110. 大臣の憂鬱
本日二話目
「はあああぁぁぁ……」
大きなため息が零れた。
場所は都市サッポロに位置する特務署、その最上階に存在する一室。
――俗に、防衛大臣の執務室、と呼ばれる一室。
そこで一人用の椅子に大きく体を預けた彼女――鐘倉月影は、あの日のことを思い出し、一人罪悪感と絶望感に暮れていた。
「私……なんであんなこと言っちゃったのかしら」
そう呻くように吐き捨て、思い出すのは息子の姿。
傍目から見ても、彼女は『親バカ』といっても差し支えないほどに巌人を愛していた。
しかしながらその『愛情』は少々『度』というものを越しており、ほかでもない彼女がアンノウンに両親を、目の前で食い殺されているという過去もあって、彼女の教育は『アンノウンは敵』といった内容になっていった。
――まあ、その教育は正しいのだろう。
ただ、たまたま偶然、奇跡的にも酒呑童子という種族がアンノウンの中で人間に対して協力的であった、というだけの話であり、そのイレギュラーにたまたま巌人が遭遇し、その『罪』を自覚してしまっただけなのだ。
故に、悪い人物など在りはせず、ただ何が悪かったかと聞かれれば。
おそらく――運命。それそのものが悪かったと。
そういわざるを得ないのが現状であり、心のどこかで彼女自身も気が付いていた。
「……はあ、誰か、悪者がいればよかったのだけれど」
明確な悪がいれば、どれだけよかったか。
そう呻き、彼女は机に突っ伏した。
分かっていた、冷静になればすぐに分かった。
他でもないあの『黒棺の王』が守っているということは、それはつまりあのアンノウン――鬼っ娘は信頼するに足る存在だということ。反意を翻す可能性など欠片もない、奇跡的な協力関係を結ぶことのできるアンノウンだということ。
そんなのは、冷静になってからすぐに分かった。
けれども、それでも瞼を閉ざせば、あの光景が浮かび上がってくる。
それは、燃え盛る街並み。
瞼の裏に、今も鮮明に焼き付いている。
崩れ去る家々に、煌々と闇夜を照らす紅蓮の炎。
そして――頬を伝う真っ赤な鮮血。
視線の先には獰猛に、凄惨に笑みを浮かべた巨体の存在があり――その量の腕には、両親の首が握りしめられていた。
「ぐ……っ」
忘れられない、ああ言うアンノウンがいるということを。
巌人が信じた存在を信じてみたい。そういう思いと一緒に、もしもそのアンノウンがああ言う類の存在であったなら、と危惧せずにはいられないのだ。
それに何より――防衛大臣としては、自分の判断は何よりも正しかった。
と、そこまで考えて、ふと思う。
自分は一体、何をしたかったのか。
自分は今、何をしたいのか。
――これから、どうすべきなのか。
そう考えて小さく顔を上げると、同時にコンコンッ、と急いだようなノックの音が響き渡る。
このノックの感覚からして――今年で六十五になるあの老年秘書だろうか。
(……そろそろ、秘書の後任を探すべきかしらね)
そう心の中でつぶやいた彼女は、どうぞ、と声と通す。
途端に、どこか焦ったように扉を開いた老年秘書は、額に冷や汗を流しながら口を開く。
「つ、月影様……、坊ちゃまから、暴漢を捕まえたとの連絡がありまして――」
「……それ、わざわざ私のところまで来る案件かしら……?」
今さっきまで彼に言う『坊ちゃま』こと巌人のことを考えていた手前、少し苦笑しながらそう返すと、その老年秘書は懐から取り出したハンカチで冷や汗をぬぐいながら、さらに口を開く。
「そ、それが、早朝、二時~三時頃に連絡がありまして、暴漢に襲われたからどうにかしてほしいという内容で、坊ちゃまのことですし、見事撃退なさっていたのですが――その暴漢なる男が、実はとある犯罪組織の一員でして――」
「犯罪組織……?」
そう復唱した月影は、思い出すようにして顎に手を当てる。
一体どの犯罪組織だろうか、この人物が自分のもとまで話を持ってきた以上、それなりの規模を誇る犯罪組織だろうが……国内で、それも巌人に喧嘩を売るような組織は思いつかないが――
と、そこまで考えて――ふと、ある名前が脳裏に浮かんだ。
はっと目を見開いて彼へと視線を剥ければ、彼は今だ収まらない汗をぬぐいながら、その名をしっかりと口にする。
「――【六魔槍】」
その言葉に、月影は限界まで目を見開いて立ち上がった。
六魔槍、と。
彼が告げたその名に拳を握り締めた彼女は、ゴクリと喉を鳴らして口を開く。
「ろ、六魔槍って――」
「……ええ、幹部と組織が雇った傭兵、六名から成る超大型の犯罪組織。英国での大量殺人、米国での超大型のテロ、南アフリカでの麻薬流通、その他もろもろ、実名ともに世界有数の犯罪組織であり、……そのリーダーである【電脳王】は、他でもない絶対者、枝幸紗奈から一度『逃げ切った』経歴を持つ、正真正銘の化け物です」
電脳王。
機械を操ることに特化しており、世界中の凄腕ハッカーが蒼白するような絶対的な腕と、世界中のあらゆる機器をいとも簡単に操ることのできる異能はまさしく人外のソレ。
そこらのA級隊員ではまず間違いなく太刀打ちできないであろうその実力は、控えめに見積もっても闘級一五〇は下らないとされており、名実ともに最上級の犯罪者として世界中へと名を馳せている。
「も、もしかして巌人が倒したっていうのは――」
「……残念ながら電脳王ではありませんでした。六魔槍の序列四位、炎帝グレイジィ・ブラックリスト。推定闘級は七十五……正直、A級一位でも倒せたかどうか――」
その言葉に大きく息を吐き出した月影は、安堵とも落胆ともつかない表情で椅子へと座り直す。
いずれにしても、超ド級のお手柄である。
英国での特務隊員達の大量殺人で名を馳せた特級犯罪者。その他にも様々な犯罪に加担しているとされており、その懸賞金は数億にも及ぶ。
その犯罪者が一人、捕まったことに対して改めて安堵の吐息を漏らした彼女は、はたと、グレイジィが捕まったその事実、それが指し示す新たな『真実』に、思わず息をのんでしまう。
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい……。な、何で、グレイジィ・ブラックリストは、巌人に手なんて出したのかしら……?」
その言葉に、老年秘書は顔を俯かせて喉を鳴らす。
「会議で議題に上がっていた――『酒呑童子の娘が、何故壁の中に居るのか』、という議題ですが……」
「……っ、ま、まさか――」
その可能性に考え至り、月影は大きく歯を食いしばる。
強く、強く拳を握りしめ――ゴンッ、と机へと叩き付ける。
「……電脳王なら、酒呑童子からその娘を奪うことが出来る、かも知れないわよね」
その言葉に深く頷く老年秘書。
電脳王ならば、隙を見て酒呑童子からその娘を奪うことが出来る。そして人質をとった状態ならば――かの酒呑童子が相手でも、優位に勝負を運べるだろう。
「……そういう、事かしら」
もしも、もしも【六魔槍】の目当てが巌人ではなく、巌人が守っている『対象』なのだとしたら。
そして、その家に掛けられている絶対防御壁にも似た、最大級の存在力を知っているのだとすれば――彼らはまず、巌人を殺しにかかる。
――馬鹿げてる、勝てっこない。
そんなことは分かっている。けれど。
「――物事に、絶対って言うのはないわよね」
南雲巌人が最強である。
そんなことは、あくまでも『現状』の話。
時代が流れれば、必ずそれ以上が現れる。
場が整い、罠を多重に張り巡らされ――その上で、酒呑童子と同じように人質なんて取られた日には……。
かくしてその想像に歯を食いしばった彼女は、立ち上がり秘書へと命令する。
「緊急事態よ、今すぐ『サッポロ』内をくまなく捜索しなさい。グレイジィ・ブラックリストが他でもない、此処に居たということは――」
そう呟き、ふっと部屋の隅、そこに存在する監視カメラへと視線を向ける。
そこには無機質なレンズが自らの姿を移しており、月影は、おそらくその向こうからこちらを見ているのだろう、その存在を思い浮かべてこう告げる。
「電脳王率いる【六魔槍】は、サッポロに居るわ」
巌人との別離に加えて、最高位犯罪者集団まで現れる現状。
どうしたって、防衛大臣の憂鬱は拭い得ない。