124.狂気の果てに
ちょっとしたホラー。
今でも、よくその光景を覚えている。
自分が狂い始めた。
歯車が狂い始めた、その日の情景を。
「はっぁ、はっはぁ! はははははははははははははは!」
哄笑が轟く。
耳朶に突き刺さるような。
うるさくて、喧しくて。
気が狂いそうになる、声だった。
☆☆☆
「う、そでしょ……っ!?」
枝幸紗奈は叫んだ。
絶対者の片割れ。
世界最強の一角である彼女をして、眼前の男は強すぎた。
「フンッ!」
鉄拳が眼前へと迫り、咄嗟に剣で受け止める。
響いたのは轟音。
威力を流しきれるはずもなく、大きく吹き飛ばされた彼女は頬に冷や汗が伝う。
「嘘ぉ……、巌人くん、こんな奴に勝てたの……?」
他でもない、巌人に敗北した。
だからこそ、彼我の戦力差も分からないような雑魚だと思った。
自分でも勝てるような、その程度の相手だと舐めていた。
ただ、忘れていたのだ。
――巌人を前にしたら、たいていが雑魚に成り下がる。
その、シンプルで絶対的な事実を。
「――もう油断はしない。全力をもってぶっ潰す」
犯罪者集団、六魔槍。
その、二番槍。
純粋な身体能力で言えば、まず間違いなく世界最強。
今の巌人すら優に上回る。
絶対的な、物理の王様。
「悪いな英傑の王、おとなしく俺の糧に成れ」
――――――――――
名前:西京 麟児
闘級:二百二十五
異能:限界突破[SSS]
体術:EX
――――――――――
――その男は、控えめに言って最強だった。
ただ、一握りのイレギュラーを除いて。
☆☆☆
死の予感がする。
彼女は、ピリピリとうなじをくすぐる感覚に、内心思う。
なんでったって、この組織はこんな化け物ばかりが集っているのか。
そう思いながらも、剣を握らずにはいられなかった。
ただ、心が叫んでいる。
恐怖から、逃げろと叫ぶ。
それ以上に、悪を滅ぼせと絶叫している。
「――悪は、滅ぼす」
「笑止。彼我戦力を知ってなお挑むか、愚か者」
麟児は拳を構える。
紗奈は大きく息を吐いて剣を構える。
――そして、その姿が大きくブレた。
「シィっ!」
虚空を斬り裂く銀色の一閃。
それは吸い込まれるようにして麟児の首へと向かってゆき――されど、直前で首を傾げた麟児によって交わされる。
「早い――が、程度が知れる」
直後に襲い来るのは拳。
ただ、何の力もない拳。
けれど、それにはたったそれだけで他を打ち消してしまえるような『暴力』が込められており、何とか皮一枚で躱した彼女の頬にくっきりと赤い傷跡が刻み込まれる。
――明らかに、巌人以上。
彼よりも優れた体術使いと戦ったことがないから、彼女は少し迷った。
本当に勝てるのか。
一度逃げて、巌人を呼んできた方が早いんじゃないか。
そんな迷いが動きを鈍らせ――その一瞬を、麟児は見逃さなかった。
「――死ね」
硬い拳が彼女のみぞおちに突き刺さる。
途端、彼女の体を電撃が走ったような感覚が貫く。
あまりの衝撃に、痛みに、彼女は声にもならない悲鳴を漏らして地面を転がる。
「が、は……ぁっ」
「ほう、まだ意識があるか」
今の一撃で生きていることにも驚いた。
が、意識があることに、もっと驚いた。
そんなニュアンスがこもったその言葉に、彼女は呻く。
――実力差が、離れすぎてる。
彼女の今の闘級は、百五十程度。
それでも十分すぎるほどに、彼女は強い。
だが、今回ばかりは相手が悪すぎた。
(勝て、ない……ッ)
諦めろ、心が囁く。
逃げろ、頭が呟く。
負けを認めろ、体が呻く。
許しを乞え、恐怖が突き動かす。
体が震え、死の恐怖に悲鳴を上げそうになる。
けれど、それでも――。
☆☆☆
「……イラつくな、お前」
麟児の右足が、彼女の顔面を蹴り上げる。
血しぶきが舞い、力なく体を曝した彼女へと――
「――必殺『超連打』」
無数の拳が襲いかかり、嫌な音が鳴る。
それは、骨が砕ける最悪の音。
自身に近づく、死神の足音。
既に、悲鳴などない。
一瞬で体中の骨という骨を砕かれた彼女は力なく地面に倒れ伏し、口から鮮血を垂らしている。
――瀕死。
もはや手を加える必要もなく死に絶えるだけの、重傷。
にも、関わらず。
「――ッ」
麟児は、その瞳に呻いた。
彼女の瞳は、一片たりとも死んじゃいなかった。
どうしようもなく、勝利だけを考える瞳。
――いや、正義の執行だけを、狂気的に思う瞳。
「お、前は……ッ!」
意味が分からなかった。
これだけの実力差があり。
それでも、未だ勝利を疑わない瞳が。
瀕死の重傷を負っておきながら、未だ衰えぬ威圧感が。
「ごはっ、けほっ……ねえ、君」
声が聞こえて、目を見開く。
見れば彼女の体からは蒸気が溢れ出しており、先ほどまでしゃべることも叶わなかった彼女は、咳込みながらも言葉を紡いでいる。
何処にそんな力が――。
麟児は、その光景に一歩後退る。
……後退る?
「なッ!?」
自分の行動に、彼は驚いた。
何故、自分はこの女を前に引いた。
何故、自分はこんな瀕死に――気圧された。
「知って、るかい?」
そう笑う彼女は、彼を見据えている。
何処までも純粋で。
ひたすらに狂気に染まった、その瞳で。
「勇者ってのは、何度だって蘇るんだ。教会でね」
満面の狂気で、嘯いた。
☆☆☆
今でも、よくその光景を覚えている。
自分が狂い始めた。
歯車が狂い始めた、その日の情景を。
「はっぁ、はっはぁ! はははははははははははははは!」
哄笑が轟く。
耳朶に突き刺さるような。
うるさくて、喧しくて。
気が狂いそうなる、声だった。
「死ねぇ! 死ねよオラぁ! はっはっはははっははっははhっはっはははっはは! おいおい死ねったら! オラオラ死ねよ! 死ね死ね死ね死ね死ねしねえええああああああ! はっはっははははははhっはははははははhhhhhhhhっは!」
それは、狂気だった。
目の前で、断行される狂気の沙汰だ。
「……おかあ、さん?」
目の前に、母の死体があった。
父の死体は、原形なんてとどめちゃいなかった。
『紗奈、あなたはいい子ね。いつも元気で、気も配れて。何より優しいし可愛い』
『うんうん! 紗奈は僕らの自慢の子だ! いつかその笑顔で皆のことを救ってくれる正義の味方とか、そういうのになっちゃうのかもな!』
母と、父の声が蘇る。
そして、ボクの顔に鮮血が跳ねた。
「…………あぁ?」
男がこちらを振り返る。
けど、興味なんて微塵もなかった。
いい子。
元気。
気が配れて。
優しくて。
――正義の、味方。
ただ、その言葉だけが頭の中をぐるぐるぐるぐるぐるぐると。
ひたすらに駆け巡っていた。
「……なん、で?」
一人、疑問がこぼれた。
なんで、この人はこんなことをするの?
なんで、この人はお父さんと、お母さんを殺したの?
どうしたら、ボクはお母さんともう一度話せるの?
どうしたら、ボクはお父さんの笑顔をもう一度見れるの?
どうしたら、なんで?
なんで、どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして
どうしてどう
どどどうして
どう、してて
どうしして
どうしてどうして
どうして。
――どうして。
「――正義の、みかた」
ああそうか。
ボクは。
狂いそうになるような思考の渦の中。
たったひとつ、答えを見つけた。
「――悪は、潰さなきゃ」
悪は、悪だ。
悪いんだ。
だから、悪と呼ばれるんだ。
容赦も情けも、かける余地なし。
ただ、悪いんだから。
殺さなきゃ。
潰さなきゃ。
徹底的に。
「ああぁ? じゃあテメエも死ねよ」
男は、ボクも殺した。
頭を殴られ、腹を包丁で抉られ。
脳漿をまきちらして。
大腸を引きずり出されて。
眼窩に包丁を叩きこまれて。
――ボクは、男を殺した。
当時、八歳だった私は。
初めて殺され。
初めて、殺した。
☆☆☆
なんだか、ぞっとした。
狂気を感じた。
というか、何か知らないけど怖くなった。
「……紗奈、さんか?」
背後を振り返り、思わず呟く。
こんなに末恐ろしい気配を出せる人なんて、僕は一人しか知らない。
正義の味方にして、最悪の狂人。
満面の笑顔で。
元気いっぱいの言動と優しさを振りまき。
正義の味方として大衆から支持されつつも。
――悪とみなした輩は、徹底的に磨り潰す。
肉片の欠片も残さず。
焼き尽くし。
磨り潰し。
叩き斬り。
ありとあらゆる残虐すら厭わず、殺す。
ただ、潰す。
「……誰だあの人を殺した馬鹿」
あの人が『殺される』ってことは……誰だ?
一番最初に思いつくのは、電脳王。
奴なら紗奈さんを殺せる。だってあいつ強いし。
けど、あいつはたぶん、知っている。
紗奈さんの保有する能力の中で、最もヤバい力を知っている。
だから、逃げに徹した。
勝利こそが最も避けるべき悪手だと知っていたから。
だからアイツじゃない。とすれば――。
「……道中で気絶させてきた名前も知らないモブDくらい」
そう、白髪のアイツだ。
妙に速かったから覚えてる。
……まあ、もしかしたらアイツなら勝てるかもしれないな。
だって白髪だったし、体術だけなら僕よりも強そうだったし。
ただ、なんというか――ご愁傷様。
「おいアンタ、その人蘇るぞ――何度でも」
それこそ、際限なく。
新たな『強さ』をひっさげ、蘇るのだ。
だから僕は、彼女と戦わない。
――世界で唯一、僕を超え得る存在だから。
次回、英傑の王VS物理最強……決着できればいいな?
ま、いずれにしても容赦ないぶっ潰しが入る予定です。