騎士、明日の天気を予想する
リィナが食事に乗り気でないらしい――そんな話を聞いたテレーゼは、「一般市民階級出身のリィナは、豪華すぎる食事に慣れていないのではないか」と予想した。
もやしフルコースに慣れているテレーゼだって、大公妃候補になったばかりの頃は有り余る食事の量に辟易したものだ。同じように、次期大公妃に選ばれるまでは使用人として食事を摂っていたリィナなら、大公家が普段食するような料理では味付けも量も合っていない。もしくは胃もたれしてしまっているのではないか……と推測したのだ。
そこでテレーゼは厨房の責任者に相談し、「リィナの生まれ故郷の郷土料理を提供してはどうか」と提案したのだ。彼はすぐに専用厨房の料理長に相談し、リィナの食が進むのならばと可決されたそうだ。
テレーゼは母にも相談し、母はリィナの実母と連絡を取った。そしてリィナが子どもの頃に好きだったという料理を教わり、専用厨房の料理人たちがそのメモを元に料理を再現することにしたのだ。
素朴な郷土料理だが、食材は一級品だしそれを作るのは信頼できる専用厨房の料理人たちだ。何度も味見もされて大公の許可も取っているので、テレーゼが仕事をしたり勉強したりしている間に作戦はとんとん拍子に進んでいたようである。
そして満を持し、リィナに料理を提供する。せっかく母も参加したのだからと、記念式典の打ち合わせをする日に設定しようということになったのだった。
(公城のご飯は確かにおいしいけれど、私たちが普段食べているものでもちょっと味が濃いなぁ、って思うくらいだものね)
リィナは最初こそそわそわしながら侍女に料理をよそってもらっていたが、まだほんのり湯気を上げるグラタンを一口ほおばると、目を丸くした。
「……これ、子どもの頃に食べたものと同じ――」
「うむ。肉がほとんどないが、野菜がたくさん入っているようで思ったよりも甘いな」
大公もまんざらでもなさそうだ。庶民出身のリィナはともかく大公からも色よい返事をもらえたなら、作戦はうまくいきそうだ。
テレーゼと母は茶だけを飲み、大公とリィナが感想を述べながら食事をする様を見守っていた。食事の量も、成人男性と女性が食べて少し物足りないと思うくらいに留めてもらったので、しばらくすればどの皿もほぼ空になった。
「……とてもおいしかったです」
「そうだな。……そなたの食がこれほどまで進んだのは、久しぶりだな」
大公がしみじみとした様子で言ったので、リィナの頬がぽっと赤く染まる。
「……申し訳ありません。健康が取り柄でしたのに、食事をおろそかにしてしまうなんて」
「何を言うか。……そなたは日頃努力しているのだ。たまに故郷の味が恋しくなったからといって、誰もそなたを責めたりはしない」
大公に優しく囁かれたとたん、リィナの赤茶色の目が潤んだように感じられた。
(……やっぱりリィナ、無理をしていたのね)
大公の婚約者に選ばれたからには、失態は許されない。いつだって背筋を伸ばし、勉学に努めなければならない。「好きなものはないのか」と聞かれても、「故郷で食べた素朴な料理が恋しい」なんて、真面目なリィナには口が裂けても言えなかったのだろう。
不健康になるほどではない。食事が一切喉を通らなくなるほどでもない。
だが――
「……今、わたくしは平民出身という身分に有り余るほどの贅沢をしております。ですので、これ以上の贅沢も我が儘も言ってはならないと思っており――しかし、かえってこのことでレオン様やお母様、お姉様を心配させてしまったのですね」
ぽつんとリィナが呟くと、空になった食器を下げさせた大公はそっと婚約者の肩を抱いた。今回はさすがにリィナもはね除けなかった。
「気にするな。今日の料理はとてもうまかったし、そなたの気分転換になったのならば何よりだ。今回はテレーゼや侯爵夫人はもちろん、使用人たちもそなたが元気になるようにと尽力した。今後もできるならそなたの懐かしい味を共に味わおうではないか」
「……よろしいのでしょうか」
「もちろん。……私こそ、そなたの気持ちを推し量ってやれなかった」
「いいえ。……お母様、お姉様。本当にありがとうございます」
そう言って大公と一緒に会釈をしたリィナは、ここしばらくで一番の笑顔だった。
軽食を挟んでの打ち合わせとなったが、その後も終始和やかな雰囲気のまま話を進めることができた。
最初は大公も一緒に打ち合わせの輪に加わっていたのだが、話がドレスから服飾雑貨、そして下着類に移っていったため、「お二人はあちらへ!」と言うテレーゼによって大公とジェイドは応接間からぽいっと放り出された。
「それにしても、先ほどの料理は実に美味だった。……ジェイドもご苦労だった」
「いえ。リィナ様やテレーゼ様の嬉しそうな顔が拝見できて何よりです」
「そうだろう、そうだろう。……だがな、ジェイド。リィナだけは譲らんぞ」
「あっ、はい、分かっております」
ジェイドは肩を落とし、眉根を寄せて婚約者への独占欲をぶん投げてきた大公に慇懃に礼をした。
大公はやや冷たい印象があり、本当に信頼している者以外にはなかなか心を開かないことで有名だ。そんな彼が最愛の婚約者を得たことでずっと人間らしくなり、こうしていち騎士に過ぎないジェイドにも気さくに声を掛けてくれるようになった。
……もっとも、大公はリィナ関連には弱いようなので、リィナ→リトハルト家→テレーゼ→テレーゼと仲のいいジェイド、という風に連想ゲームが起きたためなのかもしれないが。
続き部屋からは、女性陣の華やかな笑い声が聞こえてきた。無粋な男たちがいなくなり、母と娘二人になったことで肩の力を抜き、話ができているのだろう。いいことだ。
「……リトハルト家はうまくいっているようだな」
どうやら大公も、ジェイドと同じことを考えていたようだ。
隣を見やると、腕を組んでソファに腰を下ろした大公が満足そうな顔で続き部屋の方を見ていた。
「リィナを養女にするにあたり、リトハルト家の面々ならば彼女を温かく迎え、家族として接してあげられるだろうと思っていた。予想通りで安心した」
「……そうですね。テレーゼ様はリィナ様のことを、妹として大切に思ってらっしゃるようです」
「ああ、よいことだな。私はこの年になると両親と話をすることも減ったのだが……やはり、家族はよいものだな」
どこか遠い眼差しになっている大公の呟きを、ジェイドは意外な気持ちで聞いていた。
幼い頃から帝王学を受けてきた大公だが、両親である先代大公夫妻との仲は悪くはなかったと聞いている。だが先代大公の時代はなかなかごたついていたこともあり、公子だった大公は心の奥では寂しい思いをしていたのかもしれない。
ふと、大公は首を捻ってジェイドを見る。
「……ジェイド・コリック。暇なら、相談に乗ってくれ」
「そ……私が相談に乗るなんて、恐れ多いことでございます」
「そう固くなるな。そなたになら聞けると思っているのだ」
最初はやんわりと却下したジェイドだが、先ほど家族について語った時、大公が少し物寂しそうな表情になっていたことを思い出し、背筋を伸ばした。
伯爵家長男のジェイドと大公とではかなりの身分差があるが、年は近いしテレーゼやリィナといった共通する存在も多い。大公だってたまには肩の力を抜いて話をしたり悩み事を相談したい気持ちにもなるだろうし――その相手に選ばれたのが自分であるというのは、アクラウド大公家に剣を捧げた者としてはこれ以上ない名誉だ。
ジェイドは胸の前で拳を固め、頷いた。
「……かしこまりました。僭越ながらこのジェイド・コリックがお相手を務めさせていただきます」
「感謝する。……実は最近、私はリィナに『変態!』と言われたり手を叩かれたりすると、とてつもなく幸せな気持ちになるのだ。誰かに罵られるのはもちろん腹立たしいことなのだが、リィナなら罵倒されようと叩かれようとまったく嫌な気持ちにならないどころか、喜ばしいとさえ感じられる」
「……」
「私はどうすればいいと思う?」
「叩いてもらったらいいと思います」
公国は、明日も晴れだろう。
実によろしいことである。
こうして大公家はうまく回っていく




