令嬢、食事会に参加する
今夜は、いつもと違うドレス。
唇に赤を差し、結った髪には生花を。
ヒールのある靴を履けば、ちょっとだけ大人になった気分になれるの――
「……なーんてフレーズがリズベスに借りた本で出てきたんだけれど、履くだけで大人になれる靴なんて、ちょっと怪しくない?『これを履けばあなたもちょっと大人になれます! 今ならもう一足付いてきて、お値段そのまま!』とか……主人公が変な商売に引っかかっているんじゃないかと思うと、なかなか内容が頭に入ってこなかったのよ」
「ロマンチックなら何でもいいのでしょう」
「なるほどね」
テレーゼに突っ込みを入れるリィナ。相変わらず彼女の突っ込みは的確で、爽快だ。
今、テレーゼとリィナは二人並んでドレッサーの前に座っていた。それぞれに二人ずつ侍女が付き、髪を巻いたり化粧を施したりしてくれる。
今夜、テレーゼたちは大公主催の食事会に招かれていた。大公曰く、「いずれ家族になる者たちとの親交を深めるため」ということで、リトハルト家の者たちが全員招かれていた。父も急ぎ領地から戻ってきて、仕度ができたらテレーゼとリィナを抜いた五人で城に来る手はずになっている。
テレーゼは女官になってからはメイベルのみをお供に城で寝泊まりしている。よって今日も勉強と仕事を終えてから、リィナの部屋で一緒に仕度をすることにしたのだ。
テレーゼとリィナは血の繋がりはないが戸籍上姉妹なので、ドレスや髪型もおそろいにしてもらった。ローズブロンドにすみれ色の目のテレーゼはラベンダー色の、アッシュグレーの髪に赤茶色の目のリィナはマゼンタの、色違いの同じデザインである。リィナの方が背が高いし大人びた顔つきなので、並ぶとリィナの方が姉に見えそうである。
「わー、きれいだよ、リィナ!」
「ありがとうございます。……お姉様も、とてもよくお似合いです」
そう言ってリィナは照れたように微笑んだ。
最近では、彼女もテレーゼのことを「お姉様」と呼ぶことに慣れてきているようだ。最初の頃は「テレ……あ、いえ、お姉様」と、令嬢と教育係だった頃の癖が抜けきれていなかったものである。
「失礼する。……おお、リィナ。今宵のそなたはとても美しい」
しばらくしてやって来たレオン大公は、テレーゼと並んで立っていたリィナの元まで大股でやってくると、流麗な動作で手を取ってキスを落とした。ドアからここまでそこそこ距離があるはずなのだが、凄まじい移動速度である。
「そなたの大切な家族と食事を共にできること、嬉しく思っている。……テレーゼも、よく似合っている。二人並ぶと、よりいっそう華やかだ」
「ありがとうございます、閣下。……さて、そろそろ参りましょうか。両親と弟妹たちも、そろそろ到着している頃です」
リィナの腰を抱いて熱い眼差しを送っている大公と、まだ慣れていないらしく明後日の方向を向いているリィナを促すべく、テレーゼは声を上げた。
今日のテレーゼは大公にお呼ばれされている側ではあるが、彼らを食事の会場まで案内する役目は女官でもあるテレーゼに任された。
(今回は女官長様とかはあまり関係ないけれど……勉強の応用復習にもなるし、こうした経験を積み重ねると、いずれ効果が現れるはず!)
そう思うと、日々のちょっとしたことにも意識を向けようという気になる。
大公とリィナが並んで歩き出したら、彼らの足下にも意識を向ける。今日は晴れているので大丈夫だろうが、天候の悪い日は湿った靴によりカーペットにシミができてしまうことがある。また、ヒールの高い靴を履いている女性ならば毛足の長いカーペットや石畳の隙間に引っかかって転倒しそうになることも。
(対象者が心地よく行動できるように配慮する……うん、頑張らないと!)
リトハルト家の家族は、二つほど隣の応接間で待機していた。一張羅を着こんだ両親は緊張ガチガチで、「こ、今晩はお招きいただきありがとうございます!」とうわずった声で父が挨拶している。対する大公は気さくな様子で「こちらこそ、遠路遥々ようこそ」と普段領地で暮らしている父を思いやるような言葉を送り、父と握手をした。
――直後、父はふっと倒れた。
応接間はちょっとした騒ぎになったが、「父は偉い人と握手をすると気絶する病なのです」ということで大公には納得してもらうことになった。
隣室で休憩中の父を外し、食事会が始まる。
大公は「身内だけの食事会だから、気楽に話でもしながら食べよう」と申し出てくれたのだが、彼の言うとおり「気楽に」食事ができたのは、まだ幼い双子のマリーとルイーズくらいだった。
母とエリオスはシャンデリアの明かりを受けてきらきら輝く数々の料理に驚きっぱなしのようだし、リィナも緊張の面持ちで料理を口に運んでいる。
食後の茶の時間になるとようやく父が復活し、茶を飲みながら雑談することになった。
「たいこうさま、かっこいいです!」
「マリーたちも、いつかすてきなひととけっこんするんです!」
この時間になると、マリーとルイーズはすっかり大公に懐いてしまっていた。「他人に興味がない」と言われる大公も、リトハルト家――つまりリィナの家族となると話は別らしい。
彼はきらきらの眼差しで一生懸命話しかけてくる双子を穏やかな笑みで見つめており、「そうか」「それはすばらしいことだな」と優しく相づちを打ってくれていた。
「そなたたちのように素直で明るい子が、未来のアクラウド公国を作ってゆくのだな。……リトハルト侯爵、我が婚約者の妹君となれば、年頃になったなら私の方から縁談をまとめようではないか」
「へっ!? あ、あり、ありがとうございます! 身に余る光栄でございます!」
いきなり話を振られて、ミルフィーユをもそもそと食べていた父が目を剥いた。
だが父は最初、大公の話の内容をよくも聞かずに返事していたようで、やがてさっと青ざめた。
「あ、いえ。しかし、リィナ様の身内といえど我々に血の繋がりはなく、末の娘たちの縁談まで大公閣下に頼るわけには――」
「何を言うか。むしろ、大公妃の妹君ということでろくでもない連中が彼女らを狙うかもしれん。それくらいなら私の方から信頼できる者を見繕い、話を持っていった方がよかろう。……エリオス、君の時にも必要とあらば、声を掛けなさい」
父の隣で大人しく茶を飲んでいたエリオスは大公に呼びかけられ、目を見開いたようだ。
「……は、はい。ご厚意に感謝いたします」
「うむ、いつでも頼りなさい」
大公と弟が会話する傍ら、蜂蜜たっぷりの紅茶を堪能していたテレーゼは目を瞬かせた。
(確かにマリーたちだけじゃなくて、エリオスは跡取りだから結婚相手も慎重に選ばないといけないわね……)
それこそ、「大公妃殿下と縁続きになれる」という目論見で弟妹たちに近づく者だって出てくるだろう。大公はそれを心配しているのだ。
(……そうよ! マリーとルイーズは紛れもない天使だから変なおじさんから守ってあげるのはもちろんだけど、エリオスだってかわいいかわいい弟なのよ! そんなかわいいエリオスを狙う者がいてもおかしくないわ――)
テレーゼは想像する。
権力に目のない色っぽいお姉さんが、エリオスに向かってちょいちょいと手招きをする。「お姉さんと一緒に遊ばない?」と。
そう、それはまさに、この前見習仲間に押しつけられた本にあった展開のように――
(ああああっ! だめ、そんなのだめよ!)
無邪気な弟が悪いお姉さんに引っかけられるなんて、我慢ならない。
弟妹たちの結婚を考えるのも、長女のつとめだ。テレーゼだって城仕えになったのだから、昔よりは人脈も増えた。大公に頼りきりになるわけにはいかない。
「大公閣下、わたくしも弟妹たちの結婚相手探しに努めますので、どうぞよろしくお願いします!」
気合いを入れてテレーゼが申し出たとたん、なぜかその場がしんと静まりかえった。
はしゃぎながらケーキを食べていたマリーとルイーズでさえ、きょとんとしてこちらを見ている。
(……あれ? 私、何か変なことを言ってしまった?)
話の流れからすると不自然ではなかっただろうし、「気楽に」会話するようにと言われているのだから、テレーゼが話題に乗っても咎められることはないはずなのだが。
「……あ、あの?」
「でも、じゅんばんだとテレーゼおねえさまが……んぐっ」
「ルイーズ、まだケーキが残っているから最後まで食べてからおしゃべりしようね」
何か言いかけたルイーズだが、エリオスにそっと口を塞がれてしまっていた。兄にやんわり止められたルイーズは聡くも何かを察したようで、頷くと黙ってケーキを食べる作業に戻ってしまった。
訳が分からずおろおろするのは、テレーゼだけのようだ。
(……どういうこと? はっ、まさか、「お見合いおばさんのようなことはやめた方がいい」ということかしら!?)
城下町に、「知り合いの息子が嫁さんを探していてねぇ。あんた、どうだい?」と他人の縁を取り持つことに人生を懸けているおばさんがいた。彼女は「お見合いおばさん」と呼ばれており、若干押しつけがましいので、テレーゼ含め同年代の者たちはちょっと迷惑がっていたではないか。
(い、いけないわ。私も弟妹たちの結婚に執着しすぎたら、お見合いおばさんになってしまうところだったわ! きっと皆は、沈黙でそのことを表してくれたのね!)
テレーゼとてまだまだ花の盛りの十八歳なのだから、「おばさん」になるのには数十年早い。
なるほどなるほど、と一人納得したテレーゼは、すっきりした気持ちで茶を飲んだ。
そんなテレーゼの気持ちが分かるはずもなく、両親とリィナは頭を抱え、弟妹たちは真顔で顔を見合わせ、大公は「本当にそなたはおもしろいな」と笑うのだった。
見習仲間が押しつけてきた本とは……