118.お母さんだから
過去編も終盤ですねぇ。
この章終わったらあと二章くらいで終わっちゃう予定なので、なんだか物寂しくもあります。
「ほお? ほおほおほォ!」
どこか感心したように声を上げるその筋肉――もとい松原真は、前方でこちらを睨み据える彼女を目を細めて睨み据える。
「おお特務の長よ、こちらが何を知らぬとでも思ったか? お主はあの娘のことを確かに拒絶したのだったろう? それも話も聞かずに殺意を以て! それを母親ぁ? ぬハハハハハ! 貴様は俺を笑い殺しにでも来たのかね! 我が筋肉たちも貴様の言葉に大爆笑! 超新星爆発が如き筋骨流ど――」
ヒュンッ、と鋭い音が響く。
言葉の途中で放たれたその攻撃を首を振って回避した松原は、どこか面白そうに口元を歪めて尚も言葉を重ねてゆく。
「おう! おうおう月影とやら! 図星を突かれて攻撃とはこれまた理解に易し! まるで筋肉のなきショタロリの如き! はて、何のために貴様がここに来たのかは理解ができぬが、その理由に子供を引っ張ってくるなど笑止千万!」
かくして彼は拳を構える。
その瞳にはありありと大きな炎が燃えており、言葉こそちょっと理解に苦しむが、その言っている事だけは至極まとも極まりなく。
「――さて、悪党として。子供を利用する悪しき大人を懲らしめるとでもしようか筋肉」
その言葉に、その姿に、月影は思わず苦笑する。
何故だろうか、自分が酷く悪役に見えて仕方がない。
相手は数多の罪を犯してきた大罪人。いくら偽善を並べたところで過去の罪の清算になどなりはせず、どころかそれは『正義』への大変な侮辱にすらなり得るものだ。
が、不思議と怒りはどこにもなかった。
どころか、納得していた。
「――まあ、そうよね」
呟き、彼女もまた武器を構える。
短剣が鈍色を煌めかせ、松原の筋肉が小さく脈動する中、彼女はかつて、自身が自らの息子へと告げた言葉を思い出す。
『アンノウンは害虫よ。人を害すことしか知らない、人に絶望を与えることしか知らない。こちらを殺すことしか頭にない駆逐対象。それがアンノウンよ。いくら人の形をとっていようと、ソレは人とは違う――ただの化け物』
そう言った、確かに言った。
それは取り返し用のない事実だし、実際にあの幼い子供がアンノウンだと考えると、子供の頃に心の奥底に植え付けられたトラウマが顔を出す。
燃え盛る町並みに、必死にこちらへと手を伸ばす両親の姿。
うつろな瞳に自身の姿が映り込み――そして、両親の下半身を齧り、飲み込んでゆく巨大なアンノウン。
その大きな瞳には幼い頃の彼女でもありありと分かる程の『愉悦』が滲んでおり、それを見た瞬間に彼女は確信を持った。
――ああ、コイツらは『敵』なんだ、と。
それからの彼女の人生は単純なものだった。
一言で表すならば――復讐劇。
両親を殺したあのアンノウンに復讐するために力をつけた。権力を手に入れた、確固たる地位を得た。
数多のアンノウンを討伐するために特務の隊員達を教育し、特務のシステムを改訂することでより多くの敵を屠り、そしていつの日かあの化物を見つけ出すために出来うる限りのことをしてきた。
彼女にとって、あのアンノウンを見つけ出し、殺害するのが生きがいだった。
――そう、だったのだ。
「……全く、私も焼きが回ったわね……」
そう苦笑して、彼女は頭を強くかく。
『特務最高司令官として命じます。あの家に住まうアンノウン。そして、南雲巌人を――殺害します』
それは、かつて彼女が告げた言葉。
精神も不安定な危険因子を確実に排除するため、実の息子すら殺害する。
それは防衛大臣として、特務の最高責任者としてはどうしようもなく正しく、英断と讃えられてもおかしくはないものであった。
が、しかし。
彼女は思う、何故自分はこの場所に立っているのか。
何故、結婚し、子を成してまで、この年になってまでこの地位にしがみついているのか。
その理由は本当に『復讐するため』なのか。
そう考えて、彼女は笑う。
「――そんなわけ、あるわけないのよね」
そうして彼女は思い出す。
病院の消毒液のニオイが鼻を突く中で。
必死に自分の手を握りしめる小さな赤ん坊。
汗に塗れ、痛みに喘ぎ、その赤ん坊を見たその瞬間から、その時点から、彼女の『一番』など決まっていた。
かくして彼女は目を見開く。
その先には拳を構える松原の姿があり、その姿を、現実を見据えて彼女は笑って見せた。
「言ったでしょう、ここには『母親』として来たってね」
復讐も、捜索も、殲滅も。
確かに彼女の根底になったということには変わりない。そこから全てが始まって、両親の死がきっかけでここまで来たのは変わりようがない。けれど。
間違っていた、間違っていたのだ。
一番重要なところで、間違っていた。
何のために生きている。
昔の話ではなく、今、この瞬間。
自分は何のために生きていると自問すれば。
――すぐに、『息子のため』と自答する。
「怒りに囚われ、いっちばん大切なことを忘れてた。復讐に駆られて馬鹿なことをしでかして……」
馬鹿だ、私は。
そう彼女は苦笑する。
あれほどまでにアンノウンを警戒したのは何故か。
周囲に住まう人々のため?
そう考えてすぐに答える――そんなわけが無い。
アンノウンが街中に出たと知らされて、そのアンノウンが巌人の近くにいると知って、頭が一瞬にして真っ白になった。
フラッシュバックする己がトラウマ。
彼もまた、同じような悲劇に見舞われてしまったら。
そう考えるといてもたってもいられなくなって、彼女は執務室から飛び出した。ただ、巌人のことを心配して。
何であんなことを言ってしまったんだろう。
いったい、どこから間違っていたんだろう。
私は、一体何がしたかったんだろう。
そう考えると、どうしようもなく後悔が溢れてくる。
心配しすぎて頭がおかしくなっただとか、アンノウンへの恨みが大きすぎて混乱してただとか。
らしい言い訳なんていくらでも出てくるけれど、それを言ったところで彼との関係が修復される可能性なんてどこにもない。
けれど、それでも。
「――それでも、私はお母さんだから」
いくら嫌われようと、疎まれようと。
それでも、お母さんだから。
どれだけ私が母親失格だとしても。
「どれだけその資格がなくったって、あの子が困って手を伸ばしてる時、それを払い除けるような真似は――二度としない」
その言葉に、その姿に。
松原は大きく笑みを漏らす。
「笑止、笑止笑止ッ! 二度目の失敗しないと意気込むのは潔し! 流石は特務が長といったところだろうか! しかしながらその失敗は一度で終焉。一度口にした自伝で二度目など永久に訪れることはなく、貴様らの関係には永劫癒えやまぬヒビが入った!」
「……ええそうね。あれだけやっておいて、今更お母さん顔してあの二人の前に出て行くつもりなんて毛頭ないわ。ただそれでも――」
かくして彼女は鋭く笑う。
口角を吊り上げ、鋭い眼光を煌めかせ。
ただその自己満足を突きつける。
「でも、助けたいって思うのに資格は要らないでしょう?」
☆☆☆
「なるほど、話は無駄と」
松原の声が響き――威圧感が周囲を包んだ。
圧倒的な重量感を伴った圧迫感。
それを前に思わず冷や汗を流し、口を真一文字に結び直した月影を前に、松原は両腕の筋肉を大きく脈動させて重心を落とす。
「まぁアレだ、端から悪と正義で話が通じるなどとは思ってはいなかった故な。少々面白そうな経歴だった為に雑談に興じてみたが、主観が違う以上話が合致する可能性皆無。そも、よく考えれば一番悪いのってお主の両親を襲ったアンノウンだしな」
「……よく調べてるわね。で、その自称『正義』さんはどうするのかしら? 息子虐待の罪で悪いお母さんを捕まえたりする感じ?」
月影の言葉に松原は一瞬目を点にした。
けれどもすぐに『がはは』と大口を開けて笑い出すと、月影へと鋭い視線を送り付ける。
そこには先程まで彼女を責め立てていた彼の姿はどこにもなく――
「何を言っている。【悪】はこちらだろうさ」
ただ、異様な重さを以てその言葉を呟いた。