令嬢、噂話を聞く
「メイベル! とうとう私も自由の身よ!」
「城内謹慎期間が終わって、ようございました」
両手を広げて大空を仰ぎながら、晴れやかな声を上げるテレーゼ。そんなお嬢様のスカートの裾をちょちょっと直しながら、メイベルが冷静に言った。
昨日、女官長から言い渡された「向こう二十日間の、仕事以外での外出禁止令」期間が終了し、テレーゼは晴れて外に出ることを許されたのだ。
「見て、メイベル! この美しい秋の空さえ、私の自由を祝福してくれているようだわ!」
「曇っておりますが」
「いいのよ。雲の向こうで、お日様が微笑んでいるのだから!」
久しぶりに堂々と外出できるので、テレーゼの気分は上々だ。こうなったら、少々天気が悪かろうと関係ない。
本日、テレーゼは市場調査と買い物のために城下町に降りることにした。休日だし仕事でもないので、いつもの女官服ではなくシンプルなワンピースとカーディガンを纏い、ふわふわのローズブロンドの髪はメイベルにちょっと工夫してもらって太めの三つ編みに結ってもらった。これなら、「お供を連れたちょっと裕福なお嬢さん」に見えるのではないだろうか。
「最近、あまり内職ができなかったようですものね」
「女官としてのお仕事があるからね。でも、流行は移ろうもの……まめに状況把握していないと、あっという間に時代の波について行けなくなってしまうわ!」
端切れでパッチワークを作ったり毛糸たわしを作ったりするテレーゼだが、作るものには季節感やそのときの流行を取り入れるようにしていた。
たとえば今年であれば、若い女性の服や小物にフリルが付いているのが流行らしい。外出用のポンチョやブラウス、スカートの裾はもちろんのこと、ポシェットのポケットやブーツの折り返し部分、ショート丈のグローブの縁などにもフリル要素を入れる。ビラビラ大量に取り付けるのではなく、ちょろっと見え隠れするのがおしゃれポイントらしい。
(だから、小物を作るときにもフリルを入れると売れ行きがいいのよね)
試しに、同じ端切れで作ったクッションカバーを売り比べしたことがある。片方にはアクセントにフリルを入れ、もう片方には入れていない。
その結果、フリルを入れた方が圧倒的に売れていた。端切れ代に加えてフリルを余分に買わなくてはならないので初期投資は掛かってしまうが、売れ行きを鑑みるとフリルを入れた方が客のウケがよく、結果として黒字になることが分かった。
市場を歩く際には、道行く人たちの服装にも気を配る。そうすると自ずと、「今何が流行っているのか」が見えてくるのだ。
(こういうのって、普段のお仕事でも活用できそうよね)
女官としてお世話をする貴族は年配の者が多いが、中には以前チャリティー観劇で同行したバノン子爵夫人のように若い世代の者もいる。身だしなみを整えたりするのは侍女の仕事だが、流行を把握しておくと世間話のきっかけにもなるし、もし夫人に何か尋ねられた際にもなめらかに受け答えをすることができる。
(日々研鑽、勉強ね!)
一般市民に混じってバザーに参加することも城内をうろつくことも、無駄なことではない。コーデリアたちからは「ちょろちょろするな」と叱られるが、ちょろちょろしたことで得られるものがあり仕事にも還元できるのなら、それでいいのではないか。
「本日はまずどちらに参りましょうか」
「あのね、貸本屋に行きたいの。公城の図書館も充実しているんだけど、参考書類はあまり置いていなくってね」
「かしこまりました。では市場を通りながら行きつけの貸本屋に参りましょうか?」
「そうね。いい本はすぐに貸し出されちゃうし、行きましょう」
公城や各教育機関などにある「図書館」で無料で本を借りられるのと違い、「貸本屋」は年会費を払わなくてはならない。
公都に貸本屋は複数存在するが、どれも貸本組合に加入しており、年会費を払うことでもらえる会員証は全店共通だ。店によって品揃えに差があるため、お気に入りの貸本屋を頻繁に利用したり、もしくは自分の好みの本を求めて店を梯子したりと積極的に利用されている。
アクラウド公国は近隣諸国と比較しても教育制度が整っている方で、公都の者だったら身分を問わず最低限の読み書きはできる。それでも一般市民が気軽に本を購入することはできないので、城下町のあちこちにあり、会員登録して好きなときに好きな本を読めるようにしている貸本制度が好評を博しているのだ。
(これまでは貸本屋に登録するお金もちょっと渋っていたけれど、私の就職を機に思いきって登録したのよね)
登録は基本的に家族単位なので、テレーゼが登録したことで両親や弟妹たちも借りられるようになった。エリオスは勉強用の本を読みたいし、マリーやルイーズもたくさんの絵本を読めるので大喜びだった。
メイベルおすすめの貸本屋は、市場から一本脇道に逸れた通り沿いに建っていた。なかなか立派な大規模貸本屋で、店の前には貴族のものらしい立派な馬車も停まっている。
「ここの貸本屋は初めて来るかも。貴族の方もいらっしゃるようね」
「今までテレーゼ様がご利用なさっていたのはマリー様とルイーズ様に合わせて、子ども向けの書物が多い貸本屋でしたからね。こちらはこのメイベルおすすめの、学術書専門の貸本屋でございます。学問に造詣の深い貴族であれば、自ら足を運んで書籍を選ぶことも少なくないそうです」
「そうなのね!」
いくら興味のある分野とはいえ、わざわざ城下町に足を運んででも自分の好みの本を探そうとするガッツのある者がいるくらいなら、もしテレーゼがフラフラしているのを見られても不審には思われないだろう。気ままに本を探したいテレーゼにとっては、好都合だ。
「よーし……いい本をザックザック見つけるわよ! 勉強のために!」
「テレーゼ様、館内ではお静かに」
「あっ、はい」
貸本屋は二階構造で、蔵書数もかなりのものだった。
「本当に、たくさんの参考書があるのね……!」
「ええ、こちらの貸本屋の裏に上級学校があることもあって、学生向けの参考書も多く取りそろえているとのことなのです」
「見たところ書き込みとかもしていないし、借りる人もしっかりしているのね」
手頃な参考書を選んで、ぱらぱらと中を見てみる。図書館と同じで、貸本に書き込みをしたり傷つけたりしてはいけない。その辺りも貸本組合でかなり厳しい取り決めをしているようで、返却の際にチェックされる。明らかな汚れや書き込みがあった場合、新しく本を買うための代金を請求される。当然、貴族だから、平民だからという言い訳は通じない。
(んー、大収穫!)
結局テレーゼが借りることにした本は十冊を越え、さらに女官見習仲間たちに会員証を託され頼まれた本も加えるとかなりの冊数になった。
これだけの量の本を女二人で持って帰るのはたいへんなので、公城まで届けてもらうことにした。なお、この運賃は「テレーゼに借りに行ってもらったから」ということで、仲間たちが支払うことになっている。
「それではわたくしが手続きをして参りますので、テレーゼ様はしばしお待ちください」
「分かった。人間観察をして待つことにするわ」
メイベルが公都内配送サービスを受けに行くのを見送り、テレーゼはベンチに座った。
ここは貸本屋の入り口で、座っていると通り過ぎる人たちを観察することに加え、店内を歩き回って疲れた足を休めることもできた。
(ふーん……最近の男性の中では、縞模様が流行っているのね)
ベンチに行儀よく座りながらも、目は皿のようにして通りゆく人たちを観察する。
一般市民女性の流行はフリルのようだが、一般市民男性はストライプの小物を持っている者が多いようだ。貸本屋に来るのであれば、ある程度の資産と教養がある本好きに限定される。来店する人たちも最低限の身だしなみは整えており、服や小物にも工夫を凝らしているものが見られた。
(縞模様……パッチワークで作るのは難しいかもしれないけれど、新しい布を買って作ってみる価値はあるかも? それに、縞模様とフリルを組み合わせたら男女問わず買ってもらえるような商品が作れるかもしれないわね)
貸本屋や図書館は原則筆記用具の持ち込みが禁止されているので、メモを取ることができない。
今見聞きしたことや考えたことを頭のメモ帳にしっかり書き込んでいると、テレーゼの隣でぎしっとベンチが軋む音がした。
「ああ、これは失礼、お嬢さん」
そちらを見ると、身なりの良さそうな男性二人がベンチの反対側に腰を下ろしていた。貴族であれば座る前に一言断るのがマナーなので、この男性たちは一般市民で、テレーゼのことも町娘だと認識したのかもしれない。
「いいえ、どうぞ」
「すまないね」
笑顔で首を横に振ると、男性たちも微笑んでくれた。
(あら、この人たちのネクタイもやっぱり縞模様ね。やっぱり今度のテーマは「フリル」と「縞」でやってみるべきかしら……)
「それで……何の話をしていたっけ?」
「子爵だよ、フィリット子爵のことだ」
横目で男性たちのファッションを確認しつつ新作の構想を練っていたテレーゼは、二人の会話で聞き覚えのある名が出てきたため、思考を中断してそちらに意識を向ける。
(フィリット子爵って……コーデリア様のお父様?)
テレーゼの脳裏を、こちらを睨んでくるコーデリアの姿が過ぎる。想像の中のコーデリアは腕を組んで両足を踏ん張って立っているのに、なぜかブルネットのポニーテールは独りでにぶんぶんと左右に揺れていた。
「ああ、そうだった。おまえ、この前子爵の屋敷に行ったんだっけ?」
「商談でな」
ということは、彼らは商人のようだ。それも子爵の屋敷に商談に行けるということは、そこそこ繁盛しているのではないか。
子爵となるといいお得意様になりそうなものだが、男性の声には覇気がない。それどころかベンチに座って前傾姿勢になっており、手のひらを額に宛てがって嘆息している。
「商談自体は一時間程度で終わったのだが……その後の自慢話が長くて長くて」
「ああー……有名だよな。『子爵の話に付き合うとパスタの麺が伸びる』ってことわざがあるくらいだし」
「あったっけ?」
「俺が今作った」
「そうか。……といってもこの前の子爵は今までにないくらいご機嫌だったんだ。こっちだって商売しているんだから、お得意様のご機嫌伺いくらい喜んでするさ。……で、その内容なんだが」
「俺が聞いていいのか?」
「むしろどんどん広めてくれってさ。どうやらこの前、子爵令嬢が大公様の婚約者のお付きに選ばれたらしくて」
(……あ、これってコーデリア様のことだわ)
なんとなくそんな気はしていたが、子爵は娘がリィナの臨時専属に選ばれたことが本当に誇らしく、あちこちで吹聴しているようだ。
(……まあ、喜ぶ気持ちも分かるわ。コーデリア様も興奮気味に報告していたし――)
「はぁ、それはそれは。……でもそれって、現金だよなぁ」
「おまえも思うだろう? なんてったってその令嬢ってのは、子爵が愛人に産ませた婚外子じゃないか」
「えっ?」
思わず声を上げてしまった。
幸い、ほぼ同時に目の前を若い女性たちが小声で話をしながら通り過ぎていったので、男性たちには気付かれずに済んだが、テレーゼの胸はやけに早く鼓動を刻んでいる。
(コーデリア様は……婚外子だったの?)
公国ではどのような身分の者だろうと一夫一妻制で、重婚は認められない。だが婚外子はざらにいるらしく、貴族の場合、よその女性に産ませた子を認知するか金を握らせて口封じをするかはその者次第だと言われている。
(娘だと政略結婚をさせられるから奥さんの子どもとして引き取り、跡取り争いの原因になりやすい息子の場合は認知しないことが多いらしいけれど……)
だが認知するにしても、婚外子は何かと白い目で見られやすいのが現状だ。そのため引き取るにしても、婚外子であることは伏せて「親戚の子」などとぼかすことが多いそうだ。
(でも、コーデリア様の場合、婚外子ということは結構おおっぴらになっているみたいね……?)
さすがに先輩女官の出自を探ろうなんて真似はしなかったし知っていてもおいそれと口にしないだろうが、もしかするとコーデリアの出自を知っている者は女官の中にもいたのかもしれない。テレーゼのように、家庭の事情でデビューすらできなかった令嬢でなければ。
「ああ。六歳くらいの時にいきなり引き取ったんだっけ? おまえ、その頃から子爵家のお得意様だったんだろう」
「そうなんだよ。それも、最初のうちは子爵のその令嬢への当たりも厳しくってさぁ……俺が商談に行ったとき、令嬢がちょこちょこやって来たことがあるんだ。子爵家にはもともと三人くらい娘がいたけれど、こんな子もいたんだな、って思っていたら、子爵がものすごい形相でその子を叱り飛ばしてあーだこーだ言ってたんだよ」
「あんまりいい待遇を受けていなかったんだろうな。それが今になって、手柄を立てたから鼻高々で娘自慢をするなんて、確かに虫のいい話だよ」
「ああ。……その令嬢も、かわいそうに」




