122.電脳の起源
人間とは、愚かな生き物だ。
物心着いた頃から、そう思っていた。
人間とは、慣れる生き物だ。
人間とは、馬鹿な生き物だ。
人間とは、エゴの塊だ。
だからこそ、【凄惨】という言葉が存在する。
動物に人が襲われた時。
事故が起きて、人が沢山死んだ時。
そんな時よりも、ただその二文字が使われるのは、人為的な殺戮によって、大量の鮮血が血を濡らした時だ。
人間とは、愚かだ。
何故、自身が賢いなどと考える。
何故、自分が間違っていると考えない。
知性ある生物、それが人間であるならば、おそらく今定義されている『人間』の内の八割以上が人間にすらなり得ない愚か者。
つまるところ、屑だ。
子供の頃、両親らを見て心の底からそう思った。
私の父は、外国人だ。
私の母は、日本人だった。
父は生まれながらにして貴族の一員として名を連ねる、正真正銘の血統遵守主義の堅物で、貴族こそ全てだと、貴族以外は雑多だと考えて止まない屑だった。
母は、たまたま海外へと旅行に行った際、あの屑の目に留まり、無理矢理に拉致監禁、妻のうち一人になるよう脅され、仕方なく屑の側室と相成ったらしい。
幼い私に、母は言った。
『……茜。貴方はお父さんみたいに……私みたいにならないで、ちゃんとした幸せを掴んで欲しいの』
それが、母の口癖だった。
父のように、自分のようにはなるなと。
それが、母の……いや、あの『屑』の口癖だった。
母は、最初はなんともなかったのだろう。
いや、なんともないという表現は相応しくない。
古くからの血統遵守主義の貴族家において、平民はそれつまり奴隷そのものであり、実際に人身売買によって奴隷の身分に落ちた者達を侍らせることも度々あった。
だからこそ、母はどうしようもなく精神を病んだ。
ありえない現状、味方のいない最悪の地獄。
その地獄に、病んで、病んで、病み切って。
――そして、慣れた。
母は、物心着いた頃から壊れてた。
奴隷に八つ当たりを繰り返し、その命を散らしたことも一度や二度ではない。いつもいつも、私の目の前で奴隷に鞭を打ち、父や親族たちから受けるストレスを発散していた。
奴は、父のようになるなと言っていた。
自分のように――不幸な人生を歩むなと言っていた。
けれど私には、それは別の意味に聞こえた。
――自分のようにはなるな。
それは、どうしようもなくその通りの意味だった。
父のように、凝り固まった屑にはなるなと。
母のように、病み壊れた屑にもなるなと。
そう言っているようにしか、思えなかった。
だからこそ、その頃から考えていた。
――コイツらは、何故自分を疑わないのか。
何故、どうして自分の正しさを疑わない。
何故、自分が正しいと思っている。
何事も、目線ひとつ変えれば正しさなんて流転する。貴族視点から見た正しさも、平民視点から見れば悪になるように、平民視点での正義が貴族視点からの悪になるように。
正義も悪も、境界線は非常に曖昧。
だからこそ、私は彼らへ問いかけた。
『お父様、お母様、何故自分が正しいと思い込んで、そのような行動ばかり取れるのですか?』
――翌日から、私は監禁された。
父からも母からも、手酷く殴られ、蹴り飛ばされた。
純粋な疑問だった。
なぜ、そこまで自分を盲信できるのか。
不思議だった。だから聞いた。
……けど、答えてはくれなかった。
だから、確信した。
『……人間って、愚かな生き物』
それは、私の出した結論だった。
人は、エゴの塊だ。
自分こそが正しいと思い込む。
自分の正しさを決して疑わない愚か者。
その上自身に知性があると思い込み、他人に自身の正義を否定されれば発狂し、自身の全能力を用いて自身の正解か不正解かも危うい正義を肯定しようとする。
まぁ、絶望したのだろう。
私はあの時、幼いながらに人生に絶望した。
世界に絶望した。
それが、ちょうど六歳になる前日のこと。
そして翌日、私は異能に目覚めた。
――そして、両親を殺した。
☆☆☆
そこは、異様としか言い様がなかった。
野球場よりもさらに広大な、おそらく一つの階層を大胆に一つくり抜いたような巨大な一室。
その中にはありとあらゆる電機製品が転がっており、最近電器屋のチラシで見た最新型から、おそらくアンノウンが溢れ出す以前に使われていただろう、見るからに旧型のものまで、視界を埋め尽くさんばかりにその場に転がっている。
されど、それらに目を移し、油断する暇などありはしなかった。
「……なるほど、これは取逃すわけだ」
他でもない、英傑の王たる枝幸紗奈が幾度にわたって取り逃し、未だ捉えるに至らない最強の犯罪者。
……確かに、さっき沈めてきた名も知らない男もかなりの力を持っていた。まず間違いなく身体能力なら僕の遥か上を行っているだろうし、おそらく僕や紗奈さんじゃなきゃ勝負にすらならない程の十分すぎる化け物だ。
――が、コイツは『格』が違う
「……さて、お前が黒幕でいいのかな」
既に分かり切ったことを問いかける。
もしもこの建物の中にこの女以上の化け物がいるとしたなら……その時はたぶん、僕以外じゃ歯が立たない。
「やぁ、初めまして黒棺。私は『電脳王』と名乗っている者です。まぁ、つい最近まで君は名前も知らなかったみたいようですが」
その女――電脳王は爽やかに笑う。
その緑色の髪はこの時代においてどうしようもなく『弱異能』を体現しているようでもあったが、他でもない自分が髪を染めていたからよく分かる。あれはフェイクだ。
表を白髪が歩けば異様に目立つ。
それは世界に指名手配を晒している犯罪者としても、世界に名を知られる英雄もどきとしても、きっと望まないものだ。
だからこそ、髪を染める。
僕も……そして、恐らくこの女も。
「……ひとつ聞く、酒呑の娘は何処にいる」
小さく息を吐き、問う。
僕がこの組織に殴り込んできた唯一の理由。
まどろっこしい舌戦も、意味無いさぐり合いも、ことここに到っちゃ望んじゃいない。
ただ、彼女を返せ。さもなくば――
「ああ、彼女ですか。はて、何処にやっ――」
そこまで言って、彼女の頬に赤い傷跡が刻まれる。
彼女の笑っていた瞳が薄く細められ、煙を上げる銃口をしかと睨み据える。
「二度は問わん。死にたくなければ疾く答えろ」
生憎と、今は機嫌が非常に悪い。
自分から大切なものを奪った愚か者共への怒りと。
そして、情けなさここに極まった自身への憤激と。
どうしようもない怒りと後悔と、焦りだけが僕の中に溢れだしている。
なぁ、電脳王。
お前が何を持ってそこに立つのかは知らない。
が、今の僕を邪魔するというのなら――
「――次は、殺す」
なぁ、死ぬ覚悟くらい出来ているよな。
言外に告げた僕に、奴は大きな笑みを浮べる。
「ええ、私の目に狂いはありませんでした。貴方、控えめに言って最高ですよ。殺したことで全ての絶望を味わったくせに、大切な者を守るためなら再度その絶望に身を晒そうともなんの感情も覚えない。後先考えないその愚直さ――最っ高に、ぶっ壊してしまいたい」
途端、建物中が大きく揺れ出す。
「若いとはいいですね。なんの罪もない酒呑童子を殺害し、その娘に恨まれ絶望晒し、全て自身が悪いというのにまるで世界が悪いと言わんばかりに慟哭し、泣きじゃくり……」
奴は両手を左右に広げる。
途端、その足元から巨大な塔が顕現する。
それは無数の機械によって組み合わされた、歪な塔だ。
黒光りする金属の奥からは危険な赤い光が溢れだしており、奴の双眸はじっと僕の姿を見下している。
「私の目的は端的明快。世界に疑問を呈すこと。現状に満足し、思考を放棄した皆々様に残酷で冷酷な現実をプレゼントし、今一度自らが正しいのかを考えていただきたい」
彼女は言う。
「【凄惨】という言葉を知っていますか。かの二文字は私が思うに、人間のエゴと自称の知性が作り出すものだと愚考しております。人が自身の正義を盲信した果てに作り出した敵国の戦死体。自身の正義を疑わなかったがゆえの血潮舞う悲惨な事故。思考を放棄したが故の――そう、ちょうど貴方のような自業自得な馬鹿げた絶望」
僕は奴へと銃口を向ける。
思考を放棄する、耳が痛い話だ。
が、悪いが相容れそうではなさそうだ。
「同感だ。が、悪いが今は思考を放棄しちゃ居ないんでね。ちゃんと考え、思考し、自分の意思でここに立ってる。どんな凄惨を乗り越えようとも、守りたいものがある。だから、お前の言葉は響かない」
僕は、もう人間として終わってる。
既に、一人の人間として生きるつもりは甚だ無い。
ただ、彼女のためだけに。
誰が為でも、自分の為でもなく。
ただ、彼女のために生きると決めた。
ならば、彼女を守るためにどんな凄惨や絶望を味わったとしても、僕は迷いなく前へと進もう。
いくら心が悲鳴をあげても。
いくら、世界に嫌われても。
ただ、妹のために黙って命を賭けられる。
「妹が笑うためならなんだってやる。あいつが幸せになるなら僕はどんなに不幸すら噛み締め、笑ってやる。なぁ電脳王、それが兄貴ってもんだろうが」
そう笑う僕に、彼女もまた笑ってみせる。
「――なるほど、実に愚か」
かくして殺気が迸る。
既に、対談するつもりはとうになく。
銃口を構えた僕に、四方から鉄の塊が襲いかかった。
次回、黒棺の王VS電脳王