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ワールド・レコード  作者: 藍澤 建
兄と妹
108/162

108.心の距離

遅れましたすいません!

次回から月のはじめに更新、という投稿方法に切り替えたいと思います。

宜しくお願いします!

「ふがあ……っ」


 呻き、ベッドへと倒れ伏した。

 まさか、まさかである。

 仮にも黒棺の王として世界中を駆け回っていたこの自分が、よりにもよってバイトだけでここまで追い詰められるとは心にも思っていなかったのだ。

 朝の二時から新聞配り。そのままラーメン屋の仕込みへと向かって、昼までそこで働き続ける。小休憩を挟んで都心のレストランの裏方で働き、夜になれば土木のアルバイトに精を出す。

 かくして帰ってくるのは夜の深夜帯。睡眠時間としても三日に一度一時間弱寝られるかどうか、と言った程度だ。

 鉛にように重くなった体を無理やりに動かしてベッドから立ち上がると、髪を染めたり鬼っ娘へのご飯を作ったりと、いろいろと忙しく動かねばならないことにため息が漏れる。

 さて、今日は何を作り置きしようか。

 そう考えながらも居間へと向かった僕ではあったが、ふと、居間から気配を感じて思わず足音をひそめてしまう。

 十中八九彼女だろう。

 それでも息をひそめてしまったのは、ただの気まぐれか、あるいは彼女が何をしているのか興味があったからか。

 小さくドアの隙間から居間の奥――キッチンの方を覗き込むと、そこにはその身には大きなエプロンを身に纏い、キッチンへと向かう鬼っ娘の姿があり、その手に握る包丁を見て、思わず冷や汗が流れ落ちた。


 包丁、ソレは危険極まりない凶器である。

 はたしてそれを使い始めてから、一体何度刃を向けられたことか。

 生憎と包丁程度では斬れっこないほどに肉体の存在力を高めているから問題は無いのだが、それでも生身の人間――しかも小さな少女が使うと考えれれば包丁というものは余りに荷が勝ち過ぎる。

 影からその姿をうかがいながらもそわそわとし始めた僕ではあったが、けれども彼女が次に取り出したものを見て、愕然と眼を見開いた。


「に、んじん……だと?」


 小さく呟き、ゴクリと喉を鳴らした。

 まずい、にんじんだけは駄目だ。

 おそらく包丁を使って皮むきをするのであろうが、包丁を用いてのにんじんの皮むきは難易度がかなり高い。今の僕をして未だ完全にはマスターしきれていないほどだ。

 それを……鬼っ娘がやろうとしている。

 その事実にさらなる焦燥が心に募り、ゴクリと喉が鳴る。


「……確か、こう」


 まな板の上に、縦ににんじんを置いた彼女。

 その異彩極まる光景を見て満足げにうなずいた彼女は、ザクンっ、と包丁を振り下ろす。

 途端、ものすごい鋭さで振り落とされた包丁は綺麗な軌道を描いてニンジンを縦に二分し、包丁の刀身がザクリとまな板に突き刺さる。

 そのあまりの太刀筋に『さすが酒吞の血統……』と小さく呻いた僕ではあったが、さすがにそろそろ危なっかしくて見てられなくなったため、居間へと足を踏み入れることにした。


「……どうしたんだ、こんな夜遅くに」


 そう問いかけると、初めて僕の気配に気がついたのか、びくんと反応した彼女は恐る恐るといった表情で背後の僕へと視線を向ける。

 そして僕の姿を視認した彼女はあたふたと目に見えて動揺し始める――のだが、その手に包丁を持っていることを完全に忘れているようだった。


「ちょ、あ、あぶな……」


 一瞬で距離を詰め、彼女の包丁を握る右手首を握りしめると、彼女は目を見開いて硬直する。

 その隙に包丁を奪って台所の上に置き直すと、改めて彼女へと向き直る。


「……で、どうしたこんな時間に」


 見れば時計の針は天辺を回っており、僕の言葉にやっと硬直から戻ってきたらしい彼女は、朱に染まった頬をふくらませてそっぽを向き、ぼそりと小さく呟いた。


「のぞき、へんたいペド野郎」

「おいちょっとそれ誰に習った」


 言葉の刃をむき出しにしたその言葉に思わずそう返した僕ではあったが、彼女は僕の言葉に小さくこちらを一瞥し、またそっぽを向き直してしまう。

 ……やっぱり話してくれないかな。

 そう、彼女との間を隔てる壁を再認識しながらも小さくため息を吐いた僕は、彼女の腕を放して立ち上がる。

 途端、驚いたように僕を見上げた彼女。

 その瞳には絶望の色が過ぎっていたように見えたが、すぐに顔を伏せた彼女はくるりと僕へと背を向ける。


「……もう、あんまり危ないことするなよ? 料理とか、全部僕がやるからさ」


 そう呟き、彼女の横を通り過ぎて台所へと立つ。

 先ほどまで彼女が手にしていた包丁を手に、まな板とにんじんを前にした僕は――



「……お前は、いい」



 背後から、ポツリと漏れたその言葉に大きく目を見開いた。

 お前は、いい。

 ソレはもう用済みという意味だろうかと、そう背後を振り返った僕ではあったが、背後で顔を真っ赤にしながらも顔を逸らす彼女を見て、少し違和感を感じざるを得なかった。


「それって……どういう」

「……っ、だ、だから……お前は、もう、ごはん作らなくて、いい」


 そう呟いた彼女は体の前で両手を合わせると、体を縮こませて言葉を続ける。


「……お前に、頼らないってきめてた。なのに、気がついたら全部、お前にたよって、わたしは、なにもしてなかった。だから――」


 だから、もう頼らないと。

 そう続けようとしたのだろう彼女は、けれどもスッと顔を上げる。

 そこには長く伸びた髪の隙間から、じっと僕を見据える蒼い瞳が存在しており、たじろぐ僕へ、真っ直ぐに視線を向けた彼女は確かな口調でこう告げた。



「――それに、お前、ほんのすこし、がんばりすぎてる」



 その言葉に、大きく目を見開いた。

 僕の年齢――世間一般から言うところの『中学生』では、これだけやらなきゃ暮らしていけるだけの金が手に入らない。だから頑張ることは当然だと思ってた。

 それに、彼女は僕になんて興味は無いから、そんなことは気付かないとそう思ってた。

 けれど、どうだ現状は。

 気づかないと高をくくって動いた果てに、守るべき相手に心配をかけた。

 ……って、心配をかけた?

 その言葉に小さな違和感を覚えて彼女を見つめ返すと、今になって自分の言っていることに気がついたのか、彼女は目に見えてあわて始めた。


「ち、ちが……っ! べ、べつにおまえのことなんてどうでもいいっ。け、けど、無理して死んだら、また、わたし一人に……じゃなくて、お前にふくしゅう出来なくなる。だから、無理は、許さない」


 慌てたように、それでいて最後には淡々と、言い含めるようにしてそう告げた彼女の姿はどこか怒っているようにも見えて。

 なんでかその姿に、少しだけ笑ってしまった。


「……そうだな。死んだら元も子もないからな」


 呟き、彼女の頭へと軽く手を伸ばす。

 ピクリ、と伸びした手を見た彼女の肩が大きく震える。

 けれども彼女はスッと顔を逸らしただけでその手を退けようとする動きは見せず、僕は遠慮気味に、彼女の頭へと手を乗せた。


 ――まだ、僕らの間に憎悪の壁が存在しているのは事実だ。


 彼女の肉親を僕が殺した。

 その事実には変わりない。

 正直その事実にどう向き合えばいいのかなんて分からない。そも、その娘と一つ屋根の下で暮らしている現状その物が狂気の沙汰なのだ。ならばどうすればいいかなど、分かるはずもない。

 けれども、もしも万が一に。

 彼女がその過去を許さずとも、『知らぬ振り』をしてくれるのであれば。腫れ物に触れないように振舞ってくれるのであれば。

 それがどれだけ狂気に満ちた関係性だとしても、きっと僕らの心の距離は、埋まってしまうのだと思う。


 ――埋まってしまう。


 そう、埋まってしまうのだ。

 埋めようだなんて思ってない、そう言ったら嘘になるけれど。それでも埋めちゃいけないと心のどこかで思ってる。

 故に埋めたいという想いと同じくらい、埋めちゃいけないという使命感にも似た何かが心の内で蠕動している。


 それは、倫理観と感情の差異だ。


 倫理観が埋めるなと叫び。

 感情が埋めようと咽び泣く。


 どうすればいい。

 彼女が望むなら、そうすべきだと思う。

 けれど、だとしても――


 ――その過ちを、無かったことにはしたくない。


 彼女の頭を撫でながら、歯を思い切り食いしばる。

 彼女がその狂気を望むのならば、出来うる限り力を化そう。何せ僕が彼女の願いを違えるなどあるはずも無いのだから。

 けれども、それでも。


 この血に染まった罪の記憶だけは、忘れたくない。

 忘れちゃいけないんだと、そう思うのは、いけない事なのだろうか。




 ☆☆☆





 早朝。

 行ってきますと小さく呟き、家を出た。

 未だ答えは出ていない。

 罪の記憶を心に刻みつけ、彼女に対して一定の距離を置くべきなのか。あるいはその過去を『忘れたフリ』をして心の距離を縮めるべきか。


「……どう、したもんかな」


 ただ、もしも彼女が心の距離を縮めたいと思い始めているのなら。それは僕に対して『憎悪』以外の何かしらの感情が芽生え始めている可能性がある。

 そう考えれば努力も無駄じゃなかったのかと思えるけれど……なんて言うんだろうな。恨まれ、嫌われ、疎まれて当然の相手にそれ以外の感情を抱かれるというのも変な気分だ。

 ……さて、どうしたものか。

 何度目ともしれないその言葉を内心つぶやき歩いていると、前方にふと、人影を感じて顔を上げる。


 ――そこに居たのは、金髪の外人だった。


 衣服を浮き上がらせるほどに発達した筋肉に、見上げるほどの巨体。加えて佇まいを見ただけで分かるほどに熟練した戦闘技術。

 特務……じゃないな。特務ってのはどれだけ『日常に紛れる』か、をメインに据えている組織だ。こんなあからさまな危ない雰囲気は間違ったとしても放たない。否、放てないように訓練される。

 故に困惑し――直後、その男が口を開いた。


「――ようやくお出ましかな」


 右手で金色の髪をサラリとかき上げ、ふっと笑みを浮かべるその男。

 何だか妙なのに絡まれたな、と思いっきりしかめっ面を浮かべる僕へと、彼は頼んでもいないのに名を上げる。



「私は【炎帝】グレイジィ・ブラックリスト。さぁ、私の美しくも鮮やかな炎に抱かれて逝きたまえ」




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