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ワールド・レコード  作者: 藍澤 建
兄と妹
128/162

128.南雲巌人

長かった過去編に終止符を!

 僕は、自分が嫌いだ。


 自分に『死』が許されるなら、今すぐ死んでしまいたい。


 自分の『死』で死んでいった誰かが報われるなら、今すぐ自身の首をねじ切ってでも死んでしまいたい。


 そして、それが『逃避』だと知っているから、なお嫌だ。


 死ぬことで逃げようとしている自分が、やっぱり嫌いで。


 そもそも、死んでしまいたいほどに罪を重ね、積み上げてきた自分自身が……どうしようもなく嫌いなんだ。




 ☆☆☆




 僕は、拳を握る。

 そんな資格は無いと知りながら。

 彼女を傷つけられて怒る資格など、無いと知りながら。

 それでも、怒りに拳を握り締める。


「――悪いな、遅くなった」


 その言葉に、背後にかばった彼女から声が掛かる。


「な、んで……っ」


 それは、純粋な驚きの声だったと思う。

 何故、僕がここに来たのか。

 そんな、驚きの感情だけがその瞳には浮かんでる。


「て、てめぇ、は……ッ!」


 殴られた腹を押さえ、男が呻く。

 ……対して、背後に倒れる彼女の体中には、殴られ、蹴られ、執拗に嬲られて付けられた傷跡が存在している。

 その光景に、怒りが一層に加速する。

 されど、彼女には笑った。

 必死こいて、笑ってみせた。

 ――たぶん、こっから先の僕は、世界で一番醜いから。


「言っただろう」


 そう言って、僕は拳を握りしめる。

 何度でも、何度でも。

 限界超えて血が滲んでも。

 骨が砕けて原型を留めなくなっても。

 ただ、強く堅く、解けぬように拳を握る。



「――僕はお前を、見捨てない」



 見捨てない。

 そう嘯いておきながら、こうも彼女を傷付けた僕に。

 そして、それを笑って執行した……この男に。

 底知れぬ憎悪と、燃えたぎる殺意の塊を拳に乗せて、前を見据える。


「……っだァ! はァっ、見捨てない、だァ!? おいおい笑っちまうぜ黒棺の王! 今まで、今の今はまで! 俺に嬲られ、死にかけてた雑魚を放置してたのはどこのどいつだァ!? てめぇだろうがよ! 綺麗事並べようとも最後には見捨ててんじゃねぇかよ、馬ァ鹿が!」

「あぁ、そうだな」


 あぁ、そうなんだよ。その通りだ。

 僕は、馬鹿で愚かで、いつも弱い。

 弱いんだ、どうしようもなく弱くて弱くてたまらない。

 大切な人のピンチに駆けつけられない。

 自分のミスで大切な人を危険に合わせる。

 大切な人とした約束一つ、守れやしない。


「ハァッ! 死んじまいなァ偽善者が!」


 男の声と共に奴の影から数体の狼型アンノウンが姿を現す。

 それらは真っ直ぐに僕の身体中へと襲いかかり、鋭い牙を突き立てる。首筋に、足に、腕に……鈍い痛みと共に鮮血が弾け、男は勝利を確信する。


「な、なんで……お前っ」


 背後から彼女の悲鳴が聞こえる。

 痛みに膝をついて大きく息を吐く。

 ……ったく、弱いな僕は。

 こうやって無防備に牙を突き立てられたらすぐダメージが入る。死にはしないと分かっていても、痛みにすぐに膝をつく。


『ヴルルルル……』


 首元に噛み付いていた狼と視線が交差する。

 その赤い瞳は憎悪の限りを迸らせており……それでも、数秒もしないうちにその憎悪はそれを上回る『恐怖』によってかき消される。


『く、クゥン……』


 そう、力なく鳴いて歯を離した狼のアンノウン。

 昔ならなんの迷いもなく殺してたんだろうが……話さずとも、こうしてやればちゃんと触れられたんだな。その背中を優しく撫でながら、生まれて初めて思い知る。


「て、テメェ……ッ」

「煽りたいなら好きに言え。攻撃したいなら好きにしろ。反撃なんてしやしない。反論なんて出やしない。――ただ、一発。歯ぁ食いしばれよ」


 握りしめた拳から血が滴る。

 背後から息を呑むような声が聞こえてきて、僕は立ち上がる。

 視線の先には理解出来ないと頬を引き攣らせる男の姿があり、僕は男へと真っ赤な拳を突きつける。

 ここから先は――願望だけれど。

 黒棺の王であり、南雲巌人という一般人であり。

 無数の屍を積み上げ、無数の怨念背負ってきた。

 なんの言い訳も言い逃れもない、『僕』として。


「宣言する。これが……最初で最後だ」


 この怒りは、この子を傷つけた僕自身に。

 この怒りは、この子を助けられなかった僕自身に。

 この怒りは、この子を傷つけたこの男に。

 この怒りは、この子を嗤ったこの男に。

 傷つき涙を流させて……こんな現状にした、僕自身に。

 僕は今、これ以上なく怒っている。


 だから、こんなことはこれで最後にする。

 最初で、最後にする。

 もう二度とこの子は悲しませない。

 僕がそんなことを言う資格なんてないのだろうけれど。

 他でもない、彼女を最も傷付けたこの僕に。

 そんな資格なんて、無いのだろうけど。

 それでも、守ると決めたから。

 僕の全てを、彼女に捧げると決めたから。


 だから、これを最初で最後の、怒りにしよう。



「全身全霊の『怒り』を込めて――お前を殴る」




 ☆☆☆




 男は笑った。

 僕の言葉も、僕の決意も。

 彼女の境遇も、今も、未来も。

 全てまとめて足蹴にするように、嘲笑の限りを尽くした。

 そして嘲笑の果てに、僕を見据えた。

 どこまでも冷たい眼で、暗闇のような瞳で僕を睨み据えた。


「気に入らねぇよお前。ぶっ殺す」


 途端、粟立つような強烈な殺気が溢れ出す。

 咄嗟に両腕でガードを固めると、ガード越しに黒い刃が突き刺さる。

 その刃は僕の両腕、腹、足に深々と突き刺さっている。痛みに呻きながら大きく息を吐くと、男の声が響いてくる。


「くだらねぇ、面白くねぇ。はぁ? んだそのお涙頂戴のエセゼリフはァよォ! 俺ァ、昔っからそういう類が大の嫌いなんだ……ぁぁあ! 聞いてるだけで怖気が走るゥ! 気味わりぃんだよ、だから死ねや!」


 男が腕を振るうと、その腕に合わせて大きな衝撃が体に走る。

 まるで見えない巨大な腕に殴られたような……。咄嗟に足を地面にめり込ませて衝撃を殺すと、視界の端に幾つかの魔法陣が映り込む。

 目を剥くと同時に魔法陣の中から先程僕を穿ったのと同じ刃が召喚される。だが、その矛先は僕ではない。


「……ッ!」


 体にかかっていた圧力を振り切り、咄嗟に背後にいた彼女を覆いかぶさるようにして抱きしめる。

 そして――強烈な痛みが背中に走った。

 どこかの臓器がやられたか、咳に血が混じって彼女の肩を濡らしてしまう。

 ボクの背中には幾つもの刃が深々と突き刺さっており、その光景に思わず苦笑いが漏れてしまう。


「は、だはははははははははははははは! 見ろ! 見ろよ偽善者そのザマを! ァア!? なんだったっけよさっきのセリフ! お前を殴る? 見捨てないィ? ばっかじゃねぇのかこの餓鬼が! 壊すと守るは両立しねぇ! それが世界のルールだろう、が……よォッ!」

「……ぁッ!?」


 さらに数本の刃が背中に刺さる。

 もはや、痛みなんて麻痺してきた。

 体から徐々に体温が消えてゆく。されど、逆に体を流れ、足元に溜まり始めた自分の血が妙に暖かい。

 ふと、もう一つの温かさを感じて視線を落とせば、僕の腕の中で体を震わせる彼女の姿が視界に映る。


「も、もう……やめて、やめてよ! お前! お前……なんで、なんで力、使わないんだ! だって、お前は強くて! 父さんよりも……」

「……馬鹿、自分の父さん殺したやつに、何言ってる」


 ここに来るまでに、ひとつ分かったことがある。

 僕は、能力を『使えなくなった』わけじゃないんだ。

 現に、彼女を助けるためになら……ここに来るまでになら、いくらでも使えた。

 ただ……それでも、彼女を前にしたら使えないんだ。

 僕は、彼女の前で異能が使えない。

 それは、一丁前にも彼女に気を使っているのか、あるいはそういうトラウマから来ているのか。それとも酒呑童子が僕に施した呪いなのか。


「……ま、ぁ。がほっ、心配、するな。こんなやつ、お前の父さんに比べたら、全然弱い」


 なにせお前の父さんは、異能を使う僕を相手に傷を負わせたんだからな。たぶんそんなことやらかした奴は、後にも先にもアイツだけだよ。

 そう笑って、膝に手を当て立ち上がる。

 血溜まりに膝をつき、床を踏み締め、無理やり笑って彼女の頭を荒く撫でる。

 ふと見た彼女は、泣いていた。

 誰が泣かした?

 そう自分に問いかけて、右の拳へ視線を向ける。


「……あぁ、そうだな」


 そこには、一度たりとも解けることなく握りしめられた拳がある。

 振り返れば、狂気に頬を強ばらせ、憎悪を瞳に満たした男の姿がある。フラリと男へと向き直り……ふと、引っ張られるような感覚を覚えて振り返る。

 そこにいた彼女は必死になって僕のコートをにぎりしめていて。たった一言、心の底から絞り出す。


「……お、お前、は――」


 青い瞳が、僕のことを睨み吸える。

 ぎゅっとコートを握りしめたその姿はとても小さくて、その年相応に儚げで、それ以上に……どこか、寂しそうで。


「……知ってるよ。最初から……あの日から」


 彼女の言いたいことなんて、最初っから分かってた。

 なにせ、言われ続けて来たからな。

 耳が痛くなるほどに。心が苦しくなるほどに。

 だから、安心してそこで待ってろ。



「僕は、お前以外には――殺されない」



 拳を構え、前を見据える。

 ありったけの怒りを込めて!

 全身全霊の、最初で最後の怒りを込めて……!


「るせぇ! いい加減死に晒せ糞共があああああ!!!」


 男が叫び、虚空に無数の刃が生まれ落ちる。

 それら僕の命を射止めんと迫ってくる刃を前に、僕は残る力をふりしぼり、思い切り大地を蹴り出した。

 今の奴には、僕の姿しか見えてない。

 怒りに染まり、憎悪に狂い……って、まぁ、僕と似たようなもんか。

 ただひたすらに『僕だけを』殺そうとするそれらを前に、最後にもう一度だけ拳を握る。骨が砕けて血が弾けるまで、堅く、強く、握りしめる!



『私はお前の母さんの部下だがな。それ以上に、お前の直属の部下で、姉さんだ。この世界の誰よりもお前の味方だ』



 姉さん。

 あの時は小っ恥ずかしくて言えなかったけれど。

 心が折れて、泣きじゃくって。

 逃げたくて逃げたくて、誰かに助けて欲しくて。

 その時にそばに居てくれて。隣にいてくれて、ありがとう。


 放たれた刃が迫る。

 肩を抉り、腕を貫き、頬へと傷跡が刻まれる。

 それでも足は止まることなく、ひたすら前へと突き進む。



『巌人くん。安心しなよ、君は『人間』として間違っていて、それ以上に『人』としてきっと正しい。この【正義の味方】が保証しよう』



 紗奈さん。

 今の僕は、人間として間違っていますか?

 人として、正しく在れていますか?

 僕には分かりません。何が正しくて、何が間違っているか。

 分からないから、僕は考えて考えて……僕のやるべきだと思ったとこを貫きます。でも、それが間違っていたのなら……その時は、よろしくお願いします。


 大きく拳を振り上げる。

 目の前に大きな刃が迫り、頭蓋を抉る。

 鮮血が吹き出して片目が血に塞がれ、目の前で男が大きく笑う。


 ――その、刹那。


 僕の脳裏を過ぎったのは、彼女の姿だ。

 少し前。

 慣れないエプロンをして。

 慣れない、包丁を握って。

 困ったように俯いた彼女の言葉を思い出し、僕は、大きく笑った。



『――それに、お前、ほんのすこし、がんばりすぎてる』



「うるせぇ、頑張らせてくれよ。兄ちゃんなんだから」



 目の前で、勝利を確信していた男が目を見開く。

 でも、もうここは僕の距離。

 僕の『怒り』が、届く距離。


「ま、まっ――」


 囀る男の顔面へと、真っ赤な拳が突き刺さる。

 嫌な音も何もかも、最初で最後の怒りに塗りつぶし、技術も異能もへったくれもなく、ただ力いっぱいに拳を振り抜く。

 轟音と共に男の体は壁を突き破って消えてゆく。

 その光景を見て、拳へと視線を向けて。

 僕は、握りっぱなしになっていた拳を開いて、振り返る。


 目を見開いてこちらを見つめる、小さな少女。

 彼女の目には、涙が光る。

 この光景を、僕は生涯忘れないだろう。

 最初で最後の失敗として。

 最初で最後の、僕の怒りとして。


 でも、そういうのを考えるのは、あとの事だ。



「さぁ、帰ろう。みんな待ってる」



 涙を流した彼女が、血に濡れた僕の胸へと飛び込んでくる。

 胸に感じた温かさ。

 嗚咽を噛み締め、泣きじゃくる彼女を抱きしめる。



 その時の感情を、僕はまだ、なんと言い表せばいいか知りはしない。




 ☆☆☆




 果たして僕は、正しく在れて居るのだろうか。

 果たして僕は、ここに居てもいいのだろうか。

 彼女の横で、生きていてもいいのだろうか。


 そんな迷いは、多分一生尽きやしない。

 これからも、ずっとずっと迷い続ける。

 答えなんて、最初から出ているけれど。

 彼女が望む限り、僕はその答えを先送りにしよう。


 僕は、彼女の兄になる。

 彼女の父を殺したこの僕が。

 分不相応にも、彼女の兄を名乗るようになる。


 それは、一種の呪いだ。

 また僕が、彼女を前に逃げ出さないように。

 いつか来たる『死』を前に、逃げ出さないように。



 これは、クソッタレた黒歴史。



 楽しいことなど何も無い。

 思い出と呼ぶにはあまりにも血と、涙が流れすぎた。

 そんな、血も涙も憎悪も怨念も、すべて混ざりあって真っ黒になったような、救われない物語。


 これは南雲巌人の、罪の物語。

 誰もが『罪』を背負い、泣いて、足掻いて。

 それでも結果、誰も報われず、必死に足掻いた僕もまた、何ひとつとして報われない。

 残ったのは罪の意識と、いずれ来たる死の運命。


 そんな、クソッタレた物語を毎日のように思い出す。


 鮮明に、瞼の裏に焼き付けたまま。

 まるで昨日のように思い出す。

 憎悪も嫌悪も涙も血も。

 最後に感じた、喜びも。


 僕は、生涯忘れることは無い。



 ――他でもない、彼女に殺される。その日まで。




次回『兄と妹』

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