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女性官僚との出会い

メインキャラ登場の巻

 音楽会は、十日ほど前にテレーゼたちが集められた会場で行われた。


 壇上の貴賓席に座るのは、落ち着いたダークレッドのドレスを纏った女性、ソフィア太后。遠目から見てもやはり四十一歳には見えない瑞々しい彼女は、会場に集まる参加者たちを興味深そうな眼差しで見渡している。


 以前テレーゼたちが集められたときと違うのは、会場の中央に円形のステージが取り付けられていること。太后が座すステージと違い、こちらの方はフロアから拳二個分ほど高いだけの低いお立ち台だった。参加者はここに上がって、ソフィア太后に音楽の腕前を披露するのだ。


 今日のテレーゼは、ジェイドとメイベルが選んでくれたドレスを羽織り、またしてもジェイドが実家から連れてきてくれた侍女にメイクを頼んでいる。フルートを抱えてわくわくと出番を待つ彼女のふわふわの桃金髪は、緩やかに捻りながら巻き上げて夜会風にまとめられている。


 自室の鏡の前で出来を確認したテレーゼは、まるで土木工事に勤しむおじさんの捻りハチマキのようだ、と思ったが、賢明にも口には出さなかった。出していないはずだがその瞬間、隣に立っていたメイベルがじとっと睨んできた。長い付き合いのメイベルは、テレーゼの心の声さえ読み取ったようだ。


 部門が四つに分かれているとはいえ、参加者の数はなかなかのものだ。今日も護衛として付いてきてくれたジェイドによると、老若男女、様々な身分の者が百名近く参加しているという。


 そんなジェイドは今日も騎士団の制服姿だ。切れ長の目はいつもながら涼しげで、ソファに座って順番を待つテレーゼの隣で、周囲に視線を走らせている。本当に心強い護衛だ。


 参加者たちは事前に番号札をもらっており、順番にステージで発表を行う。なにしろ人数が多いので、一人一分以内と時間制限がある。

 一分で発表というのもなかなか難しいが、幸いテレーゼのレパートリーには短めの曲がいくつかあった。その中でさらに繰り返し部分や間奏部分をカットした結果、一分以内に曲が仕上がったのだ。楽譜の書き方も教えてくれた母に、本当に感謝だ。


 隣に立つジェイドはそれほど音楽には興味がなさそうだが、テレーゼは自分の順番になるまでに、心を躍らせて他の参加者の演奏に聴き入っていた。


(ああ、なんてつやつやの楽器! いったいいくらするんだろう? ……ああ、やっぱり澄んだ音色! お金が余ったら、新しい手入れ用クロスを買おうかしら……。ああっ、何この曲すてき! 楽譜もらえないかしら!?)


 官僚や騎士、女官や側近の奏でるヴァイオリン、ハープシコード、フルート。中にはテレーゼが見たこともない縦笛や奇怪な形の弦楽器もあり、耳だけでなく目も楽しめる。音楽のよさを教えてくれた母に、心からの感謝を送る。


 参加者の中には、当然レオン大公の妃候補の女性もいた。ただ残念ながら、彼女らの中には会の趣旨を間違えている者もいるようだ。

 本当なのかわざとなのか、たどたどしい手つきで竪琴を弾き、恥じらいながら歌い、ちらちらと辺りに色目を使っては弾く弦を間違え。確かに可憐で可愛らしい仕草だが、これでは優秀賞をもらえそうにもない。


(今日はレオン大公は参加していないみたいだけど、ソフィア太后にアピールしているのかな?)


 そう思ってちらっと太后の方を窺うが、残念ながら太后は本当に音楽を楽しみに来ているらしく、令嬢たちがモジモジクネクネする様を冷めたような目で見下ろしていた。佳人の冷めた眼差しというのも、なかなか見ているだけでゾッとする。妙な性癖に目覚めてしまいそうだ。


「――六十五番、弦楽部門リィナ・ベルチェ」


 司会の大臣が落ち着いた声で次なる参加者を呼ぶ。テレーゼの手の中にある番号札は八十五番。ややエントリーが遅れたらしく、最後の方だ。

 六十四番だったどこぞの伯爵令嬢が顔を真っ赤に染めながらステージから下りると、入れ替わりに若い女性がステージに上がった。


(ん? 手ぶらってことは、楽器が大きい……?)


 声楽部門以外に出る女性は、たいてい手に楽器を持っている。だが今ステージに上がった若い娘は、楽器も楽譜も何も持っていない。


 彼女は官僚を表す濃紺の制服姿で、軽く編み込んだ灰茶色の髪がふわりと揺れる。テレーゼたちが見ている間に、脇から楽器が運ばれてきた。腕の力が必要で、指の皮と爪が犠牲になるので令嬢からは嫌われている、優美な形を描くハープだった。

 ただし、テレーゼが知っているハープよりはやや小柄で、椅子に座った女性の身長とほぼ同じくらいだ。弦が二段に分かれて張られているところが珍しい。


 静かに、女性が弾き始める。甘く切ないメロディーが、テレーゼの鼓膜を震わせる。

 思わずテレーゼは己の口元を押さえた。思わず口をついて出てきそうになった感嘆の悲鳴をこらえるためだ。


(素敵……! なんて甘くて深いメロディーなの!)


 女性が弾くのは、華やかな音楽会では珍しい短調の曲。心臓が震え、思わず涙腺が緩んでしまうような悲しいメロディーが低く、甘く鳴り響き、会場のシャンデリアを震わせる。


 ふいに、チッ――と低い音がテレーゼのすぐ脇で聞こえた。見ると、少し前に弦楽部門に出ていた令嬢が目を三角にして、ステージ上の女性官僚を睨んでいた。胸元までぱっくり開いた豪奢なドレスは深紅で、鏝をかけたわけでもないだろうに金の髪は見事な縦ロールを作り上げている。

 黙って微笑んだらかなりの麗人だろう彼女は、今は親の敵でも見るような目で女性を睨んでいた。わたくしを差し置いてあんなに目立って許さない――と、その杏色の目が語っている。


 なんとなく嫌な雰囲気しか感じられず、テレーゼは黙って前を向き、ハープを奏でる娘をじっと見つめることにした。










 結果から言うと、テレーゼは見事笛部門の優良賞に輝いた。


 優良賞はつまり、二位である。一位は、比較的エントリー番号の早かった中年男性高官。彼のフルートの腕前は確かに、さすがの一言だった。

 それでも優良賞の商品である見事な絹製の織物を贈られ、テレーゼはほくほくだ。商品をテレーゼに渡してきたのは例の大臣だが、壇上の太后も心なしか、嬉しそうな微笑みをテレーゼに向けてくれていたような気がした。


(なんて素敵な手触り! これって本当に布? つるつるでひんやりしていて、水みたい!)


 テレーゼはすりすりと絹の布に頬を当てていた。

 場所は、会場脇の中庭。気分が高揚したテレーゼはメイベルと一緒に、中庭でしばし涼むことにしたのだ。優良賞をかっさらったテレーゼに声かけをしようとする輩も少なくなかったので、今はそういった連中はジェイドが撒いてくれている。ほとぼりが冷めたら部屋に戻る予定だ。


「テレーゼ様の演奏はそれはそれは見事なものだったと、ジェイド様から伺いましたよ」


 メイベルはそう言って皺の寄った頬を緩めて笑う。使用人でしかないメイベルは、会場に入ることができなかったのだ。

 テレーゼは途中詰まりそうにはなったが、想い(※「褒美がほしい!」)を込めて最後まで吹ききった。一位は無理だと分かっていたが、優良賞を授かっただけで万々歳だ。フルートを教えてくれた母にもいい話ができそうだ。

 テレーゼはうきうきと絹の織物をメイベルに渡す。


「ありがとう! ほら、メイベルもこれ、すりすりやってみてよ。とても気持ちいいわ!」

「い、いえ、私のような者が頬ずりなんて、とんでもない……」

「そんなこと言わないで。周りには誰もいないし――」

「いえ、そういう問題では……」


「――って言ってるのよ、分かってる!?」


 テレーゼが言ったそばから、風に乗って届いてきた女性の声。絹の織物をメイベルと押しつけあい状態になっていたテレーゼは、はたと動きを止める。


 声がしたのは、テレーゼの背後の方。そちらにはぽつぽつとランタンの明かりが灯る、薄暗い裏道が延びている。


「……今、声がしたわよね?」

「左様ですね」

「……嫌な予感がする。ちょっと、見てくるわ」

「まあ! テレーゼ様、危険なことはどうか……」

「私は大丈夫。かくれんぼと鬼ごっこは得意だもの。ばれる前にさっさと逃げてくるから、メイベルは布をお願い」


 そう言ってテレーゼは有無を言わせず、メイベルに高価な布を押しつける。こうしたら、メイベルはここから動けない。メイベルにはここで待機してほしかった。

 「お嬢様!」と小さく悲鳴を上げるメイベルを制し、テレーゼはドレスの裾を持ち上げてそっと、声のする方へ足を向けた。


(今こそお母様直伝、『お城で生き抜くためのメソッド集』より、『足音を忍ばせる際はゆっくり、体重を掛けながら移動! ドレスの時とそれ以外の服装の時ではコツが違う』を発揮するとき!)


 今日の靴はややヒールの高いパンプスだ。いっそ脱ぎ捨てて素足で歩きたいが、そんなことをすればメイベルが目を剥いて卒倒してしまう。テレーゼも、借り物のタイツを泥で汚すのはやはり忍びないので、厄介ではあるがパンプスのまま、裏道に入った。


「普通、わたくしたちに一歩譲るでしょう? それなのに何? 澄ました顔で演奏して。ソフィア様に媚びを売るつもり?」

「身の程を知りなさい! 貴族でもないおまえのような女がソフィア様の目に留まるなんて、ああ、恐ろしい!」

「今からでも遅くないわ。入賞を辞退してきなさい。反則をしたとでも言えば速攻で入賞取り消しになるはずよ」


 どうやら複数の令嬢がよってたかって、一人の女性を取り巻いているようだ。

 令嬢たちの顔までは分からないが、テレーゼが隠れている位置から華やかなドレスの裾が見えたので、間違いない。しかも思い違いでなければ、先ほど会場でテレーゼの隣にいた、金髪縦ロールの赤いドレスの令嬢もそこにいた。


(ということは、あの人たちが囲んでいるのは――)


 彼女らの言い分と、その内容。そして彼女らが集団でリンチする相手といえば。


 テレーゼは建物の陰に身を隠しつつ、顔をしかめる。胸がムカムカするのを抑えられない。集団虐めや弱い者虐めをする者は大嫌いだ。やるなら堂々と、一対一で殴り合えばいいのだ。「鼻血を出した方が負け」のようなルールにして。


 決心したテレーゼは指先で自分の鼻をつまみ、頭のてっぺんから抜けるような声を出した。


「……そうなの、こっちにさっきの入賞者がいるって聞いて……ほら、ゲオルグ様! こっちですわ!」


 なるべく甘くて可愛らしい声を出したつもりだ。まるで、男性同伴の若い令嬢がこちらに近付いているかのように。

 ある意味賭だったが、幸運の女神はテレーゼに微笑んでくれたようだ。テレーゼの裏声を聞いた令嬢たちはぎょっと身をすくませ、我先にと逃げだしていった。相手が女性だけならまだしも、男性にこんな場面を見られるわけにはいかない。ゲオルグという、誰のことか分からない人名を出して正解だった。


 ばたばたと足音も荒く令嬢たちが逃げ去っていった後、テレーゼは辺りを確認してからひょっこり物陰から身を乗り出す。予想通りというべきか、そこには地べたにへたり込んだ若い女性がいた。テレーゼの存在に気づいた彼女が、ゆっくり顔を上げる。


 さらりとした灰茶色の髪が瞼に掛かっており、指先が億劫そうに髪の束を持ち上げる。目は濃い紅茶色で、理知的に少しだけ目尻が吊り上がっている。

 先ほどまでは染み一つなかった濃紺の制服は泥にまみれている。おそらく令嬢に突き飛ばされた際に尻もちをついたのだろう、指と手の平にも湿っぽい泥の跡があった。


 泥に汚れた衣服と顔だが、その眼差しは強い。あまりの強い眼差しに、テレーゼも威圧されそうになった。

 だが彼女はテレーゼが敵でないと分かったのだろう、眼差しを緩め、ゆっくり立ち上がった。


「……助けてくださったのですね」


 少しだけ掠れた女性の声。テレーゼより、二つか三つほど年上に見える。

 テレーゼは頷き、女性に歩み寄る。だが彼女は距離を詰めてきたテレーゼから逃げるように、数歩後退した。


「……すみません、あまりきれいな格好ではないので。泥が付いてしまいます」


 拒絶されたのかと一瞬怖じ気付いてしまったが、彼女はテレーゼに泥が付くのを心配しただけのようだ。

 ほっと安堵し、テレーゼは首を横に振って女性に近づき、ぽんぽんと制服に付いた泥を叩いて落とす。


「構いません。それより、大変な目に遭いましたね」

「……お恥ずかしい限りです」


 女性は低い声で言う。本当に恥ずかしいのか、白い頬が少しだけ赤く染まっている。


「お気遣いありがとうございます、お嬢様」

「わたくしはテレーゼよ。あなたは確か、リィナさんね」

「私の名を覚えてらっしゃったのですか……?」


 驚いたようにリィナが目を瞠る。テレーゼは微笑み、リィナの灰茶色の髪に付いていた泥の固まりも落としてやった。


「もちろん。あんなにすばらしい演奏をしているんですもの。……わたくし、本当にあなたのハープに感心しました。それはきっと、ソフィア太后様も同じです。誰が何を言おうと、気にしなくていいんですからね」


 テレーゼは心を込めて、リィナに語りかける。


 リィナは先ほど、弦楽器部門で見事優秀賞に輝いた。令嬢たちが誰一人として賞に選ばれない中、ソフィア太后から腕前を認められたのは平民出の女性官僚。

 令嬢たちはリィナを囲んで賞を辞退するよう脅した。妃候補でもない人間がソフィア太后の目に留まったのが許せないのだろう。


(だったら、真っ当な方法で勝負すればいいのよ。陰湿に辞退を押しつけたり本番でなよなよしたりせずに、実力で賞をもぎ取ればよかったのに!)


 それに負けたなら負けたで潔く引けばいいのに、見苦しく足掻いた末にリィナを囲むなんて、信じられない。レオン大公もきっと、彼女らの美しい顔の下に隠された本当の姿に気づくだろう。


 リィナは瞬きをしてテレーゼを見つめていたが、徐にその場で深く頭を下げた。


「テレーゼ様ですね。今日は本当にありがとうございました。何とお詫びをすればよろしいのか……」

「えっ、いいのよ、お詫びなんて」


 テレーゼは慌てて目の前で手を振る。「褒美」とか「謝礼」とかいう言葉には目がないテレーゼだが、リィナからお詫びに金品をむしり取ろうという気にはなれない。褒美にしても賞金にしても、真っ当な方法で堂々と勝ち取るのがテレーゼの主義なのだ。


「わたくしが勝手にやったことですから。あなたが無事ならそれで何よりですよ」

「しかし、それでは私の方が納得できません」


 リィナはすんなりとは引き下がってくれなかった。彼女は顔を上げ、冴え渡る冬の湖面のような瞳でテレーゼを射抜く。


「後日、必ずお礼に参ります。今日はあいにく手持ちがなく、ソフィア太后殿下からの贈り物をお渡しするわけにもいかないので……」

「いえ、本当にいいのに……」

「私なりの誠意の表し方です。……それではテレーゼ様、私はここで」


 言うだけいい、リィナはくるりと背を向ける。追いかけようとしたが、テレーゼは彼女の歩き方を見て足を止めた。

 わずかだが、左足を引きずるように歩いている。おそらく、足首を捻ったのだ。彼女はこれ以上テレーゼに心配を掛けまいと、足早に去ることにしたのだろう。


 テレーゼは何も言えず、リィナの後ろ姿を困惑の眼差しで見送るのみだった。

テレーゼの髪型は、「王女編み」などと呼ばれるやつです。

気になる方は調べてみてください。

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