114.格の違い
気がつけば、彼女の体はふわりと浮いていた。
――否、誰かに抱えられていた、と言った方が正しいか。
麟児の拳は先程まで彼女がいた場所を素通りしており、その光景に麟児と割野は心の底から目を見開いた。
有り得ない、と。
一言表すならばそんな言葉がふさわしい。
明らかに今の麟児は本気ではなかったが、それを抜きにしても麟児の拳を前に怯むことなく前へと進み出て、その上でそれ以上の速度で彼女の体を抱え、その場から飛び退いた。
……そんな芸当ができる存在など、この世界には二人しか存在しない。
「――英傑の王」
麟児が呻くようにその名を呟き、それを受けてニコッと笑ったその少女――枝幸紗奈は鬼っ娘の体を地面に下ろす。
「いやー、今はひさしっぶりに休暇を貰って、サッポロ観光に勤しんでいたんだけれどねぇ。まさかボクの知り合いの知り合いが狙われてるだなんて思いもしなかったよー」
そう笑う彼女の姿は一見、どこにでもいる学生のようでもあって。
「――さて、君たちとりあえず死んでくれるかな」
その狂った正義に歪んだ笑顔は、どこか悪魔のようにも見えた。
☆☆☆
「英傑の王だぁ……ッ!? なんでこんな大物がこんな所にいやがるってんだ!」
割野の愕然とした声が響いた。
麟児もまた声こそ出さなかったものの目を見開いて驚きを顕にしており、その瞳は本来ならここにいるはずもない超大物を前に僅かに揺らいでいた。
が、すぐさまその瞳に冷静な光を宿すと、ぎゅっと拳を構えて重心を落とす。
「……割野、貴様はあの女を足止めしろ。俺は背後の被検体をさらって離脱する。貴様も隙を見て逃げ出せ」
「……ッ、おいおい、テメェ俺様に向かって逃げ出せ、たぁよく言えたもんだな? 確かに驚きはしたが程度は知れてる。戦力的にも俺なら勝て――」
勝てると、そう言い切ろうとした彼は。
「既に戦闘音は度を超えている。決着を着けんと躍起になって時間を食えば――今度は、もう片方がやって来る」
その言葉に、思わず言葉を飲み込んだ。
もう片方――つまるところ、絶対者のもう片割れ。
――黒棺の王。
その名を頭に浮かべた割野は思い切り頬を引き攣らせながらも、先程麟児が拳で砕いた建物へとちらりと視線を向けた。
この街に住んでいて、あの破壊音が聞こえていないはずがない。ましてや今相対しているこの女よりも上と思しき実力者だ。まず間違いなく『気づいてる』。
「……クソがッ」
すぐさま絶対者二人を同時に相手にした時点の戦力的を鑑みた割野は大げさに舌打ちを漏らすと、漆黒のオーラをその両手に纏わせた。
「俺がこの雌ガキと同等だとして……んでもって、テメェが黒棺の王と同格だとしても……いざチームワークかなんかで翻弄されればどうなるか分からない、って話か」
黒棺の王と同等。
その言葉に目に見えて眉を顰めた麟児ではあったが、当の本人が駆けつければ優位性が失われるのは目に見えている。急ぐべきと結論を出した彼は、すぐさま意識を切り替え鬼っ娘の捕縛へと向けて走り出す。
その速度は人間の限界を大幅に超えており、その知覚することする危うい速度に大きく目を見開いた鬼っ娘を――他所に。
「わぉ、びっくり。まさかここまで下に見られるとか思ってもみなかったよー……」
――瞬間、麟児の背筋に怖気が走った。
すぐさま鬼っ娘へと伸ばしていた手を引いてその場から飛び退くと――直後、先程まで彼のいた場所を光の斬撃が抉りとる。
その一撃は先ほどの麟児の一撃にすら追随しており、その予想以上に大きな攻撃力を前に最初の位置まで後退した麟児は、呻くようにしてその異能の名を口にする。
「……なるほど、【勇者】か」
――勇者。
それこそが彼女が手にした唯一にして無二の異能。
かの巌人をして『強い』と言わざるを得ない、馬鹿げた能力を多数秘めた、世にも珍しい複合型の異能である。
「いやー、職業系の異能ってすごいよねー。その職業『らしいこと』なら色々できる。実質異能を複数持っているようなものでしょ、これ?」
そう笑う彼女の手には光り輝く白銀の剣が握られており、警官ですらビームサーベルを使用するこのご時世、時代錯誤の鉄製の剣を前に、何故か『聖剣』という言葉が脳裏に浮かぶ。
「おいおいおい……。あの力一つとってもAランク……いや、Sランクの異能相当の力はあるだろうによ……」
そう、割野がどこか疲れたように声を漏らす。
あの聖剣一つとっても特務のA級隊員すら凌駕する力を誇っているだろう。にも関わらず、その力が『初手』である。
つまるところ、あれ以上の奥の手が複数、隠されていたところで不思議ではなく――
「……行くぞ割野。この女――貴様とて本気を出さねば手に余る」
格下から注意すべき対象として。
改めて彼女に向ける視線を変えた麟児は、彼女を睨み据えながらそう告げる。
対して先程から一切の余裕を崩さない彼女は一言。
「――さて、神に代わって制裁だ」
その瞳は、勇者と呼ぶには余りはある剣呑さを孕んでいた。
☆☆☆
「――仕方、ねぇわな」
その言葉に、割野阿久魔はそう呟いた。
麟児同様に、割野阿久魔もまた殺戮者である。
けれど彼と決定的に違うのは一つ、割野は人を殺すことに快楽を覚える、快楽殺戮者であるという事だ。
故に、悪。
紗奈の嗅覚は拭っても洗っても落としきれない、膨大な返り血の匂いを二人の体――特に割野の体からは感じ取っており、その匂いに、人を殺すことになんの躊躇も見えないその瞳に、紗奈はすぐさまその決断を下す。
悪は滅すべき――つまりは制裁である。
剣を軽く振って剣に纏わせていた光を拡大させると、彼女は真っ直ぐに二人めがけて駆け出した。
剣を下段に構え、刀身から金色の光を迸らせる。
常識人にして異常人。狂気の沙汰ならぬ正義の沙汰を振りかざす彼女はぐっと下段に構えた剣を振りあげようと力を込めて――
「――なァ勇者、魔王って言葉、知ってるか」
その言葉が響いた瞬間――巨大な爆発が紗奈の体を包み込む。
その威力は正しく『度』を超えており、街中にすら響き渡るような爆音に鬼っ娘は爆風に吹き飛ばされながらも両の耳を塞ぎ、それでも防ぎきれなかった威力にくらりと目が回るのを感じた。
それほどまでに圧倒的で、絶対的。
その爆発に巻き込まれた紗奈は大丈夫だろうか。そう考えると同時、それを起こしたと思しき男――割野の体中から迸る闇のオーラに愕然と目を見開いた。
そんな彼女を一瞥して得意げに笑った彼は、まるで自身の力を鼓舞するかのように両手を広げ、その異能の名を口にする。
「ひはははは! おいおい、まーさか複合型の異能が自分だけのモンだとでも思ってたかよォ!? 悪ぃな俺様の異能はてめぇの天敵、【魔王】だ!」
彼の異能の名は――魔王。
勇者の異能と相反する職業系の異能力。
その力は異能に換算して――SSSランク最上位。
六魔槍が長たる電脳王、彼女の異能にすら匹敵する最強の能力である。
勇者の異能が『勇者らしいことならなんでもできる』という異能なら、魔王の異能は『魔王らしいことなら何でもできる』という異能であり。
「集え我が下僕たち!『眷属召喚』!」
瞬間、彼の影から無数のアンノウンが浮かび上がる。
――眷属召喚。
それは割野が己が血液を与えたアンノウンを眷属とし、召喚、使役することの出来るという異能力。
それもまた紗奈の『聖剣』同様、Sランク……いや、SSランク相当の力を誇る凶悪な能力であり――
「ひはははは! さぁやれ眷属共! 瀕死の雑魚勇者をなぶりながら犯しちま――――えぇ?」
嘲笑を顔に貼り付けた割野。
彼は口汚くもそう吐き捨て用として――直後、不自然なまでに硬直した配下のアンノウンたち、そして自らの頬に刻まれた赤い傷跡を感じて情けない声を上げた。
「ほへー……、魔王かー。ボク以外に複合型の異能――しかもSSSランクとか持ってる人少ないから、結構驚いてるんだけど」
煙の中から声が響いた。
その声からは相も変わらずどこか狂気じみた余裕が感じられ――そして、その中から無傷で現れたその存在を見て、割野は大きく体を震わせた。
「な、なな……っ」
「いやー、これでも驚いてるんだよー?」
どこか間延びしたような声を漏らしながら、彼女は剣を振りかぶる。
割野阿久魔は、闘級百オーバーの怪物である。
彼とて立場こそ異なれば絶対者の一員として名を馳せていたであろうし、その実力はどんなことがあっても揺るがない。
そう、本人の地力は何があろうと揺るがない。
故に、ただそこにあるのは純粋で単純な――力の隔てり。
「いやまさか、【魔王】がここまで弱いとは」
――正しく、格が違う。
召喚された眷属が今頃になって斬られたことに気がついたか、断末魔をあげて無数の肉塊へと変わっていく最中。
ヒュンっ、と微塵も迷うことなく命を刈り取ろうと振り落とされた聖剣は――
「――敵戦力は想像以上か」
ガキィンッ、と甲高い音と共に弾かれた。
「……およっ」
今回ばかりは驚いたと言ったふうにそう声を漏らした彼女は、『おっとっと』と呟きながら体勢を整えると、びっくりしたように目を丸くしてその男へと視線を向けた。
「うひゃー……、君ヤッバイね。今のを素手で弾ける存在とか、ボク一人くらいしか知らないんだけど……」
見れば彼女の聖剣を弾いた彼の右腕からは小さく蒸気が吹き上がっており、その腕に薄らと刻まれた傷跡を見て、その男――麟児はふむと小さく呻いた。
「なるほど、俺に傷をつけるか」
その言葉には慢心でもなんでもなく、純粋な感心が滲み出しており、その姿に思いっきり頬を引き攣らせた彼女――紗奈は、どこか怒ったように口を開く。
「……へぇ、そういう事言うんだ」
「許せ英傑王、貴様とて虫に傷つけられれば感心するだろう」
その言葉にビクリと身体を震わせ、額に青筋を浮かべた彼女は、ギリッと歯を食いしばって剣を握りしめる。
「――決定、君、一番最初にぶっ殺す」
途端に彼女の体から膨大な殺気が溢れ出し、衝撃波を伴う圧倒的な威圧感に前髪を煽られた麟児は――はたと、彼女の背後へと視線を向けてニヤリと笑った。
「……なるほど、任務完了か」
その言葉に目を見開いた紗奈。
任務完了――それはつまるところ、ある事実を表しており。
「えっ、う、嘘でしょ!?」
見れば彼女の背後――先程まで鬼っ娘がいた場所には巨大な穴が広がっており、咄嗟にその穴をのぞき込んだ彼女は、その中に広がっていた『なにか硬いもの』が無理矢理に地中を掘り進めた様なあとを見て、すぐにその名が脳裏に浮かんだ。
「で、電脳王……っ! ま、まさか遠隔であの子をさらえるだけの機械兵でも作ってたっていうの!?」
「そのまさか。と言うやつだ」
その声に振り返れば、彼女への憎しみを隠すこともなく眼光を冷たく煌めかせる割野と、その横に立つ麟児の姿があり、二人を包み込み始めた黒い靄を見て彼女はとっさに走り出す。
ダメだ、あの靄にあの二人を入れちゃ行けない。
そんな直感の元に走り出し、剣を大きく振りかぶった彼女は――
「ではな英傑王、あの被験体は貰ってゆく」
靄が二人の姿を覆い尽くし、直後にその場所を彼女の聖剣が薙ぎ払う。
されどそこにはその『感触』はなく、まるで空気を切っているかのような感覚に目を見開いた彼女は――直後、靄が晴れたそこに広がっていた【無人】に、悔しげに歯を食いしばる。
振り返れば、そこにはどこに繋がっているかもわかり得ない深く長い『穴』が広がっているばかりであり――
「……巌人くん。今回の敵は……ちょっとばかし厄介そうかもしれないよ」