115.怒り
この章も終わりが見えてきました。
――その現場を見て、何かが崩れていくのが分かった。
物凄く大きな力で砕かれた建物の数々。
巻き込まれ、怪我を負った街の人々。
地面に空いた大きな穴と、それをのぞき込む特務の隊員達。
そして、力なく立ち尽くす――序列二位。
「……あぁ、君か」
彼女は僕の気配を察して振り返る。
その瞳には堪えきれない悔しさが滲んでおり、その姿に、その光景に、僕は拳を強く握りしめる。
――雨が、降っていた。
どしゃぶりだった。
握りしめた拳より滲んだ血が、腕に伝った雨粒で薄れ、地面へと薄い血溜りを作り出してゆく。
染めていた黒髪が雨で薄れて塗料が抜け落ち、視界を黒色が埋め尽くしてゆく。
はて、この感情はなんだろう。
そう考える。
ただ、胸が苦しい。
引き裂けそうな程に頭の中に激痛が轟き、胸が炎で燻られるように熱く燃え滾り、肺の中に溜まった熱の塊を大きく息に乗せて吐き出した。
黒く染まった瞳で天を見上げる。
薄らと見えたその曇天はまるで僕の心の中のようでもあり、視界の端に映りこんだ『白髪』を見て、僕はどこか、今も一人泣いているであろう彼女へ向けて謝罪する。
「――ごめんな、鬼っ娘」
握りしめた拳から、青い光が漏れ出した。
☆☆☆
――硬い地面の感触に、目が覚めた。
「……ぅ、んぅ」
目が覚めて、すぐに感じたのは鼻を突く不快臭。
どうしようもなく感じたことのあるその匂いに思わず眉根を顰めた彼女は、すぐに自らの両腕を縛っている鎖に気が付きため息を漏らす。
「前回はテメェのことを舐めて逃げられたからな。今回ばかりはいくら異能を使おうと逃げられねぇぜ?」
どこか苛だだしげな声が聞こえてそちらへ視線を向ければ、そこには彼女を閉じ込めている牢屋の前。
ギシギシと悲鳴を立てるパイプ椅子に座り込み、大きく背もたれに体重を預けた一人の男――割野阿久魔の姿があり、その姿に一瞬に眉根を寄せた彼女ではあったが、けれどもすぐに嘲笑を貼り付けた。
「ああ、あの勇者にまけてたざこか」
――ギィンッ!
その言葉が響いた、次の瞬間。
牢屋全体を震わせるような蹴りが眼前の檻へと撃ち放たれ、それに大きく肩を震わせた彼女はおそるおそると目の前の割野へと視線を向ける。
「……おいガキが。調子乗ってんじゃねぇぞ? 誰が、いつ、どこの雑魚に負けたってんだ、あァ?」
憤怒に顔を歪めた割野。
牢の隙間から牢屋の中へとすり抜けてきた右腕が彼女の胸ぐらを掴みあげ、勢いよく牢屋の鉄檻へと叩きつける。
――控えめにも、彼女の体は軽い。
やせ細った体に小さな背丈。一般人でさえ軽々と抱えられるような彼女に容赦なく襲いかかるは大きな衝撃、そして激痛。
顔面に鉄檻が叩きつけられ、胸を強打し、鼻から溢れ出した鮮血と無理矢理に肺の中から追いやられた空気に喘ぐ。
対し、その姿に鼻で笑った割野は口角を吊り上げると、あえて彼女を『苦しませる』言葉を脳裏に描く。
そして、告げる。
「おいおいおい、まーさかテメェまで俺らに歯向かうんじゃねぇだろうなァ? 俺らに二匹も人型のアンノウンを殺させるとか、テメェらなんだ、身を賭して経験値ドロップしてくれるとか、親娘揃ってどっかの聖人何じゃねぇのか? ギャハハ!」
「……お、親娘……だ、と?」
敢えて、その言葉にイントネーションを置いて口にした割野。そしてその言葉を――『親』というただ一言を、彼女は決して聞き逃さない。
見れば彼女の瞳にはありありとどす黒い炎が浮かび上がっており、その様子に心底楽しそうに口角を吊り上げ、その不幸を鼻で嘲笑うようにして小さく笑った彼は一言。
「――テメェの親、殺したのは俺達だ」
その言葉に、彼女の心臓が大きく脈打った。
けれども直後に浮かんだのは別の光景。
ただ、笑顔も何も浮かべず、無表情のままこちらの額へと銃口を押し当ててくる――一人の悪魔。
あの悪魔は、こんな似非とは比べ物にはならない。なるはずが無い。
そして、父をあの男が殺した、その瞬間を確とスクリーン越しに見ていた彼女は――
「……お前、あたまは大丈夫、か」
そう、鼻で笑って見せた。
父を殺したのは、少なくともお前じゃない。
自分が恨むべきはあの男であり、そして……いや、だからこそ。
だからこそ、この憎しみは間違いじゃない。
今まで向けてきた憎悪は、間違いなんかじゃない。
そう、青い瞳を割野へと向ける彼女。
されども割野は笑みを崩さず、鉄檻に顔を押し付けられている彼女に口元を寄せると、雪のように真っ白なその頬を――舌で、大きく舐めて見せた。
――途端、背筋を走り抜ける怖気。
半ば反射的に『神炎』を用いて奴の手から開放されると、自らの右腕へと燃え移った白い炎に彼は狂ったように笑い出す。
「は、ハハハハハッ! ギャハッ、おいおいまさか今までずぅーっと、瀕死と見逃されてた一人のアンノウンを、たまたま偶然、その場に居合わせたってだけでトドメを刺しただけの、全くの赤の他人を恨んでたってのかァ!? こりゃ傑作だぜ、まさか真相も何も知らず生きてるだなんてなァ!」
「こ、この……ッ!」
その言葉にブチリと脳内から音が響き、彼女の全身から溢れんばかりの白い炎が吹き上がる。
それは一瞬にして彼女の両腕を縛り付けている鎖を焼き切り、距離の離れた牢屋の鉄檻すら溶かして見せたが――直後。
「ナンだっけかなァ? そうそうアレだ。『知っていたか悪の輩よ。この世には、己が身よりもかけがえの無いモノだってあるのだよ』。……ぷっ、ぶははははは! バッカじゃねぇの! この世に自分の命より大切なもんなんざあるわけねぇんだよ馬ぁがぁぁ鹿ッ!」
その言葉は、父の口癖だった。
この世には、己が身よりも大切なものがある。
そう言って、いつも頭を撫でて微笑んでいた父の姿を思い出し、彼女は――酒呑童子たるその父の、子は。
「あ、あぁ、あああああああああああああああッッ!」
体の底から憎悪の炎が吹き上がり、白い炎をさらに強く、大きく膨れ上がらせ、真っ直ぐ、ただ、純然たる殺意を持ってその男へと走り出す。
その姿は――正しく【鬼】。
けれども相対するその男には余裕しか在らず。
「縛れ――『魔王の鎖』」
途端、四方の壁から召喚された四本の鎖が彼女の四肢を縛り上げ、同時に体の底から吹き出していた白い炎が掻き消える。
「な……ッ」
勢い余って顔面から硬い石床へと叩きつけられながら、異能が使えなくなった現実を前に彼女は大きく目を見開いた。
――魔王の鎖。
ありとあらゆるものを封じ、その力すらも抑制させる、『魔王』という異能に含まれる最も優れた封印能力。
その力は極めれば闘級百を超えるアンノウンすら完封し、封じ込めることすら可能であり――
「テメェが、テメェより強ぇ『酒呑童子』をぶっ殺した俺に、どうやったら勝てるのか教えて貰いてぇもんだがよォ……!」
力いっぱい踏み下ろした彼の足が、強く彼女の頭蓋を踏みしめる。
ギリギリと、石に頭を擦り付けられて額から血が滲む。
けれども彼女の瞳からは怒りの情だけは決して揺らぐことはなく、その瞳を見下ろした割野は――にへらと、悪魔のように笑って見せた。
「……あぁ、もういいやお前。胸糞悪ぃし犯して殺すわ」
その言葉と同時に、縛り付けられ、地面に倒れ伏す彼女の周囲へと無数の眷属が召喚される。
犬や狼、それ以上の肉食獣と言った様子のそれらを見渡し、ここに来て初めて恐怖に顔を歪めた彼女を見て、割野は心底楽しそうに嘲笑う。
「ギャハッ! 人外のアンノウンにゃ犬畜生がお似合いだろうぜ! そんな犬っころ共にマワされて、一体いつまで正気でいられるか楽しみでならねェな、おい!」
その言葉と同時に、周囲の化物たちが涎を撒き散らしながら彼女へ向けて歩き出す。
その隠そうともしない情欲に、撫で回すような気味の悪い視線に、思わず瞼を強く閉ざして、大きく歯を食いしばった彼女は――
――次の瞬間、建物が大きく揺れて目を見開いた。
それは、地震ともまた違った揺れだった。
まるで、今地震のいる建物に異様な威力を誇る拳を叩き込まれたような――それこそ、先程見た『西京麟児』の一撃と同等か、あるいはそれ以上か。
――少なくとも、通常起き得る自体では決してなかった。
『……不味いな。全館に存在する全ての隊員に緊急連絡。馬鹿なのか何なのか、特務のトップが本拠地内に侵入してきた。敵総数は――たったの四名? しかしながら被害は甚大だし……まぁいいや。とりあえず全員……は無理かな。被験体の見張りしてる割野以外の幹部は全員集合。あと割野、今すぐその胸糞悪い見世物をやめて、必要最低限の戦力以外を全て回せ。流石に独断専行が目立つぞ』
どこからか女性の声が響き、その声に小さく舌打ちを漏らした割野ではあったが、呆然と目を見開く彼女を見下ろし、鼻で笑った。
「ハッ、助かったなガキ……。にしても、一体どこのどいつだ? たった四人でここを襲ってきやがった馬鹿は。冗談抜きでこの本部、世界中敵に回しても存続できる戦力揃ってんだがよォ……?」
そう呟き、割野は眷属をボス――『電脳王』の元へと送り出しながら、一人「命知らずの馬鹿もいたもんだ」と嘲笑する。
☆☆☆
「……侵入者、だと?」
そのアナウンスに、その男――西京麟児は目を覚ます。
――その部屋は、何もないシンプルな一室だった。
簡易なパイプベッドに、月の光を薄く漏らすは青いカーテン。
小さな机に並べられたのは、かつて幼き日に共に暮らした両親の写真。
他でもない、自身が殺した二人の写真。
「……全く、面倒な」
呟き、パイプベッドに横になっていた彼は上体を起こす。
その瞳が映すは――ただ、闇だけだった。
希望など持ち合わせてはいない。
ただ、どうしようもなく自らを殺そうと迫り来る敵を殺し、自らを恐れ、逃げ出すものすら皆殺し、血だまりの中、無表情に、無感情に生きてきたその男――西京麟児。
故にこの組織に関してもさほど愛着があるわけではない。
ただ、自分より強い者がここに居る。だからこそ、自信をもってその相手を殺せると、確信できるまではここに居たい。
でなければ、ここを抜けたとていずれ辿るは『死』なのだから。
「……まあいい、片付けて寝るか」
――その現状を打破し得る障害は、排除する。
まあ、それでもあの女を……どころか、自分すら打倒できる存在など、未来過去を探ったところで一人としているはずもないのだが。
そう呟いて彼は部屋の外へと歩き出す。
ガチャリと、ドアノブを大きく捻り、扉を開く。
然してその際、彼はふと思い出す。
「……ああ、そういえば。過去に一人だけ居たか」
唯一、未来永劫自らに勝てる存在など現れないだろうけれど。
それでも過去に、一人いた。
「――他でもない『外壁』そのものへ異能を施した最強の異能者」
その人物の情報は、現代には何一つとして伝わっちゃいない。
それでも、ただ一つ。その人物の異能だけは伝わっていた。
その男の異能は――『絶対化』
自らも第三者も、物でさえ。
自ら触れ、念じたモノを絶対化する最強の力。
それはいかなる物理攻撃とて無効化――どころか、反射する。
世界に、その名の通り絶対的な歴史を残したその異能力。
「……その男が居れば、あるいは俺も」
マトモに戦うということを、知れたのかもしれない。
そうどこか困ったように笑いながら、彼は扉の外へと歩き出す。そして――
「……ほぅ?」
――視線の先に、白髪の少年の姿を確認した。
明日にもう1話!