結界の応用
「なぁノク…」
「…なんですか…?」
髪の毛が風にたなびく。
「俺、思うんだ。やっぱり地球って綺麗だな…って」
「………」
「やっぱり地球の青さってさ」
「ルノさん」
「…なんだい?」
「その話三回目です」
ピクッ。
「ハハハ…」
ゴホン。
「月ってさ…なんであんなに黄金色なんだろうな…なんかそういうパワーが」
「その話も三回目です」
「ハハ…」
ゴホン。
「宇宙ってなん」
「その話も三回目です」
「………」
俺達は空を滑空していた。
「なぁノクさんや」
「………」
「本当に大丈夫…?」
「………」
「本当にこんなんで大丈夫なの!?」
俺達はフラフラと日本に向かって落ちていた。
「大丈夫だと思いますよ……多分」
「多分!?」
ノクの顔の方に身を乗り出す。
「ちょ…バランス崩れちゃうからやめてください!私嫌ですよ!?ルノさんをクッションに『グチャァ』とか着地するの!」
「うっ…」
ソロモンに打ち上げられてからしばらく。
頂点に達してから日本に向かって落ち始めようかという時に、俺はふと気づいた。
これ着地どうすんの…?と。
早速ノクに聞けば「私は着地の衝撃も無効化できるのですが、二人では初めてなので…」と言う。
ソロモンに文句を言う算段を立てつつ、二人で俺をいかにして着地させるかを話し合った結果。
「でもなぁ…」
俺はノクにおんぶされていた。
「安心してください。私の結界は万全です。ルノさんは背中でじっとしてて下さい」
「うーん…」
俺の心配は拭えない。着地間際にクルッと回転したりしたら一巻の終わりだし。
「ほらそろそろ公園が見えてきましたよ!ルノさんはじっと…じっと………」
「ノク?」
ノクの様子が急におかしくなった。なんだ?持病でも出たか?
「い…」
「い?」
「池です!このままだと池に落ちます!」
池?ひょこっと肩から乗り出して見てみる。
どうやら公園横の池に進路がズレているようだ。
なんだよかったじゃないか。これで最悪風に煽られても骨一本程度で済みそうだ。
「やったな!これでなんとかなりそうだ!」
「いえ…あの…」
「ん?」
「私…泳げないんです!」
え?
…いや何を焦ってるんだ。
「そんなの俺がノクを連れて泳げばいいだけじゃないか」
「え?泳げるんですか!?」
何を言ってるんだ。この体が水に沈むとでも?
俺は思い出す。小学生の頃のプール。おそらく最後に泳いだのはあそこだろう。
腕をバタバタさせても全く進まない俺は脂肪の力で浮き上がっていたんだった。ビート板代わりに使われた思い出もあった気がする。
まぁつまり俺は泳げるのだ。浮けるともいう。むしろ浮けるとしか言えないのはナイショだ。
「安心しろ!俺の体は水に…」
そこで自分の身体を見る。
細い腕。健康的な肉付き。華奢な足。
「ごめん、そういや俺も泳げないわ」
「えぇ!?」
もう池はすぐそこに見えている。後一分ももしないうちに着水するだろう。
「あわわ…!どどうしたらいいんでしょう…!」
ノクは焦りを通り越してパニックになった。ワタワタし始めて非常に危ない。
何か打開策を…何か…うーん…。
ダメだ思いつかない…。
ソロモン、覚えておけよ…!溺死したら冥界の番人にお前の悪口言ってやるからな!
そう思って池を見ると池の傍に何かいる。なんだ?アレは…スケボーか?
スケボー…ハッ!
「ノ、ノク!」
「ひゃい!?」
俺はノクと目を合わせる。
「お前…体幹に自信はあるか?」
「え?」
───────────────
シャーッ。
助野坊。二十六歳。今日は全身ジャージだが、こんなナリでも世界に名だたるスケボーアスリートだ。
今日もいつも通りの朝。近所の池の周りを、いつも通りの技を決めながら三周。それから公園でパイプを使ったテクニック。
フリップ!そしてここでボードを離し空中で一回転!…決まった。相変わらずトリックは完璧だ。
(だってのに…。)
坊は昨日観客に言われた言葉が今でも頭に残っていた。
「上手いけどつまらないよね」
(クソッ…なんだってんだよ…。
全部の技を完璧にこなしてた…ミスなんて一つもなかったのに…!)
最近師匠からも同じようなことを言われた。
「お前は、観客に観てもらっている気持ちを忘れている」
坊にはわからない。何が一体足りないのか。
「ハァーッ…」
普段は三周終わればすぐに公園に向かって練習の続きをするのだが、今日の坊はそんな気分にはならなかった。
池の縁に腰をかける。なんとなしに空を見上げる。鳥だ。
「バードか…」
若い頃につけられた坊のあだ名は『レッドバード』であった。空を駆ける彼のトリック、そして赤い服が鮮烈な印象を観客に残したのだ。
しかし最近はめっきりそんな風に呼ばれることもなくなった。
「ハァ…」
ため息は止まない。下を向いて落ち込む坊。
ふとどこからか風切り音が聞こえてくるような気がして、彼は顔を上げた。
「…!!」
そこには信じられないモノがいた。
池の上を白いボードに乗って水しぶきを上げながら滑っていく黒髪の少女。
顔は必死でまさに死に物狂い。ボードさばきも初心者のそれだ。
流木をギリギリでかわし、岩を跳ねて避け、倒れそうになりながらなんとか切り抜ける。
それでも…
「かっけぇ…」
彼は感動していた。荒い技。余裕のない表情。危ういバランス。
それでも、いやそれこそが美しかった。
そのまま少女は池の淵にボードをぶつけるとその勢いで林の方にまで飛んでいった。
気づけば坊はボードを握りしめていた。
こんなに熱い気持ちになったのは何年振りだろうか。まるで始めたての頃を思い出すかのようだ。
「チャレンジか…」
グッと拳に力が入る。やれる。今なら世界を取れる。そんな気持ちが彼を満たした。
久しぶりに師匠に会ってこよう。世界大会に出ます。そう言おう。そう思い、池の縁から立った彼はふと思う。
「あれがボードの神様ってやつなのかな…」
彼が数年後、『ゴッドバード』として世界を歓喜の渦に吞み込むのはまた別のお話。
────────────────
「おーいノクー?大丈夫かー?」
「………ガタガタ」
俺達はなんとか着地成功して林の中で隠れていた。
「参ったなぁ…」
空中で必死に考えた結果、思いついたのは『ノク式スノボー大作戦』であった。
ひらたく言えば、『ノクをスノボー代わりにして池の上を滑って勢いを抑えよう」ってな話である。
俺はノクの腰に自分のリボンで足を結びつけて、着陸する飛行機のように降りた。
勢いは予想以上に凄まじく、水に跳ねて暴れるノクボードをなんとか足で押さえつけたが、結果的に池から飛び出し林に突っ込んだ。
幸い柔らかい植木に体ごとぶっ刺さったので二人ともケガはないのだが…。
「…目の前を…ガーッて…ガーッて…」
ノクは精神にとてつもないケガを負ってしまったようだ。
まぁ顔面から地面と摩擦するような状況になったら俺でも発狂する。
しかし流石の結界術だな。これがなかったらどっちも池の底で魚の餌だ。
しかしこの壊れたラジオと化してしまったノクをどうしようか。
ここに居ても虫が付くだけだ。とりあえず身を隠せて安全な場所に…。
そう思って俺は林の外に出る…と。
「あーーーーッ!!!」
え?
小さい男の子が俺を指差していた。
な、なに?
もしかして中身が怪しいおじさんだとバレたか?いやないだろうが。
「お父さん!コイツだよ!ウチの店の水槽壊したの!」
は?オイ、そこの少年一体なにを…
あれ?なんだか俺の後ろから影が…
「ほぅ…嬢ちゃんが壊したのか…小さい頃からやんちゃってのは…良くないなぁ?ええ?」
ゆっくり後ろを振り向く。
超強面のつるぴかマッチョマンが頭にハチマキを締めて仁王立ちしていた。
「す、水槽?」
「オゥ、しらばっくれんじゃねぇぞ。誰かがウチの水槽にぶつかって割っていったのはよーくわかってんだ」
身に覚えが…いや無くて当たり前だった。なんせこの身体は…
「とりあえずウチまできて話聞かせてもらおうじゃねぇか」
腕を掴まれて引きずられながら。
俺は心の中で叫んだ。
クレセントーーーーーーーーッ!
次は2/9夜投稿です。