121.姉として
けっこうクライマックス近くなってきました。
初め見たとき、天使かと疑った。
くりくりとした瞳でこちらを見つめる一人の少年。
小学生にもなっていないだろうその幼い少年の瞳には自らの姿が映っていて、何だかそのひねくれた姿が嫌に恥ずかしくなったのを覚えている。
そして、その時に思ったんだ。
ああ、自分はもう捻くれてしまったけれど。
こんな、いつ終わるとも分からない世界だけれど。
せめてこの子は。この子だけは、捻くねること無く、まっとうな幸せを掴んで貰いたいものだって。
今は既に遅いけれど、そんな願いをしたもんだ。
☆☆☆
「はあああああアッ!」
剣戟の音が響き、火花が散る。
彼女の持つ『無銘』は異能を切り裂く壊れ知らずの無二の一振り。故に尊の持つ『雷切』とまともに斬り合っても断ち切られることこそ無いが――
「さて、どこまで持つか」
次の瞬間、刀ごと智美の体が大きく弾かれる。
なにがあったか問われれば、単純に鍔迫り合いから相手の身体を押し上げただけ。そう簡単に説明できる。
しかしながらその技術は簡単になど説明がつかず、意味もわからず体勢を崩した彼女へと雷切が振り上げられる。
「疾く去ね、この世から」
バチリッ、と雷が弾けたような音とともに雷切が加速する。
その速度は刀の出せる速度を優に超えており、咄嗟に無銘を用いてその一撃を受け止めた智美の肩へと異様な衝撃が突き抜ける。
「が……ぁっ!?」
(な、なんつー威力してやがる……ッ!)
腰から肩へ、肩から肘へ、肘から腕へ、腕から手首へ。そして手首から刀身へと流れるようにして伝えられた力は一切の余分なく一点へと集約し、その一撃を異様な威力をもって智美へと叩きつけた。
智美が噛み締めた歯の隙間から僅かな苦悩の声が漏れだし、その声を聞きつけた月影が彼女を援護するべく手をかざす。
そして――その体に影が落ちた。
「ぬははははっ! こちらを忘れてもらっては困るなぁ!」
顔を上げた月影の瞳に映りこんだのは巨大な拳。
それは避ける暇もなく彼女の体へと叩き込まれ――次の瞬間、その体が黒い霧となって霧散してゆく。
「む……っ」
「『影分身』。貴方みたいな暑苦しいの、忘れろって方が難しいと思うわよ」
いつの間にか彼の背後へと現れた月影の声が響き、いつの間にか分身と入れ替わっていた彼女の『技術』に松原は思わず目を剥き笑う。
「おお、一体いつの間に入れ替わったのか理解も及ばなんだ! 流石に眼球の筋肉を鍛えるには無理がある、なるほど我が唯一の弱点とは眼球か!」
「知らないけれど弱点なら狙う他ないわよね――ッ!」
月影が腕を振るう。
同時に地面へと刀越しに押し付けられていた智美の体が影の中へと沈み込み――次の瞬間、松原の背後へと現れる。
「ぬぉっ!?」
「知ってたか肉ダルマ! その人の能力は一つだけじゃないんだぜ……ッ!」
力いっぱいに智美は刀を振りかぶる。
その光景に咄嗟に拳を振るった松原。彼の拳と振り下ろされた刀は二人の正面で激突し――そして、衝撃波を撒き散らすと共に智美の体が吹き飛んでゆく。
「な、中島ちゃん!」
月影の悲鳴が響く。
しかしそんな悲鳴と裏腹に空中で姿勢を整え、地面に剣を突き刺すことで勢いを殺した智美は、口の端からこぼれ落ちた鮮血を拭って笑って見せた。
「――まず、一太刀」
その視線の先には、拳を大きく抉られ、血を流す松原の姿があり、初めて見た血を流す松原の姿に尊が目に見えて驚きを顕にした。
「ま、松原!」
「な、なる、ほど……。まさかこちらの一撃の勢いすら利用して斬りつけて来るとは。確かに我が筋肉の勢いを持ってすれば我が筋肉も敗れるが運命……ッ」
強がっては見せるが、彼の表情は目に見えて苦痛に歪んでいる。
――松原真。
異能の発現と同時に筋肉が異様なまでに発達し、筋肉という自然の鎧によって一切の傷を受けることがなくなった超人。
故に、痛みには極端に弱い。
なにせ、長年戦いに身を置いている者でありながら、その実戦闘において傷を負ったことは一度として無い。
だからこそ痛みにはなれていない。
流血することも、傷に響く痛みにも。
一切の『慣れ』がないからこそ、よく響く。
「おいおいどうした、脂汗出てるぜ」
刀を杖がわりにして智美は立ち上がる。
その姿に顔色を悪くした松原が拳を構える。
されど傷つき負傷した右手は構えることなく後ろに回しており、その姿をみた尊は歯噛みした。
「松原……ッ、ここに来て弱点が露見したか!」
松原は強い。が、同時に打たれ弱い。
防御力を貫通する一撃を貰えばそれだけで崩壊しかねない、子供のソレにも劣る痛みへの極端な脆弱性。
それが露見されたのを察した尊は咄嗟に刀を構えて走り出す――が、眼前へと現れた影を見て舌打ちを漏らす。
「あら、そんなに急いでどこに行くのかしら」
そして、横合いから現れた月影を見て、その瞳に剣呑な光を宿し、刀を構える。
「邪魔をするなら――押し通るッ!」
月影は智美を背中へと隠すようにして立ちふさがっており、尊は殺意を持って柄を握りしめ、刀を振るうべくゆらりと切っ先を揺らし――そして、目を見開く。
「一体、そんなに急いでどこ行くんだよ」
響いた声は背後から。
限界まで目を見開くと同時に彼女の異能『心眼』が捉えたのは、自身の背後に出来た影の中より現れた赤髪の女性――中島智美の姿であり、彼女が浮かべた笑みに、そして彼女が構えた『無銘』に、背筋に冷たいものが走り抜ける。
「――ッ!?」
――心眼。
それは三百六十度全ての死角を補い、それに加えて万物の弱点すら見抜く、ある意味最も凶悪で、それでいてあらゆる状況に対応できる異能でもある。
が、しかし、所詮はそれだけ。
障害物を透かして見ることなどできやしないし、確認できたとて反応速度が上がるはずもない。
故に、月影の陰に隠れたその一瞬、その刹那に彼女の力を借りて影の中へと潜り込み、自らの背後へと現れてみせたその奇襲に、ほんのわずか、対応するのが遅れてしまう。
「らあああああァァァッ!」
彼女は刀を振り下ろす。
月影が退路を塞ぐようにして影を展開する。
それらを視認し、それでもなお背後の智美へと刀を振るう尊。
かくして彼女らの視線の先で、二振りの刀が交差する――
その刹那、中島智美は思い出す。
曇天が大地を照らす中。
ただ何かを堪えるように走り出し、慟哭を漏らした一人の少年の姿を。
幸せになって欲しかった。
こんな世界だからこそ、せめて彼くらいは幸せになってもらいたいって、そう思ってた。
けれどそんな願いを打ち砕くようにして、現実は残酷なまでの『現状』を彼へと叩きつけた。
(……ったく、よォ)
彼女は思う。
なんで、彼だったのか。
たまたま運命が彼を選んだ。
彼の元に強い異能を運んできた。
この世界に産み落とされたその時、その瞬間から決まっていた異能の強さこそが、彼をこの未来に辿り着かせた。
そこまで考え、歯を食いしばる。
もしも、彼が強くなかったとしたら。
その時は、もしかしたら彼は人並みの幸せを手にすることが出来ていたのだろうか。今頃クラスメイトたちと中学校へと通い、帰りにどこかへ遊びに行ったり、あるいはどこかの誰かに恋をしたり、青春したり。
そんな未来を、辿っていたのだろうか。
そう考えると、彼女はどうしようもなく、心が苦しくってたまらなくなる。
剣戟の音が響き、勢いよく叩きつけられた無銘からの衝撃により、尊の体が大きく吹き飛ばされる。
その体へと勢いよく影が迫るが、すぐさま空中で体勢を整えた尊の振るう『雷切』によって切り刻まれてしまい、さしたるダメージもなく彼女を逃す結果となってしまう。
が、しかし。
「……っ、き、貴様……! 一体何を……、誰を向いて戦っている!」
尊の激昂した声が響く。
その視線の先には刀を払う智美の姿があり、彼女は尊の言葉に小さく笑むと、淡々と言葉を重ねていく。
「……救われ、ねぇよなぁ。異能が強いってだけでこんなことになっちまうだなんて、そんなのあんまりじゃねぇか。青春も恋愛も人生も、全部捨ててまで必死に生きてきた結果がコレだなんてさ。……少なくとも、私は認めたくなんてねぇんだよ」
かくして彼女は刀を強く握りしめる。
前方へと向けた視界に、目を見開く月影の姿が映り込む。
その向こう側には怒りに顔を赤く染める尊の姿と、拳を構える松原の姿があり、かの二人へと刀の切っ先を向けた智美は、鋭い眼光を煌めかせる。
「でもま、終わっちまったもんはしょうがねぇさな。だけど、それでもアイツはこっから……どうしようもない虚無感の底から這い上がろうとしてるんだ」
――なら、やることは一つだろうが。
そう笑った彼女の瞳には、決して揺るがぬ大きく強い決意の炎が宿っており。
「姉として、ただ弟分の幸せを願う。その為なら、世界相手にだって喧嘩を売ってやるってんだ」
☆☆☆
「……さて、ここはいい勝負になりそうだね」
彼女は呟いた。
場所は六魔槍、本拠地にある大きな広間。
四方の壁には無数のスクリーンが埋め込まれており、地面には歩く隙間も無いほどに数多の機械が転がっている。
スピーカー。
イヤホン。
パソコン。
コピー機。
リモコン
冷蔵庫。
テレビ。
数え始めたらキリのないそれら無数の機械を見渡し、彼女は口元に小さな笑みを浮かべる。
「はてさて、勝てるとは思えないけど」
かくして彼女は視線を上げる。
その先には部屋に繋がる通路が伸びており――その先から、背筋が凍るような圧倒的質量の殺意が溢れ出している。
麟児や阿久魔ですらまず話にならない。
頭がおかしくなる程に無数の死に立会い、そして執行してきて初めて放てるような、他とは一線を画す馬鹿げた威圧感。
これを一度受けてしまえば、きっと他の者が放つ殺意なんて、きっと子供の戯れ事にしか思えないだろう。
彼女をしてそう思ってしまうほどに、その殺意の奔流は――否、その男は絶対的にして、圧倒的だった。
「……さて、お前が黒幕でいいのかな」
かくしてその先から現れた白髪の少年は。
部屋の中心に座り込むその女性――【電脳王】へと口を開いた。