ――もう、許すから。

 痛々しいほどに傷つき、それでも前に進むことを厭わない彼に、何度その言葉を言おうとしたかわからない。

 もう、許すから。

 兄さんは、私に幸せをくれたから。

 私のために、頑張ってくれたから。

 だから――。


 何度もそう言おうとして。

 でも、言ってしまえば何かが壊れる気がして。

 彼女は、今でもその言葉を伝えられずにいる。




 ☆☆☆




 ――夜。

 多くの人が寝静まり、街から明かりが消えた真夜中。

 月の光が積もり積もった雪に反射し、ぼんやりと中庭を照らす。

 ただ、何を考える訳でもない。

 縁側にぼんやりと座る僕は、足音が聞こえてきて吐息を漏らす。


「悪いな、せっかく準備してくれたのに」

「ん、いい。明日の朝ごはんにする」


 その声は、瞼の裏の『過去』の日から、今日の今まで聞き続けてきたもの。聞きたくもなかったのに聞き続けて、いつか慣れてしまったもの。

 彼女が、僕の隣に腰を下ろす。


「……全部、話したのか?」


 ふと、口をついて疑問が漏れる。

 あの二人に、全部話したのか。

 そう問いかけた僕に、されど彼女は笑った。


「大丈夫、五割くらい、は、フィクション入れた」

「……それ、話したってことになるのか?」


 思わず苦笑して、横に置いた缶コーヒーへと手を伸ばす。

 既に缶は氷のように冷え切っていて、飲み干した冷たくて苦いコーヒーは、喉を下って胃へと落ちる。それは、いつかも感じた鉛のような空気によく似ている。冷たくて、苦くて、どうしようもなく絶望に塗れた。

 彼女に事実を告げられた時の、この家の空気によく似ている。


「……けっこう、カットした。全部言ったら、たぶん、立ち直れなくなる。今まで通り、兄さんに触れるだなんて、出来なくなる」


 まぁ、そうだろうな。

 彼女の言葉に内心同意する。

 なにせ、当事者である僕らは今に至るまで立ち直れてなんかいないんだから。みんながみんな、忘れたフリをして。でも未だに忘れられずにいる。忘れたことにして触れずにいる。たったそれだけなのだから。


「それに、言いたくない、こともある」

「……まぁ、そうだな」


 言いたくないこと……か。

 身に覚えがない、わけが無い。

 が、覚えがありすぎて分別もつかない。

 ……それだけの事、してきたからな。

 月を見上げて大きく息を吐く。

 寒いだろうに、彼女はいつもと違って僕とは少し離れたままだ。いつもと違って、正常通りに。僕とは拳数個分の距離を開けて座っている。


「……兄さん、は」


 ふと、彼女が口を開く。

 されど、その先がいつまで待てども出てこない。

 隣の彼女へと視線を向ける。

 彼女の白い髪は月の光を浴びて僅かに煌めいており、青い瞳が闇夜の中に妖しく、それ以上に美しく浮かび上がっている。

 口から漏れた吐息が白く色付く。

 しばしの沈黙を経て、青い瞳が僕を見つめる。



「兄さんは、今を、後悔してる?」



 ああ、後悔してるよ。

 すぐに返そうと口を開いて――されど、声が出てこない。

 喉が詰まったように、その言葉が胸の内から出てこない。

 答えなんて最初っから出てる。

 出てるに決まってる、出ないはずがない。

 僕が、特務に入ったその日から。

 初めて、アンノウンを殺した日から。

 彼女の父親を……この手にかけた、その日から。

 後悔なんてしてるに決まってる。

 それなのに、どれだけ口を開いても出てくるのは浅い吐息だけ。


 馬鹿みたいに口を開いて、吐息だけしか出てこない。

 言葉が、答えが出てこない。

 そんな僕を見つめて、彼女は言葉を重ねてゆく。


「……私は、今は、分からない、よ。父さんを、兄さんに殺されて……何度も殺してやるって、思った。今でもふと、父さんのことを思い出す。なんで兄さんは、父さんを殺しちゃったんだろうって、考える」


 心がズキリと痛みだす。

 既に壊れたはずの心が、何故か痛む。

 何故だと自問する前に。

 彼女は、とても楽しそうに微笑んだ。


「でも、今は……とっても楽しい、から」


 その言葉に、どうしてか『いつも』になった光景が浮かぶ。

 馬鹿みたいなことをカレンがしでかして。

 それを怒った彩姫が叱りに行って。

 楽しそうな雰囲気を察して、紡がついて行って。

 それを、呆れたように見ている僕がいて。

 そんな、日常になってしまった今を、どういう訳か思い出して。


 そして……ふと、涙が零れた。


 もう出し尽くしたと思ってた。

 彼女からプレゼントを貰った時が最後だと、思ってた。

 なのに、なんでか涙が零れて止まらない。


「カレンがいて、彩姫がいて。たまに中島もきて。お母さんとか、お父さんとかも、たまに帰ってきて。みんなが居て……兄さんがいて。私は今が、とっても楽しい」


 だから。

 そう続けた彼女は、困ったように笑うのだ。



「父さんなら、今の私を見ても怒らない。そう分かっちゃうから、なんでか『後悔してる』って、口に出せない」



 ……あぁ、そうか。

 彼女は、今をとても楽しいと思ってて。

 僕も、今が『楽しい』と、いつの間にか思ってた。

 いつからか、三人といるのが楽しいと感じていた。

 幸せだと、感じ始めてた。

 だから、どうしても答えが出てこなかった。

 理性では『後悔』してないといけない、そう分かってるのに。

 本当は、どこかで『幸せ』を感じていたから。

 だから、こんなにも――。


「――兄さん」


 ふと、彼女の手が僕の右手を握りしめる。


「私は、兄さんが笑っていると幸せ。兄さんが、頭を撫でてくれると幸せ。兄さんが抱きしめてくれると、幸せ。兄さんが幸せだと、もっと幸せ。今の私は、兄さんが全て。()()()()()()()()


 涙が溢れる。

 止めないといけないと分かってるのに、情けなく、子供みたいに涙が溢れて嗚咽が漏れる。まるであの日に戻ったように、あの日、あの時、闇夜に浮かぶ大きな月に慟哭したように。

 馬鹿みたいに涙を流して、彼女の手を握り返す。


「……うん、うん。……わかっ、た。そう、だよな」


 世界は、明るくなくちゃ。

 彼女の世界は、幸せでなくちゃ。

 そう、他でもない彼女と、約束した。

 昔、ずっと昔。

 子供の僕と、子供の彼女と。

 二人だけの、約束をした。


 決して違うことない、約束をした。


 なら、約束は守らないと。

 もう二度と、約束を破らないと決めたから。

 だから。

 ――悪かったな、紡。

 そう言いかけて……けれど、すぐに違う言葉が浮かんでくる。



「――ありがとう、紡」



 そう言って、僕は彼女を抱きしめる。

 情けなくも嗚咽を噛み締め。

 強く、強く彼女を抱きしめる。




 ☆☆☆




 かつて、少女は少年へと願った。

 私を、ニンゲンに変えて欲しい――と。


「……父さんは、言ってた。私が……父さんが死んだら、私が、ニンゲンとアンノウンの、共存にがんばれ、って。だから、もっと、ニンゲンのことをしる必要がある。だから――」


 だから、と。

 そう告げる少女に、少年は困ったように笑いながら。

 それでも、迷うことはしなかった。


 少年は、少女を『アンノウン』から『人間』へと変えた。

 他でもない、彼女の願いだったから。

 彼は迷うことなく、彼女に対して『異能』を使った。


「僕は、お前のためだけに生きよう。お前に全てを捧げよう。お前の望みを全て叶えよう。()()()()()()()()()()()()()。お前を、どんな敵からも守り抜こう」


 もう二度と、彼女を傷つけない。

 そう、彼は自身へと呪いを課した。

 約束という、決して砕けぬ呪いの制約を。


「もう二度と、お前を傷つけない。……けどそれは、決して『黒棺の王』の仕事じゃない」


 彼は、黒棺の王、最後の仕事として。

 彼自身の中から――【異能】を消した。

 他でもない自身の異能で、自身の異能を削除した。


 かくして彼の髪は、漆黒に染まる。

 世界で唯一の、無能力者として。

 世界で唯一の、彼女の兄として。

 少年は、彼女を前に、満面の笑みで笑うのだ。



「お前が望むその日まで、僕は無能の【黒】で在ろう」



 これは、二人しか知らない秘密の話。


 二人が交わした――罪の話の、後日談。



以上、兄と妹、でした。

無能から有能に戻る日は来るのか……。


次回、後日談を一つ挟んで新章突入!

お楽しみにお待ちください。

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